第147話 雲峰山の激闘
不敵に笑う統十郎の背後から、十人ほどの日焼けした屈強な男たちが現れた。統十郎の部下たちであった。
「何だ貴様は?」
礼次郎を囲む幻狼衆の男たちの一人が、じろりと横目で統十郎を睨んだ。
「俺は仁井田統十郎政盛。てめえらの親玉の風魔玄介はどこだ?」
統十郎は猛獣のような眼で睨み返す。
「お頭なら武想郷を目指して先を急いでいる」
「なんだ、ここにはいねえのかよ」
「我らの邪魔をするな」
「てめえらこそ邪魔するんじゃねえよ。天哮丸は俺とそいつの問題だ。盗人野郎はすっこんでろ」
統十郎は冷笑した。
「何? 我々の邪魔をすると地獄に行くことになるぞ」
「面白い。連れて行ってもらおうか。一度閻魔大王とやり合いたかったんだ」
「貴様……」
「早いところ始めようぜ。右近、小四郎、お前たちかかれ!」
統十郎は背後の部下たちに命令するや、自身も直刀撃燕兼光を抜いて駆け出した。
たちまち幻狼衆と統十郎らの斬り合いとなった。
礼次郎は半ば呆然としていたが、我に返ると、ゆりを離れたところに避難させ、自分も剣を手に斬り込んで行った。
統十郎の部下たちは強かった。
幻狼衆の男どもを相手に互角の戦いを繰り広げた。
その中でも、右近と小四郎と言う腹心の二人は、目を瞠るような強さを見せた。
小四郎は、上背が無く一見すると小兵に見えるが、壮之介や順五郎のような豪勇無双ぶりを発揮、怪力にものを言わせた太刀捌きで幻狼衆の男たちを圧倒した。
そして細身の右近は忍びであるらしく、焙烙玉や手裏剣などを使いながら、木々の間を旋風の如く飛び回って攻撃する。
だが、それ以上に目立っていたのは何と言っても仁井田統十郎である。
大柄で長身ながらも素早い動きを見せ、愛刀の撃燕兼光が左右に風を起こし、得意の突きが直線の閃光を描く度に、幻狼衆の男どもが血を噴いて崩れ落ちて行った。
礼次郎も右腕一本ながら二人を斬り伏せた。
だが、統十郎らがほとんどの幻狼衆の男たちを斬り倒してしまった。
残った者らは、恐れをなして逃げ出した。
それに対し、残った統十郎らは、三人が軽い手傷を負った程度である。
「よし、追わなくてもいい。奴らの速さには追いつけねえ。これだけやれば上出来だ」
統十郎は剣を右手に提げながら、満足そうに斬り倒した幻狼衆の骸を見回した。
「右近、傷を負った者どもの手当をしてやれ」
「はっ」
右近は、背の振分荷物から手拭いと薬を取り出し、手当てに向かった。
その統十郎らの様を、礼次郎は乱れた呼吸を整えながら見つめていた。
統十郎は礼次郎の方を向いた。二人の距離、およそ四間(約7.2メートル)
「危ないところだったな」
統十郎は低く笑った。
「礼を言っていいところなのか?」
礼次郎も笑ったが、目は笑っていない。
「まさか」
統十郎は言うと、撃燕兼光を横に一振りして鮮血を払った。
「やっぱりそうか」
礼次郎は桜霞長光を右手で下段に構えると、左手を震わせながら柄に添えた。
「俺達が顔を合わせれば刃を合わせるしかねえ。そうだろう?」
統十郎は殺気を立ち上らせると、剣を正眼に構えた。
離れたところで見ていたゆりの顔色が変わる。
座って休んでいた統十郎の部下たちもざわめき、一斉に立ち上がった。
だが、統十郎は静かに言い渡した。
「お前ら手を出すんじゃねえ」
部下達はしんと静まり返った。
礼次郎と統十郎、剣を構えて睨み合った。
越後の槙根砦以来の対峙である。
動けば空気で切れてしまうような、そんな緊張感が張り詰めた。
――待って!
