第7話『日月と心音』

 日月には迷いがあった。具体的にはねこ子の血を吸うことに関してだ。

 いわゆるSIMPLE人間シリーズとでもいうべき人間らしい人間という種族以外の血を吸ったことは日月自身経験しておらず、突然、わたしの耳からもさっとした耳やらしっぽが生えようものなら、ただでさえ暗い部屋で過ごしているのに目深にパーカーをかぶってエミネムみたいな雰囲気を醸さなければならない。


 時代は変わってしまったのだ。


 エミネムもジャケでそこまでフード深くかぶらなければリンキンのチェスターもいない世界で、九日月がエミネムみたいな白人ラッパー感を醸しても仕方がないのだ。


 時代はもはやEDM(やや遅い)、東京オリンピックが近づいて来ていることもあり、江戸ミュージックが流行るものだと日月は信じている。

 どうも日月は種族柄長く生きているせいか、流行というものに飛び抜けて疎い。

 知識だけいくらかあるのが厄介なもので、エミネムが別にネコミミ生えているからパーカーをかぶっているわけじゃないことはよく知らない。


 朝はねこ子から教えてもらったVampire Weekendを聴くと調子が良く。昼下がりにかけてはMy Bloody Valentineなんかも身体に合っている気がする。夜はbloodthirsty butchersを聴いているとなんか身体に効く気がする。どちらにせよ部屋は真っ暗なのだけれど、こうも長く生きていると太陽の向きの変化で時間の変化は分かるものだ。


 九日月は黒いゴスロリ服ばかりを着る。最初はあまりに血色の悪い肌を周りに見咎められたくなかったためだが、今では完全にただの趣味である。

 ちょいと特殊なオタク街でも歩いていれば、この手の雰囲気の人間など気に留まらないほどたくさんいる。

 暗い部屋にて暮らしているが、一応、日月は裁縫を趣味としている。明かりのない部屋でせっせとミシンを動かしながら、黒いゴスロリ服を制作するさまは現代の魔女みたいな勢いがある。


「ねこ子ちゃんにお手製の服着せたいなあ」野望が口を突く。

 昨晩、ねこ子とお風呂に入りたがったのも実はそれが理由だったりする


 なんにせよこの手の嗜好をブランドとする服の値段は街にまで出て買うととても高価であり、周平からもらうお小遣いなんかはねこ子と遊ぶときにでも使いたいという気持ちがある。

 ねこ子ちゃんの笑顔はプライスレスであり、ねこ子ちゃんがむくれた顔なんかを見るのはもっとプライスレスだ。嫌がるねこ子ちゃんに着せてこそ我が野望は成立する。


「しかし、心音さんにネコミミが生えていないのはなぜだろう」

「それはね、猫宮一族の持つふしぎな恋の病のゆえなのです」

 びびった。

 いきなり闇のなかから心音さんが現れて、謎の説明を始めた。


「日月ちゃんと呼ぶべきか日月さんと呼ぶべきかはさておき、猫宮一族の二次性徴にはなぜか猫耳と尻尾が生えてしまうようにできています」


「でもまあ、今までわたしそういう種族のひと見たことないよ」

「まあ、男子も女子も局部に毛が生えたりするじゃない、アレの派手なもんと思ってくれれば」


「そういうもんなんですかね」

「さあどうでしょうね、先祖代々適当なのようちの一族」

 心音さんがいうと積極力あるな。


「あのですな……」

 おずおずと日月は話を切り出した。

「ねこ子の血を吸った、と?」


「はい」日月は素直に答える。


「直ちに健康に影響を及ぼす数値ではありません」

 結構ギリギリな感じのする返答がきたのだが、さすがにツッコむ余力はなかった。


「猫耳が急に生えたりはしないってことですかね」

「たぶんね。その辺の若者ならいざ知らず、日月ちゃんの場合だと特にむずかしいと思います」

 いざ知っといてほしいのだけれど、どうも心音さん家の家系はヤバい。


「まあたぶん、遠からぬうちに分かる日が来ますから」

「そういうもんなんですかね」


「わたしの場合はね」二度めの同じ質問ははっきりとした返答だった。

「あとたぶんですね、猫耳と尻尾が映える服は今のうちにつくっておいたほうが良いよ」


「もとよりそのつもりですぞい」気合いを入れるポーズで日月は答える。

「あと、猫宮一族黒似合わないから、型紙切ったら白の生地でつくってあげておいて。ねこ子の体型あたりはわたしがリサーチしといてあげますからゆえ」


 黒生地を使えないことにはがっくり来たが、ねこ子ちゃんのカラダのヒミツが分かるかと思うとにやけの止まらない日月であった。


「輸血パックとか吸います!?」

 テンション上がりすぎて変な物質を渡そうとしてしまった。


「……じゃなくて、トマトジュースとか要ります?」

「要らないから、日月ちゃんも今日は早く寝ちゃってくださいな」

 夜になると時間間隔はなくなりやすいが、時計はすでにテッペンを超えていた。


「あの、心音さん。こんな時間まで付き合わせてごめんなさい」


「気にしないでいいんですよ。あの子がちょっかいかけるほど仲良くなったのって、きっとあなたが初めてだから」

 その言葉は、なぜか日月の心を銀製の釘で貫いたように感じられた。


「じゃあね、日月ちゃん。おやすみなさい」

「おやすみなさい、心音さん」

 そう告げると日月は棺桶のなかに入り、くぅくぅ寝息をかきはじめる。


 こいつも大概おかしなやつだよな、と強心臓の猫宮心音でもさすがに思った。

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