第114話 答えを探して

「喜多殿」


 礼次郎は答えると、何となく気まずく、視線を落とした。


「策は決まりましたか?」

「今まだ、直江様や宇佐美殿らが話し合っている途中のようだ」

「そうですか」


 常に冷静沈着な喜多だが、その顔には不安と憂いの色がありありと浮かんでいた。


「城戸様。ゆり様と何を話されましたか?」

「え?」

「今朝、城戸様と話して帰って来た時、どことなく様子がおかしゅうございました。そして一人で野駆けに行ったのですが、珍しく帰りが遅く、案じていたところ、ゆり様がさらわれた事がわかりました。あの時の様子のおかしさ、そしていつもよりも長い野駆け、城戸様と何かあったのでは?と」


 喜多は真っ直ぐに礼次郎の目を見つめる。

 礼次郎はその視線を痛く感じた。

 耐えきれず、彼は正直に今朝の事を話した。

 聞き終えた喜多は大きく溜息をついた。


「そうでしたか」

「申し訳ない。オレのせいだろう」

「いえ、城戸様は悪くありません」


 二人は、しばし重苦しい空気に無言を強いられた。

 だがやがて、喜多が口を開いた。


「城戸様。ゆり様とのことは男女の事。私が口を出す事ではございません。そして城戸様がゆり様との許婚を解消したいと言うのならば、それも仕方のないことでございます」

「……」

「ですが、ゆり様がどんなに城戸様に会えるのを楽しみにしていたか……。口では、決められた許婚だし、とか、お互いにまだよく知らないから自分の気持ちがわからない、などと言っておりましたが、長年側に仕えていた私にはわかります。」

「……」

「その大切な櫛をなかなか渡せなかったのには、本当に他意はございません。それを城戸様にお渡ししたら、次にまた貴方様がどこかへ行ってしまった時、もう会いに行く理由が無くなってしまうと、その恐れからなかなか言い出せずにいたのです」

「……」


 礼次郎は、篝火に照らされる櫛に視線を落とした。


「その櫛を見て、何かお気付きになりませんか?」

「何か? ああ、何か新しくなっているような気がするが」

「その櫛をゆり様が見つけた時、ところどころ傷がついて塗りが剥げており、また、螺鈿がいくつか取れてしまっていたそうです。恐らく、ゆり様が爆薬で壁を吹き飛ばした時に飛び散った破片で傷つき、螺鈿も落ちてしまったのでしょう」

「でも傷なんてないけど……」


 礼次郎が目を凝らした。


「ゆり様が直したのです」

「……」

「未だ城戸様が想う人の櫛だと知りながら、どうにかして元通りにしようとゆり様が夜を徹して修繕したのです」

「え……」


 ゆりは、礼次郎を追って上州に向かう途中、また越後に向かう途上で、傷ついた櫛を修繕しようと、立ち寄った街や集落で職人を探した。

 だが、どこも山間の田舎町、櫛を作る事のできる者はいても、塗りや螺鈿装飾をできる職人はいなかった。

 仕方なく、ゆりは何とか材料だけは商人から調達し、自分で夜ごとに工夫研究し、自ら櫛の修繕を始めた。

 旅籠の部屋の机で、薄暗い灯りだけを頼りに黙々と作業をするゆりに、喜多は言った。


「何もそこまでされなくとも。お身体を壊してしまいます」


 ゆりは振り返りもせずに、


「でも私がやらないと」

「その櫛は、城戸様が好いていた方の物なのでしょう? やきもちなど焼かないのですか?」

「やきもち? うーん……私、礼次郎を好きなのかまだよくわからないから」


 ゆりが手を止めて言うと、喜多は小さく笑った。


「ふふふ。ゆり様がわからなくても傍目にはわかりやすすぎますよ」


 ゆりは、少し頬を赤らめて再び手を動かした。


「私のこの気持ちが礼次郎を好きなのだとしても……それはおふじさんを愛していた礼次郎を私は好きになったんだから……。この櫛は礼次郎にとって大切な物だから、これがぼろぼろになっているのを見てがっかりさせたくない」


