第4話 ミニチュア・オブ・ドラマ

ロレックスは近くの椅子を持ってきて、どういうつもりなのか、誕生日会に割り込んだ。


「邪魔してごめんね。この子達、日本語は分かるの?」


意外にも彼女たちには目もくれずヒサに話しかけた。口調も声色も、とても落ち着いたものだった。


「いや日本語は全然分からないですけど」


ヒサは少しあっけにとられながら答える。


「そっか、良かった。ほら、珍しい組み合わせのグループだったから。ちょっと見てたんだけど。あ、ごめんね急に。これ君の誕生日会でしょ?でも、なんかちょっと大変そうだなーと思って。よかったら、俺もお仲間に入れてよ」


ロレックスはヒサが思っていたよりもずっと友好的だった。


ヒサは張り詰めていた緊張の糸が切れた。というより、緊張の糸が張り詰めていたことに気づいた。男らしく堂々と振る舞うことは、男にとって難しい。


「なんかありがとうございます。気遣ってくれたみたいで。からかってるのかなって思ってました。えーと。自分、ヒサっていいます。あ、ケーキ食べますか?」


ロレックスが仲間に加わった。


「そうだね。もらっちゃおうかな。ほら、俺なんて毎日が誕生日みたいなもんだからね」


「......。意味がよく分からないんですけど」


「あはは。よし、君たちブロンドベイベーも仕切りなおしでいくぞ」


お喋りも達者なロレックスがジンジャーエールを片手に盛り上げる。意外にもお酒は飲めないらしい。たったひとりでハードロックカフェと洒落込んでいたというのに、ロレックスは謎に満ちた男だ。が、そんな彼のおかげでヒサも肩の荷が降りた。


気づけば、ヒサたちは二軒目のお店、サム&デイブ1号店に向かって歩き始めていた。ガールネーションは、これまでも何度かヒサをサム&デイブ(*1)に連れて行ったが、1号店はいつも行くサム&デイブとは違ってクラブではなく、カウンターが一つあるだけの落ち着いたバーだった。


千鳥足のヒサを見て、隣を歩くソフィーがおどけた調子で言った。


「ヒサ、酔っ払ってるー」


「あ?全然酔ってねーし」


言ったそばから、ヒサは目の前に落ちていた空き缶を踏み、転びそうになる。


「もう、危ないよ。ヒサ何も見えてないんじゃない?」


ソフィーはヒサの腕を掴み、身体を支える。


「そんなことないない。マジでばっちり見えてるよ」


自分一人で歩けるよ、とでも言うようにソフィーの手を放しながらも、ヒサは視点がおぼつかない様子だった。


ソフィーは何気なさを装って呟いた。


「私のことも見えてないでしょ」


酔っ払ったヒサは、空を見上げて、大声で叫んだ。


”I can see even the moon!"(いや、月ですら見えてるから)


ヒサの冗談にソフィーが笑う。


他のメンバーは誰も笑わなかった。彼女が言った言葉の本当の意味を、ヒサは今も知らないままだ。


ふらふらで歩いているヒサに今度はロレックスが肩を貸した。


「おいヒサ、俺たち野郎は車で行くぞ」


ハードロックカフェからサム&デイブ1号店はそれほど遠くはないが、真っ直ぐ歩くこともままならないヒサは、ロレックスの車に乗せられた。突然酔いが覚めるように、ハッと気づく。車はフェラーリだった。この男は一体何者なのか。フェラーリに乗ったことなどもちろんなく、ヒサは身の回りの設備をキョロキョロと見回す。それを見たロレックスは、ヒサを楽しませようと、ミナミの街を軽くドライブした。ヒサは初めて乗るフェラーリに満ち足りた気分だ。ロレックスは何も言わずに、雑踏の街をただ颯爽と走り抜ける。会話は一切なかった。ヒサも何も喋らなかった。何も考えなかった。冬のひんやりと冷たい夜風が、お酒で熱くなった身体には心地よかった。


