第3話 アマろーぐ

 トンネルを抜けるとそこは――

 じゃなかった……。

 目を開けるとそこは。


「ん?」

 病院の天井だった。

 ここで『知らない天井だ』とか言うべきなんだろうけど、俺は知っている。

 これは病院の天井だ。


 真っ白な板が張り巡らされた天井、そこに埋め込まれた蛍光灯と空調。

 敷かれたレール、そして垂れ下がるカーテン。

 体を起こすとこれまた真っ白な布団に、白いパイプのベッド。

 傷だらけでくすんだ白色をした、リノリウムの床。

 窓から見える、真っ白な景色?


 ……これは間違いなく病院だろう。

 こんな部屋を見て『あっ友達の部屋だ』とか思わない。

 

「はあ……」

 結局俺は異世界へは行けなかったのか。


「お目覚めですか、桜満明日太おうまあすたさま」

 と、目の前に突然姿を現した、ナース服の女性。


「うおっ!? びっくりした」

 病院なのだから、ナース服の女性がいたとしても、まったく驚くようなことではないのだけど、どうにもその現れ方が異常だった。

 一体どこから現れたのか……瞬間移動でも使えるのだろうか。

 それも気になるが、まず聞いておきたいことが一つ。


「あの、すみません。ここって何病院ですか?」

「ふっ、何をバカなことを、何おバカなことを言ってるんです? ここは病院じゃありませんよ?」

「は? え? ここ病院じゃないんですか?」

 こんなに病院病院してるというのに?

 じゃあここは一体どこだって言うんだ。

 まさか友達の家だとでも言うのか?


「ふっ、何をバカなことを、何おバカなことを言ってるんです? ここは病院じゃありませんよ?」

 さっきとまったく同じセリフを口にする看護婦さん。

 何なんだこの人は……。

 そんな風に、俺が不信感いっぱいの目で彼女を見ていると、看護婦さんはなぜかパチッと指を鳴らした。

 すると突然、俺の頭上、病室の天井がパカッと開く。 


「――っ!?」

 そして開いたその隙間からこちらを覗き込む、白髪で白髭のお爺さん。

 お爺さんと言うか、何だかサンタさんみたいだけど。


「目覚めたか、桜満明日太おうまあすたよ」

 しゃがれた低い声で俺にそう問いかけてくるお爺さん。

 このお爺さんは一体誰だ?

 いや、今問題なのはそんなことよりも、どうしてこの病室を上から見下ろすことができるのか、だ。

 ここは病院だぞ。

 このお爺さん、どれだけ巨大なんだ……。

 いや、まずその前にだ。

 どうして病院の天井が開くんだ?

 パカって……。

 意味が分からない……どうなってるんだ、飛び降りて頭でも打っておかしくなったのか?


「ほっほっほ、そう焦るでない桜満明日太おうまあすたよ。なぜ開くのかと言えばこれがセットだからじゃ」

 セット?

 セットって、あのセット?


「そうじゃ、そのセットじゃ」

 その証拠にほれ、とお爺さんが言うと、病室の四方の壁がパタンと一つ倒れる。


「えっ!?」

 驚く俺をよそに、壁はまた一つ、また一つ、パタンパタンと倒れていく。

 四枚の壁が全て倒れると、俺の目に映ったのは、どこまで続くとも知れない真っ白な空間だった。


「ここは……?」

 病室の外は、ただひたすらに白かった。

 病室よりも白かった。

 そして何もない。

 今や視界に入るのは、俺自身の体と俺が座っているベッド、看護婦さんと、そして一軒家ほどの巨大なお爺さんだけだ。

 俺の知っている世界とは、明らかに違う。


「ここは天界じゃ。そしてさっきの病室は、ワシの作ったセットじゃ」

「病室のセット……って紛らわしいことすんじゃねえよ!」

「ほっほっほ、テヘッ」

 ペロッと舌を出すお爺さん。


「可愛くねぇよ!」

 気持ち悪い。


「ごほん……さて、早速本題なのじゃがな桜満明日太おうまあすたよ」

 気が付くとお爺さんは普通の人間サイズになって、俺の目の前に立っていた。


「もう分かっているとは思うが、ワシは神じゃ」

 まあ天界って聞いたときから、何となくそうなんじゃないかなと思ってはいたけど。


「そして神であるワシは、間違えてお主を殺してしもうたのじゃ」

「ぜっっっったい嘘だね!」

 確かにその状況は、俺が異世界に行くために願った展開ではあるけど、都合がよすぎるだろ。

 もしかしたらこれは、誰かが仕掛けたドッキリかもしれない。


「嘘じゃないわい、ミセスじゃミセス」

「ミセスってなんだ、ミスだろ!? 勝手に結婚させるんじゃないよ!」

 そう言えばこの神、どことなく隣に住んでた爺さんに似ているような……。


「そうじゃ、その、お主の家の隣に住んでいる、住職の爺さんが今日寿命での」

 住職?