 そう言った彼女の横顔は、真剣そのもので、一点の嘘偽りも感じられなかった。



 礼次郎は櫛を見つめた。

 ところどころ、微妙に塗りの色味が違う箇所がある。きっとそこは、傷を隠そうとして、ゆりが上から新しく塗ったのだろう。

 礼次郎は、その部分をそっと撫でた。

 そこだけ一層、厚くなっている手触りだった。

 まるで、下の傷を守ろうとしているかのように。



 槙根砦の牢――


 ゆりは、ぽつりぽつりと、これまでの礼次郎との事、そして今朝の事を話した。

 統十郎は、酒を持って来て牢の前に座り込み、手酌で飲みながらゆりの話を黙って聞いていた。

 やがてゆりが話し終えると、統十郎は杯を置いて笑った。


「あいつは腕は立つがまだガキくせえところがあるんだな」

「ガキ?」

「お前と一緒だ」

「何よ、失礼ね」


 ゆりは頬を膨らませた。


「ははは。お前がつい最近まで自分の気持ちが恋なのかよくわからなかったように、あいつも自分の本当の気持ちがよくわかってねえんだよ。」

「そうなの?」

「まあ仕方ないがな。あいつは短期間のうちに、お前の事も含めてあまりにも色々な事がありすぎた。それで頭の中で処理が追いついてなくて、お前に対する気持ちもよくわかってねえんだよ。特に、今は自分のせいでそのふじとか言う幼馴染を死なせてしまったと思い込んでるからな」

「……」

「心配するな、時間が解決する」

「時間?」

「ああ。あいつぐらいの歳の男でそういう事があれば、一生をかけて償っていかないといけないと思い込んでしまうもんだ。だが、時間がその傷を癒すと共に、どこかで自分の中でケリをつけるようになる。人ってのはそう言うもんだ。どんなに悲しく辛い悩み事でも、必ず自分の中で何らかの答えを出しながら生きて行くんだ」

