上州大乱編

第166話 小田原城

 その頃、相模さがみ国小田原城――


 大広間の上段で、形式的には隠居して息子の氏直に家督を譲っているが、実質的にはまだ権限を握っている北条氏政が、青い顔で沈黙していた。


 下段には、徳川家康より遣わされて来た本多ほんだ佐渡守さどのかみ正信が座っている、


「我が殿がずっと天哮丸を欲していたのは知っているはずでござりましょう。その相談も何度か相模守様にして参りましたな。であるにも関わらず、何故配下の風魔衆に天哮丸を横取りさせたのでしょうか。その答えを聞きたいのです」


 正信は穏やかな口調で言うが、その語気の端々はしばしに鋭利な刃のようなものがある。


「いや、それは……」


 氏政は口ごもったが、正信は更に迫る。


「返答によっては、我らの同盟を破棄せねばなるまい、我が主君はこう仰せでござります」


 すると、氏政は慌てた口調で答えた。


「違うのじゃ。あれは風魔の若い連中が勝手にやったことでな」


 正信は、冷ややかな目を氏政に向けた。


「ほう。しかし、我らの伊賀者どもは、はっきりと相模守様が指示したと言うことを突きとめております」

「いやいや、それは誤解」

「何が誤解なのでございましょう」

「その……まあ、わしが天哮丸を奪えと指示したのは事実。だがそれは、いかに徳川殿とは言え、城戸家に伝わる重代じゅうだいの秘宝を奪うのは容易ではなかろうと思い、手助けをしようと思ったわけでの」


「手助けを?」

「さよう。城戸家も十分に備えをしていよう。それ故、我らも陰ながら手助けをしようと思い、徳川殿らが城戸を攻めたあの晩、風魔の若い連中に、隙があれば徳川殿の為に天哮丸を奪えと命じておいたのじゃ」

「ほう……なるほど。しかし、その言は少々おかしゅうござる。相模守様は先程、天哮丸を奪ったのは風魔の若衆が勝手にやったことだとおおせになりましたぞ」


 正信が鋭く迫ると、氏政は額に玉のような冷たい汗を浮かべて言葉に詰まったが、すぐにうまい言い訳が口をついた。


「いやいや……つまり、あの連中は天哮丸を奪うことには成功したが、天哮丸を手に入れて気が変わり、勝手に我が物にしてしまったと言うことでござる」

「ふむ」

「その証拠に、奴らは未だに天哮丸を持ったままこちらには渡して来ぬ。わしが再三持って来いと言っておるにも関わらずじゃ」


 うまい具合に辻褄つじつまが合い、氏政の緊張が少し和らいだ。


「なるほど。わかり申した。では、これから相模守様はどうなされるおつもりか?」

「どう、とは?」

「天哮丸を勝手に我が物とした風魔玄介ら幻狼衆をどうなされる?」

「ああ、それは……もちろんこのわしが責任を持って玄介に天哮丸を差し出させよう」

「風魔玄介がどうしても差し出さない時は?」

「その時は……玄介を暗殺するか、あるいは兵を差し向けて強引に天哮丸を取り上げる。ご安心されよ」

「わかり申した。では、我が殿にはそうお伝えいたしましょう。良い知らせを待っておりますぞ」


 そして、本多正信は大広間を退出した。

 氏政は、本丸を出るところまで正信を見送った後、文字通り頭を抱えて溜息ためいきを一つついた。

 そして、歩いて来た中庭に面した廊下を大股おおまたに戻って行きながら、


「小太郎! 小太郎はおるか?」


 と、怒鳴った。


「ここに」


 突風が吹き抜け、氏政のまげを揺らしたかと思うと、その背後にすっと人影が舞い降りた。


 風魔小太郎である。


 見上げるような巨漢で、岩のようなごつごつした顔は赤みを帯び、開いた唇の隙間からのぞく犬歯けんしは獣の牙の如く長く、細く鋭い目は不気味な光をたたえている。まるで鬼の容貌であった。


