第12話 シャウト・イン・ハリウッド
目が覚め、仰向けの身体を横に向けると枕元にコースターが置いてある。
信じられないことがあった時、やるもんなんだろ?
ヒサは目を擦ってみる。
昨夜のことは夢ではなかった。
時計の針は午後2時を指している。
ヒサは眠気を覚まそうと、シャワールームに入った。
お湯をひねっているのに、冷水を浴びてしまう。
昨夜は興奮が冷めやらず、夜中になっても、もう眠れそうにないと諦めたヒサは日本に電話をかけた。
そう、ナオミにだ。
***
「どういうことなんですか。ナオミさんがRIKIさんと知り合いだってことも、RIKIさんがナオミさんのお店の常連だってことも、何も教えてくれなかったじゃないですか。ミヤコさんと店に行ったら、急にRIKIさんがやって来て、ほんと大変だったんですよ。心の準備もなく、あんな。気絶寸前だったんですから」
「そっち朝の4時じゃないの?」
「時間はどうでもいいです。何でRIKIさんのこと黙ってたんですか」
ロサンゼルス時間で午前4時、日本時間では午後8時だ。ナオミに大声で不満を浴びせつつも、夜の仕事をしているナオミが電話に出てくれたことが、実は嬉しい。この時間、普段ならナオミは北新地の店にいるはずだった。ダメ元で電話したヒサだったが、ナオミは偶然にも今日はオフらしい。
「ちょっとなに怒ってんの。RIKIさんに会いたくなかったみたいな言い方じゃん」
ナオミはわざとヒサを焚きつける。
「会いたくない?このオレが?会いたくないわけないでしょ。絶対会いたいに決まってるでしょうがぁぁぁあああ」
深夜4時、サンセット通りにボーカルばりのシャウトがこだました。
「あはは。いっかい寝た方がいいね。睡眠大事。あ、そうだ。そんなことより、部屋見つかった?」
電波が調子が安定しないのか、ナオミの声が少し遠くなった。
「そんなことってなんですか?部屋はまだ探してないですけど」
話題は簡単に逸れた。
「そろそろちゃんと住む部屋見つけないとダメじゃん。いくらモーテルが安いって言っても、いつまでも宿暮らしじゃ、お金もたないよ」
「それは、たしかに。毎日7千円くらい消えていってるんで」
「それ以上に値段落としたら日本人は危ないしね」
「6千円のモーテルもあったんですけど、ぎりぎりアウトでした」
アメリカは安全を金で買う国だと言われる。
6千円以下のモーテルは衛生的にも我慢できるものではなかったし、それらが立ち並ぶ通りは、見るからに危険な香りがする男達がたむろしていた。アメリカは銃社会だ。治安が悪い地域はシリアスに命が危険に晒される。実際に、ヒサは安全なサンセット通りに泊まっていたが、それでも一度だけ、夜中に遠くの方から銃声を聞いたことがある。連続で鳴った2発の銃声に身震いし、眠れなかった。(*1)
「うーん。まだ探し始めてもないってことは、そこを出るまでけっこう時間かかるよ?何やってたの」
「いや、えっと、ちょっと観光とかしちゃったりして」
「もう、順番が逆。観光はいつでもできるでしょう」
「浮かれてました。反省してます」
「ヒサちゃん勢いあるのはいいけど、そういうとこ心配だよ。余計なものとか買ったりしてないでしょうね?」
「当たり前じゃないですか。宿代のこともあるし、無駄使いとか一切してませんよ。こっち来て買ったのって、イケてるハリウッド・Tシャツ1枚だけですもん」
「それじゃん」
「え?」
3秒間の
「まあ、いいや。とにかく部屋を急いで探すこと。わかった?」
「はい、さっそく明日から探します」
「見つかるまでの間は、スラッシュの家に泊まればいいよ」
「ん?スラッシュってナオミさんの元彼ですよね?」
「そう、あいつはダメ男だし、頼りがいゼロだけど、彼のお父さんが一緒に住んでるからヒサちゃんの面倒見てくれるよ」
「気持ちは嬉しいんですけど。それって、さすがに迷惑じゃないですか?」
「全然。私が日本に帰ったせいでお父さん寂しがってるし、むしろちょうどいいよ」
「ナオミさんのその自信はどこからやってくるんですか 」
「だって昨日お父さんと話したし」
「えー、マジですか?」
ナオミはすでにヒサが住む場所まで手を回していた。
「マジです。住む部屋見つかるまでの間は泊まっていいんだって。荷物まとめて今すぐ引越しちゃいなさい」
ミヤコの一件といい、宿の心配といい、ヒサはナオミへの感謝の気持ちで溺れそうだ。
「本当にいいんですか?見たこともない男いきなり泊めちゃっても」
「うん、いいんだって。20代の日本人なんてガキと見分けつかないって、お父さん言ってたよ」
「……。とにかく、しばらくの間泊めてもらえるなら、ぜひお願いしたいです」
「こういうのホームステイって言うらしいね。あ、しまった」
おでこをパチンと叩く音が聞こえた。
「なんですか?いま大事なこと思い出しましたよね?場合によっては、ホームステイの話流れるかもしれないくらいの感じでしたよね?」
「うん、1個だけね。たぶん大丈夫だとは思うんだけど、ヒサちゃんに聞いてなかったことがあって」
「はい、なんでしょう」
「犬は平気?」
***
温度が安定しないシャワーなんて朝から浴びるんじゃなかった。毎朝している後悔を、今朝も変わらず後悔し、ヒサはシャワールームを出た。服を着て、食パンを飲み込むと、住所の書かれたメモ書きを持ってスラッシュの家へと向かった。
この日、ヒサは、スラッシュとスラッシュの父、そして犬のタバサに挨拶を済ませ、翌日モーテルから引越した。
__________________
(*1)…アメリカ滞在中、後にも先にも銃声を聞いたのは、この時が最初で最後。「今にして思えば、あれはアメリカの洗礼だったのかもしれない」とヒサは語る。
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