第二章 スターダストロックの秘密


   1


「いいな。いいなぁ、葵さん。あたしもスターダストロックに行きたかったのに」

 朝食後、器財とともに桟橋からボートに乗り込んだ葵を見て、翔子はいった。

 翔子は午後からのフライトで日本に帰るため、きょうのダイビングは無理だ。もう少しすれば、別のボートで空港のある島に向かう。航たちがダイビングを終えて帰ってくるころにはもういないはず。

「じゃあ、元気でね、翔子ちゃん」

「うん、葵さんもね。日本に帰ったらメールしてね。約束だよ」

「うん。きょうどんなものが見れたかちゃんと報告するわ」

「きっと、きっとだよ」

 いつも元気いっぱいだった翔子の顔も、すこしだけ悲しそうだ。

「じゃあ、葵さん、出すよ」

 ジジが舵を握りながらいう。

 きょうはこのボートは航とジジ、葵の三人だけだ。きょうもドリフトダイビングになるため、ジジが船に残り、航がマンツーマンで葵をガイドすることになる。

 天気は快晴。風もほとんどない。きっと最高の海を葵に見せてやれるだろう。

 船が発進した。桟橋では翔子、それに武田夫妻が見送りに立っている。

「ジジぃ~っ、また来るからねぇ」

「待ってるよ、翔子」

 操舵室の窓からジジが顔を出し、叫んだ。

「それから……航さ~ん。手紙書くからねぇ」

 翔子が恥ずかしそうに叫んだ。なんだかんだいって、生きるか死ぬかというときに突然現れて危機を救った航は、思春期の少女にとって王子様に昇格したのかもしれない。

 航は葵とともに手を振り返した。

 ボートのスピードは上がり、翔子の姿は見る見る小さくなっていく。それでも最後まで手を振り続けているのがわかった。

 葵もいつもの子供のように嬉しそうな顔ではなく、少し悲しげだ。短い間とはいえ、翔子とは姉妹のように仲良くしていたから別れがつらいのだろうか?

 とはいうものの、ボートが沖まで出ても、葵の笑顔は戻らない。あれだけ『スターダストロック』に潜りたいといっていた葵にしては、不自然な気がする。今までも仲良くなったダイバーが先に帰ることはあったが、けっこうけろっとしていたのに。

「葵さん、ひょっとして緊張してる?」

「え? ま、まさかぁ」

 もう、なにをいってるの、航くんは? といわんばかりに、こわばった顔で笑った。

 あまりダイビングが上手くない客が、上級者向けポイントに入る前は、緊張することも珍しくはない。しかし葵は、レベル的にはほぼ同じくらいの難易度の『ワイルドアクアリウム』に入る前も緊張なんてしていなかったし、そもそもはじめや航たちに『スターダストロック』と執拗にリクエストを続けたのは葵だ。今さら怖がっているとは思えない。

「なにか特別な思い入れがあるんですか? スターダストロックに」

「そんなものはないわよ」

 葵はごまかすように曖昧にほほ笑んだ。

 いや、ある。間違いなく、スターダストロックにはなにかがある。きっと葵はそのためにこの島に来たんだ。

 それはもはや確信に近かった。

 謎の『海の中の魔法使い』は、スターダストロックでなにかを探そうとしている。

 航はもう無理に話しかけず、潮風を浴びながら、しばらくの間スターダストロックになにがあるのか考えてみた。もっとも名探偵のような推理など浮かぶはずもない。

「そろそろ着くよ」

 操舵室からジジの声が響いた。

 この辺はまさしく外洋のど真ん中。近くには島も、海面から顔を出している根もない。このポイントを見つけたはじめには感心せざるを得ない。

 ジジはボートの速度を落とすと、遠くに見える島ふたつを使って山だてしだした。ようは遠くに見える景色の重なる点を探し、その延長線上でポイントを探す。線をふたつ決めれば交差する点がポイントというわけだ。

 たいした苦労もせずにボートをぴたりと止めた。真下には水深五メートルほどのサンゴの浅瀬がある。エンジンを止めると、波らしい波は立たず、一面に広がる珊瑚礁が上からはっきりとわかった。

「着いたよ」

 ジジはぶっきらぼうにいった。

 本来ならここで詳細なブリーフィングをするところだが、客は葵ひとりで、このポイントのことはすでに何度も説明済みだ。最低限のことだけいっておけばいい。

「スターダストロックはあっちの方にあります。この真下じゃありません。あそこの真上に着けるのは難しいんです」

 航は海面を指さす。スターダストロックの先端は海面下十メートルほどにあり、先端が鉛筆のように尖っているためアンカリングしづらいし、流れがあるときは真上に着けるのは事実上無理だ。

「エントリーしたら、ボートの真下で僕と合流します。それからスターダストロックに向かいますが、そのとき底はどん深なのできちんと中性浮力を取るように。そうしないとどこまでも落っこちてしまいます」

 葵は緊張した面持ちで頷いた。

「水深は最大で三十五メートルまで。それより下に行かないように。きりがないですから」

 ここの水底はどれくらいの深さにあるのか航も知らない。一説では二百メートルともいわれている。そんなところからまるでバベルの塔のようにスターダストロックは海面に向かって伸びている。

「浮上するときはこっちの根には戻ってきません。適当なところで上がって、ジジにボートでひろってもらいます。なにか質問は?」

 葵は首を横に振った。

「じゃあ、ウエットスーツに着替えて」

 葵は首に掛けていたロケットを真剣な顔でぎゅっと握りしめると、小物入れに入れた。眼鏡を外し、Tシャツを脱ぐと、ウエットスーツに足を通していく。

 一足先に準備ができた航が先に船尾から飛び込もうとしたとき、葵はバッグから大型の水中ライトを取り出した。

「葵さん、穴には入らないよ」

 水中ライトは夜潜るときや、洞窟ケーブ沈船レックの中に入るときは必需品とはいえ、それ以外ではさほど使わない。岩の影の魚を見たりするときはあった方が便利だが、そういう場合は携帯用の小型ライトで充分だ。

「いいの。持っていきたいの」

 そういいつつ、葵はBCを背負い、ライトを手にした。

 なにか気になったが、止める必要もない。航は「下で待ってます」といい残すと、レギュレーターを咥え、海面に飛び込んだ。


   2


 上から見ていても透明度がいいのはわかっていたが、いざ中に入ってみると、あまりの抜けの良さに驚く。

 一面に広がるリュウキュウキッカサンゴの群集。このサンゴはいくつもの花びらが折り重なったような形状をしており、色がうすいグリーンであることから、まるでキャベツ畑のように見える。そんな中でときおりエダサンゴが、俺こそがサンゴだといわんばかりにとげとげを強調している感じがした。

 暴力的なまでに強い日差しが、その鮮やかな色合いを浮かび上がらせていく。さらに波が静かなせいか、海面の波紋がゆらゆらと影になってサンゴの肌に映り込む。

 サンゴの側で乱舞する赤や黄色、オレンジ、ブルーなどの小魚たちがじつに楽しそうだ。

 少し遅れて、葵が航の側までやってきた。もう少し、この浅場で遊んでいたい気もするが、きょうの目的はもっと沖にある。航は葵を誘導し、この棚の端っこまで連れて行った。

 そこはまさに断崖絶壁。華やかなお花畑だったいままでの景観とはがらっと変わり、下を覗き込んでも底は見えない。降り注ぐ強い光も底までは届かない。ただひたすら青い水がしだいに濃紺になり、闇に溶けていく。

 そのまま視線を沖に向けると、広大な海が広がっている。ただし目の前にはかすかに岩陰が見える。

 奈落の底から天をめがけてそびえ立つ岩の塔。その途中に、クリスマスツリーの天辺にある星が、手裏剣のようにぶち込まれたかに見えるシルエット。

 透明度が悪いときはここからは見えないが、きょうははっきりとではないにしろ、すくなくともその輪郭はわかった。

 航は葵を見ると、親指を巨大な塔に向ける。

 葵は頷いた。マスク越しに見えるまなざしには緊張感が漂っている。ただし呼吸はとくに速くない。心ははやっても、体をコントロールできる状態のようだ。ほんとうに不安を抱えると、呼吸が走り終えたあとのランナーのように速くなってしまうのだ。

