第3章 仲間を求めて-3

《――5、4、3……》


 カウントダウンとともに、戦場となる演習場に、青い輝線が網の目状に走っていく。

 この「戦場」に立つのは、俺とセリカ、そしてエレナとシャーロットだ。

 俺たちはそれぞれ、50メートルの距離を置いて対峙している。

 セリカは俺の少し前に出て大盾タワーシールドを構え、エレナはシャーロットの少し前に出て腕甲ガントレットを構えている。

 セリカが盾役になるのはもちろんとして、エレナも回避と牽制を主眼に置いた変則的な盾役(いわゆる「回避盾」)をこなすことができる。シャーロットはエレナを盾にして、得意の神聖魔法で大ダメージを狙うという作戦だろう。


《――戦闘開始》


 ギアの音声とともに、視界の真ん中に"OPEN COMBAT"の文字が浮かぶ。

 その文字が消えきらないうちに、視界いっぱいにエレナの拳が広がった。


「――んなっ!」


 俺はかろうじてエレナの拳を躱すが、風圧だけで俺の頬がぱっくりと裂けた。


「リュウトさんっ!?」

「くっ――作戦変更、プランBだ!」


 いきなり、用意していた作戦が破綻した。

 元々の作戦はこうだった。

 セリカが盾役としてエレナを押さえている間に、俺が精霊魔法を使ってエレナかシャーロットを攻撃する。精霊魔法で生き残った方を二人がかりで仕留める。


 が、エレナがいきなり突貫してきたせいで、俺の算段は完全に狂った。

 俺の知ってるエレナに、ここまでの移動力はなかったはずだが……。


 プランBは、俺が盾役としてエレナを押さえ、その間にセリカがシャーロットを叩く作戦だ。

 セリカは頷くと、俺の横をすり抜けシャーロットに向かう。


 神聖魔法の使い手であるシャーロットは、当然、後ろに下がりながら魔法を詠唱する――俺はそう思ったのだが、その予想はまたしても裏切られた。

 シャーロットは杖を持っていない左手に見慣れない銃剣を握っていた。

 シャーロットは杖を前に、銃剣を後ろに構えて前に出た・・・・


「はあっ!?」


 思わず声を上げた俺の肩を、エレナの一撃が鋭くかすめた。

 かすめただけで、その箇所から激しい痺れが襲ってきた。


《――状態異常:麻痺です》


 ギアの警告が入るが、過去に手に入れた耐性スキルによって、麻痺は瞬く間にレジストされる。

 エレナらしくない搦め手に驚いた俺は、反撃の機会を見過ごしてしまう。


「何をよそ見している! わたしの相手が退屈か!」

「そんなつもりは……ないけどよ!」


 俺はミストルティンで逆袈裟に斬り上げながら答える。

 十分な速度を持っていたはずの一撃は、エレナにあっさり躱された。

 ――はやい!

 以前だったら、足を止めさせ防御させるくらいはできていたはずだ。

 さっきの突進といい、エレナは確実に成長していた。


「――わたしたちは強くなった!

 魔王に勝てなかった捲土重来のために!

 これまで、お前に頼り切りだった自分たちを変えるために!

 生き残ったわたしたちの、生きていく道を切り開くために!

 わたしたちは必死で強くなったんだ!

 ――見ろ!」


 エレナが拳で示した先を見て――俺は驚愕した。


「――それが、その程度が、あなたの力ですか、魔王の娘!」


 シャーロットが――手にした杖と銃剣を凄まじい勢いで繰りながら、セリカに猛烈な連撃を加えている!


「なかでもシャーロットはいちばん強くなった!

 お前に守られるだけだった自分を変えようと、血の滲む努力の果てに、独自の近接戦闘スタイルを確立したんだ!」

「そんな、バカな……」


 俺と旅をしていた頃のシャーロットは、典型的な後衛魔法使いだった。

 すなわち、前衛たちを盾として詠唱時間を稼ぎ、強力な神聖魔法で敵を蹴散らす役だ。

 パーティメンバーとして最低限必要な体力はあったが、近接戦の心得はほとんどなかったはずだ。


 それがたった一年の間に、高ランク勇者にも匹敵しそうな独自の近接戦能力を獲得している。

 そう――俺が腐っていた一年の間に、だ。


 俺はその事実に動揺し、立て続けにエレナから近接打を受けてしまう。

 俺はたまらず、エレナから逃げるように飛び退る。


 その時、視界の隅で、シャーロットが魔法を発動するのが見えた。


「――神よ、艱難にあえぐ我を哀れみ、我が敵にその神威の程を見せつけ給え――絶対神義アブソリュートの光滅殲・エアレイ!」

「な……っ!」


 詠唱が早すぎる!

