第25話 阿鼻叫喚
『ヤバい奴なのか?』
改めてタツロウがアズマに問う。
まずもって答えたのはほーちゃんだ。
『うん、魔界の生き物だからね。地獄の番犬と呼ばれるだけのことはあるよ。
その力は、ある意味で魔王に匹敵する』
『もちろん、今の魔王ではなしにかつて全盛期であったときの力じゃ』
『そうね、苦労したもんね』
ケルベエとの戦闘経験のある三人がそれぞれに過去を振り返った。
どちらかというと武勇伝というよりも思い出したくない出来事である。
「ケルベエ、お座り!
お座りといっておろう!
お座り、お座りじゃ!」
タナキアが必死にケルベエを制しようと命令を繰り出す。
一応、タナキアは魔王であり、ケルベエの主人である。
かつては、ケルベエはタナキアに従属し、その命令に従う素直ないい
が、どこでどうボタンを掛け違えたのか、今は自由気ままな野良犬さんなのである。
「タナキア様、あまりお近づきになられては」
ボーネルドが、タナキアを庇うように前に出る。
ケルベエはのっそりと、品定めをするようにタナキアたちや、第七騎士団、それにアズマ達へと視線を投げながら、一歩一歩近づいてくる。
「なにをしてるんだ?」
フェスバルの問いに、
「餌を探してるんじゃねーですか?」
部下が答える。
「じゃあ、食料が無いことがわかったら諦めてどっかに行くってことだな」
「でも俺達食料持ってますぜ?」
「万一の時は、それを捨てて逃げるぞ」
とフェスバルを始めとした第七騎士団が早くも逃走にに向けての算段を繰り広げる。
が、
「ケルベエの好物は生きた人間じゃ。死肉も喰うが、それは限られた上等な肉だけなのじゃぞ。
それに、あやつの脚力は人間の速度を軽く凌駕している。
お前ら人間ごときがまんまと逃げおおせるものではない」
とタナキアに言われて一瞬で萎縮する。
「あんな犬っころにみんなびくびくしちゃって」
と颯爽とケルベエの進路を塞いだのは、エンキーネである。
いぬころ扱いしているが、その体は小ぶりな像ほどもあり、はたから見ているといつ踏み潰されるか不安な構図だ。
「こういうのはね、上下関係をはっきりさせればいいのよ。
タナキアちゃんだって、本来の力があれば従えさせられるんだし。ギリギリだったけど。
今のあたしなら、ケルベエに言うこと聞かせるぐらい簡単なことだわ。
気合でこっちが格上だってことを見せつけてやればいいのよ。
ほら、ケルベエ……」
エンキーネは自身の言葉どおりに、ケルベエをキッとひと睨みすると、
「お座り!」
と命令を発する。
が……。
「聞く耳もたんようじゃな」
「なんでよ!」
「おそらくじゃが、今のエンキーネよりも自分のほうが強いと思っておるのじゃろう」
「じゃあ、力の違いを見せつけてやるわ!」
「殺してはならんぞ!」
「少々痛い目は見て貰うけどね!」
エンキーネが炎を放つ。
ケルベエの全身が炎に包まれ……。
「ふふ、熱くて声も上げられないの?
じゃあ、そろそろ解放してあげるわ。
これでわかったでしょう。
素直になりなさい」
炎が消えた中から、無傷のケルベエが現れた。
「効いてない?」
「効いておらんな」
「ケルベエ、魔法ダメ、物理効く」
「そうだった!
