第1話 ブロンドの女


「ハードロックカフェそこに来るらしいよ」 


その知らせに店内が湧いた。


1992年、バブル崩壊。

これは夢が見られなくなった時代に夢を見た、名も無きロックスターの物語である。


***


「げ、きったねえ。飲みものはこっちに捨てろって書いてあんじゃん」


タカシは、『燃えるゴミ・紙類』と書かれた大きな外付けのケースからゴミ袋を引っ張りだすと、腰まで伸びた髪がその袋の中に入らぬよう気をつかいながら、飲み残しのメロンソーダが溢れ出ている紙カップを取り出した。


「よし、こっちは後テーブル3つ。タカシ、ペース上げてさっさと片付けるぞ」


先輩ヒサが、モチベーションの低いタカシを鼓舞するように声をかけた。


ここは深夜のミナミのマクドナルドだ。この頃、24時間営業しているマクドナルドの店舗はまだ少なく、夜の10時頃に閉まる店が多かった。2人は毎晩、営業終了後の店内で清掃作業をこなす。朝が来るまでの間に、店内を掃除する深夜メンテナンスのアルバイトだ。


「あ、そうだ。タカシ、Cats In Bootsキャッツ・イン・ブーツ(*1)のCD持ってきたか?」


「やっちゃいました。明日、絶対持ってきますよ」


「テープ(*2)に録音したらすぐ返せって言ったろ?買ったおれが全然聴けないじゃん。それに、明日のシフトはおれ休みだし」


最後のテーブルを入念に磨きながら、ヒサはぼやいた。


「申し訳っす。じゃあ明日持ってきたら事務室のテーブルに置いときます」


「頼むぞ。おれまだ全然聴けてないんだからな。よし、休憩」


待ちに待った至福の時間が訪れる。


バイトの休憩時間といえば、今だったら携帯電話でソーシャルゲームでもして時間を潰すのだろうが、この頃はもちろん携帯電話など無い。お互いギタリスト同士のヒサとタカシは休憩時間には決まって一緒にエレキギターを弾いていた。と言っても、もちろん生音なまおと(*3)である。深夜の無人の室内は静かで、2人が隣に並んで近づけば、エレキギターの生音でも何とかセッションが可能だった。


バイト仲間は音楽仲間でもある。他のバイト仲間もヒサとタカシのようにバンドマンが多かった。深夜のバイトは服装の規則がゆるいために、バンドマンが集まりがちだ。彼らは髪が長いのはもちろん、ファッションも派手だ。ロッカーは皆、奇抜な外見を保つために、バイト選びにおいては服装の自由度を最重要項目にあげる。ハードロックをしているバンドマンは特にそうだ。ヒサも肩まで伸ばした長い髪を揺らし、ギターを弾く度に体中に隈なくつけたアクセサリーがジャラジャラと音を立てていた。タカシに至っては髪が長いだけでなく、色をピンクに染めていた。


バンドマンだらけで、ほぼライブハウスと化したマクドナルドのすぐ隣に、ハードロックカフェ大阪がオープンする。そんなビッグニュースが飛びこんできたのは、ヒサ21歳の冬のことだった。


ハードロックカフェ大阪は、1992年1月、東京店に次ぐ国内第2号店としてミナミにオープンした。これまでテレビ画面でしか見られなかった憧れの世界が、すぐそこにやってくる。大阪球場(*4)の入り口を挟み、マクドナルドのほぼ隣と言っていい距離にやってくる。


オープンした翌日、さっそくヒサとタカシはシフト勤務前にハードロックカフェに立ち寄った。


***


2人が店内に入ると、そこには異国の雰囲気が漂っていた。至るところに置かれたテレビ画面にはアメリカのハードロックバンド・SKID ROWのプロモーションビデオが映し出されていて、彼らの音楽が、こちらも至るところに設置されたスピーカーから大音量で流れている。ヒサとタカシは初めてライブを見に来たかのような興奮を覚える。ここはヒサとタカシが求めていた理想の世界だ。MTV(*5)で見た通りの世界。バンドマンにとっての、まさにドリームレストランだった。


