第139話 忍びの者たち

「久しぶりだな、千蔵。城戸礼次郎の指示か?」


 玄介は相変わらずの薄笑いを浮かべる。


「……何故お前一人で」

「お前の気配を感じたからちょっと外に見に来たのさ」

「気配だと?」

「まあ、まさか本当にお前だとは思わなかったけどさ。しかし見事だよ。いくら半壊の城で、我らの上忍たちが半分もいないとは言え、厳重に警戒はしている。それなのに全く気付かれずに忍び込み、武想郷の地図まで盗み出して行くんだからな。流石に血は争えないな」


 ――血……?


 千蔵の片眉が動いた。


「だが悪いね。その地図は返してもらうよ」


 玄介は、その少年のような顔を残忍な表情へと一変させた。

 次の瞬間、玄介の刃が音も無く千蔵に迫っていた。

 千蔵は打ち払い、右薙ぎに斬りつけた。

 だが、そこに玄介の姿は無かった。千蔵の刃は虚空を斬った。


 ――いつの間に?


 千蔵が咄嗟に振り返ると、玄介は背後にいて、まさに上段から斬りかかって来るところであった。

 千蔵は猿の如く飛び退いてそれを躱すと、右上へ跳躍した。そして大木の幹を蹴り上げて再び跳躍し、太い枝の上に軽やかに乗った。

 玄介はにやりと笑いながら、同様にして枝に飛び乗りながら千蔵に斬りつけた。

 千蔵は再び飛んでそれを躱すと、隣の木の枝へ飛び移った。

 二人は、まるで互いの技と術を競うが如く、枝から枝へ、木から木へと飛び移りながら刃を交え合った。


 ――この男、やはり強い。悔しいがこの刀術は俺よりも上だ。


 千蔵は舌打ちすると、地上へと降りた。

 玄介も追って地上に舞い降りる。


 その光景を、城の方から走って来ながら見ていた者がいる。

 千蔵を追って来た喜多であった。


(あいつ、敵に見つかったのか?)


 喜多は顔色を変えた。

 疾風の如く斜面を駆け下りて行きながら、着ていた小袖着流しを脱ぎ捨てて行く。

 その下には柿渋色の忍び装束を着ており、あっという間に忍び姿となった。

 そして懐から黒布を取り出して顔に巻き付けた時、斬り合っている千蔵と玄介らとの距離は約十間。


「千蔵!」


 喜多は叫び、結い上げている髪に手を突っ込んで、差してある二本のかんざしを抜いた。

 だがそれは、かんざしに見せかけた切り出し型の棒手裏剣であった。


 喜多の声に反応した千蔵は、弾かれたように後方に飛んだ。

 瞬間、喜多の手から棒手裏剣が閃光となって飛ぶ。

 だが、玄介は振り返りもせずに跳躍してそれを躱すと、宙で一回転しながら後方へふわりと着地した。


「あっ」


 と思わず声を上げたのは千蔵である。

 だが、今の玄介の体術に驚いたのではない。今の芸当なら千蔵も可能であろう。

 千蔵が驚いたのは、着地した玄介の手に、千蔵の懐にあったはずの武想郷の地図が握られていたからである。


「いつの間に……」


 あれだけの斬り合いの最中、一体いつ、どうやって千蔵の懐から地図を奪ったと言うのか。

 流石の千蔵も唖然とした。


「悪いな。これは元々俺達の物だからな」


 元来優男の玄介が、残忍な悪鬼の如き顔となっている。


「仲間か」


 玄介は喜多を見て薄笑いをした。


「かんざしに見せかけた棒手裏剣。お前は武田の祢津くノ一か」


 祢津くノ一とは、武田信玄が養成した女忍者集団である。

 信玄は、信州小県郡祢津村に、「巫女道修練道場」と言う女忍者専門の道場を作り、そこに領国中から親の無い美少女たちを集めて女忍者を養成したと言われている。

 そして玄介の言う通り、早見喜多は、まさにその 「巫女道修練道場」出身の祢津くノ一であった。


 だが喜多は、玄介の問いは無視した。

 再び剣を持って闘争の構えを見せる千蔵に、叱りつけるような声を投げた。


「千蔵、ここは敵地だぞ。一騎打ちなぞしてる場合か!」


 千蔵ははっと我に返る。

 それを見て、喜多は腰帯から何かを取り出して玄介の足元に投げた。

 玄介は咄嗟に飛び退いたが、喜多が投げたそれは爆発音を上げ、濛々と大きな白煙を巻き起こして玄介を包んだ。喜多は煙玉を投げたのであったが、ただの煙玉ではない。通常よりも大きな煙幕が上る特製の煙玉であった。


「ちっ……しまった」


 煙が目にしみる。玄介は頭上の木の枝の上に飛び乗った。


「逃げるぞ」


 その隙に喜多と千蔵は駆け出した。


「あの場面ではまず逃げるのが忍びだろう。一対一で戦い続けようとするなぞお前らしくもない」

「すまん。俺としたことがどうかしていた」


 千蔵の顔は落ち着いていたが、唇は薄く結んでいた。


 ――いいか、よく聞け! 伊賀と風魔、それぞれの抜け忍だったお前の父親と母親な……殺したのはこの俺だ!