いえ、魔脈の力を得た今のあたしなら……」
とエンキーネは集中する。最大火力の魔法を放つために。
「無茶するでない!」
「ちょっと、黙ってて!」
もはや、エンキーネもタナキアの言葉に耳を貸さない。
自分勝手同士の対決なのである。
「炎の壁が……」
「消えたわね」
タツロウをミリアを囲んでいた炎の牢獄が消滅した。
もはや余計なことに魔力を使用することを止め、というか、タツロウ達のことをすっかりわすれてケルベエに夢中になっているエンキーネなのであった。
『これってチャンスじゃねーか?』
そろりそろりとタツロウ、ミリアはアズマの元へと移動する。
そして、三人が集結する。
「おい、じいさん。転移だ。逃げるぞ」
「じゃが、第七騎士団を見捨てるわけには……」
「そんなこと言ったって、あいつらはまた補充がきくだろう?
それに死ぬと決まったわけじゃないし……」
「ふふふ、これが、魔脈の力……。
ああ、溢れるわ……、もうはちきれそう」
エンキーネが恍惚の表情を浮かべ身じろぎする。
自身の得た力に陶酔しているのだ。
「がるるるるぅぅぅぅ」
ケルベエはそのエンキーネの魔力の高まりに、警戒しているのか足を止めて様子を伺っている。
だが、隙を見せれば今にも襲い掛かりそうな体勢だ。
強敵を前にして、野生の本能が目覚めたのであろう。
あるいは、長期間狭い部屋に閉じ込められていた恨みなどもあったのかもしれない。
先ほど、ダメージは無かったものの、炎を浴びせられたという経緯もある。
とにかく仲間であるはずのエンキーネに対して敵意剥き出しである。
「第七騎士団とて、王国の精鋭部隊。簡単に代わりが見つかるものではない。
それに、それ以前に勇者たるもの、人を見殺しにはできん」
「おい! 騎士団の連中!」
タツロウが叫ぶ。
その前から、アズマ達が集まっているのを見て騎士団の面々もアズマの元へと集まりつつあった。
「なんだ? 逃げる算段か?」
フェスバルが期待を込めてタツロウを、そしてアズマを見る。
「俺達は今からここから離脱する。
あとはよろしくやってくれ」
「ちょっと待て! 見捨てるのか?」
「そりゃないぜ!」「殺生な!」
フェスバルを始めとした騎士団から不満の声が上がる。
「儂は見捨てる気はないといっておろう」
「じいさん、そんなこと言ってる場合じゃないんだって!」
「そうよね、騎士団の本分って自己犠牲なんでしょ?」
見捨てて逃げる派閥のタツロウとミリアがなんとか口実を作ろうとするが、
「自慢じゃねーけどな、俺たちゃあ、元々ならずものの集まりだ。
そんな崇高な精神持ち合わせちゃいねー」
とフェスバルが胸を張って言い返す。なんの自慢にもなっていない言である。
ちょうどそのころ、痺れを切らしたケルベエが、エンキーネに向かって駆け出した。
待てば待つほどエンキーネの魔力は高まっていく。ならば、早いうちに仕掛けたほうが勝算が高いと判断したのであろう。それはまさしく野生の本能。
魔脈の力を得て覚醒しつつあるエンキーネ。
魔界の力をこの世界でも発揮でき、全盛時の勇者を苦戦させるほどの魔物である地獄の番犬。
頂上決戦の火ぶたが切って落とされようとしていた。
本来の頂点であるはずの、勇者や魔王は単なる傍観者である。
「殺してはならんからな! エンキーネ!」
「約束はできないわ!」
とエンキーネが己の魔力を全て注いで魔法を放とうとした瞬間……。
「まずいのである!」
ヒノさんが何かを感じ取る。
「え、え……、ちょっと、魔力が……なにこれ!? きゃあ!!」
エンキーネの体が業火に包まれた。
「熱っつ! 熱っつ!」
