第7話 北新地の女
「9月にアメリカに行くのか。再来月じゃねーか。随分と急な話だな」
デイビッドは口に含んだ氷を噛み砕きながら言った。
「一年前から決めてたんだけどね」
ヒサも真似して氷を食べてみる。わるくはない。
「でもあれだな。たったひとりでギターだけ背負ってハードロックの本場に勝負かけるってんだろ?かっこいいな」
デイビッドは手元のお酒を飲むのも忘れるほどに、ヒサの渡米話に聞き入っていた。
「何か見つかると思ってるんだ」
ヒサは両手でロックグラスを握り締め、その中に船のように浮かんだ二つの氷を見て言う。
「ああ、ぜってえ見つかると思うぜ。ぜってえな」
あまりに真剣な眼差しのデイビッドと目が合って、ヒサは笑いを堪える。
「っちぇ、テキーラ、ちょっと強えな」
お酒を濁したデイビッドは、心の中で言い添えた。
「だってお前、本気で見つけようとしてるじゃねーか」
ヒサは自分の熱い思いを誰かに聞いてもらうのは久しぶりだった。家や大学では、渡米は単なる甘い考えだと見なされた。もちろん、家族や付き合いの長い友達はヒサのことを真剣に考えるからこそ、厳しいことを言ったり、慎重なアドバイスをするのだろう。それは、ヒサも理解していた。彼ら彼女らに比べれば、知り合ったばかりのデイビッドなど気楽なことを言えて当たり前かもしれない。それでも、デイビッドは実際にここにいる。自分の国を飛び出して今ここにいる。行動しない大衆の言葉より、自ら行動する少数派の言葉を信じたい。
ヒサはデイビッドとこの日二度目の乾杯をした。
アルコールが進み、酔いも加速する。話題は音楽や将来のことだけでなく、恋愛にも及んだ。ガールネーションとの出会い、そしてまだ心に残っているソフィーへの思い、男としてあと一歩が足りなかった後悔。ヒサはそれらをデイビッドに浴びせた。会ったばかりの外国人に全てを吐き出すうち、いろんな感情が混ざり合い、酒の味を変える。
「そうだったのか。アメリカとオーストラリアじゃ、たしかに距離が距離だな。気安く付き合おうなんて言えないよな」
デイビッドはただ軽い男じゃない。ヒサの話を真剣に聞いていた。
「あら、デイビッドが男といるなんて珍しいじゃない」
大人っぽい口振りや、様になったゴージャスなドレス姿から見て20代後半とおぼしき女が、デイビッドに気づき、近寄ってきた。隣にもう一人、別の女性を連れている。近づいてくると、その2人があまりに美人なことに気がつき、ヒサは一瞬固まった。
「おお、ナオミ。髪切った?ファッキン可愛くなってんじゃん」
「切ってない!デイビッドそれ先週も言ってたよ」
デイビッドはただ軽い男かもしれない。
「ったくよーナオミはファッキン素直じゃねーな。まーそういうところが魅力なんだけどな」
「はいはい。それより誰よ、そこの可愛い子。紹介しなさいよ」
「お、おう」
デイビッドはヒサの肩に手を置いた。
「こいつはヒサ。ファッキンいいやつなんだが、好きな女に好きとも言えねえイン・マイ・ハート野郎だ」
デイビッドはただ軽い男に違いない。
「イン・マイ・ハートって、歌詞みたい」
デイビッドのジョークにナオミの友達が笑う。
「お、ユミコ分かってる。大阪に来てから笑いのセンス上がってんじゃん」
「もう、私のこと、すぐ田舎者みたいに言うのやめてよ」
「よく笑うこの子がユミコ。長崎から働きに出てきたんだ。見かけによらずファッキン強い女だぜ」
ユミコはヒサの方を向いてぺこりとお辞儀する。
右耳にぶら下がった白い三日月がゆらゆらと揺れた。
「え?あ、ああ。何の仕事してるの?」
ヒサは慌てて視線を戻し、尋ねる。
「新地でホステスしてます、ユミコです」
「あたしと同じお店で働いてるの。ユミコは一番若いし、けっこう人気あるよ。良かったらヒサちゃん貰ってやってくんないかな?」
「ちょっと何言ってるんですか」
ユミコが前髪を少し触って、ナオミの肩をたたいた。
「あはは」
そう笑って返すヒサは、内心まんざらでもない。
新地のホステス。どうりで美人なわけだ。加えて、単に容姿端麗というだけでなく、経験や蓄積が色気となって滲み出ているように見えるのは、夜の仕事のせいだろうか。こんな女性と付き合えるとは。ヒサは財前五郎の凄さを肌で実感した。
「で、このイカしたネーチャンがナオミだ。背は小さいが、そこがまたファッキン魅力なんだな。ナオミはモテるぜ。特にロックスターにはファッキンモテる。や、嘘じゃねえって。えーと、エアロスミスだろ、イングヴェイ・マルムスティーンだろ、それからボンジョ……うぐぐ」
ナオミのグーが、デイビッドの腹に入った。
「次ベラベラ喋ったらぶん殴るよ」
「もう殴ってるじゃねーか。いいじゃんかよ。世界をまたにかけたナオミの伝説、ヒサにも聞かせてやろうぜ。ヒサは来月から一人でアメリカに乗り込むくれえファッキン熱いギタリストだぜ」
「え?なに、ヒサちゃん音楽やってるの?ていうかアメリカ行くの?どこ行くの?」
ナオミが矢継ぎ早に尋ねる。
「ハリウッド(*1)です。ハードロックが好きだから、向こうでギター弾くなら今しか無いなって」
「ほんとに?あたし、こないだまでハリウッドに住んでたよ」
______________
(*1)ハリウッド…アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市にある街。ハードロックの都。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます