最終話『初めての恋は混乱して、鉄分の味がして』

「ねえ、お姉ちゃん」

 最近のねこ子にとっての流行は、日月の呼びかたを色んな風に変えることである。


「姉さん」にはじまり、

 定番の「お姉ちゃん」や「おねーさん」、

 からかうときには「日月姉」なんて呼ぶ日もある。


 開けたら闇がこぼれ落ちてくるであろう日月の部屋をノックする。

 ねこ子が部屋に入る前にはノックを三回するというのが、ふたりのなかでの暗黙のルールとなっている。

 ふたりだけ共有する秘密、こういうのが結構好きだ。


「開いてるよ」「うん」


 以前より短い会話と距離感を経て、ねこ子は日月の扉を開く。


 来客用の真っ黒なソファーに横になり、ねこ子は日月の部屋にあるライトノベルを読む。目が慣れるとこういうことが可能というのは、ねこ子の持つ猫的な特性ゆえである。タペタムという網膜の後ろの反射板。これが効果を持つ限り、彼女は真っ暗な部屋でもそれなりな視力で過ごすことができる。


 本人はそういう科学的な部分を理解していないので、なんか夜目が利くや、わーいの精神で生きている。

 姉さんは大体いつものようにミシンの前に座っていて、わたしはいつもソファーに寝っ転がるようにして、今ではまとめて数百円で買えそうな長編の小説を手にまったりと読んでいる。