「小太郎、玄介ら風魔幻狼衆はどうなっておる?」


 氏政は苛立いらだちをぶつけるように迫る。

 小太郎は大きな身体を縮めるようにひざまずくと、低く重い声で言葉を発した。


「申し訳ござりませぬ。拙者も何度も使いを出しておるのですが、のらりくらりと躱すように曖昧あいまいな返事しか」

「いつまで経っても天哮丸をよこして来ぬうち、ついには徳川に知られてしまったではないか。こうなった以上、天哮丸を徳川に差し出すかどうかは後で考えるとして、まずは何としても儂のもとに持って来させねばならぬ」


「はっ……こうなったは我ら風魔衆、ひいては拙者の責任でござる。今すぐにでも、拙者みずか七天山しちてんざんに出向き、玄介に会って参りまする」

「そうか、頼むぞ。七天山の連中は勝手に兵を増やし、軍備を整え、しかもわしに断りなく美濃島を攻め取り、美濃島を滅ぼした。我が北条家の為にやったと言っておるが、もしかすると、天哮丸を手に入れたのをいいことに、自立を計ろうとしておるのやもしれぬ。もし、このまま天哮丸を渡さず、誠に謀反自立しようとするならば、その時はやむを得ぬ。"また"お主に子息玄介を暗殺してもらうことになるぞ」

「はっ、承知いたしてござります」


 小太郎は表情を変えぬままうなずくと、


「では、早速七天山へ向かいまする」


 と言うや、再び突風が吹き、次の瞬間にはその巨躯きょくが消えていた。


 数日後、城戸礼次郎ら一行は、上州城戸に帰り着いた。

 館に入り、荷ほどきをすると、礼次郎は休む間もなく全員を広間に集めた。


「――と言うことで、我らは七天山を攻める。この一月ひとつき以内には動くので、皆そのつもりでいてもらいたい」


 上段に座り、礼次郎は集まった一同に言い渡した。

 すぐに反応したのは宇佐美龍之丞たつのじょう。ざんばらの癖毛を揺らして、礼次郎に向かって両手をついた。


「ようございます。礼次郎殿らが留守の間、いつでも出陣できるよう、我々は軍備を整え、演習も開始しておりました。ですが、情報が足りませぬ。まずは幻狼衆の内情をもっと探りましょう」

「もちろんだ」


 礼次郎は頷き、千蔵と喜多を見た。


「まずは七天山、及びその他の城の幻狼衆の情報を集める。千蔵、喜多、これはお前たち二人に任せる」

「承知仕りました」


 千蔵と喜多、共に平伏した。

 そして、諸々の話をした後、最後に壮之介が進み出た。


「殿」


 と、壮之介は言った。


 正式に家督を譲り受けたわけではないとは言え、今の礼次郎は実質的に城戸家の当主である。そして、まだ十八歳と若年であるが、それでも短期間に数々の修羅場を潜り抜けて来た今の礼次郎には、すでに一国一城の主たる風格が備わり始めていた。

 壮之介は、自然と殿と呼んでいた。


 対して、礼次郎は一瞬面食らった。だが、自分を見つめる壮之介の顔、そして目の前に居並ぶ勇士たちを見て、背筋を伸ばして答えた。


「何だ?」

「先日、奥州に向かう前にも申し上げました通り、供養を行いたいと思いますが如何でございましょう。七天山を攻める前と言うこの時に何故、と思うかも知れませぬが、七天山を攻めると言う大事の前であるからこそ、先の戦で犠牲になった者たちの魂を弔うべきと存じまする」