 航は沖に向かってフィンを一蹴りした。

 そこはもう楽園の上じゃない。天国から別の世界に旅立つような気さえする。

 振り返ると、葵も一歩踏み出した。

 ふたりで空を飛んでいる。

 いや、そもそもダイバーというものは、底の見えないところで中性浮力を取りながら泳いでいると、浮遊感というものを味わうが、根から根に移るときにはそれこそほんとうに空を飛んでいるように感じるものだ。特にこのポイントではそれが強い。移動距離がけっこうあるせいだろう。ボートをあの根のすぐ上に着けない本当の理由は、この飛行感覚を味わって欲しいからだ。

 幸いにして流れもなく、ゆったりと中空を移動していくと、心が解放されていく。

 耳に軽い痛みが走った。知らない間に、深度を落としていたらしい。

 航は鼻をつまみ、中耳に息を送り込み、圧迫された鼓膜を元に戻す。耳抜きってやつだ。

 ついでにBCにエアを少しだけ送り込んだ。深度が大きくなると、BCの内部の空気やウエットスーツ素材の気泡が圧で縮み、浮力が落ちるため、深場に行くほどBCにエアを入れる必要がある。

 葵もきちんと浮力調整しているようだ。もう初心者じゃない。墜落しそうになって、じたばたともがくような無様な真似はしない。

 エントリー地点のサンゴの根から、三十メートルも来ただろうか? かすかに輪郭を晒していただけのスターダストロックは、その全貌を表しつつあった。

 鉛筆のような形の岩の表面にはびっしりとサンゴが張り付いている。ハードコーラルだけでなく、イソバナやウミトサカといったソフトコーラルも所狭しと咲き乱れている。その周辺をまるで霧か霞のように覆う、数々の小型の熱帯魚たち。そして下の方からは、三角形の大きな岩が三つでっぱり、ややいびつながら岩に打ち込まれた星を形取っている。

 自然と泳ぐスピードも速くなる。

 だがそれは葵の方が顕著だった。航を抜き去り、先に根に到達した。

 そのまま下に向かおうとする。航は追った。なにか尋常でないものを感じ取ったからだ。

 今、水深二十五メートル。岩が星形に出っ張っているところはさらに深い三十五メートルだ。どうやら葵はそこに向かっている。

 葵はそこにたどり着くとようやく落ち着いたらしい。星形の岩に張り付いたサンゴをじっと見つめている。

 その周辺にも、色とりどりの魚たちが舞っていたが、今の葵にはそれすら目に入っていないようだ。ただひたすらにサンゴのすぐ上を舐めるように這っている。

 いったいなんだっていうんだ?

 航は当然のようにそう思った。葵がこのポイントに取り憑かれていたのは知っているが、今の葵はただこの星のように出っ張った岩の固まりだけに興味がいっている。ここにはじめてきたダイバーたちは、たいていはサンゴの美しさや、根付いている魚の美しさに感動し、あるいは浮遊感を楽しみながら塔のまわりを回ったり、訪れる回遊魚たちに目を奪われたりするものだ。

 残念ながら今は、大物も回遊魚の群れもやってきてはいない。潮が止まっているときはだいたいこんなものだ。とはいうものの、見るべきものは他にいくらでもあるだろう。

 葵は持ってきた水中ライトでサンゴの隙間を照らし出した。まるでなにか穴でも探しているかのように。

 しばらくするとなにを思ったのか、葵は星形の岩のさらに下に回り込もうとした。

 航は葵の手を取って止めた。

 この岩はけっこう厚く、この下に回り込もうとすると、水深四十メートルを超える。ファンダイビングで行く深度ではない。

 大深度潜水ディープダイビングにはさまざまなリスクがつきまとう。

 正確にいうと、まわりの圧力の大きさに比例して危険が増す。

 まずエア消費だ。これはまさに外圧に比例して消費量が大きくなる。水中では十メートルにつき一気圧増え、それに大気圧が別に一気圧加わるから、水深十メートルでは二気圧。四十メートルでは五気圧だ。単純に考えても、水深四十メートルでは十メートルのときよりも二倍半の速さでエアを消費していく。

 さらに外圧に比例して、体内に溶ける窒素の量が増える。これが問題だ。

 溶けすぎると浮上する際に排出が間に合わなくなるのだ。つまり血液や細胞内で窒素が溶けきることができず気泡化する。いわゆる減圧症だ。重症の場合は死に至る潜水障害で、これを防ぐためには、深いところに長時間潜らないことが重要だ。

 また、高濃度の窒素を吸った場合、窒素酔いといって酒に酔ったような状態になることがある。これは個人差もあるが、四十メートルを超えると、正常な判断力をなくす可能性が出てくる。窒素酔い自体は浅場に戻れば自然と解消されるものでたいした障害ではないが、深い海の中で判断ミスをしたり意識を失ったりすれば命取りだ。そういう意味では減圧症以上に危険といえる。

 もちろん、こんなことはダイビングの講習で習うことだから、葵だって百も承知のはず。

 いつもダイビング中はわがままをいわず、子供のように楽しんでいた葵がきょうは違う。

『離して』

 葵は航の心に怒鳴りつけ、手をふりほどくと、全力で星形の岩の下に回り込んでいく。

 なにを考えてるんだ?

 航は怒りを感じつつ、葵を追う。放っておけば今の葵はなにをしでかすかわからない。

 岩の下に回り込むと、葵は中層に浮かびながらライトで岩を下から照らしていた。

『葵さん、戻ろう』

 航は強く念じた。言葉にできなくても、水の中なら葵が読み取ってくれるはず。

 葵はなにも答えずに、ライトで照らされた箇所を見ている。

 航もついそこに目をやってしまったが、なにか違和感を覚えた。

 なんというか、岩の質感ではない。むしろのっぺりした感じがする。

 航とて、この岩の下に潜り込んだのは初めてだ。航だけでなく、この辺のガイド連中の誰も入り込んだことなんてないだろう。深すぎる。ゲージで水深を確認すると、四十三メートルだ。

 葵はライトを垂直の岩肌の方に向ける。

 さらに下の水深五十メートル近くに穴が開いていた。直径三メートルほどの、人が入れそうな穴が。

 こんなところにケーブがあるなんて航は知らなかった。いや、おそらく誰も知らないだろう。上からだとスターダストロックの陰になって見えないのだから。

 葵はそこに向かってダッシュする。

『葵さん?』

 今度こそ、本気で止めなくては。

 おそらく葵は窒素酔いで判断力をなくしているに違いない。

 だが捕まえようとした航の手をすり抜け、葵はその穴の中に飛び込んでいった。


   3


 まずい。

 航は本気で心配し、葵を追った。

 穴に入る予定はなかったから、葵のように大型のライトは準備していない。BCのポケットから携帯用のサブライトを取り出すと、スイッチを入れる。

 そのまま穴の中に入り込むが、葵の姿が見えない。キンメモドキの大群が雲のように蠢いている。こいつはメダカのような魚だが、金色の体をしていて、これだけの数が集まると、ライトを当てたところだけがまさに金の雲海のようだった。普段なら美しさに感動するところだが、今は葵を追うために邪魔な存在でしかない。

 ちらりとゲージを見た。残圧百二十。エアはまだ半分以上残っている。問題は水深だ。五十メートル。はっきりいってここまで深く潜ったことはない。

 視界がきゅう~っと、急激に縮まった。見える範囲がまっすぐ前の方向に限定され、横の方は普段見えるものが見えない。さらに前方の景観も、わずかに霞がかかったようだ。

 やばい。完璧な窒素酔いだ。

 航は焦った。とにかくこの深度にはこれ以上いられない。早く葵を連れ戻さなくては。

 キンメモドキの群れを掻き分け、航は奥に進んだ。視界を奪う金色の雲を突き抜けたとき、洞窟は行き止まりだった。しかも葵の姿がない。

『葵さん、どこだ?』

 返事はない。代わりに上の方からライトの明かりが漏れていた。

 ライトを上に向ける。煙突のような細い縦穴があった。上に繋がっているらしい。

 航は人間ひとりがようやく通れそうなトンネルを通り、上に向かう。

 三メートルも上がっただろうか? おかげで窒素酔いの症状が消えかかったころ、航は広いホールに出た。

 なんだここは?