 以前だったら外界から意識を閉ざし、1分以上かけて詠唱に専念しなければ使えなかった術だ。

 それを、両手で異なる性質の武器を繰りながら、20秒もかけずに発動している!


 シャーロットの言葉とともに、中空に巨大な光の槍が現れた。

 この槍は――仮想現実じゃない!?

 そうか、神聖魔法が独特すぎて、危険攻撃の仮想代替が発動しなかったのか!

 魔族を討ち滅ぼす精霊神の槍が、時空を軋ませながらセリカへと襲いかかる!


「――くそっ! 間に合え――蔦空爪エアリアル・ヴェインッ!」


 俺は樹の精霊魔法で生み出した蔦でセリカを絡め取る。そのまま全力で蔦を引き、セリカを無理やりこちら側へと引き寄せた。


「きゃあっ!」

「くっ!」


 神威の光が演習場を蹂躙する中、俺はかろうじてセリカをキャッチしていた。


「く……っ! なんてことしやがる!」


 俺はセリカを地面に下ろすと、シャーロットに向かって噛みついた。

 シャーロットは、俺をまっすぐに見返しながら言う。


「この程度で死ぬようなら、勇者様の従者には相応しくなかった。それだけのことです」

「だ、だが、これは模擬戦で――」

「戦いに、模擬戦も本番もありません。わたしにとってはこれもまた本番です。

 あなたに――わかってもらわなければならない」

「何を?」

「わたしが、どれだけ強くなったかということを。

 わたしが、どれだけの覚悟を持って、あなたの従者となったかを」


 シャーロットは強く俺を睨んでいるが、その目元には涙があった。


「どうして、わたしではいけないのですか――勇者様!」


 シャーロットの叫びに、俺は返す言葉がなかった。


 代わりに応じたのはセリカだった。


「……シャーロットさん。あなたの覚悟のほどはわかりました。

 あなたの主人を借りようと言うのです。

 わたし――セリカリア・アシュレイも、全力でもってあなたのお相手を致します」


 セリカは、呆然としている俺に頷きかけると、シャーロットに向かって短剣グラディウスを構えた。


「勇者様はこっちだ!」


 そこへ、エレナが殴りかかってくる。

 さっきより速度が上がっている!

 俺はエレナの拳をミストルティンの腹でかろうじて受けた。

 が、エレナの送り込んできた運動エネルギーは殺しきれない。

 俺は演習場の後方へと飛ばされる。トラックにでも轢かれたようなとんでもない衝撃だった。


「――蔦空爪エアリアル・ヴェイン!」


 俺は再び精霊魔法を使い、天井の骨格をつかみ、空中で姿勢を立て直す。

 そして、


水鋭箭ストリーム・アロー!」


 十数条の水の矢を生み出し、エレナへと放つ。

 エレナはその矢のことごとくを、両の拳で打ち払った!


「何っ!?」


 今日何度目になるかわからない驚きの声が漏れた。


「わたしだって、あの戦いから多くを学んだ。

 悔しくて悔しくて、奥歯が折れるほどに臍をかんで、毎日身体がバラバラになるまで修行をした……!

 その結果がこれだ!

 霊気よ、我が覇気とともに敵を穿て――魔撃衝エーテルブレイク!」


 轟ッ!

 エレナが間合いの外から振り抜いた拳が、唸りを上げた。


「――くっ!」


 俺はとっさに蔦空爪エアリアル・ヴェインを解除して落下する。

 その頭の先を、不可視の何かが駆け抜けた。


「ぐぁ……っ!?」


 当たっていないのに、俺の頭が揺れた。

 俺の身体の中を駆け巡る精霊力が、不可視の何かの余波だけで、大きく掻き乱されたのだ。


 激しいめまいのような感覚。

 ついで、身体がバラバラになりそうな衝撃。

 地面に激突したらしい。

 ろくに受け身も取れなかった。


「ぐ……、ぅあ……っ」


 四つん這いになって呻く。

 エレナは攻撃の手を緩めない。俺へと踏み込み、霊気を込めた本気の蹴りを、俺の腹へと見舞ってくる。


「ス……岩礫盾スクトゥム・ペトロっ!」


 かろうじて間に合った精霊魔法で、俺はその一撃を防御する。


 が、俺は再び宙へと撥ね飛ばされた。高さ20メートルはあるはずの演習場の天井が視界いっぱいに迫ってくる。そして、なすすべもなく激突する。


 一瞬、意識を失った。

 俺は蔦空爪エアリアル・ヴェインで軌道を変えながら、エレナの間合いの外へと着地する。

 いや、この間合いですら、今のエレナには必殺の圏内なのかもしれない。


「その嬢ちゃんの覚悟は立派だ!

 だが、それに引き替えお前は何だ!?