 あの汚い爺さん、住職だったのか。

 もしかして住職って、住所不定無職の間違いじゃないだろうな。


「九十八歳の大往生じゃったのぉ。ごほん、でじゃ。その爺さんの魂を天界に連れてこようとしとったんじゃ。そしたらその横で異世界に行くだの何だの、痛い妄想を垂れ流した叫び声が聞こえての……」

「な、なぜそのことを」

「じゃってワシ神じゃもん、心くらい読めるわい」

「くっ……」

 そう言えばさっきから、声に出してなくても会話が成立していたな。

 じゃあもし俺があ~んなことや、こ~んなことを考えたら。

 やっぱり。

 案の定神は顔を真っ赤にして、モジモジし始めた。


「ごほんごほん……でじゃ、その妄想を聞いておったら殺意が沸いてきての。間違えて殺してしもうたってわけじゃ。すまんの」

「絶対わざとだろそれ!」

 と言うか、と言うことは。

 俺はまだ死なないはずだったのか。飛び降りは失敗だったのか。


「そう言うことじゃな。お前さんは今日死ぬ予定ではなかった」

「どうぞ」

 神の隣にいた看護婦さんが、俺に一枚の紙を差し出す。

 その紙は、俺の顔写真が貼ってあったり、名前や生年月日、血液型などが書かれた、履歴書のようなものだった。


「死亡が確定した人間のそれには、大きく“死亡”の印が押されとる。お主のにはそれがないじゃろう?」

「うん……でもどうして……」

 どうして死ねなかったんだ。

 意を決して、命を消す覚悟で飛び降りたのに。

 異世界に行こうと思ったのに。


「ぶっ……じゃってお主が飛び降りたの、一軒家の二階からじゃろ。しかも足から飛び降りて足で着地。更に言えば下は土。お主本当に死ぬ気があったのかのう」

 バカにしたような目でニヤニヤと笑う神。


「クソビビリですね」

 看護婦さんも、済ました顔でサラリとバカにしてくる。


「あ、ああ、ありましたとも! 死ぬ気も、そして異世界に行きたいという信念も!」

 俺は力強く拳を握り、声高らかにそう宣言した。

 舐められてばかりではいられない。


「「ぶっ……」」

「聞いたか天使よ」

「ええ聞きましたとも神、信念とはとんだ戯言を言い放ったものです」

「くそ……」

 と言うかこの看護婦さん天使だったのか。


 そんな天使さんは言う。

「あなたはただ引きこもって、頭がおかしくなって自殺しただけでしょう? それは信念じゃなくて残念です」

「違う違う、決してそんなことはない! 俺は死にたかったんじゃなくて異世界に行きたかったんだ! 異世界で生きたかったんだ!」

「「ぶっ……」」

 尚も笑う神と天使。


「百歩譲って残念ではなく信念だったとしても、漢字は“新年こう”です。そんな理由で軽々と飛び降りるなど、なんておめでたい頭なのでしょう。ぷふふ」

「だから軽々しくないって……」

 くそっ……もういい。

 よってたかってバカにしやがって。


 別に俺は頭がおかしくなって、窓から飛び降りたわけじゃない。

 死にたくて、自殺したくて飛び降りたわけじゃないんだ。

 いや、死にたかったんだけど、自殺しようとしたんだけど。

 それは人生を諦めたからではなく、人生を諦められなかったからだ。

 

「まぁまぁそういじけるでない桜満明日太おうまあすたよ。でじゃ、間違いは間違い、お主を元の体に戻さねばならん……」

「……」

 そうか、やっぱりそうなるのか。

 せっかく都合よく天界に来て、神様に出会えたっていうのに。


「ならんのじゃがの……その……」

 散々人をバカにしていたのに、突然歯切れの悪い話し方になる神。


「……間違えて人を殺してしもうたとなると大事になるでな……慌ててお主を元の体に戻そうと思ったんじゃがの……」

「面倒くさいので私が説明しますと」

 と天使さん。


「神は今回のことをもみ消そうとなさいました」

「え?」

 神の方を見ると、彼は額に汗を浮かべ急いで目を逸らした。


「そして隠蔽するため早く戻そうと焦った結果、間違えて桜満様の寿命を隣のお爺さんの体へと移してしまったのです」

「えっ!? じゃあ隣のおじいさんめちゃくちゃ長生きになるじゃないか」

 これはギネスブックに載るなんて目じゃないな。


「あーいやいや、それでもお爺さんは百歳で死ぬ」

「どうしてだよ」

 今お爺さんは九十八歳だから、たとえ俺が残り五十年しか生きられなかったとしても、足せば百四十八歳まで生きられるはずだ。


「いや、じゃってお主二十歳で死ぬし」

「二十歳!? 短命!」

 今十八だから後二年かよ!


「し、死因は分かってるんですか?」

「確か、笑止じゃったかの」

 何……俺は死して尚バカにされるのか!?


「あ、いや、出来死じゃったか」

 出来ちゃった婚ならぬ、出来ちゃった死ですか!?


「じ、自殺だったんですか?」

「いいや、多殺じゃ」

 多……そんなに大勢の人に。


「さ、殺害方法は?」

噛殺こうさつじゃったような」

「何に噛まれたって言うんだ!?」

 ワニか? サメか?


「わんっ」

 犬か? 犬なのか?