 ひょっとして窒素酔いによる幻覚なのだろうか? そう思えるほどだった。

 直径にして三十メートルもあるだろうか? スターダストロックの中にこんな大空間があるなんて思っても見なかった。完全な暗闇とはいえず、外部に通じる小さな穴がいくつかあるのか、木漏れ日のような幾筋かの光線が降り注いでいる。たいした光量ではないが、その神秘的な光が空間に横たわるなにかをほのかに浮かび上がらせている。

 いったいなんだよ、これは?

 すくなくともそれは岩ではない。わずかな光によって浮き出たその輪郭は、ごつごつしたものではなく、シャープともいえるような緩やかな曲線だった。人工物を連想させる形といい直してもいい。

 その全貌はよくわからないが、どう考えても航が入った小さな穴から入るべき大きさのものではない。

 葵はまるでその正体不明の物体を調べるかのようにその近辺に浮かびながらライトを当てている。

 それによって、その物体の質感が、さらに鮮明に見える。

 その焦げ茶色の物体は、なだらかな表面をしていた。やはり自然のものとは思えない。

 そんな馬鹿な。どうしてそんなものがこんなところにある?

 航はその物体に近づいた。携帯用の小型ライトを当て、手で触れてみた。

 薄いグローブ越しにざらざらした感触が伝わる。

 錆?

 その質感といい、目で見た感じといい、錆びた金属のように思えてならない。

 しかし、もし沈船だとするとこんな場所にあることが理解を超える。

『あああ』

 航の頭の中に、歓喜の声とも悲鳴とも取れる叫びが鳴り響いた。葵だ。

 葵は上部の方にいた。中空で固まったようにライトを一点に照らしながら。

 航は葵のところまで行き、ライトで照らしているものを見た。

 こ、これは?

 そこには信じられないものがあった。

 コックピット?

 そうとしか思えなかった。割れたガラス窓の向こうには、まるで飛行機の操縦席のようなものが見える。椅子、操縦桿、そして壁に付いためまぐるしい計器類。

 これは船ではなく飛行機だ。

 だがそんなことが果たしてあり得るのか? 形からして第二次大戦以前のものとは思えない。もっと近代的なものに違いない。ならば墜落した時点で当然ニュースになるはず。そんな話は聞いたこともない。しかもなぜこんな小さな穴の中に?

 そう考えたとき、航はようやくわかった。

 この飛行機は、墜落し、スターダストロックに突き刺さった。そうとしか思えない。重要な点は、ここに見えるのは先端部分に過ぎないということだ。残りの大部分は外にある。

 つまり、今の今まで岩だと信じていた、あの星形の岩こそが残りの機体であるとしか思えない。

 長い年月を掛け、機体の外部をサンゴが覆い尽くしたのだ。

 いや、待て。それも変じゃないか?

 サンゴが根付くほど時間が経っているならば、この飛行機が落ちたのはそうとう昔のことだ。外から操縦席を覗いた感じでは、かなり近代的なもの、というよりも最新技術を積み込んだもののようにすら見える。

 大きさも微妙だ。戦闘機にしては大きすぎるし、かといって旅客機にしては小さい上、形が妙だ。

 星形に見えたみっつの出っ張り部分は胴体と左右の翼なのだろう。だとするとどう考えても形では旅客機よりも戦闘機に近い。一番近いのはアメリカのステルスかなにかか?

 航はふと我に返った。こんなことを考えている場合ではない。自分はここに葵を連れ戻しに入ったのだ。

 ゲージを見る。水深は四十メートル。残圧八十。水深から考えて、そろそろ戻らないとエアが持たない。深場ではすぐにエアがなくなってしまう。

 葵はというと、なんと破れたコックピットの窓越しに中に入ろうとしていた。

 航は脚を捕まえる。今度こそ離すわけにはいかない。

『離して、航くん』

『だめだ。絶対にだめだ』

 葵はけんめいに脚をばたつかせ、ふりほどこうとしたが、航はそれ以上の力で外に引きずり出した。

『ゲージを見ろ。死にたいのか?』

 葵はいわれて初めてゲージを見るということを考えたようだ。そしてゲージの値がここに長居できないことを示していることを理解したようだ。

『で、でも……、あたしは』

 葵の目は真剣だ。この中に入ることに固執している。

『また来ればいい。それなりの準備をして』

 航とて、この中には非常に興味がある。だがそれには準備が必要だ。タンクも一本じゃ足りない。大型ライトもいるし、ロープも必要かもしれない。それに事前に綿密な計画を立てる必要がある。行き当たりばったりじゃとても無理だ。

『……わかったわ』

 葵の目から必死さが消え、落ち着いた。

『戻ろう。もうあまり余裕がない』

 航は葵の手を取り、入ってきた縦穴に向かう。

 腕に巻いた時計タイプのダイブコンピューターを見る。無減圧潜水かどうかが気になったからだ。

 深場に長時間潜りすぎた場合は、浮上前に減圧といって、浅場で一定時間すごし体内の窒素を抜く必要があるが、減圧が必要かどうかはこいつが判断してくれる。深度がころころ変わっても、そのつどリアルタイムで計算し、減圧が必要かどうか示してくれるのがダイブコンピューターだ。

 ダイブコンピューターは五メートルで三分の減圧を指示していた。

 これから外に出るために、後数メートル下に行かないといけないから、減圧時間はさらに延びるだろう。

 もう一刻の猶予もない。

 航は縦穴をくぐった。狭いトンネルを通り抜け、またキンメモドキの群れの中に飛び込むと、視界がふたたび縮まった。

 少し遅れて降りてきた葵の手を引き、かなり焦り気味で外に飛び出た。

 上には機体の腹が見える。今まで岩だと信じ切っていたが、こうして見ると、岩よりも機体だという方がよほど自然に思える。

 航は浮上スピードが上がりすぎないように注意しながら、深度を上げていった。体内に窒素が溜まっているときに、急浮上すると、急激に圧力が下がるため、それだけ減圧症になるリスクが増える。

 ゆっくりと浅場に向かうにつれ、サンゴで覆われた機体は下の彼方に遠ざかっていく。

 エアはぎりぎり持ちそうだ。

 水面を見上げれば、ジジの操るボートのシルエットが見えた。


   4


「なんだって?」

 ジジとはじめ、みなみはいったいなにをいってるんだという顔をした。

 昼、ショップに戻ったとき、航がスターダストロックの星形の岩は、じつは墜落した飛行機だと主張したときの反応だ。

 そうでなくてもきょうは葵の他に客はいないから、スタッフのほうが客よりも多いという状態で昼食のテーブルを囲んでいたのだから遠慮がない。ジジなどまるっきり馬鹿扱いだ。

「いつの時代の飛行機だっていうんだよ? あの岩はあたしが子供のころからあった。いや、父さんが子供のころにはもうあったって聞いている。そのときには今と同じくらいサンゴが隙間ないくらいに張り付いていたんだ。もしあれが飛行機だったら、それこそ百年も前に墜落してることになる。それなのに最新の設備だ?」

「いや、だって、そうなんだからしょうがないだろう? 俺だって実際見なきゃ信じられなかったとは思うけど」

「俺も信じられんなあ。本当かよ、葵ちゃん」

 はじめは航をうさんくさい顔でにらんだあと、葵に聞く。

「……はい、本当です」

 葵はなぜかはしゃいでいない。いつもの葵ならば、あんなのものを発見したらそれこそ大喜びだろう。それがむしろ悲痛な顔をしている。

 あれを見たあと、エアぎりぎりまで減圧してボートに乗ってから、葵はずっとこんな調子だ。ジジは操船しながら不審げな顔で、航に「つまらなかったのか?」と聞いたくらいだ。

 航は帰ったらみんなに話すといって、ボートの上ではなにもいわなかったが、今にしてみればジジには話しておいた方がよかったかもしれない。あいつならあっという間にタンクを担いで岩の下まで確認にいって帰ってきただろう。

「あはははは。まっ、いいじゃない。本当なら凄いよ。そんなポイントどこにだってない。もう世界中のダイバーが来るね」

 みなみがポジティブに笑う。

「わはははは、そうだな。岩に突き刺さった最新鋭機の中をご案内。しかも、機体のまわりにはサンゴがびっしり。すげえ! ……って、そんなの誰も信じねえなぁ」

 はじめがノリノリの様子だったが、尻すぼみになった。

「ぜんぶ知ってたんだね?」

 ジジがぼそりといった。それが葵に向けての台詞だと気づくのに少し時間がかかった。

「知ってたから、スターダストロックに潜ることにあんなに固執したんだろう?」

「……はい」

 葵は躊躇しつつも、はっきりと肯定した。

「あんた誰? その飛行機ってなに? どこの国のもの? いつ落ちたの?」

「おい、ジジ……」

 はじめが止めようとするが止まらない。

「あんたなにしにこの島に来たの?」

 とても客にいう台詞ではないが、いいたい気持ちもわかる。葵は間違いなくあの飛行機のために来たのだ。それはきょうのダイビング中の態度ではっきりとわかった。

「そうですね。もうぜんぶお話ししなくてはいけないでしょう」

 葵は覚悟を決めたかの顔で語った。

「たしかにあたしはある目的のために、この島にやってきました。それはもちろん、あの海に落ちている飛行機に関係あります」

「なに? 軍事関係なの?」

 ジジが厳しい顔をする。

「違います。あたしは軍人ではありません。それにあの飛行機の国籍は、どこの国のものでもありません」

「どこの国のものでもない?」

 ジジとはじめの声が被った。航も当然疑問に思う。

 じゃあ、あれはいったいなんなんだ?

「正確にいうと、あれは飛行機ではありません。宇宙船です」

 今度こそ皆絶句した。

 たしかにいわれてみれば、あの形といい、コックピットの中身といい、数十年前の飛行機よりも宇宙船の方がイメージとしてはぴったりだ。

 他のスタッフが呆然とする中、航はただひとり納得した。

 つまり、あれは宇宙から落ちてきた。

 あれは星くずの形をした岩スターダストロックなどではなく、宇宙から海に落ちた船スターダストレックだったのだ。

「じゃ、じゃあ、……あんた、宇宙人?」

 ジジがストレートに聞く。

「惑星ルッソから来ました」

 葵があっさりと認め、さらに場は異様な雰囲気になった。

「あはは、あはは。お、面白い冗談ねぇ」

 わざとらしく笑うみなみの顔はこわばっている。

 だがみんなうすうすこの話がただの与太話じゃないことに気づいているはずだ。特に葵の不思議な力を知っているジジは、半分信じているはず。

 そして航に至っては、すでに全面的に信じていた。

「ひょ、ひょっとして、地球人に化けてるの?」

 ジジがきわめて失礼なことを聞く。もっともそれは航にとっても、無視できないことだ。葵の姿がじつは醜い化け物のようだとしたら、ちょっと耐え難いかもしれない。

「いえ。化けてなんていません。なぜならルッソの住人は地球人の末裔なのです」

 全員、呆気にとられたが、葵は真剣だ。

「今から約千年後、地球は大規模核戦争によって死滅し、一部の人類は宇宙に逃れます。生き延びた人々がふたたび安住の地に求めたところが惑星ルッソなのです」

「つまり、ルッソ星人っていうのは、……未来の地球人?」

 航は口をはさむ。

「そうです。だから体のつくりだけでなく、文化などにも共通点があるのです」

「そ、その、惑星ルッソって、どこにあるの?」

「地球から約二千光年ほど離れています」

 葵はなんでもないようにいった。

「二千光年? そんなに離れているところにどうやって地球人たちは……」

「地球滅亡時、ノアの箱船のように宇宙船で地球を脱出した生き残りは、宇宙をさまよい歩いたあげく、時空の落とし穴に落ち、その中を漂流して、結果的に長距離ワープしてしまいました。そして出口付近にたまたま人間が住める星、ルッソがあったのです」

 ワープに関しては、航はSFマニアではないので、詳しくは知らない。だが、ようするに三次元空間をねじ曲げるだか、飛び越えるだかして近道をすることだろう? 今の科学じゃ実現不可能だが、概念くらいは一般にも知られているはず。

 だがそんなことより、まずは事実関係を把握することが大事だ。

「漂流? じゃあ、あの岩に突き刺さった船も……」

「そうです。あの宇宙船ヨンガルラ号も事故に遭い、同じように時空の穴に落ち、漂流したあげく、ここに墜落しました」

「でもどうしてここに落ちたってわかったの?」

「地球に落ちる直前に発信した救助信号を捕らえました」

 航は頭が混乱した。理解困難だ。そもそも葵はそんな昔の事故をなぜ追っているのか?

「これを見てください」

 葵は航たちの混乱を感じ取ったのか、首からロケットを外し、中の写真を見せる。

 葵よりも少し年上と思われる精悍な顔をした男の写真があった。見た目は日本人ぽい。

「ギリアム大尉。あたしの恋人で、ヨンガルラのパイロットだった人です」

 航は葵が恋人といいきったことに少なからずショックを受けた。ひょっとしたら本気で葵のことが好きになっていたのかもしれない。

「ちょっと待ってよ。よく考えたら時間がぜんぜん合わない。めちゃくちゃだ」

 ジジが反論した。たしかにそうだ。葵の恋人がなぜ百年前に存在したのだ? それ以前にルッソに住んでいるのは未来の地球人だから、ぜんぜんつじつまが合わない。

「彼は事故で三次元空間から飛ばされ、四次元空間を漂流し、空間のみならず時間すらも超越しました。ようやく抜け出たところが今から百年前の地球だったのです。残念ながらその時点でまともに飛ぶことができず、そのまま墜落したんです。墜落直前の救助信号が二千年の時間をかけてようやくルッソに届きました」

 つまりはこういうことか? そのパイロットは事故で二千年の時間と、二千光年の空間を飛び越え、百年前の地球に漂流し、そのままここの海に落ちた。そのさい救助信号を出し、それが二千年かかって、惑星ルッソに届いた?

「わかりやすく大まかな数字で説明しますと、あたしは今から千九百年後の未来から来ました。ルッソと地球の距離は二千光年。あたしと同時代のギリアムは、千九百年後から時空漂流して、この時代の百年前のここに墜落。その直前に救助信号を打ちます。百年前に打たれたことで、その分マイナスになって、ルッソに信号が届くのは千九百年後。つまりわたしたちの時代になるわけです」

「葵さんは、それを受けて、時間をさかのぼり、空間を飛び越えて来たわけ? 二千年と二千光年も」

 航がそういうと、葵はうなずいた。

 一応つじつまは合う。葵は未来のテクノロジーを使って、ワープとタイムトラベルを同時にした。だけど葵はなにしにこの時代にやってきたんだ?

 航はその疑問を口にした。

「葵さん。どうせならどうして百年前に行かなかったの? 今さらここに来たって……」

「そのつもりでした」

 葵は悲しげにいう。

「でもあたしたちの時代でも、タイムトラベルはまだまだ自由自在とはいきません。SFみたいにタイムマシンで時間と空間をセットしたらオッケーというわけじゃないんです。今回、あたしは四次元空間で、ギリアムのたどった軌跡を追いました。時空間トレーサーを使って、同じ入り口から四次元空間に入り、同じ経路を通って同じ出口から出れば、同じ時代の同じ空間に出られるはずでした。でもほんのわずかの狂いで、時間軸が百年ほどずれてしまったようです。ここから百年前に飛ぶことはできないでしょう」

「じゃあ、これからどうするの? もうその人は助けられないわけでしょう?」

「いえ。ギリアムはまだ生きている可能性があります」

「まだ生きているって?」

「人工冬眠です。彼は墜落する寸前、人工冬眠すると無線で連絡を入れたんです。ルッソの科学技術力では数百年の人工冬眠が可能です。上手く不時着させて、ヨンガルラの動力とコンピューターを壊さなければ、わずかとはいえ、可能性はある。そう思っています」

「でも海の中に落ちて……」

 航はそれ以上いえなかった。

「結局、遺体を引き上げることになるだけかも知れませんが、それでも万が一の可能性を考えて、中に入ってみたいんです。お願いです、協力してください」

 葵は真剣なまなざしで訴えた。


   5


「協力だって?」

 はじめは戸惑い顔で聞き返した。

「船の中に入るんです。残念ながらあたしひとりの力では無理なようです。ダイビングに熟練した皆さんの力がどうしても必要です」

 たしかに葵ひとりではどうしようもないだろう。入り口にたどり着くだけでも、そうとうのディープダイビングになる。ましてやその後に、密閉空間の中に入っていくのだ。危険きわまりない。

「なんか、うさんくさい」

 ジジがふてくされたような顔で否定的な意見を出す。

「だって、葵さんのいうとおりだとすると、どうして向こうで訓練してこないの? こっちに来てからダイビングを始めるなんて悠長すぎるよ。それに日本語を日本人なみに話せるのも変すぎる」

 ジジのいうことには一理あった。たんに葵に対する反感だけでいってるわけではないのだろう。

「惑星ルッソには海がありません」

 葵の答えは衝撃的だった。

「海どころか、川も湖もありません。それどころか水は貴重品です。人工的に作り出し、飲み水や、調理など必要最低限のことにしか使えません。体を洗ったり、トイレの排水なども水を使わない方式をとっています。プールで泳ぐなど、ましてやダイビング用の深いプールを使用するなどほとんど不可能なのです。それ以前に海という概念自体がありませんから、ヨンガルラ号が水の中に沈んでいるという発想自体がありませんでした」

 いったいどういう星なんだ?