 踏み出す足が迷っている!

 振りかぶる剣が迷っている!

 お前の迷いが精霊たちにまで伝わって、精霊たちまで迷っている!

 そんなていたらくで、一体何と戦うつもりだ!?

 戦いを――舐めるな!

 わたしたちの努力を――舐めるんじゃないッ!

 こんな腑抜けに仕えるために、わたしたちは強くなったんじゃないッ!」


 エレナの言葉に、俺は情けなくも動揺し――

 エレナの一撃を、まともに顔に食らっていた。


「――リュウトさん!?」

「ぐ、おおおっ!」


 俺は空中できりもみ状態から脱すると、かろうじて足から着地する。

 が、勢いはまだ殺せていない。

 俺は演習場の地面に二条の溝を穿ちながら後ろへと流される。


「くっ……緩水衝アブソブ・ウォーター!」


 精霊魔法で背後に水のクッションを作り、エレナの攻撃の勢いを殺す。


「まだだ、お前はそんなものじゃないはずだ! もっと気力を振り絞れ!」


 エレナの攻撃を、ほとんど本能だけで躱す。

 何もかもがギリギリだ。

 ギリギリで――足りてない。

 勇者だったはずの俺は従者だったはずのエレナに圧倒されている。一方的になぶられているといっても間違いじゃない。

 ――劣勢。

 これほどまでの劣勢は、精霊世界クリスガルドで《幻影の魔王ザ・ファントム》ドルドムンドに敗れて以来のことだった。


 しかし、ドルドムンドと戦った時とは違うことがあった。

 たしかに苦しい。

 エレナの力が、精神が、俺を責め苛んでくる。

 俺の今の腑抜けたありようを、叩き壊そうと迫ってくる。


 だが、そうしている内に――俺の腹の底に、何かがこみ上げてくるのがわかった。

 何か――笑いだ。

 俺は今、笑い出したい衝動に駆られている!


「――忘れていたよ、この感覚」


 俺は今――とんでもなく、


 楽しい!


 エレナの拳を躱すのが楽しい。

 狙い澄まして放った斬撃を躱されるのが楽しい。

 その隙を狙った水鋭箭ストリーム・アローを、魔撃衝エーテルブレイクで蹴散らされるのが楽しい。


 ――俺は今、間違いなく戦いを楽しんでいる。


 ああ、本当にひさしぶりだ。

 この、戦いが楽しいという感覚は。


 召喚された直後は何をしても楽しかった。

 魔物と戦って強くなるのが楽しくて仕方がなかった。

 これはゲームではないとわかっていても、そう思うことをやめられなかった。

 俺は、あの異世界クリスガルドの大地に立って、途方もない自由を感じていた。

 気詰まりな学校生活から解放されて、誰にも負けない力を、誰にも遠慮せずに振り回せることが楽しくてしょうがなかった。

 日本政府が召喚のことを拉致行為だと非難していることは知っていた。が、その上でなお、俺は召喚されてよかったと思っていた。

 確かに、強力な魔物と戦うのは怖い。

 知恵を働かせて勇者を罠にかけようと策動する魔族たちも怖い。

 勇者を飼い殺しにしようと蠢動する国や貴族たちも恐ろしい。

 でも、それを吹き飛ばしてあまりあるだけの楽しさもあったのだ。


「――蔦空爪エアリアル・ヴェイン!」

「くっ!?」


 俺は蔦空爪エアリアル・ヴェインでエレナの腕を捉えた。

 風の精霊のロープをたぐって、エレナとの距離を無理やり詰める。

 そして、


「――水鋭箭ストリーム・アロー!」


 至近距離から水の矢を放つ。


「な……っ、くそっ!」


 さすがにこの距離では迎撃することもできず、エレナは俺から距離を取ろうとする。

 が、


「――蔦空爪エアリアル・ヴェイン


 精霊力を込め直し、消えかけていた蔦空爪エアリアル・ヴェインを強化する。

 エレナは逃げられず、水の矢のいくつかがエレナの身体に直撃する。

 そこに、狙い澄ませたミストルティンの突き。


「ぐぅっ!?」


 エレナは身をひねるが、魔獣革製の胴衣とミストルティンの峰が鋭く摩擦する。

 俺はミストルティンを異空間収納インベントリにしまう。

 ここまで接近しては長剣は役に立たないからだ。

 その代わりに、空いた手を握り締め、エレナの顔を殴りつける!