火だるまになりながらエンキーネは転がりまわる。
そして、その炎は、辺りに飛び火して、あちこちで炎が燃え、さらには、上空から無数の火の玉が降り注ぎ始めた。
「何が起こったんだ!?」
「エンキーネは自身に魔力を集めすぎた。
それは、あまりにも強大な力なのである。
エンキーネはそれを制御しきれなかったようである。
いわゆるところの暴走である」
まさに地獄絵図である。
エンキーネは火だるまになって転げまわっているし。
魔力を使いきったミリアは、タツロウや騎士団とともに逃げ回っているし。
騎士団の中でも魔法を使える者はなんとか自分だけでも助かろうと魔法障壁を張って閉じこもっている。それに便乗して陰に隠れるものもいる。
そんな中でも比較的冷静さを保っていたのはアズマであった。
炎と炎の隙間を狙って避難し、降り注ぐ火の玉を聖剣ホシクダキの力で弾き返している。
「いつまで持つか……」
だが、その言葉通りいつまで持つのかはわからない。
「で、おぬしらは何をしてるんじゃ?」
アズマが背後にいるタナキア達に声をかける。
「いや、ここが一番安全なようじゃったから。
おぬしが火の粉を払ってくれておるからの」
「どこかへ逃げればよかろう?」
「辺りは火の海じゃ、何処へ逃げようと結果は同じこと。
ならば一番生き延びる可能性が高い場所へと赴くのは当然の帰結なのじゃ」
言っていることは大層だが、宿敵である勇者に命運を委ねる魔王とはどうなのであろう……。
ひとり奮闘するアズマを見て。
なんだか安全な避難場所を見つけたタナキアを見て、続々と他の面々も集まってくる。
「ちょっと! 押さないで!」
「そんなこと言ってもよう!」
「直撃するぞ!」
「もう! あれくらいなら!」
最後の魔力を振り絞ったミリアがアズマが対処しきれなかった火の玉を相殺するべく魔法を放つ。
「さすが極光!!」
「姉さん! 頼りになるぜ」
「ああ、魔力が~、小じわが~。見ないで!! こっち見ちゃだめ!」
もはや、小じわ隠しの魔力すら残っていないミリアがその場に疼くまる。
そんな中、火の粉をもろともしない存在がひとり、いや一匹。
地獄わんこのケルベエが、集まった集団を見て舌なめずりをする。
エンキーネの暴走によって、起こった事態に一旦は
「ケルベロスがこっちに来るぞ!」
「お前の犬だろ! なんとかならねーのか!」
「無理じゃ、あやつは小さい頃はそれはそれは可愛い忠犬でのう。
お手もお座りもお預けもちんちんもなんでもこなすよいペットじゃったのじゃが」
「そんなことは聞-てねー!!」
「そうじゃ、魔王よ、あ奴を封じる方法はないのか?」
アズマが、火の玉を弾きながら尋ねる。
「城に行けば、ケルベエ専用の小屋があるのじゃ。
そこに閉じ込めることができれば……」
「城まで走るってのか? この火の海の中で!?」
360度、見渡す限りの炎なのである。
ところどころに燃えていない安全地帯はあるものの、迷路のようになっていてうかつに動けば行き止まりにあたる可能性が高い。
直線距離にすれば城までさほどの距離はないが、迂回は必至で遁走している間にケルベエに追いつかれるのがオチなのだ。
「無理っぽいな。こんなことなら、キープしておいたボトルを空にしておくんだったぜ。
まだ半分以上残ってたからな……。それにあの子にもっと積極的に迫って置くべきだったぜ」
フェスバルが諦めたようもどうでもいい話を切り出す。
「あきらめたらそこで試合しゅーりょーじゃねーか!」
「俺、もしこの戦いから逃げられたら、あの子に告白するんだ」
「死亡フラグたてるな!