 航の疑問を察したように葵の説明は続く。

「もちろん、かつては海も存在していました。でも今ではごく一部の秘境に、それこそ大きめの水たまりのようなものがあるだけです。本来ならまともな生物は死滅するべき星で、あたしたちはすぐれた科学力を使って生き延びているに過ぎません」

 もしそうなら、その星にはほとんど緑はないのだろう。野生動物だってほとんどいないのかもしれない。ましてや魚などというものはいるわけがない。

 ならば葵が海や魚を見て子供のようにはしゃぐのも、ある意味当然だったのだ。

 そんな死にかけた星から地球に来て、海の中に潜れば人生観が変わる。

「言葉がしゃべれるのは、あたしが日本人の子孫だからです。もちろん長年の間に多少の変化はしましたが、根本的な変化ではありません。あたしたちのコンピューターには年代別の地球の各種言語がインプットされていますから、ここについたあと、変化した分に関しては補正しました。睡眠学習の進化したようなものを使ったと思ってください」

 ジジは不審げな顔で聞いている。

「じゃあ、こっちのお金を持ってたのは?」

「この島に来る前に、空港の近くで、きんを売りました。ルッソは水が貴重なかわり、金はそこら中に埋まってますから」

「ふ~ん? それにしても葵さんひとりでここに来たの? それも納得できない」

「向かったのはもちろんあたしひとりではありません。ただ、残念ながらたどり着けたのは、あたしひとりなのです」

「それはどういう意味?」

 航は思わず口を挟んだ。

「あたし以外は撃墜されました」

「撃墜?」

 話がどんどんとんでもなくなっていく。ひょっとしてなにかの戦争に巻き込まれようとしているのか?

「ねえ、それってもしかして、地球の危機?」

 みなみが真顔で聞いた。

「それは心配ないと思います。撃墜されたのは四次元空間に入る前。つまり、地球からは二千光年ほど離れたところですから」

「つまり、葵さん、あなただけが、その……ワープに成功したわけ?」

「そうです」

「おかしい。絶対おかしい」

 ジジがわめいた。

「なんでそんな大ごとになるわけ? 葵さん、恋人のパイロットを探しに来ただけなんでしょう? それがなんでわけのわからないやつが撃墜までして阻止しようとするわけ? それにいっしょに来た仲間って何者? やっぱり軍人なの?」

「もちろん彼らの目的はギリアムではなく、ヨンガルラ号に同乗していた人物です」

「いったい誰が、同乗してたっていうの?」

「あたしたちの国の王女エステリーナ。ギリアムの使命は王女を亡命させることでした」

「な、なんか、スターウォーズみたいな話になってきたわね」

 誰しもぽか~んとする中、みなみが遠慮がちにいった。

「でも、SFでもファンタジーでもありません。本当のことです」

 葵は真顔でいう。ジジは突っ込みどころを探そうとしているのか、いらいらした顔つきで爪を噛んだ。

「じゃあ、その王女を捜しに地球に向かったのは当然、軍隊なんでしょう? 葵さんは、軍人じゃないっていったけど……」

 航にはそんな王女のことよりも葵の正体のほうが気になった。未来人であることはわかったが、それ以上のことが知りたかった。

「ギリアムを探すのに志願しました。今、軍は慢性的な人手不足ですし、あたしはロケット工学のエンジニアですから、あっさり許可されました。役に立つと思われたのでしょう」

「相手が誰か知らないけど、どうして葵さんだけ助かったのよ?」

 ジジが攻撃的にいう。

「母船が撃たれて、みな小型艇で脱出したんです。片っ端から撃ち落とされましたが、幸いあたしは無事だっただけです。あたしと同乗した軍のパイロットは襲われたときに負傷して、地球に着陸する前に亡くなりました。あたしは実際に操縦した経験はありませんでしたが、ロケットの構造や動かし方は熟知していますし、ほとんどはコンピューターがやってくれるので、なんとか着陸することができたんです」

 そういう葵の顔は悲しそうだった。

「あたしはギリアムに会うためだけに来ましたが、彼らの遺志を継ぎ、エステリーナ王女を救出したいと思います。万が一にも生きていればの話ですが」

 みなみではないが、まさにスターウォーズ。航は自分たちが宇宙のおとぎ話の世界に巻き込まれているのを実感した。

「で、その敵っていうのはなんなわけ?」

 ジジが半分諦めたような顔でいった。

「惑星ルッソ内の敵国です。これを説明するには、ルッソの歴史を説明しなくてはなりません。長くなりますよ」

「いいわよ。どうせ暇だもん」

 ジジは憎まれ口を叩いた。

「先ほども話したように、ルッソは星としての寿命は尽きかけ、人口も激減しています。優れた科学技術力でなんとか生き延びているだけ。国もつぎつぎに潰れ、統合され、ルッソ内に国はふたつだけになりました。ひとつはあたしたちの国、サバラム王国。もうひとつはセシール社会主義共和国」

「王国の方が古くさいイメージね。王家だけで国民を統治しているみたいな」

 ジジが無遠慮にいう。

「ええ、でも王家がすべてを統治していたわけではありません。大臣などは選挙で国民から選ばれましたし、政治における権限もかなりの部分は選ばれた大臣たちに委託していました。逆にセシールのほうが独裁国家でした。独裁者が平和と平等の名において、国民を統治し、一度手にした権力を選挙によって他の者に譲り渡すことを拒否しました。いわゆる一党独裁政治で、自由競争を廃し、国がすべてのことを決めるシステムです」

「まあ、今の地球でもそうだよな。独裁者は案外社会主義国、共産主義国に多い。そして王制と社会主義は水と油ってわけだ」

 はじめが解説を入れた。

「ええ、やはりふたつの国は昔から仲が悪かったんです。戦争もたびたび起こりましたが、いつも小競り合いで終わってしまいます。死にかけた星で大規模な戦争を起こすことは、人類の滅亡を意味します」

 その星には当然、地球の核以上の兵器があるのだろう。たしかにふたつしか国がない星でそんなものを使えば、まちがいなく人類の歴史は終わる。

「セシールは革命によって、王家を滅ぼし、その後、自分たちの国に組み入れようと画策しました」

「革命って? それは自国民が起こすものじゃないの?」

 ジジが口を挟む。

「ええ。だから工作員を使って、サバラム王国の国民を洗脳し、誘導しようとしたんです。気の長い戦法ですが、セシールはマスコミ、教育界、政界などに工作員を潜入させ、教育や情報操作などを利用し、少しずつ国民を誘導していったのです。『王制とは国民から搾取するシステムであり、社会主義国に生まれ変わるべきだ』と」

「で、その革命は起こったのかよ、葵ちゃん?」

 はじめが聞いた。

「ええ。王家の人間は次々と殺され、国王は生き残ったエステリーナ王女を遠くに逃がそうとヨンガルラに乗せ、宇宙に飛ばしました。友好関係にあった同じ恒星系内の惑星にある国に送り込もうとしたんです。そのときのパイロットがギリアムです。しかしワープしようとしたとき、セシール軍に襲われ、ワープ座標が狂ったと思われます」

「それでその後、王家はどうなったんだい?」

「革命は収まりました。セシールの工作員に扇動されない国民も多かったのです。ただ王家の跡継ぎたちは皆死に、年老いた国王陛下だけが残ったのです。セシールは今がチャンスと軍隊を送り込み、王国に降伏を迫り統治しようとしています」

