第2話 ガールは内緒?

彼女はにっこり笑って手を振り返すと、すぐに向き直り、グループの会話に戻った。


2人は揃って顔を見合わせる。


「おい、今の見たかよ」


ヒサはタカシを肘で小突く。もう一度小突く。


「先輩。すげーウケてましたよ。今のは脈アリで間違いないでしょ」


タカシもヒサを小突き返した。いつもの調子を取り戻したようだ。


ヒサとタカシの奮闘に触発されたのか、さっきまで軽くあしらわれて一度は諦めた男たちが、またしても彼女たちにちょっかいを出し始めた。タカシは、すかさず様子を伺う。

日本のサムライたちはあの手この手でブロンドガールズの関心を惹こうと必死だ。英語が伝わらないなら、全身を使ったジェスチャー。渾身の鉄板ギャグがスベったなら、迅速な選手交代。あからさまに無視されようとも、決して怯まない鉄のハート。なかなかの猛者だ。彼らこそ日の丸を背負うにふさわしい。強いモチベーション、折れないメンタル、そして日本人としてのプライドを兼ね備えている。絶対に負けられない戦いがここにはある。素直なタカシは彼らに共感した。


「先輩、俺も負けてらんねーす」


「いいぞ、タカシ。その意気だ」


その時、先ほどの彼女の隣の女が席を立ち、ヒサとタカシの方へ歩いてくる。おそらく二人の後ろにあるトイレへ行こうとしているのだろう。


「来るぞ。タカシ」


「はい、今に男ってものを魅せてやりますよ。ここは俺に任せてください」


タカシは強気だ。目には自信が漲っている。が、ブロンドの女は、そんなタカシの視線には目もくれず、まるでファッションショーのモデルのように腰を揺らして歩いてくる。


「よし行け、タカシ」


「」


「タカシ、どうした?」


「」


「タカシ?」


彼女は二人の脇を通り過ぎ、トイレに入った。そして、すぐに出てくると、再び二人の横を通り過ぎカウンター席へと戻った。


「タカシ、お前まさか」


そのまさかだった。タカシのチキンハートが炸裂していた。頬がみるみる紅潮する。タカシの火照りきった顔は、いまや髪の毛のピンクよりも赤い。


「先輩、俺情けないっす」


タカシの惨敗に、ヒサが動揺を隠せない中、今度は先ほど手を振り返してくれた彼女がトイレに行こうと席を立った。

タカシの初戦と同じように、2人の方へ歩いてくる。コツコツと挑発的な音を鳴らす8cmのピンヒールが、ヒサのハートをチクチクと刺激する。タカシが怖気づいた理由が今のヒサには分かる。これは緊張というよりも、得体の知れない恐怖に近い。足音は次第に大きくなり、距離がみるみる縮まる。ヒサの喉元を一滴の汗が伝う。隣ではタカシがシュンと首を垂れている。ここで行かなかったらタカシの悔しさはどうなる?自分を信じろ。ビビったら負けだ。ヒサは一発目から口説き文句を飛ばした。


”You are outstanding!” (キミはきわ立ってるぜ!)


これが効いた。


「おもしろいわね。あら?」


ヒサの椅子に立てかけられたギターケースに女の視線が向いた。


「あなた達もしかしてバンドやってる?私達もバンドやってるの。よかったら一緒に飲まないかしら?」


一瞬、足を止めた彼女はさらりとそう返すと、またスタスタと歩き出し、トイレに消えた。


ヒサはタカシを肘で小突く。もう一度小突く。まだ小突く。小突き倒した。


彼女がヒサとタカシを見てバンドマンだと気づいたのは、二人とも奇抜なファッションでギターを持っていたからだろう。そして、ヒサが英語を話せることも功を奏した。ギタリストとしてアメリカに行って勝負することを決めていたヒサは、使えない学校英語を捨て、この一年間、生活に役立つ日常的な英会話を猛特訓していたのだ。ちなみにマクドナルドでの深夜バイトもアメリカ行きの軍資金を貯めるためのものだ。


トイレから出てきた彼女の名前はソフィーという。二人はソフィーに連れられてブロンド女5人のグループに加わった。タカシはさっきまでのチキンハートはどこへやら、「この子たちと飲むのは俺たちだ、どけどけ」と言わんばかりのドヤ顔で周りの男連中を追い払った。


5人はオーストラリアから来たガールズバンドだった。いくつかのショーにバンド出演で呼ばれて、しばらくの間、日本に滞在しているらしい。26歳のソフィー、クローイー、21歳のルビー、24歳のエマ、20歳のシャーロット。エマとシャーロットは姉妹だった。ヒサに負けじと、タカシも身振り手振りを混じえて懸命にコミュニケーションを図る。国が違えど、言葉が違えど、なんとかなるものだ。


「バンド名は何ていうの?」


「ガール、ナイショ!ガール、ナイショ!」


「あー内緒ね。ははは。珍しい日本語知ってるんだな。シークレットだろ?英語では」


「女の子なんてどこの国も一緒っすよ。『番号だって簡単には教えないんだから』ってそんな感じっしょ。ははは」


2人はもう何でも楽しかった。後になって、彼女たちのバンド名が”Girl Nation”だと知る。オーストラリア人が話す英語は”a”の発音が独特で、「エ」と言うべき箇所を「ア」と発音しがちだ。例えば、”today”=「トゥデイ」のことを「トゥダイ」と言うように。オーストラリア人の彼女達は、ガールネイションと発音すべきところをガールナイションと発音していたのだ。国が違い、言葉が違えば、なんともならない。


ヒサとタカシは、電話番号を書いたコースターを渡して、店を出ると、隣にあるマクドナルドへ急いだ。遅刻の言い訳を考えながら。


***


その週末の土曜日、午後2時。アメリカ人から電話が来たと慌てふためく母親にハッとして、ヒサが電話を代わった。電話の相手はもちろんアメリカ人ではない。オーストラリア人からだった。

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