第17話 眠らない街ミナミ(最終回)
そこに座って手を上げていたのは、世界的ハードロックバンド・
***
「名前はなんていうの?」
ヒサは、エリック・マーティンに自分の名前を聞かれている状況が飲み込めない。
ソフィーがオーストラリアに帰るときに、ヒサはMr.BIGの『To Be With You』を渡した。その『To Be With You』を歌う本人に今、名前を聞かれているのだ。しかも、ソフィーと出会ったこの始まりの場所で。
ヒサが驚きのあまり言葉に窮していると、RIKIが代わりに答えた。
「俺の友達、ヒサだよ」
「そうかい、ヒサっていうんだ。よろしくね」
エリックはハイタッチをするように勢いよくヒサと握手を交わした。その瞬間にも、店の外にいる大勢の女性から黄色い悲鳴が上がっている。
「おいエリック、すげーファンの数だな。なんで居場所バレたの?」
RIKIは椅子を引きながら聞いた。
「ボクにも分からないよ。ホテルもバレてたな。まあノープロブレムさ。それよりも守ってくれるお店の人たちにとても感謝してるんだ」
ロックスターは慣れたものだ。
ヒサはこの日RIKIに会う予定だったので、朝から気合いを入れて髪をセットしていた。服だって、言うまでもなく勝負服だ。お気に入りのアクセサリーも、どれ一つとしてつけ忘れていない。長髪のRIKI、長髪のエリック、そして朝から入念に決め込んだ長髪のヒサ、3人の長髪が並び、ハードロックカフェで談笑している様子を見れば、誰だって想像することは同じだろう。そう、そこに3人のロックスターがいる。万雷のシャッターが切られ、光が飛び散る。急な展開に高揚感が高まる中でヒサは思い出した。
この感じ、初めてじゃない。
ヒサは、内心は心臓がバクバクだったが、一人のギタリストとしての自覚を強く持って、エリックと対等に会話した。ビビってどうする、だ。ヒサがテレビで見る限り、エリック・マーティンはクールな印象があったが、予想に反して気さくな人柄だった。よく喋る。とにかく喋る。音楽の話からスケベな話まで、エリックは散弾銃のように喋り続けた。
止まないフラッシュが眩しい中での食事を終え、3人はサウスタワーホテルに戻った。ヒサはホテルの中に入っているバー『フォーシーズンズ』で行われるMr.BIG関係者の打ち上げに参加する流れになった。
「えー。Mr.BIGの来日公演成功を祝して、えー、はい乾杯」
乾杯、と皆が続く。
日本人とアメリカ人が入り混じった打ち上げが始まった。
「いつもボクらの来日をコーディネートしてくれてRIKIには感謝してるよ」
エリックが口元についたビールの泡を拭いながら言う。
「え、コーディネートってどういうことですか」
ヒサは身を乗り出した。
「日本の音楽業界とはなかなか接点が無いからね。だからRIKIに頼ってるのさ」
この時代、アメリカのビッグバンドと日本の音楽業界に接点は少なかった。そこでバンド本人達と濃い人脈を持つRIKIが来日公演のパイプ役となったのだ。
ヒサが抱いていた疑問がひとつクリアになった。RIKIはビッグバンドのコーディネーターという次のステージへ進んだのだ。音楽から離れたわけじゃない。
「そんな大したことしてないけどねー」
RIKIはそう言うが、後の2002年に行われたFIFAワールドカップオフィシャルコンサートで、エアロスミスとB'zのコラボレーションライブを実現させることになるのは、他でもないRIKIだ。
日米のハードロックの架け橋となった男は、煙草の煙で輪っかを作って、はしゃいでいる。
「Mr.BIGの関係者でもないのに参加させてもらって、なんていうか、ありがとうございます」
半ば申し訳ない気持ちで、ヒサはお礼を言った。
「ウェルカムだよ。RIKIの友達だろう。ほらあれ見てみなよ」
エリックは店の奥のテーブルを指さした。そこにはMr.BIGのベーシストであるビリー・シーン(*1)がソファーに腰掛けており、右にも左にも日本人の美女をはべらせて豪遊している。あまりにあからさまなロックスターの姿を見てヒサは吹き出した。
「ヒサ、あの子達が”関係者”に見えるかい?」
エリックの惚れ惚れするような人間的魅力にヒサは言葉が出ない。
***
宴が終わっても夜はまだ続く。ヒサ、RIKI、エリックの3人で再びミナミの街に繰りだすことになった。
ホテルの正面玄関を出ると、夜空に浮かぶ満月がやけに眩しい。
エリックは夜中まで粘っていた出待ちのファン2人から手紙を受け取り、握手やハグなどで対応していた。
その様子に感心しながら、RIKIがヒサに聞く。
「どこかいい場所、ヒサ知らないか?」
さすがのRIKIも大阪には詳しくないようだ。
「うーん、サム&デイブっていうナオミさん行きつけのクラブとかどうですか」
RIKIとヒサはタクシー乗り場に向かって歩く。
「お、いいねー。そこにしようか」
タクシー乗り場にはすぐに着いた。
「エリックもクラブでいいだろ?」
小走りで2人に追いついたエリックにRIKIが大きめの声で聞いた。
「ボクはどこでもいいよ」
少し息の切れたエリックは答える。タクシーを待つ間、気分がハイになってきたようで、メロディを口ずさみ始めた。やがて鼻唄では我慢が利かなくなったのか、身体を動かしての熱唱に変わった。ロックスターの生歌が贅沢に流れる。
もうタクシーが来なくたっていい。
ヒサはこの時そう思った。
結果的には、サム&デイブは完全にチョイスミスとなった。これまでにヒサがガールネーションやデイビッドと行ったのはいつも週末で、店内は活気に溢れていたが、この日は平日だったために、人が極端に少なかった。つまらなかったのだろう、エリックが先に帰ったことに気づいて、RIKIとヒサも店を出た。二人がタクシーでホテルへ帰る最中、ヒサは御堂筋沿いのラーメン屋の前を一人で歩くエリックを発見した。
「ちょっとRIKIさん、ほら、そこ。一人で歩かせて大丈夫なんですか?」
ヒサはエリックを指差す。
「お、ほんとだ。エリックじゃん。一人で歩きたいんじゃない?来日中は自由も少ないだろうしねー。今は、うん、夜中の2時か。もう顔バレしても大丈夫だろ。あ、運転手さん大丈夫です。行ってください」
会話の行方に迷ってスピードを落としていたタクシーが加速し始めた。
「今日はありがとうございました。ハリウッドでお世話になったお礼もロクにできてないのに」
「なんで今日がもう終わったみたいな言い方なんだよ」
「え?」
「ナオミだよ。忘れたの?たぶん今頃ホテルで待ってるんじゃねーか?」
「あ。すっかり忘れてました。それってまずくないですか?」
「ナオミのやつ、カンカンに怒ってるだろうな。これは俺たちタダじゃ済まねえぞ。覚悟しとけよ、ヒサ」
ハリウッドで見た夢の続きは、まだ終わらない。
______________
(*1)ビリー・シーン…超絶技巧で名を馳せたベーシスト。RIKIともバンドを組んでいた。Mr.BIG結成当初、ビリー・シーンの加入により、演奏難度の高いテクニカルな楽曲がハードロックファンの間では期待されていた。が、いざ音源が発表されると、そこで鳴らされていたのは、”To Be With You”を始め、むしろ基本に忠実で骨太なロックだった。その驚きが、さらにMr.BIGの知名度を引き上げた。
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