 あの日、玄介が残忍な表情で言い放った言葉が、千蔵の耳の奥で小さく響いていた。


「くノ一が……ふざけた真似を」


 木の枝の上、視界を取り戻した玄介は両眼に殺気を漲らせた。

 再び嵐のような突風が吹く。

 玄介の身体が化鳥の如く飛んだ。枝から枝へ、梢から梢へ。


 斜面を駆け下りる千蔵と喜多。

 突如、目の前に沢山の人影が降りて来て行く手を塞いだ。

 その数およそ十数人。皆、一様に柿渋色の上下と頭巾。

 目に独特の冷たい殺気がある。一目で幻狼衆の忍びたちとわかった。


 千蔵と喜多は咄嗟に後退した。

 だがその背後も、すぐに追いついた風魔玄介が飛び降りて来て退路を塞いだ。更に、玄介の後ろにも、騒ぎに気付いた幻狼衆の忍びたちが駆け付けて来た。

 前後を挟まれた形となった。


 喜多が舌打ちした。


「まずいな」

「………」


 千蔵は前後を見回す。


「だがどうにかして切り抜けねば」


 千蔵は背後の玄介に向き直り、柄に手をかけた。

 喜多は頷き、懐に手をやった。まだ一つだけ煙玉が残っていた。


「ここは七天山とは違い潜入は容易だろう。だが、一度俺達に見つかった以上、逃げられると思うなよ」


 玄介は白い顔に薄笑いを浮かべた。

 そして抜刀し、まさに全員に号令して一斉に千蔵と喜多に襲い掛かろうとした時であった。


 突然、行く手の前方を塞ぐ幻狼衆忍者たちの背で爆発が起き、数人が悲鳴を上げて倒れた。


「――何?」


 千蔵と喜多、風魔玄介も何事かと目を瞠った。その間に、もう一度忍びたちの背で爆発が起きた。

 続けて、頭上から次々と人が降って来て忍びたちに襲い掛かる。

 皆黒い服装であり、動きからしても忍びの者たちであることがわかる。だが、どう見ても幻狼衆の者たちではない。


「千蔵の他にも忍びも紛れ込んでたか」


 玄介は忌々しげな声を上げた。

 だがその玄介と背後の忍びたちへ、数個の煙玉が矢の如く投げ込まれた。

 それを察知した玄介は、さっきのような初歩的な失敗はすまいと、咄嗟に木の枝に飛び上がったが、後ろの忍びたちは間に合わず、雲のように沸き起こる白煙に包まれてしまった。


 そして、驚いている千蔵と喜多の眼前に、黒装束の一人の男が飛んで来た。


「今のうちに逃げるぞ。こっちへ来い」


 そう低い声で言った男の、頭巾の隙間から覗く両目を見て、千蔵は目を瞠った。

 男は、日中、大広間で千蔵のいる天井裏をじっと見つめて来たあの口髭豊かな壮年の男であった。

 得体の知れない男ではある。だが自分たちを助けてくれようとしているのは確かだ。

 千蔵と喜多は、信じて男の後について行った。

 それを木の枝の上から見ていた玄介、薄笑いを浮かべて叫んだ。


「逃がすか!」


 だが、飛び降りようとしたその目の前へ、男の手から放たれた三本の手裏剣が立て続けに飛んで来た。

 玄介は枝上で身体を躍らせ、巧みに躱す。

 だが、躱し終えた時、すでに壮年の男と千蔵と喜多の姿は無かった。

 眼下では、謎の黒装束の男たちと配下の忍びたちが戦っているだけである。

 玄介は怒りの目を剝いて舌打ちした。


 千蔵と喜多は、謎の黒装束の男について駆けて行く。

 三人は疾風の如く小雲山を駆け下りると、街道を南に向かって駆け、脇に見えて来た森の中に入った。


「ここらでよかろう」


 男は脚を止めると、近くにあった切り株に腰を下ろした。

 そして頭巾を脱ぐと、口髭をむしって投げ捨てた。豊かに見えたそれは、何とつけ髭であった。代わりにその下にあるのは薄めの口髭である。男は更に、眉毛もむしり捨て、やはり同様に薄い眉毛が露わになった。また驚くべきことに、男は両頬をつかむとその肉を剥がして捨てた。頬にも細工がしてあり、やや下膨れに見えるようにしていたのだった。

 そして現れた本当の顔は、頬が痩せこけ眉毛や髭も薄いが、それが逆に鋭い目つきと相まって精悍な印象を与えるものであった。

 歳の頃は四十代半ばと言ったところであろうか。


「どうやら助けてくれたらしいが……貴殿は一体?」


 千蔵は問いかけた。

 喜多も、


「何故我らを助けた?」


 と聞いたが、壮年の男は微笑するのみで答えなかった。

 すぐに、先程幻狼衆の忍びたちに襲い掛かった黒装束の集団がやって来た。

 一人の者が進み出て、壮年の男の前に跪いて報告した。


「全員無事に戻りましてございます」

「ならばよし。奴らはどうした?」

「あらかた片づけました。頭領風魔玄介には城に逃げられましたが」

「よいよい。此度は奴らの実情を探るのが目的じゃ」

「そこのお二人は?」

「もちろん無事よ」


 そのやり取りの後、千蔵が進み出て言った。


「失礼……やはり貴殿らは忍びか?」

「まあな。お主らと同じように、あの城に潜り込み、幻狼衆のことを探っておった」


 壮年の男は笑みを浮かべて言った。


「伺ってもよろしいか? 貴殿らは一体どこの忍びか?」


 千蔵の再度の問い。

 しかし、壮年の男はやはり千蔵を見て微笑するのみであった。

 だが、跪いた男が横から言った。


「このお方は服部半蔵様だ」

「何っ?」


 表情の少ない千蔵が雷に打たれたような顔となった。

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