「すいませーん」


優等生のように真っ直ぐ手を上げたタカシと目が合い、店員が注文を取りに来る。


「はい、何になさいますか」


堅いマニュアル敬語がまだ似合っていない女性店員を相手に、タカシは少し大人ぶった口調で注文をした。


「アマレットディサローノひとつで」


普段よりも気合いの入った注文をするタカシを見て、ヒサも負けじと、大好きなビールを諦め、長いカタカナを探す。


「じゃあ俺はサンデルマンルビーポートで」


注文を復唱し確認を済ませると、店員は店の奥へ消えた。


「おい、タカシ。お前今カッコつけただろ?」


「いや、そんなことないっすよ。全然いつもあんな感じですよ」


「嘘つけ。じゃあ何だよ。アマレットなんとかって」


「それは、あれじゃないですか。ほら、えっと......。先輩こそ何すか。いつも普通のビールしか飲んでないでしょ。シャンデリアビールなんて洒落たの頼んじゃって」


「ばーか。サンデルマンルビーポートだよ。そういうイカしたカクテルがあんだよ。もう大人なら酒くらい知っとけ」


店員がヒサに持ってきたのはワインボトルとワイングラスだった。


「センパイ?」


「うっせー。似たようなもんだろ」


初めてのハードロックカフェに2人が胸躍らせるのも束の間、バーカウンターに外国人ブロンドの女性グループが腰掛けていることに気づき、思わず目を奪われる。


「ブロンドのネーチャンが5人並ぶと、さすがに迫力ありますね。あの子たち洋楽のPVに出てきそうじゃないですか?」


タカシがそう言い、ヒサを肘で小突く。


「おい、見てみろ。他の男に言い寄られてるぞ」


「PVでよくあるワンシーンみたいっすね」


「よーし、こうなったら俺たちも手ぶらでは帰らねえぞ、タカシ」


ヒサも初めてのハードロックカフェで舞い上がっていた。


「まじすか?先輩かっけーす。俺ついて行くっす」


タカシは調子がいい。


「おう、アメリカのチャンネー口説くくらい楽勝だよ。俺に任せとけって」


威勢はいいが、ヒサはナンパなんて一度も経験がない。それどころか、周りに群がる浮ついたジャパニーズのメンズをシッシと軽くあしらう高飛車な彼女たちの様子を見て、根拠の無い自信はすぐに消し飛んだ。


「先輩。さすがにあれは無理じゃないですか……。ほら、あんな男前がちょっかい出してるのに、全然ウケてないですもん」


ミナミの路地裏のライブハウスで、息もつかせぬギターソロで女の子達を魅了し、ヘッドバンキングで頭をブンブン振らせてきたヘビーメタル・タカシが、明らかにチキンハートを見せ始めた。


「ま、そろそろ俺たちもシフトの時間だしな、うん」


全身をアクセサリーでゴリゴリに武装したはずのハードロック・ヒサが、チキンハートを隠しきれない。


その時、ブロンドの5人グループのうちの一人が何気なくこちらを振り向いた。女はどうしてこうも男の視線に気づくのだろう。ヒサは慌てて笑顔を作り、軽く手を振ってみる。男・ヒサ、精一杯のアタックだった。


____________________

(*1)Cats In Boots…1987年に聖飢魔IIを脱退したギタリスト・大橋隆志が渡米後にアメリカ人と結成したバンド。1989年に世界デビュー。

(*2)カセットテープ…1992年当時、借りたCDやラジオで流れる音楽をカセットテープに録音して聴くのが主流だった。

(*3)生音…アンプに接続せず、本体だけで鳴らされる非常に小さな音を生音という。

(*4)大阪球場…大阪スタジアムのこと。プロ野球の南海ホークスの本拠地でもあった。1998年に解体。現在は存在しない。

(*5)MTV…人気音楽番組。当時、洋楽のPVを数多く放送していた。

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