 ――規則正しい音が好きだ。

 時計は秒針の鳴るほうがなんとなく好きで、曾祖父ちゃんの家にあったボンボン時計が鳴るのを待っていて、小さい頃に叱られた記憶がある。


 ダッダッダッダッ、ダカダカダカダカ。


 機械自体がそもそも好きなのかも知れない。このまま猫耳が消えないようであれば、工場で働くなんてのも悪くないかな、なんてことを思う。


「ひぃ姉ちゃん、にゃにつくってるの?」また呼びかたを変える。


「うーん、なんだろうね。白魔道士のローブみたいなやつ?」

「黒じゃないんだ」「今回は趣向を変えてね」


 ダッ、ダッ、ダッ、ダッ。すこしだけスピートが遅くなった。

 縫製するのがむずかしい部分にでも変わったのだろうか。


 BPMはいくらくらいなんだろう。

 母親の名前が心音なせいかは知らないが、自分の心臓の鼓動とちょうど同じくらいだと、なんとなく心地よく感じてしまう。たぶん、70~90くらい。


 だからといって、ドリルンベースを聴かないわけじゃない。スローなエレクトロニカだってファストなメロコアだって大好きだ。ただ、慣れの問題なのだ。


「ひいちゃん、楽しい?」

「あ、良い。その言葉もう一回お願いします」日月に要求されるとねこ子も弱い。


「スローなエレクトロニカだってファストなメロコアだって大好きだ」

「半三人称の小説で地の文読むのほんとやめて」


「ひい姉さんのことも好きですよ。でもまだちょっとにゃれの問題なのだ」

「ひい」日月は呻いた。


「姉さんは面白いね。色んなことを知っていて、わたしよりずっとひとのことを理解しているのに、たぶん、わたしよりずっと弱点が分かりやすいんだよ」

「古来から吸血鬼ってそんなもんだからね」

「にんにくが苦手とか、日光に弱いとか、十字架が苦手とか?」


「にんにく苦手なひとって意外といない?」

 あー、そう言われれば確かに。

「日光に弱いとかは?」

「灰にはならないけれど、あんまり血色良くないからひとに見られるのがいやだ」

「めっちゃ理屈通ってる……」


「十字架だけはちょっと苦手かな」

 日月はすこしだけ寂しそうに言った。

「わたしの人生はほとんどひとと交差しきっちゃないからね。十字の真ん中に立っているつもりでいても、いつの間にか交差していた道がなくなっちゃっているんだ」


 たぶん、自分の時間と噛み合うことのない人生の尺を指しているのだろう。

 そうねこ子は理解した。そうして、なんだか知らないけれど姉さんのことを、バカだなって思った。


「交差して、その先に行こうとするから、ひいちゃんはだめにゃーですよ」

 ねこ子は大事なとこ噛んだ。

「ひい」日月はもっかい呻いた。


 わたしはバカだから、なんか上手いこと言えないけれど……と前置きをしてねこ子は言う。

「良いんじゃないですか、十字の真ん中に杭を打って止まっても」

 ねこ子は真剣な瞳で割と日月の近くまで顔を寄せていたのだが、実のところ日月は猫っぽいねこ子ほど夜目が利かない。


 声の近さだけで、なんとなくねこ子がものすごく近くにいるのだけは分かった。


「ねえ、日月姉さん」

 日月をからかうのをやめて、まともな呼びかたをすることに決めた。

 姉さんのそばが心地よくて、わたしが離れられないのはきっとわたしが姉さんのことを好きで、気づいてしまえばこんなシンプルな答えばっかりだから、猫宮一族は適当に生きているのだと思う。


「わたしの血にゃら、いくらでも吸って良いですから。いっしょの棺に入りましょう」


 ねこ子は強引に日月の顔を自分の目の前に寄せる。


 白い生地の服を縫う手は止まり、生地の端のところがすこしだけ絨毯の上に落ちる。

「姉さんが、好きなだけわたしの血を吸って、わたしは姉さんの胸に杭を打つんです」

 そんなに吸って大丈夫なのかと、日月は問う。


「直ちに健康に影響を及ぼす数値ではありません」

 姉さんががどう感じていたかは知らないけれど、カーテンの端から漏れていた光に、目の端の水分が反射しているように見えて、衝動的にそれを舐めとった。


「それじゃあ、ふたり分が入る棺を用意しないとね」と日月は笑った。

 発注できるのかよ、とねこ子は思った。


「姉さんと同じ棺でいっしょに眠るときには、できるだけにんにく食べておきますよ」

「やだなあ、たぶん、唇同士の初キッスその味になると思うよ」


「そういえば、ずっと気になっていたんですが、それって結局なにつくってるんですか」


「あー。これはね、ミキプルーンの苗木」

「中井貴一じゃないですか」よくツッコめたもんだと自分でも褒めたい。


「そういえば、ねこ子噛まなかったね」

「言われてみればにゃーの打率下がってきましたね」


「これね、心音さんに言われて白い生地でつくってるけれど、たぶん、ウェディングドレス的なやつ」


「お母さんとお義父さん式やるんですか?」

「あー、ちがうちがう。ねこ子用のサイズにつくってるの。たぶん、わたしとの仲良し記念用」


「そういえばなんですけど、さっきのやつもっかいお願いしていいですか?」

「これはね、ミキプルーンの苗木」「そういうのいいから」


「ねこ子、死ぬときいっしょの姉妹ってどうなんだろうね?」

「終いって感じで良いんじゃないですか。オチっぽくって」


 猫耳が小さくなっていくのを感じる。緊張していて水平に立っていた尻尾が、すこしずつ小さくぺたんとなっていくのを感じる。


「なんか、母親が猫耳について適当に言っていた理由、分かる気がしました」

「恋の病で成仏するアンデッドって幸せそうだよね。ねこ子」

「その謎の概念知りませんよ。ひい姉さん」

「高橋留美子とか書くよう」

「おいおい聞きますので長い話はやめましょう」


 日月はねこ子の唇にほんのすこし噛みついて血を吸った。


「っつ!」

「ははっ!」

 ねこ子は日月の首筋にやや強めに噛みつき、キスマークを付けながら血を吸った。

 吸血鬼が血を吸われて笑われるのは、まあ自分の読んだ物語でもなかなか出番がなかったように思う。


 おそらく人生初めてのキスは、なんだか鉄分の味がした。


「はい、おしまい」

「姉妹だけにね」


 ダッダダッダダッダダッダ、胸を打つ鼓動のBPMはいつもよりすこし早い気がした。

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ネコミミ・カプリッチオ 白日朝日 @halciondaze

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