じいさんが頑張ってくれてるんだ。
何とか知恵を絞ろうぜ!」
「じゃが、残念なお知らせがあるのじゃ」
「!!!!」
ひとり奮闘するアズマに注目が集まる。
「そろそろ儂も限界じゃ……」
魔力を、精神力を使い果たし、アズマはさらに老け込んでいた。
めっきり皺が増え、白髪も増えていた。
まだまだ火の玉は降り注ぎ、アズマはそれを迎撃するが。
元々自分の身を護るためだけであれば、まだもっと時間は稼げたであろう。
が、これだけ大勢の人間を護ろうとすれば、範囲も広がり、限界が早くやってくるのは自然の摂理であった。
そして、アズマはがっくりと膝を落す。
「貸せ!」
タツロウが、アズマから聖剣を奪い取る。
『ほーちゃん! 四の五の言ってる暇はねえ!
力を貸してくれ!』
『でも、何するつもり!』
『腐っても枯れても聖剣だろう!』
『腐ってないし、枯れてないよ! ぴっちぴちだよ!』
『それは今はどうでもいい!
道をつくれねーか!?
城まで一直線の。
よくあるだろう。炎を割って退路を作るみたいなの』
『そんなぶっつけ本番で!?
それに今のボクにはそんな力は……』
『炎の勢いを弱めるだけでいい!
小さな竜巻を作る
それが発動すれば……、
立ちふさがる炎を斬り裂き、一筋の道を作ることができる!
希望の道を!』
『でもケルベエは……』
『一か八かやってみるしかねえんだよ!』
『しょーがない、緊急時だし、タツロウに任せる!』
「いいか、お前ら!
俺が城までの道を作る!
力の残っている奴は、あのくそ犬を少しでも足止めしろ!
それと、散らばると面倒だからな!
全員俺に続け! 行くぞ!
トルネード……スラッシュ!!」
タツロウが振るう聖剣から、竜巻が巻き起こる。
それは行く手を阻む炎をかき消し、城までの視界が拓けた。
「今だ!」
そして走りだす。
タツロウを先頭にして。
それに続くのは魔王の一行、ボーネルドとグアッドルフ。なんだかんだ身体能力は高い。
そしてヒノジローを抱えるミリア。
フェスバルは精根尽き果てたアズマを背負い、騎士団もそれに続いていく。
逃げるものを見れば追いかけたくなるのは野生の本能である。
ケルベエは、餌を求めて集団を追いかける。
「来やがった!」
「追いつかれる!」
集団の後方では阿鼻叫喚の叫びが聞こえる。
足止めを任された
「もうおしまいだ~!」
と、ケルベエまで目と鼻の距離になった最後尾が泣き叫ぶ。
「足止めは我らが!」
とそこに現れた黒装束の集団。
王国の秘密集団である第六騎士団、通称忍者部隊である。
「今までなにしてやがった!」
「いや、ずっと見ていたのですが、出てくるタイミングがわからなくって」
と答えたのは、アズマ達見守り隊の隊長を任されていたアスカであった。
「とにかく! 時間を稼ぎます!
皆のもの! かかれ!!」
さすがに素早さに特化したものを集めた部隊である。
異能集団である。
ヒットアンドアウェイを繰り広げながら、というか、攻撃すると見せかけて嫌がらせのようにケルベエの前をうろちょろするだけで、ケルベエの進行速度を遅らせる。
さらには幻術やまやかしの忍術など、ダメージは与えられないが、時間稼ぎには十分の様々な技を次々と繰り出し奮闘する。
ギリギリではあるが、タツロウを先陣とする逃走集団はケルベエに追いつかれることなく、走り続けた。ギリギリではあるが。
「城が見えたぞ!」
「儂が案内する! こっちじゃ!!
ボーネルド、あれを頼む!」
「御意!!」
タナキアに先頭を譲り、一団は城の中へとなだれ込んだ。
途中で脱落したものや、どさくさに紛れて集団から一か八か離れたものなどもいたために、その数は当初と比べて三分の一ほどになっていた。
なお忍者部隊は、城まで送り届けたことで任務完了と勝手に判断して颯爽と姿を消していた。
神出鬼没にして、謎多き部隊。付け加えるなら、お役所仕事的気質を持ち合わせている。それが第六騎士団なのである。
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