「つまり、そのエステリーナ王女は、最後の希望なわけ?」

 ジジの口調からはとげとげしさが消えていた。

「そうです。あたしは恥ずかしいことに、ギリアムのことばかり考えていましたが、王女を救うことは国民として当然のことだと思います」

 葵は無言でみんなを見回した。いうことはすべていった。だから後は判断してくれといわんばかりに。

「はじめ兄さん、協力してやろう」

 航が最初に口を開いた。

「だがなあ、国と国との諍いに、第三者が軽々しく関わるもんじゃないぞ」

 はじめは慎重だ。当然かもしれない。

「どちらの国にだってそれなりの正義はある。価値観が合わないから戦争になったりするんだ。葵ちゃんの話を聞いただけで、どちらかに肩入れするのはなあ」

「そんな難しい話じゃないんだ」

 航は叫んだ。

「そのギリアムさんや、王女がまだ生きているのかどうかはわからない。っていうか、たぶん死んでるよ。だけど万が一にも生きていれば、そして俺たちに助ける力があるならば、助けるだろう? その後のことまでは関わる気はないさ。俺たちには荷が重すぎる。だけど、目の前で事故にあった人間を助けるのは、人間として当たり前のことだろう?」

 はじめは顔をしかめ、みなみを見た。

「おまえはどう思う?」

「あたしゃ、航に同意するよ。珍しくまともなことをいったと思う」

「ジジは?」

「……協力しようと思う」

 ツンとした顔のまま返事をした。

「しょうがねえなあ。ということで、葵ちゃん、協力しよう。といっても、いっしょに船の中に入るくらいしかできねえけどな」

「ありがとうございます。それで充分です」

 葵の目に涙が光った。

「だが、それにしたって、詳細がまるでわからないんじゃあな。なにか船の中の様子を書き示したようなものはないのかい?」

「あります」

 葵は自分の鞄をまさぐると、中から大きめの紙数枚を取り出した。

「これがヨンガルラ号の図面です」

 葵がテーブルに広げた図面には、宇宙船の平面図や断面図が描かれていた。


   6


「沢渡さん、タンクとボートだけチャーターすることってできますかな?」

 島にある別のダイビングショップ『GOGOダイバース』の若手オーナー沢渡に、たった今、店に帰ってきた四人組団体のリーダー格の男、田代が聞いた。

 この男たちは一ヶ月ほど前にふらりと店にやってきて、講習を受けたダイバーたちだ。講習終了後も、店に入り浸りファンダイブを続けた。

「ええと、つまりガイドはいらなってことですか?」

「ええ、自分たちのペースでじっくり潜りたいんです」

 田代は銀縁眼鏡を掛けた有能なヤングサラリーマンといった風貌で、仲間も二十代と思われる若者たちだ。

 ちょっと妖艶な感じのするショートカットの美女。筋肉質な大男。少し陰気そうな痩身の男。とりとめのないグループだ。

 もっともみなダイビングは大好きらしく、ここ一ヶ月の間、大いに楽しんでいたようだ。それに技術習得にもかなり積極的な若者たちで、沢渡は好ましく思っていた。

 おととい、沢渡がスターダストロックをガイドしたときも、例の星形の岩を見て大興奮していたようだ。もっとも喜びすぎて岩の下までいこうとしたから思わず連れ戻して行かなくてはならなかったが。

 きょうもスターダストロックをリクエストしたらしいが、同船したダイバーが初心者だったので、他のポイントに行かざるを得なかったと、同行したスタッフに聞いている。案外自分たちでボートをチャーターしたいという希望はその辺に理由があるのかもしれない。

「でも田代さん、タンクはともかく、ボートをチャーターすると、けっこう高く付きますよ。ガイド付きのパック料金の方が安いですし、あした以降なら混んでないから、あなたたちのグループだけでボートを出せますよ」

 田代は眼鏡の奥で楽しげに目を細めた。

「いやぁ、正直にいうと、ガイド任せってかっこ悪いじゃないですか? なんていうか、自分たちの力だけで潜ってみたいんですよ」

 その気持ちは沢渡にもわからないではない。少し上手くなると、ガイドのあとを金魚のフンのようにくっついていくのはつまらなくなる。自分でナビゲーションをし、コースを決めたくなる。彼らもここ一ヶ月、毎日潜っていたわけだから、そういう気持ちになっても不思議はない。

 下手くそなダイバーが粋がっていっているだけなら止めたいところだが、幸か不幸か、彼らの技術はそれなりのもので、無茶さえしなければ事故を起こすこともないだろう。

「わかりました。なんとかしましょう。でも、あまり無茶はしないでくださいよ」

 スターダストロックの岩の下まで行こうとした無謀さが、ちょっとだけ気になった。

「ははは。だいじょうぶです。ここ一ヶ月でこの辺のポイントはあらかた潜って知ってますし、あまり流れの強いところには行きませんよ」

 はっきりいって田代たちは器材一式を購入した上客だ。ガイド料が収入の大部分を占めるリゾートのダイビングショップでは器材の売り上げは利益率が高い。しかも四セットだ。今後もリピーターとして金を落とす可能性は高い。機嫌を損ねるわけにはいかなかった。

「それと沢渡さん、その際ダブルタンクとそれ用のBCってレンタルできますかね?」

「え? ダブルタンク? そんなものどうするんです?」

 ダブルタンクとは、タンクを横にふたつ並べて背負い、両者をジョイントしてレギュレーターに繋いで使う。当然エアは二倍入るが、特別のBCやジョイントがいるし、そもそも重くてファンダイブには向かない。

「いやぁ、ちょっとだけ深場に行ってみたいんですよ。もちろん安全には充分留意します」

 リゾートのダイビングショップにそんなものは普通置いてないが、じつはポイント開発の際、スタッフが深場を探索するのに買ったものがあった。それも偶然にも四つ。

 もう長らく使っていないが、使えないことはないはずだ。

 ただそれを貸し出すのは、少し躊躇してしまう。

 無茶しないなどとはいっているが、それならばダブルタンクなど必要ないからだ。

「お金ははずみますよ。もし、ダブルタンクはレンタルが無理なら買ったっていいんです。値段は言い値で払いますから」

 田代は眼鏡の越しににっこりと笑う。正直いってここ最近、経営が苦しい。

「いいでしょう。ただし万が一、事故を起こした場合、こちらに責任を押しつけないでくださいよ」

「もちろんです。ガイドをわざわざ断ったんですから当然のことです」

「で、いつですか? あした?」

「ええ。とりあえずあした。ひょっとしたらそのまま何日か続けるかも知れません」

「わかりました。なるべく安く上げますよ。操船は現地人でいいですね?」

「ええ、もちろん」

「時間は?」

「できれば朝早くから行きたいですね」

「じゃあ、七時でいいですか? あした、ショップの前の桟橋に待機させますよ」

「よろしくお願いします」

 田代が笑った。

 しかしそれは、「にっこり」というより「にやり」と笑ったようにしか見えなかった。まるで悪党の本性がかいま見えたときのような。

 沢渡は一瞬寒気がしたが、田代はふたたび優しい笑顔になっている。

 ……気のせいだよな?

 沢渡はそう思うことにした。


   7


 葵がテーブルに広げた図面にはヨンガルラの詳細が記されている。

 まず目にはいるのが全体のシルエットだ。戦闘機のように尖った先端、さらに三角形の主翼、その後ろには胴体が伸び、短めの尾翼が左右に伸びている。

「どれくらいの大きさなの、これ?」

 航がまずスケールを確認する。図面に寸法らしきものは入っているが、地球の規準で書かれていないので感覚的にわからない。

「だいたい五十メートルくらいよ」

 葵は頭の中で換算して答えた。そうすると横に広がった翼の先端から先端の距離は三十メートルというところか。

 これらの翼にサンゴが密集して張り付き、スターダストロックになった。

「ふん、なるほどな。こいつが頭から突っ込めば、たしかにスターダストロックの形になるな。寸法的にもあっている」

 はじめもそれを見て、航同様の感想を述べる。

「あのとき、葵さんといっしょに見たのは、ここだね?」

 航はコックピットを指さす。

「そう。そしてたぶん中にはここから入るしかないわ」

 コックピットの後ろにはドアが付いていて、そこから抜けると両サイドに座席が四つずつならんでいる。その間は通路らしく、長さにして五メートルくらいだろうか? そこを通り過ぎると、座席がなくなりラウンジのように若干広くなる。もっともそれでもまだ広いというよりも細長いという方が正しいかもしれない。長さにして十五メートル、幅にして五、六メートルといったところだろう。