と、耐えられなくなったゆりが割って入ろうとした時、
「いや、やめておこうか」
統十郎の方から剣を下した。
「俺がやった左肩は十分に動かないだろう?」
「…………」
礼次郎は構えを崩さぬまま統十郎の目を見つめる。
「今なら簡単にお前を斬れるだろう。お前は我が平家の宿敵だ。この絶好の機にお前を斬らなければ、祖先清盛の霊が激怒するかもしれん。だが、それでも俺はお前とは対等な条件で戦いたい。また今度だ」
統十郎はにやりと笑った。
礼次郎は、そこでやっと剣を下した。
「結果的には助けてもらったことになる。とりあえず礼は言う」
「お前を助けたわけじゃねえ。あいつらを斬りたかっただけだ」
「何でここに?」
「今更それを聞くか? 天哮丸と風魔玄介を追って武想郷へ来たに決まってるだろう。だがこの山は複雑すぎるな。道に迷っているうちに、奴らに囲まれてるお前を見つけたってわけだ」
そこへ、ゆりが駆け寄って来た。
それを見て統十郎が意味深に笑った。
「仲良くやってるじゃねえか。二人だけで来たのか?」
「いや、仲間たちと来たけど、風魔玄介らに追われているうちにばらばらになってしまったんだ」
「ほう……玄介らがいるのはどの辺かわかるか?」
「俺達は向こうの方から逃げて来たけど……お前が言う通りこの山は複雑すぎて、玄介が今どこにいるかはとてもわからない。でも奴らもこの山では道に迷っているようだ」
「そうか……まあいい。とにかく先を進んで奴を探そう」
統十郎は、部下達に進むように命じ、自らも背を向けて歩き出したが、すぐにちらっと振り返った。
「風魔玄介は俺が斬る。そして、悪いが天哮丸は俺がいただくぜ」
統十郎は切れ長の目をにやりとさせると、再び部下達を引き連れて歩いて行った。
礼次郎は黙って見送るしかなかった。
「いいの?」
ゆりが心配そうに礼次郎の顔を見る。
「今はどうしようもない。とりあえず、まずは壮之介らと合流しよう。あいつらも無事でいてくれるといいけど」
二人も元来た道を進んで行った。
その頃、壮之介、千蔵、咲の三人は、追いついて来た幻狼衆の男たちを相手に大激闘を繰り広げていた。
追われている途中、千蔵の仕掛けた罠と術によって、三人を仕留めることに成功した。
だがそれでもまだ相手は七人もいる。しかもただの七人ではない。風魔の忍術と戦闘術に長けた異形の戦士たちである。
壮之介ら三人もそれぞれ一流の武者であるが、倍の数のそんな幻狼衆の男たちを相手に戦うのは流石に厳しいものがあった。
三人ともに、必死の形相でそれぞれの得物を振り回していた。
壮之介が、気合いと共に錫杖を突いた。
重さと速さを備えた一撃。
だが、相手の男はなんと左腕でそれを跳ね上げた。更に、それによって開いた壮之介の懐へ飛び込み、剣を突いて行こうとする。
壮之介、咄嗟に身体を捻りながら腕を回転させ、錫杖の石突を下から上へと振り上げた。男は反射的に飛び退いてそれを躱す。
背後から、更にもう一人が飛びかかる。壮之介は左に回転しながら錫杖を水平に一閃。その一人を叩き飛ばした。
宙へ飛んだその男へ、自らも二人を相手に飛び回っていた千蔵が、帯から小型の棒手裏剣をさっと抜いて投げつけ、地に落とした。
菜々は、離れた場所で、一人木の陰に隠れて息を飲んで見守っていた。
壮之介らに言われてそうしていたのだが、身体は複雑に疼いていた。
彼ら三人は思わず釘づけになってしまうかのような強さであった。
だが、相手の男たちも同様に強い。それが倍の数いるのである。
やられてしまうんじゃないかと、気が気でなかった。同時に、一人だけ隠れているべきではない、自分も出て行って戦わないといけない、そう思っていた。
だが、出て行くとすれば、これが菜々にとって初めての戦いであり、また、武想郷はその特殊性から、この戦国乱世にあって戦争とは無縁で来ていたので、これまで斬り合いと言うものすらまともに見たことはなかった。
――怖い。
菜々は、恐怖で足が竦んでいた。
無理も無い。まだ十五歳の少女である。
しかし、
――今ここであの人たちが負けちゃったら、天哮丸は永遠にあいつらの物……。
――私だって、小さな頃から密かに忍びの術を練習してたのよ。それは何の為……?
菜々は、自問自答した。
――大丈夫、ちょっと手伝うだけよ。
菜々は、両脚を叩くと、まだ幼さの残る大きな目をキッと見開いた。
跳躍し、木の幹に飛びつくと、するすると登って行った。
そして枝の上に立つと、軽々とした動きで隣の木の枝に飛び移り、またそこから隣に飛び移る、と言った具合に、激闘の渦に近づいて行った。
誰がどう動いているのかはっきりと見えるぐらいの距離まで来ると、腰帯の中に忍ばせていた小さな手裏剣を取り出した。
菜々はごくりと唾を飲み込むと、思い切ってそれを投げた。
手裏剣は飛燕の如く滑空するや、咲と斬り合っていた男の背中に突き刺さった。
男は悲鳴を上げて膝をついた。
咲は驚いたが、その隙を逃さず、一刀の下に斬り沈める。
そして 手裏剣が飛んで来た方――菜々を見やった。
――あの
咲は舌打ちした。
その予感は当たることになる。
「やった」
菜々は思わず歓喜の声を上げてしまった。
それを聞き逃す幻狼衆の者たちではない。一人の男が、乱戦の中からぱっと飛び退くと、鋭い殺気に満ちた視線を菜々に向けた。
「仲間ではないな。見たところ、武想郷の人間か?」
男はにやりと笑う。
それを聞いて咲が顔色を変えた。
「菜々ちゃん、逃げな!」
大声で叫んだ。
「え……?」
菜々が狼狽えた。
だがその時すでに、男は菜々に向かって駆け出していた。
咲はそれを追って行こうとしたが、行く手に別の男が飛んで来て立ち塞いだ。
鋭い突きが飛んで来る。
「ちっ……」
咲は応戦せざるをえない。
菜々は、枝から枝へと飛び移って逃げた。
途中、撒き菱をばらまいた。
だが、幻狼衆の男はやすやすとそれを避け、どんどん菜々に迫る。
男も跳躍し、木の上に飛び上がった。
菜々よりも速い動きで、風の如く枝の上を飛んで行く。
それを見て、菜々は下に飛び降りた。必死の顔で走った。
だが、すぐにその眼前を、大きな影が頭上より降って来て立ち塞いだ。
追いつかれた。
青ざめた顔で後ずさりする菜々。
男は細い目を冷たく光らせながら言った。
「娘、お前は武想郷の人間であろう?」
「…………」
菜々は、恐怖のあまり言葉が出ない。
「安心しろ、ならば殺さぬ」
「え?」
「我らを武想郷まで連れて行ってもらおうか」
と言うと、男が瞬時に間合いを詰め、菜々を地に組み伏せた。
そして、左手で菜々の鼻と口を塞いだ。
鼻に抜ける、明らかなる毒薬の匂い。
菜々の意識が遠のいて行った。
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