 壮之介の言う事、もっともである、と思い、礼次郎はうなずいた。


「わかった。では、日を選んで行うことにしよう。全ては壮之介、お前に任せる」

「ははっ、承知仕りました」




 その頃、信濃国更級郡さらしなぐんの、とある山村。


 先日、越後春日山を出立した伊川瑤子いがわようこは、この山村の住人たちに色々と尋ねて回った挙句あげく、やはり何も情報が得られなかったので肩を落としていた。

 それを慰めるように、中年の侍女が声をかけた。


「仕方ありません。この信州はとても広いのです。また別の場所へ行ってみましょう」

「そうねえ」


 瑤子は力なく答え、天を仰いだ。


「そもそも、生きているかどうかもわからないお子を、私たちだけで探すと言うのが無理があるのです」

「それはわかっているわ。だから、こうして時間を見つけては東国に出向いているんじゃないの」

「その時間にも限りがございます。そろそろ、殿に打ち明けてご協力を願い出ては如何いかがでしょう? 人を多く動かせば、それだけ見つけられる可能性は高まります」

「それは駄目よ、絶対に駄目」


 瑤子は強く首を横に振った。

 彼女が今探している、遠い昔に捨ててしまった実の娘は、夫である伊川経秀つねひでとの子ではない。また、そのような実娘の存在も、言えない理由があり、夫の経秀つねひでには秘密にしていた。それ故、彼女はこうして自分たちだけで探している。


「次の村へ参りましょう」


 瑤子は駕籠かごに乗ろうとしたが、侍女が空を見上げて言った。


「しかし、そろそろ日が暮れます。今日はこの村に泊まって行きませんか?」

「ううん、そうねえ」


 瑤子も、赤くなり始めた空を見上げて頷いたが、不安そうに周囲を見回した。


「この村、どこか気味が悪いのよね。宿を求めても大丈夫かしら?」


 この山間の小さな寂れたような村は、数えられるほどの家しかない。

 だが、どの家の住人も、表情に不審なものがあると瑤子は感じていた。自分たちを見る目が、どこか獲物を見る狩人のようで、とにかく不穏なのである。そう考えると、この村の寂れた雰囲気も、どこか薄気味悪く感じられる。


「しかし……このまま先を進んでも峠の辺りで夜を迎えます。夜の山中さんちゅうはもっと危険ではございませぬか?」


 護衛の侍の一人も言った。


「そうね……では……」


 瑤子は不安を抱きながらも納得した。


 比較的広く立派な屋敷を持つ、村長むらおさの家を訪ねて宿泊を求めた。


 屋敷の主人である村長むらおさ夫婦は快諾してくれ、座敷を二間ふたま貸し与えてくれることになった。村長夫婦は、他の村人たちと違い、表情は穏やかで口調も暖かく、如何にも人が良さそうであった。

 だが、それでも瑤子は不安を拭いきれず、少しでも心を鎮める為にも尋ねてみた。


「ここは、私たちのような旅の者が宿を求めて行くことはございますか?」


 対して、夫婦はにこやかな笑顔で答える。


「ええ、このような山間やまあいの村でございますからね。もちろんしょっちゅうございますよ。今晩も、あなた方だけでなく、もう一組、旅のお侍さま方が他の家に泊まっております」

「そうですか」


 もう一組、宿泊する侍達がいる。それを聞いて瑤子は少し心が落ち着いた。


 だが、瑤子の心にわずかに残った不安は的中することになる。


 貸し与えられた二間ふたまの座敷、男衆と女衆に分かれて寝ることになった。

 そして夜も更け、瑤子らが行燈あんどんの灯を消して就寝しようとした頃、突如として乱暴にふすまが開いた。

 驚く瑤子らの目に、物騒にも抜き身を提げた村長むらおさと、同様に刀を握った男たちが立っていた。

 侍女らが悲鳴を上げて瑤子に寄った。


「な、なんですか。無礼ではありませぬか」


 瑤子は、内心は恐怖にすくんでいたが、それでも五摂家ごせっけの女子、且つ武家の正室としての威厳を保とうと、毅然きぜんとした口調で言った。

 だが、瑤子の内心の怯えを見透かすかのように、昼間とは表情ががらりと変わっている村長の男はせせら笑った。


「何をお高く止まってやがる。ここまで来て何が無礼だ。もうわかっただろう、俺達が何者なのかを?」

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