「答えが出なかったら?」

「その時、人は死を選ぶんだ」

「……」

「だが、あいつはそう言う人間じゃない。必ず自分で答えを出す人間だ。そして答えを出した時、気付くだろうよ。お前を好きだって事に」

「好き?」


 ゆりはその言葉に驚いた。


「俺が思うにな。さっきも言った通り、あいつは色々な事がありすぎて気付いていないが、お前の事がかなり気になってるはずだ」

「そうかな……」


 ゆりは胸がどきどきと高鳴った。


「許婚を解消するってのは、その宇佐美って男の事と、櫛の事の不機嫌を引きずって、つい勢いで言っちまっただけだ。今頃後悔してるかもしれんな」

「そっか。でも、その気付くっていつになるのかな?」

「さあなあ。こればかりは奴次第だ。ああ、そうだ……あいつと二人になった時に着物を少しはだけてもたれかかってみろ。あれぐらいの歳なら一発で落ちるはずだ」


 統十郎は冗談めかして笑った。


「そんな事しないわよ」


 ゆりは怒って顔を背けた。


「冗談だ。だが……もしあいつがいつまでも答えを出せねえようなら、その時は俺の女にならないか?」

「はあ?」


 突然の言葉に驚き、ゆりは変に高い声を上げた。


「な、何つまらない冗談言ってるの?」

「本気だ。俺はお前が気に入った」


 統十郎の顔は笑っていなかった。切れ長の目が真っ直ぐにゆりを見つめていた。


 その視線に、まだ若いゆりはどうしていいかわからずに狼狽えたが、すぐに呆れたような顔になると、


「やめてよ。あなた、奥さんと子供いるんでしょ?」

「だから側室だ」


 統十郎のこの言葉に、ゆりは怒った。


「何が側室よ。女を馬鹿にしないで。女はいつだって好きな男の一番になりたいのに」

「そんな事にこだわる女は幸せにはなれんぞ」

「二番目でいるいびつな幸せよりはましだわ」

「そうか」

「そもそも、私は礼次郎だけだから」

「ははは。よく言うじゃねえか」


 統十郎が手を叩いて笑った。


「あ……」


 ゆりは顔を赤らめた。


「からかったの?」

「はっはっはっ……その気持ちを大切にしろ」


 統十郎は笑って杯を口に運んだ。


「……」

「しかし、ならばやはり城戸礼次郎を斬るしかねえな」


 統十郎は、薄く微笑んで煙管をくわえた。


「え?」

「さて、いい気分になった。酔い覚ましに散歩して来よう。お前には退屈しねえように、あとで何か読む物でも持って来てやる」

「ちょっと、どう言う事?」


 だが、統十郎は煙管をくわえたままゆっくりと立ち上がり、背を向けて歩き出した。

 何が嘘で何が誠なのかわからない統十郎の言葉に、ゆりは複雑な表情でその背を見送った。



 そして翌日、運命のゆり救出作戦の日が訪れた。


 上杉方は、前日立てた作戦の通り、新発田方に木場城、新潟城を明け渡し、自分達は春日山へ帰る旨を伝えた。

 同時に、それを信じさせる為に小山長康の旧臣藤島三之助を新発田方へ走らせ、また付近の住民に手を回して、眠り薬の入った酒を新発田方へ献上させた。


 正午過ぎ、上杉軍は陣の撤収を始めた。

 兵らがその作業している中を上杉景勝は歩いて回り、目についた兵一人一人に労いの言葉をかけていた。


「此度の戦もよくやってくれた」

「傷はどうだ? この薬が効くので皆で使うがよい」


 などと、普段は寡黙な景勝が真心の籠った言葉をかけると、兵らは皆感激して涙を流す者までいるほどであった。


 その景勝の後ろについて行く兼続が言った。


「今夜の夜襲は何も殿自身まで出撃する事はございますまい」

「いや、不識庵様はこういう作戦の時こそご自身で先頭に立たれた」

「そうではございますが……全てにおいて不識庵様を意識なされませぬように。殿は殿でございます」

「わかっておる。不識庵様は意識はしておらん。だが憧れる気持ちは消せなくてな」


 景勝は微笑んだ。


 頭上、天空に不穏な雨気を孕んだ雲が流れ始めていた。



 それよりおよそ二刻後、新発田方の槙根砦には、小山長康の使いと称して藤島三之助が訪れていた。

 本郭の中庭、跪いた三之助に、新発田重家は言った。


「で、上杉軍は素直に木場城新潟城を明け渡すので春日山に帰ると言う。どうも信じられぬのだが、誠か?」

「誠でございます。我が主君の小山長康からも、これは誠なので信じるようにと。もし上杉方が何か策を弄するような事があればまた知らせる、と伝えよと仰せつかっております。現に今、上杉軍はすでに陣を撤収し、春日山に向かっております」

「そうか」


 重家はにんまりと笑った。

 だが、三之助の顔には笑みが無かった。

 一時の間の後、三之助は決意の顔を上げた。


「……そう新発田に言え、と上杉方に命令されました」

「何? どういう事だ?」

「我が主君小山長康は内通がばれ、すでに成敗されてございます」

「な、何だと!?」

「新発田様、これは上杉方の策でございます。こうやって新発田方を油断させておいて、今晩、上杉方は夜襲をかけるつもりでおります」

「ううむ、またも小賢しい策を。しかし、それこそ誠か? お主、小山が成敗されても何故それをわしに伝える」

「小山様は孤児であった私を拾ってここまで引き立ててくださったお方。言いつくせぬ恩がございます。上杉方は、私の家族を人質に取ると脅して来ておりますが、孤児であった私の家族は小山様だけでございます。新発田様、どうか小山様の仇を討ってくださいませ」


 三之助の瞳に、爛々と燃える復讐の炎が灯っていた。



 そして日が没し、完全な夜闇が訪れた戌の刻(午後20時)頃。

 上杉軍は春日山へ通じる街道をゆっくりと進んでいた。

 やがて、ぽつぽつと頬に雨粒が落ちて来たかと思うと、俄かにそれは強くなり、瞬く間に大雨となった。


 軍中にある宇佐美龍之丞は、無数の針が落ちて来るが如き雨の夜空を見上げると、勝利を確信した。


 ――まさに今この時だ! この大雨は馬蹄の音をごまかし、我らの行軍を隠しやすい。勝ったぞ。天は我らに味方した。


 そして上杉軍は進路を急反転させた。


 景勝、龍之丞らが率いる精鋭騎馬隊約八百は阿賀野川向こうの陣を、本庄繁長、色部長実が率いる騎馬隊約五百は槙根砦を攻撃するべく大雨に姿を紛れさせながら急行した。

 直江兼続、藤田信吉らの主力歩兵はその後を徒歩で追いかける。


 礼次郎の部隊は景勝らと共に動いた。


 そして二手に分かれた上杉騎馬隊は、それぞれ阿賀野川向こうの陣、槙根砦に到達した。

 礼次郎を含む上杉景勝らの騎馬隊は、鬨の声を上げて陣に殺到した。

 だが、雪崩れ込んで陣幕、天幕を崩し、篝火を倒しても、新発田兵らの悲鳴は聞こえてこない。

 それどころか、槍、刀を振るう相手が一人も見えない。


「何だ? 誰もいない」


 礼次郎は不審に見回した。


 龍之丞も驚いて辺りを見回す。


「どういうことだ……? うっ、まさか……」


 龍之丞は本能的に自分の策が失敗した事を悟った。


 その時、


「放てっ! 放てっ!」


 と言う聞き覚えのある声と共に、左右より無数の矢が飛んで来て上杉騎馬隊を襲った。

 まともに食らい、悲鳴を上げて次々と倒れて行く上杉兵達。


 三之助の裏切りにより上杉軍の策を知った新発田軍は、逆に待ち伏せするべく篝火だけは炊いたまま陣を空にし、その四方の闇に潜んでいたのだった。


「我らの策が見破られていたのか!?」


 景勝の心臓の鼓動が速くなって行った。


 ――所詮俺は不識庵様のようにはなれんのか……?


 景勝の顔が悲痛に歪んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る