「獣殺じゃったかの」

 やっぱり犬だ!!


「ごほん……冗談はここまでじゃ。本当の死因は衰弱死」

 衰弱死?


「そうじゃ、神経衰弱のし過ぎでのぉ、ぽっくり逝ってしもうたようじゃ」

「神様、俺はそのとき一人で神経衰弱をしていたんですか?」

「いいや、誰かとやっておったみたいじゃが」

 うん、まあそれならいい。

 一人で神経衰弱をしても、楽しくないからな。


「…………さて、話を戻すが桜満明日太おうまあすた。お主を間違えて殺してしまったことが天界や他の神々にバレでもしたら、ワシはここを追放されてしまう」

「だから何ですか?」

 じゃからこのことは黙っていて欲しいのじゃ。

 そんなことを、開き直ったかのように神は言う。

 こんな奴が神で本当にいいのだろうか。

 世界のためにも、俺が犠牲を払って他の神にこのことをリークすべきなんじゃないのか。


「ま、待て待て。その代わりと言っては何じゃが、異世界に転生させてやる」

「何だって!?」

 それは願ってもないチャンスだ!

 それなら仕方がないなあ、黙っておこう。


「まあもしあなたがこのことを他の神に話したとしても、あなたは異世界に行くことになりますけどね」

 天使さんはぼそりと呟いた。


「え? どういうことですか?」

「あなたの体は今とてもややこしいことになっていますので、あなたを元の体に戻す準備が整うまでにはかなりの時間を要します」

「はあ」

「しかし人間の魂は天界に長く留まっていることが出来ません。ですのでひとまずの避難として、異世界へ行って貰うこととなるのです」

「はあ」

 つまり神がどうであれ、何がどうであれ、結局俺は異世界に行くことになると。

 じゃあリークした方がいいじゃないか。


「どうして言ってしもうたんじゃ天使よ……」

「てへっ」

 神を真似るように、澄ました顔で舌を出す天使さん。

 うん、これは可愛い。

 でもこの天使さん、多分天使じゃなくて悪魔だよ。

 ナース服なんか着て、白衣の天使ではあるのかもしれないけど。

 俺のイメージする天使っていうのはもっとこう、何て言うか。

 頭の上に輪っかがあって、背中には真っ白でふわふわな羽がついてて――

 などと考えている俺の想像がまるで具現化したかのように、俺の目の前に突然、イメージどおり頭上に輪っかを浮かべ背中に白い羽を生やした、天使らしき人影が現れた。

 そうそうこういうのが天使……って。


「えっ!?」

 まさか本当に俺の想像が現実となったのか?

 一瞬そう思いかけたが、いやいやそんなわけあるまい。

 俺には想像する力はあっても創造する力はない。

 どうせあれだろう、コスプレ天使さんが俺の目の前に現れたとき同様、瞬間移動的なものを使って現れたに違いない。


「失礼致します神様」

 もちろん予想通り、俺の妄想でも空想でもなく実体のあるその天使は、俺に背を向けたまま神の方に歩いて行く。

 想像してたのと違って男の天使のようだったが、それでも新しく現れた天使の方が、コスプレ天使さんよりも天使っぽかった。

 新・天使であり真・天使だった。


「ふむ、ご苦労じゃった」

 その男の天使は神様に何やら紙のようなものを渡し、耳打ちで何かを伝えると、現れたときと同じように唐突に姿を消した。


「さて桜満明日太おうまあすたよ。今、丁度いい物件が手に入った」

「物件?」

 マンション? それとも一戸建て?

 できるなら一戸建てがいいけど。


「お主に与える体のことじゃ」

 それなら尚更一戸建ての方がいいよ。

 マンションってつまりあれだろ、多重人格的な。


「そんなことはどうでもええ。さあどうする? 異世界へ転生するか? しないのか?」

「え、でもどちらにしろ行けるって――」

「ええい! 時間がない早く決めるのじゃ! 具体的には三秒で!」

 短いな……でも迷うことなんて一つもない、俺はそのために飛び降りたのだから。


「します! 転生します!」

「よかろう」

「ようかろう、とかかっこつけて言っている場合じゃありません。そう言ってもらわないと困るのは、異世界に行ってもらわないと困るのはあなたですよ神」

「ぐっ……分かっとるわい」

 何だか神が可哀想になってきた……。


「じゃあの」

 神は泣きそうな顔をしながら、腕を高く振り上げた。

 するといきなり俺の体は光り始め、視界は徐々に白く埋め尽くされていく。

 俺の視界がその光によって完全に閉ざされようとしたそのとき――


「「ぶっ……」」

 神様とコスプレ天使さんが笑った。

 なぜか笑った。


「何で? 何で笑ったんだよぉぉぉぉ!!」

 そんな叫びを最後に、俺の意識は光の中へと溶けていった。


 ◆◇◆


「ああ、言語などの細かいことは気にせんでもええからの」

「神、彼はもういません」

「おお、そうか。色々と細かいことを言い忘れたような気もしたが……まあええじゃろ」

「そういう適当なところが、今回のような事態を招いたんですよ? このクソ神」

「うっ……」

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