「ここはくつろいだり、仮眠を取ったりする場所」

 葵は説明する。たしかによく見れば図面にはベッドのようなものが描き込まれている。たぶん二段ベッドかなにかなんだろう。

 その奥には中央に細い廊下があり、その片側がトイレのようであり、片側には折り返しの階段が付いていた。廊下の奥のドアはエンジンルームに繋がっているようだ。

「人口冬眠室は階段の上よ」

 葵はそういって別の図面を広げる。二階部分の平面図らしい。

 階段は幅十メートル、長さ二十メートルほどの広い部屋に繋がった。その奥に並んで置かれているものが人口冬眠用のカプセルなのだろう。

「だけど葵さん。当然この部屋の中も海水で満たされるんじゃないの。だいじょうぶなの?」

 ジジが葵の最後の希望を打ち砕くかもしれない質問をした。

「ほんの少しだけど浸水していない可能性はあるわ。この部屋は特別なの。何重もの安全設計がなされているのよ。衝撃吸収や気密に関してもトップクラス。というか、この部屋は他の部屋から独立していて、単独で宇宙空間に投げ出されても中の生命を維持できるように作られているの。だからこそ万が一にでも生きている可能性があるの」

 葵は自らもそう信じ込もうとするかのようにいう。

「それに人口冬眠室が海水で満たされても、カプセルの気密性は完璧だからカプセルの中にいる限り呼吸はできるわ。もっとも人口冬眠システムが動いていればだけど……」

「でも、その機械だって海水が進入すれば壊れるよね?」

 ジジがさらに悲観的なことをいう。いや、別に意地悪でいっているわけではないだろう。当然考えなければならないことだ。

「機械は機械でさらに気密性のあるケースで密閉されているから、部屋の中が海水で一杯でも機能は停止しないはずよ。……きっと」

 葵はそういいつつ、自分自身も本気で信じていないかのような顔だった。

 それもやむを得ないだろう。落ちたのが数日前ならばともかく百年前なのだ。浸水し、機械が壊れていないとは考えがたい。

 とはいうものの、根本的な心配は別にある。

 たとえ墜落の衝撃や海水の進入でその機械が壊れなかったとしても、百年も動き続けることはあり得るのだろうか? ジジも同じことに気づいたようだ。

「バッテリーは百年も持つの?」

「地球の基準で考えちゃだめ。動力は後数十年はもつはずなの。あたしたちの星の科学でも永久機関は作れないけど、それにできるだけ近いものは生み出されたのよ」

 葵は自らを信じ込ませるようにいった。

 ジジもそれ以上、否定的なことを口にしなかった。遺体捜索になるのはほぼ間違いないだろうが、それで葵の気が済むのなら仕方がないとでも考えたのだろう。正直いって航もそう思った。

「葵ちゃん、とりあえず説明は終わりかい?」

「はい」

「よし。じゃあ、実際に潜る場合の問題点を整理していくぞ」

 はじめはテーブルの図面の脇に、スターダストロックの海底地図を並べた。

「俺はこのポイントに関しては熟知している」

 そういうと、星形の岩と思われていた機体の部分に水深を描き込んでいく。

 岩の付け根の部分。水深三十五メートル。

 機体は上から下に向かって突っ込んだため、ある意味当然のことだが、星の先端に当たる翼の先はそれより浅いところにあった。機体から見て左側が三十メートル。右側が三十三メートルってところだ。ちょっとだけ右に傾いている。

「航、コックピットの水深は?」

「四十ってとこかな」

「だったらあとはこの両方の図面を見比べれば各部屋の水深がわかるはずだな」

 はじめは電卓と定規片手に、計算した水深を図面に描き込んでいく。

 問題の人口冬眠室は水深約三十メートルと、さほど深くはない。問題はそこに行くまで、水深五十メートルの穴をくぐって行かなくてはならないことだ。

 はじめは水深や移動距離を考慮しているようだ。

「シングルタンクじゃきついだろ、こりゃ?」

 航もこのはじめの意見には賛成だ。中に入ったところですんなり目的の場所に行けるとは限らないし、おそらくエアが持たない。

「かといってダブルタンクはウチにないしな。まあ、ちょっと大きめのタンクが何本かあるからそれを使うにしても、入るエアは二割程度しか増えないわな」

「もう一セット別に持っていって、帰りはそれに代えたら?」

 みなみがいう。

 できればあまりやりたくない方法だ。器材を手でもう一セット持って潜るのは口でいうほど緩くない。タンクセット済みの機材は重いしかさばる。潮の流れがなければなんとかなるが、もし流れていたらきつさが倍増する。

「まあ、それしかねえだろうな。となると、なるべく潮止まりを狙うしかねえか」

 はじめはそういいつつ、潮見表を見た。

「あそこは満潮から干潮に移行するときに流れる傾向にあるんだ」

 そう、そしてときには激流になる。逆に干潮から満潮に移るときは比較的穏やか、あるいはきょうのようにまったく流れない。

「やはり、午前中だな。午後からはかなり流れそうだ。十時くらいのエントリーがベストかな? もっとも相手は自然のことだからいつも計算通りにいくとは限らないけどな」

 そうならないことを願うだけだ。とにかく激流だけは勘弁して欲しい。

「航の話じゃ、機体の先端が突き刺さったところはホール状のケーブになっているらしいから、予備の器材はそこに置くことにするか。それでいいだろう、航?」

「ああ。あそこなら落ちる心配も流される心配もない」

 下手なところに置くと、帰りにあるはずの器材がなく、エアが持たないという悲劇につながりかねない。

「あと、機体の中は当然真っ暗だろうから、ライトがいるな。それも大光量のやつが」

 それは店にあるから問題ない。

「あと問題はドアだな。図面を見る限り、目的地に行くまでには何度かドアを通る。開いてりゃいいが、閉まっていたらさび付いていてまず開かないと思った方がいい。葵ちゃん、どうやって開ける?」

「それはあたしに任せてください。携帯用の特殊レーザーバーナーで焼き切ります。それはあたしが段取りしますから」

「それはもちろん水中で使えるんだよな?」

「だいじょうぶです。宇宙空間を含む、あらゆる環境で使うことを想定されたものですから」

「そんなものがあるんなら、船の装甲を外から焼き切って入った方が簡単じゃないの?」

 ジジがもっともと思える意見を出す。

「残念ながら、船の装甲は特殊合金で、そんな簡易バーナーごときじゃ簡単には開けられないわ。大気圏を高速で飛んでも溶けないように設計されているから」

 ドアとは素材の耐久性が違うらしい。

「ま、そりゃそうだろうな。じゃあ、あとはそうだな……。葵ちゃんの彼氏と王女が生きていた場合、どうやって運ぶ出すかだ」

 それはたしかに難問だった。運び出すためには器材をもうひとつ持っていくしかない。つまり合計ふたつの予備器材を持って入り、一個は入り口に置いておくにしろ、もう一個は中に持ってはいる必要がある。

「ところで人口冬眠している可能性のあるのは、葵ちゃんの彼氏に王女のふたりだけか?」

「いえ、あと副パイロットがひとりいるはずです」

 こっちも三人ではいるとすると、ひとり一個予備機材を中に運び込む必要がある。

「まあ、仕方ないな。大変だがもう一個器材を持って入るしかない」

 航がそういうと、ジジが首を振った。

「相手はダイバーじゃない。泳ぐこともできない。それどころか海というものすら知らないんだぞ。そんな相手を水の中に連れて行くのか?」

 たしかに目覚めたあとすぐに、わけのわからないものを咥えさせられ、この水の中に飛び込んでくれといわれても困るだろう。

「でもやるしかないだろう?」

 他に方法があるのか?