「オッサンからの誕生日プレゼントはこんなもんで勘弁してくれよな」


ふと思い出したように、そう言って照れるロレックス。名前も知らない男の懐の深さに、ヒサは心で泣いた。一生に一度くらい、嘘みたいな誕生日があってもいい。


幾何学模様のビルディング。眠らない人々。夜を舞う蝶と鴉。カラフルな光の看板。節操無く並べられたアルファベット。

ミナミの夜のネオン輝く万華鏡の中を、フェラーリは疾走する。

ヒサは冷たい夜風の中にほんのりと生暖かい空気が含まれていることに気づいた。


もうすぐ冬が終わるらしい。


***


その頃、ガールネーションの5人は退屈していた。男衆が車で行くと言うから、当然彼らが先に着いているものだと思っていたのが、むしろ待たされるはめになった。店の前で、立ち話をして時間を潰す。

レディをこれだけ待たすなんて日本人男は野暮なもんだわ。


彼女たちが煙草を一本吸い終えた頃、人ごみを切り裂いて、勢いよくフェラーリが登場した。この頃の高級外車のインパクトは今の比ではない。ひっかけ橋(*2)のすぐ近く、ミナミで最も人通りの多いこの場所に登場したフェラーリは、人々の目を惹いた。バブルの残り香が漂うこの時代、真っ赤なスポーツカーと言えば、中から派手な成金オヤジが降りてきそうなものだが、ロレックスとヒサは、どちらもその例に当てはまらない。カチッとしたスーツに身をつつんだ大人の男と、生意気にも二十歳そこそこでサングラスをかけたギタリスト。さながら大物ミュージシャンとお付きのマネージャーのような二人が真っ赤な車体から降りると、ガールネーションのメンバーはその劇的な登場シーンに爆笑し、カメラを取り出してシャッターをパシャパシャと切り始めた。その様子を見た通行人が、にわかにざわつき始める。


外国人ブロンドのレディ5人がフェラーリから降りてきた若いギタリストにカメラを向け、フラッシュを焚き続けている様子を見れば、誰だって思うことは同じだ。次から次へと見物人が集まる。


「いやいや俺はロックスターじゃないから」


ヒサはそう言って笑うが、その笑顔は通行人の好奇心をくすぐるだけだ。野次馬が集まり、あたり一帯は軽い交通パニックが発生している。


「さ、どいてどいて!はい、触らない!触らない!」


ロレックスがいかにも業界人のような顔をして、ヒサを店内へと誘導する。ロレックスは完全に浮かれていた。


「ねぇ、ヒサ、まだ外に貴方のファンがいるわよ」


ソフィーが冗談混じりに言う。


「今夜限りだけどね」


ヒサも気分はわるくない。むしろいい。コーラで酔いそうだ。


***


嘘みたいな一夜から二週間が経ち、ガールネーションは帰国した。


「これ録音したテープなんだけど」


「何が入ってるの?」


「色々入ってる。おれの好きな曲、テキトーに入れといたから。向こうで聴いてよ」


「あ、曲目も書いてくれたのね。あら?この1曲目のバンド、変わった名前ね。Mr.BIGだって」


「”To Be With You”(*3)すげーいい曲だよ」


曲のメッセージとは裏腹に、ナンパで始まった恋は月並みな友達づきあいで終わった。



____________________

(*1)サム&デイブ…ミナミのクラブ。

(*2)ひっかけ橋…道頓堀・戎橋のこと。現在でもミナミで最も人通りの多い場所。

(*3)『To Be With You』…アメリカのハードロックバンド・Mr.BIGの楽曲。ヒサの誕生日会からちょうど1週間後の1992年2月29日、全米「Billboard Hot100」チャートで1位を記録したバラード。全英でも2位を記録。90年代前半を代表するヒット曲だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る