第70話 天哮丸を生かす者

「しかしあいつは来なかった、翌日もその次の日も……。真面目な善三郎(城戸宗龍)がこれまで約束を違えたことはない。わしは何か悪い予感がした。その予感が止まらず、そして気になって急いで来てみたら案の定城戸家は徳川家康に滅ぼされており、善三郎も自害したと聞いた。しかももっと悪いことに……たった今ここで、何よりも大事な天哮丸まで奪われてしまったことを知った。頭がくらくらしたわい」


 そう言うと、如月斎は礼次郎に向かって、


「礼次郎。善三郎がこの世にいない今、事実上城戸家当主たるお主が天哮丸を守らねばならんのではないか? それが何たるざまじゃ」


 我が子を叱るような口調であった。


「面目ない」


 礼次郎が悔しげに俯くと、順五郎が、


「おいおい爺さん、あんた誰だよ? 天哮丸と何の関係があってそんなことを言うんだ? どこの誰だかわからんあんたがいきなり出て来て無理言うなよ。あの時は徳川の騙し討ちみたいなもので、若だって捕えれらて拷問を受けてたけど、一言も口を割らずに何とかここまで生き延びたんだぜ」


 と食ってかかると、


「そんな事は言い訳にはならん。どのような事情があっても、天哮丸を欲望渦巻く俗世に出さぬよう守護し続けるのが、源頼朝公より家祖七郎義龍公に授けられて以来、代々城戸家当主に課せられた使命である。それなのに、源氏の血筋でもない癖に源氏の名を騙る徳川家康にやすやすと天哮丸を奪われるとは何事か。それでも誇り高き河内源氏の末裔である城戸家の男か」


 如月斎がピシャリと言うと、礼次郎は流石にムッとして、


「しかし、あの状況ではどうすることもできません。それにまさか天哮丸を祭ってある場所が知られてしまうとは思いもしませんでした」


 と言うと、如月斎は怒って白い眉を吊り上げ、


「そのまさかが容易に起きるのがこの戦国乱世であり、天哮丸の魔性である! お前は城戸が徳川に攻撃された時、何をしておった!?」


 と礼次郎を睨みつけた。


「その時はちょうど真田家に使いに行く途中で、城戸の異変に気付くと城戸家の嫡男として戦うべくすぐに戻りました」

「戦う? そこがすでに間違っておる。普通の大名家の嫡男であればそれが当然であるが、城戸家の嫡男は違う。まずは天哮丸を守ることを真っ先に考えねばならぬのだ。家や家族、民のことは二の次である!」


 礼次郎はその言葉に軽い衝撃を受けた。

 しかし、すぐにはっとして目の色が変わった。


 そして身体を少し震わせると、その顔に怒りの色を浮かべ、


「如月斎殿、あんた何と言った? 天哮丸の為には家族や領民の事は犠牲になっても良いと言われるのか?」

「そうだ」


 冷たく言い放つ如月斎に、礼次郎の怒りに火がついた。


「そんな事は城戸家の当主としてはもちろん、人として断じてできない! 天哮丸の為には家族、愛する者、民を犠牲にしろと言われるならば、天哮丸などはいらない! オレは河内源氏城戸家の誇りを持って生きて来たが、そんな犬畜生にも劣るマネをしてでも守らねばならない誇りならば捨ててやる。天哮丸を叩き折ってな!」


 声を荒げて叫んだ。


 すると如月斎はニヤッと笑った。


「ふふ……はっはっはっ……その心がけや良し!」

「?」

「すまんな、今のはお主を試したのじゃ」

「試した?」

「お主が城戸家の当主として、天哮丸を守護する者として相応しいかどうかをな。もしお主が今の言葉を吐かず、はい、民を捨てても天哮丸を守ります、などとでも言おうものならわしはお主を軽蔑するどころか斬ろうとしていたかもしれん。だがお主の今の言葉、心意気は立派であった、想像以上であった。お主ならば天哮丸の魔力に惑わされることもないであろう。天哮丸を守護する者として相応しい器を持っておる」


 如月斎は打って変わって穏やかな笑みを浮かべながら言った。


 礼次郎は呆気に取られた。


「試すって……タチの悪いじいさんだな」


 順五郎が苦笑して言うと、


「お主は口が悪いのう」


 如月斎がじろっと順五郎を睨んだ。


「あ……はは、いや、すみません」


 思わず頭を掻いた。


 たった今出会ったばかりの正体不明の老人だが、その佇まい、言葉には不思議な威が備わっていた。


「しかし、礼次郎よ。わしがさっき言った言葉は半分は本当であるぞ。家族や民を犠牲にしろとまでは言わんが、城戸家の当主ならば天哮丸を守ることを何よりも考えねばならん」

「は、はい……」

「それにしても善三郎のヤツ、息子に本当に何も教えておらんようじゃな。礼次郎、お主、天哮丸についてどれほど聞いておる?」

「え? えーっと……河内源氏の宝剣で、城戸家はそれを代々守らなければならないと……それと……」


 礼次郎は口ごもる。


「なんじゃ、それぐらいか? まあわしのことも知らんようだしそんなものか……天哮丸は誰が作って本当の名は何かぐらいは聞いておるか?」

「誰が? 本当の名? それは一体……」


「やはり知らなんだか。よく聞け。天哮丸は平安の世、八幡太郎義家公が世に生まれるもっと前の時代に、陸奥国の刀工、国守くにもりが鍛えたものである」

「陸奥の国守」

「その時、不思議と誰が使っても心地の良い重さと握り具合、そしてそのあまりに凄まじい切れ味……更に、最初に振った時に天から落ちる雷のような音を響かせて煌めいたと言う事から、"天之咆哮"と名づけられたのじゃ」

「天之咆哮?」


 礼次郎は呟くと、


「それで略して天哮丸か」

「左様。しかし天之咆哮は魔性を持っていた……あの凄まじいまでの強さは持つ者の心を狂わせ、いたずらに強さと権力を求めるようになり、やがて天下を乱すのだ」

「それは聞いております」


「うむ。それ故に俗世には出してはならぬのじゃ。かつて天之咆哮をその手に握り天下を席巻したが、結局その魔力に呑み込まれてしまい、自身を滅ぼした者が何人かいる。そのうちの二人がかの平相国清盛、源九郎義経……」


 如月斎が言うと、礼次郎の側で話を聞いていた壮之介が驚いた。


「何? その二人も天哮丸を持っていたのか?」


「知らなかった、平相国と義経公が? 確かに平清盛は位人臣を極めたが、後の鎌倉幕府、足利幕府などと比べると天下を取ったとは言い難い。しかも最終的には結局一族が滅亡するはめになってしまった。源義経公も一時は兄頼朝公をしのぐ名声を得たが、最後にはやはり自滅する結果となってしまった」


 礼次郎が呻いた。


「うむ。彼ら二人は天哮丸の力によって天下を得る寸前まで行った。だが結局は天哮丸の魔力に呑み込まれ、天下をいたずらに乱したのみならず、自身をも滅ぼしてしまう結果となったのじゃ。今、応仁の乱より長く続いたこの戦乱の世はようやく終わりに向かおうとしておる。再び天哮丸の魔力によって乱世の時を逆戻りさせてはならん。礼次郎、何としても天哮丸を取り戻せ」


「はい」


 礼次郎が答えると、如月斎はくるりと背を向けて、


「ではわしは帰るとしよう」


 と歩き出した。


 礼次郎は慌ててその背へ、


「帰る? もう少しお話を。何故天哮丸のことをそんなに知っていて? それに父上も……城戸家とはどんな関係なのですか? そもそもあなたは一体何者ですか?」


 如月斎は振り返らずに、


「わしもこの通り年でな。長い遠出で疲れてこれ以上しゃべるのはしんどい。なに、わしは大した者ではない……強いて言えば、お主が天哮丸を守護する者ならばわしは天哮丸を生かす者、とでも言えばよいかのう」


「天哮丸を生かす者?」


「うむ。まあ、いずれお主が天哮丸を取り戻せば必ず再びわしに出会うことになるであろう。その時に全てがわかる。では励めよ、源頼龍……」


 如月斎はゆっくりと歩いて行き、やがて山道の奥にその姿を消した。


 その後ろ姿を見送ると、壮之介が、


「誠に不思議な老人ですな。あの物言い、佇まい、まるで仙人のような……」

「この神秘的な龍牙湖だ、本当に仙人が出てもおかしくないぜ」


 順五郎が笑う。


 礼次郎は如月斎が去って行った方を見つめながら、


「天哮丸を取り戻せば再び必ず出会うことになる、か……どういうことだろう?」


 狐につままれたような面持ちとなった。


「さっぱりわからんね。でももったいぶった爺さんだ、今すぐに正体を教えてくれても何も困ることはねえだろ」


 順五郎が不満げに言うと、


「あの老人のことだ、きっと何か理由があるのであろう」


 壮之介が答えた。


「しかし天哮丸が奪われちまったのは参ったね。若、これからどうするよ?予定通り越後上杉家に行くか?」


 礼次郎は天を見上げると、


「まさか。今も言われたろ? 天之咆哮、天哮丸。それを守護するのが天がオレに与えた役目だ」

「じゃあ?」

「奪われたのなら当然奪い返す」


 順五郎らを見回して言った。


「よし、そう来なくちゃな!」


 順五郎は愉快げに手を叩いた。


「どこまでもお供いたしますぞ」


 壮之介が笑った。


「………」


 千蔵は何も言わなかったが、その唇の口角が上がり、微笑んでいるように見えた。


 そして礼次郎は目つきを一変させた。


「ちょうどいい、徳川軍はまだ城戸に滞在しているよな? このまま城戸へ向かって天哮丸を取り戻すぞ!」

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