「がはっ!」


 勇者の膂力の乗ったパンチにエレナがよろめく。

 旅をしていた時、エレナとはよく拳闘をした。こっちが女の顔を殴るまいとすると、エレナは烈火のごとく怒ったものだ。

 だから、容赦なく拳で撃ち抜いた。それが、エレナの本気に対する礼儀だった。

 俺は再度拳を振りかぶり――


「――調子に乗るなッ!」


 エレナが魔撃衝エーテルブレイクで蔦を引きちぎり、強引に距離を取った。


「なんだ、急に調子よくなりやがって……、……うおっ!」


 何事かつぶやきかけたエレナに、俺は無詠唱で水鋭箭ストリーム・アローを放つ。

 それを拳で振り払ったエレナに、俺は重ねて水鋭箭ストリーム・アローを放つ。

 それをかろうじて躱したエレナに、俺はやはり水鋭箭ストリーム・アローを放つ。


「お、お前……!」

「くくく……はははははっ!」


 俺は笑いながらさらに水鋭箭ストリーム・アローを放つと、蔦空爪エアリアル・ヴェインを頭上に放ち、


「――大地の精霊よ、我が意に応えてすべてを呑み込む濁流と化せ――岩紋波グランドダッシャー!」


 俺の真下の地面が隆起し、高さ1メートルほどの土石流と化す!


「どわああああっ!」


 エレナは霊力を込めた拳で襲い来る土石流を押しとどめようとするが――


「ギア、コンバットモードを――」

《――了解、コンバットモードを――にします》


 岩紋波グランドダッシャーの騒音の中でも、ギアは確実に俺の意をくんでくれる。

 俺は岩紋波グランドダッシャーで身動きできないでいるエレナに上空から迫り――


「――火炎剣フレイム・グライダー!」


 ミストルティンが炎に包まれる。

 鳳凰の炎にも匹敵する猛火の剣が、身動きできないエレナに直撃する!

 エレナは灼熱の炎に灼かれながら、岩紋波グランドダッシャーの濁流に呑まれた。

 俺は精霊力を纏わせた足で岩紋波グランドダッシャーの上を駆け抜ける。

 ミストルティンを、半ば土砂に埋まったエレナに突きつける。


「ぐあああああ……っ! ……って、熱くない……?」

「そりゃ、マニュアルでM/Vの仮想代替をONにしたからな」


 俺の精霊魔法は独特すぎて演習場の結界魔法が発動しないため、手動で仮想代替を仕込んでおく必要がある。

 そうでなければ、竜をも灼き滅ぼす火炎剣フレイム・グライダーなんかを人に向かって使えるわけがない。


「ふん……ハーフコンタクトなんざ生ぬるいと思ってたが、こんな場合は便利だな」


 エレナが毒づく。


「――はあああ……。負けちまったか。自信あったんだけどなぁ」

「あんなに俺を挑発しなけりゃ、そのまま勝ててたさ」

「はっ。ようやく、お前らしい面構えになったじゃねえか」

「俺らしい?」

「どんなときでも大胆不敵。命が惜しくねえんじゃないかってくらい無謀なくせに、結局最後に立ってるのはお前なんだ」

「……そうか……」


 俺は、セリカとシャーロットの方へと目を向ける。

 戦いはシャーロットが終始押している。

 セリカは大盾タワーシールド短剣グラディウスを巧みに使ってシャーロットの杖と銃剣を防いでいるが、シャーロットの詠唱までは止められない。


「……助けに入らなくていいのか?」


 エレナが聞いてくる。


「そりゃ野暮ってもんだろ。それに――勝つぜ」

「は? セリカとかいうお嬢様がか? この状況から?」

「相変わらず、人が見えないんだな、お前。見ろ、セリカの目はまだ死んでない」

「だからって勝てるとは限らねえだろ」

「いや、精霊たちの声を聞くまでもなく、俺には聞こえる。あいつの勝利がな」

「ひゅぅっ。久しぶりに聞いたぜ、お前の『聞こえる』発言」

「茶化すな――ほら」


 セリカが大盾タワーシールドで体重を載せた叩きつけシールドバッシュを放ち、エレナを押し戻す。

 そして――


「……おい、まじかよ」


 エレナが呆然とつぶやく。


 ――セリカは、巨大な鋼の竜へと変身していた。


 シャーロットが焦ったように魔法を放つが、鈍色に輝く竜の鱗に弾かれる。

 シャーロットの杖も、銃剣も、竜にはまともなダメージを与えられない。

 シャーロットはやがて演習場の端へと追い詰められ――


《――お返しです!》


 脳にセリカの声が響くのと同時に、竜の鋼鉄の尻尾がシャーロットを打ち据える!

 シャーロットは壁に激突し、その場に膝を突いていた。

 まだシャーロットの目は諦めていなかったが――


《――降参してください》


 動けないシャーロットを、鋼の竜の巨大なあぎとが食いちぎる――寸前で動きが止まる。


「……はい。わたしの負けです」


 シャーロットが肩を落としてそう言った。

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