第11話 ダイブ・イン・ハリウッド
アツシの隣に立っていたのは、ロックスターRIKI、正真正銘の本物だった。
***
「せっかく二人ともギタリスト同士なんだし、隣で飲みなよ」
言葉を無くしたヒサは、アツシによって
「じゃ、あたし仕事戻るわ」
ミヤコも気を
華やかな衣装に身をつつんだ夜の女はラウンジで待つお客の元へ飛んでいった。
「若いのにやるね。ミヤコを口説き落とすなんて大したもんだよー」
「いや、そんなんじゃないです」
「またまたー。オレはさ、分かってんだから。で、一緒に住んでるの?」
「ホントなんです。人から頼まれごとされて、それで会っただけで、全然そんなんじゃないです」
ミヤコどうこうの話よりも、本物のRIKIを目の前にしている状況そのものに恐縮するヒサだが、RIKIは追及の手を緩めない。
「へえ、頼まれごとねえ。なんなの?その頼まれごとって」
「そりゃあれですよ。あれ?あ、そうそう。まだよく分かってなくて」
「おいおい。何だよそれ。誰に頼まれたのさ?」
「大阪で知り合ったナオミさんっていう人なんですけど」
「RIKIさんね、ナオミちゃんのこと知ってるよ」
せっせとお酒を作りながらも、会話の流れを敏感に追っていたアツシは、絶妙なタイミングでRIKIにビールを渡す。
「常連だからね。RIKIさんがこの店に来てくれたのって、もしかしたらナオミちゃんよりも先じゃなかったですか?」
「たしかにそうかもねー。オレの方が長いかもねー」
RIKIは19歳で単身アメリカにやって来て、もう9年が経っている。ヒサはRIKIのほんの些細な言葉にも壮大なドラマを感じずにはいられなかった。そんなこととは、ゆめ思わずRIKIは続ける。
「ナオミからの頼まれごとかー。ないね」
「いえ、本当なんですけど……」
「そうじゃなくてさ」
RIKIはナッツを口に放り込むと、続けた。
「頼み事なんて実は無いんじゃないの?」
「さすがRIKIさん、正解です」
すかさず合いの手を入れるアツシは、さながら司会者のようだ。
「君のことが心配だから、ミヤコに様子を見てほしかったんだよ。だよね?アツシの兄貴」
アツシは目を閉じてウンウン頷きながら、静かに手を叩いている。
そしてヒサの記憶はこのあたりまでが限界で、そこから先は何の話をしていたのか、はっきりと覚えていない。
RIKIはずっとアメリカで活動していたため、日本でライブをすることは滅多に無かった。5年前に凱旋来日したことがあったが、その頃、時代はまだ1987年で、その頃のヒサに東京は遠すぎた。そうであるから、ヒサが本人を目の当たりにするのはこれが初めてだったのだ。
これは夢か現実か。
凄まじい緊張感の中、自然な会話をすることだけで必死だったのだろう。ヒサは、RIKIに憧れてハリウッドに来たということすら伝えられなかった。
次に記憶があるのは、RIKIがカウンター席を立つときだ。
「今度の日曜にパーティーがあるんだけどさ、よかったらおいでよ」
RIKIはコースターを裏返し、そこに名前と電話番号を書くと、将棋の駒を指すような手つきで、ヒサの手元に差し出した。
「じゃあね」
RIKIは席を立ち、ラウンジのテーブルへと移動した。
「ヒサちゃん、すげーじゃん。あんなRIKIさん初めて見たよ」
両手で握り締めたグラスを見つめ、僅かも動かなくなったヒサにアツシがそっと声をかけた。
「え?」
「普段、自分から連絡先教える人じゃないよ、RIKIさんは」
「あ、そうですか」
今はもう、何も頭に入らない。
ラウンジを振り返ると、ミヤコがお客さんにお酌をしていた。
お礼を言えていないが、仕事中に声をかけるのは迷惑な気がする。
ヒサはこっそり店を出ることにした。
その時、ふと違和感に気づいて、もう一度ラウンジの方を振り返った。
ミヤコは饒舌のペラペラだった。
そりゃそうか。
ヒサは店を出た。
***
ペラペラだった。
時刻は真夜中の3時。ヒサはベッドの上に仰向けに寝転び、ペラペラになった一枚の紙切れを眺めていた。RIKIから貰ったコースターだ。丸い厚紙は、ヒサがたえず握り締めていたせいで、すっかりよれてしまった。
しんとしたモーテルの部屋では、チクタクと秒針の刻む音が、やけに目立つ。そして、それよりもやや早いテンポでドクドクと命の音がビートを刻む。心臓は嘘をつけない。少しでも気持ちを整えようと、ヒサは起き上がって、冷蔵庫からエッグノッグ(*1)を取り出し、紙パックに口をつけた。この一連の動作のあいだも、大切なコースターは
”RIKI”
「知っっっっとるわー」
ヒサはベッドにダイブした。
________________
(*1)エッグノッグ…プリンを液体にしたような飲み物。アメリカのスーパーでは牛乳売り場で売られている。
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