「あたしが水の中から話しかければ落ち着くと思います」

 葵のひとことに、はじめとみなみはぽかんとした顔をする。

「あ、ごめんなさい。あたしたちは長い年月のうちに、水を通じて考えを伝えたり、読み取ったりできるように進化したんです」

「へ、へえぇ、それは便利ねぇ」

 みなみが複雑な顔で笑った。

「なんかすげえが、それって、葵ちゃんたち未来人は全員できることなのか?」

「ええ。ただすごく個人差はあります。鋭い人、鈍い人、いろいろです。ただここに来て初めてわかったんですが、あたしたちはこの力をぜんぜん有効に使っていませんでした」

「というと?」

「ルッソで生活しているときは、水を通して意志を通じるといっても、濡れた手で握り合ったときくらいです。海の中に入ったときにどうなるかなんてわかりませんでした」

「そりゃそうだわな。それで、やっぱりぜんぜん違うのか?」

「ええ。体全体が水の中にはいると、相手の心の声もよく聞こえるし、こっちのいいたいこともはっきりと伝わるみたいです。それどころか、魚にまでいいたいことが伝わる感じ。相手とのシンクロ率が高い人は、ひょっとしたら相手の心を読めるだけでなく、もっと深層意識の深いところに入っていけるかも」

「え、どういうこと?」

 航は思わず聞いた。

「なんていうか、本人すら意識しない意識の奥底まで潜り込むというか……。夢の中に入っていく感じ。ほら、航くん、マンタがあたしのまわりで踊るように泳いだことを覚えているでしょう?」

「もちろん」

 あんなことを忘れたりするもんか。

「あれはそれに近かったの。マンタの心に入り込んだというより、意識を共有したというか、そんな感じ。だからあたしの考えているように動いたのよ。べつにあたしが操ったわけじゃないの。あのとき、あたしたちはひとつだったの」

 まるでほんとうに魔法のようだ。

「それって誰に対してもできるの?」

 自分も葵と同化できるのだろうか? 半分そういう期待も込めての質問だった。

「ううん。試したことはないけど、相手が拒否したら無理だと思う。あくまでもふたりが心を通わせないとね」

 葵はそういって、微笑んだ。

 しかし現実にあのときのマンタを見ていないはじめは、半信半疑のようだ。ちょっと付いていけないといった顔で現実的なことを口にする。

「オッケー。とりあえず、まとめるぞ。あした、まず航、ジジ、葵ちゃんの三人で中に入るんだ。そのさい予備機材をひとり二個抱えてエントリーする。ただしあまり流れが速い場合は延期する。とても無理だ。運良く流れがなかったら、水深五十メートルのケーブから中に入り、予備機材はふたつともケーブの中に置く」

「ちょっと待てよ、はじめ兄さん。三人とも生きているという前提の計画なら、そのうちのひとつは機内に持っていかないとまずいだろう?」

「一回でぜんぶやろうと思うなよ、航。とりあえず中の様子を探るんだ。どうせドアを焼き切ったりして時間を食う。たぶん、一発で助け出すのは無理だ」

 おそらくはじめのいうことは正しい。中の様子もわからないのに、大荷物を抱えて中にはいるのは危険だ。

「必要なら航たちが上がったあと、俺とみなみが交代して作業を続ける。一日で終わらなかったら、あとは次の日に持ち込む。とにかく無理しちゃだめだ。葵ちゃんもそれでいいな?」

「はい」

「航たちが入っている間、みなみは操舵室で待機。俺は器材を背負って水面で待機する。葵ちゃんが水を通して意志を伝えられるっていうのなら、万が一なにかあった場合すぐに知らせてくれ。それとも距離が遠すぎてだめか?」

「わかりません。でもさすがに無理だと思います」

 はじめは航の方を再び見た。

「中は真っ暗だが、コースは単純だ。まっすぐ行って左の階段を上がってすぐのところ。迷うこともないはずだ。ガイドロープを張る必要もないだろう?」

「ああ」

 金属の固まりの中に入るわけだから、コンパスは当てにならないが、単純なコースの上、傾いているせいで向きで迷う心配もない。水深の深い方がコックピット方面だ。

「よし、じゃあ、念のため、機体の図面を頭にたたき込んでおけ。あとはあしたの天候と潮しだいだな」

 航はいわれるがままに図面で各部屋の配置と、水深を頭にたたき込む。

 だいじょうぶだ。なにも問題はない。

 葵には気の毒だが、おそらくは奥の部屋まで行って、遺体を発見することになるだろう。

 それで引き返して終わりだ。

 その場合、どういって、葵を慰めたらいいのか、航にはわからなかった。

 万が一、ほんとうに生きていたら、救出がかなり困難だが、きっとなんとかなる。いやなんとかする。

 葵の泣き顔なんて見たくはなかった。


   8


「いよいよですね、ダジル大尉」

 GOGOダイバース内の客室で、美貌の部下サミルが、立ったままいった。

「ふん。まだわからないさ」

 ダジルは部屋のソファにふんぞり返りながら、下がり気味の眼鏡を直した。

 たしかに中に入ったわけではないから、百パーセントとはいえない。

 だが金属反応を示した以上、あの星形の一見岩に見えるものが機体であるのはほぼ間違いないだろう。

「大尉。さっさと爆破しちまえばいいんじゃないですか?」

 大男の部下、ゴーラがやはり直立したままいう。

「まだあれが本当にヨンガルラかどうかわからないだろう? それに俺たちの任務は、エステリーナ王女の死を確認すること。万が一にも、死んでいないならば確実に殺すことだ。あの中に王女がいるかどうか確認しないでどうする」

「は。考えが足りませんでした」

 この男は戦闘では頼りになるが、頭が弱すぎる。ダジルは頭の中で苦笑した。

 自分たちはあのとき生き延びた一機を追ってここまで来たのだ。つまり、最低一グループは王国の軍がこっちに来ている。やつらがすでに王女を回収していたらどうするというのだ? それを確認せずに爆破などできるはずがない。

 第一、爆破などしたら目立ちすぎる。地球人を下手に刺激していいことなどない。こいつらだって一応軍隊を持っているのだ。兵器の性能では圧倒的に上とはいえ、こっちは四人、戦闘機が一機あるだけだ。やらなくていい戦闘はしないに越したことはない。

「これが成功すれば昇進間違いなしですね」

 サミルがふっくらと色っぽい唇に笑みを浮かべた。

 そうだ。これが成功すれば間違いなく少佐に昇進する。なにしろ他のぼんくらどもは、王女がこの星に眠ることをつきとめられなかったばかりか、密かにこの星に向かった一機を見逃し、王国軍の王女捜索隊を全滅させたと信じているのだから。

 このダジルが王国の最後の希望、エステリーナ王女の命を絶つ。それは俺が王国に引導を渡すことに他ならない。

 いや、それどころかもっとすばらしいことがある。我らの祖先の星、地球のことだ。

 すばらしい自然、豊富な資源、豊富な労働力、なによりもこのありあまる大量の水。わがセシール社会主義共和国の植民地になんと適したところだろう。

 いや、さすがに祖先の星を植民地化するわけにはいかないか。歴史が変化した場合、どういう結果になるかわからない。しかしこことルッソ間のワープ航路を確保できれば、豊富な水や資源、食料を運ぶくらいのことは問題ないはずだ。

 すぐにでもこの星のことを知らせたいところだが、いかんせん遠すぎる。無線の電波よりも、自分自身が長距離ワープで戻って報告した方が早いという逆転現象が起きるのだ。

 まあ、それもいいだろう。王女抹殺のニュースとともに凱旋帰国したときに報告すればいいことだ。自分はまさに英雄になれる。そうなれば、今まで自分を顎で使ってきた無能な上官と同じ立場になれるのだ。すぐに追い抜いて、逆に顎で使ってやる。

 ダジルは自分の顔が知らず知らずのうちに笑っていることに気づいた。

「大尉。しかし中に入って王女を捜すのは案外難しいかも知れませんよ。なにしろあの船には自動防御システムがあります」

「そうだったな」

 ダジルは自分に意見した陰気なエンジニア、グラークに目を向けた。

「船の内部のことをもう一度確認の意味で教えろ」

 グラークは返事をすると、図面を広げだし、説明を開始した。

 ふん。どんな優れた防御システムがあろうが、百年間海の底に浸かっていたんだ。そんなものが動くものか。

 ダジルにしてみればそんなものより気になるのは王国軍のやつらのことだ。何人この星にやってきたのかはまだ未確認だが、近くにいるのは間違いない。当然向こうから攻撃を仕掛けてくることも考えられる。そっちの方がはるかに面倒だ。

 面倒だが面白い。知らず知らずのうちに血が騒ぐ。そんなことも知らず、まじめくさった説明をするグラークを見ていると、げらげらと笑い出してくなった。

 まあ、いいさ。王国軍が何人いようと、俺の野望を邪魔するやつらは皆殺しにすればいいだけだ。なにしろこのゴーラとサミル、そして自分自身も、人殺しの技術と冷酷さではセシール軍の中でも群を抜いた精鋭なのだから。

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