第3章 仲間を求めて-2
俺はセリカとともに、さいたまユグドラシルツリー大規模演習室にいた。
大規模演習室は、ドーム付きのサッカー場がまるごと収容できるという極大サイズの演習場だ。
その中心に、俺とセリカを含めて5つの人影があった。
「――勇者様。今日は、私たちにご用があるとのことでしたが……」
俺の前に立つシャーロットが遠慮がちにそう言った。
その様子は俺との距離を測りかねているかのようなぎこちないものだ。
シャーロット・ウルフレア。
神聖魔法を使う高位の神官で、かつ精霊世界クリスガルドの姫君だ。
白金色の髪と翡翠色の瞳の凛とした美人で、背はセリカと同じくらい。
レースをふんだんにあしらった純白のドレスは、艶やかでありながら気品もあり、また耐魔性能にも優れている。
腰に見慣れない革のベルトを巻きつけているほかは、ともに旅をしていた一年前と変わらない姿だった。
――世界を救ったら、私と結婚してほしい。
シャーロットにそう申し込まれたのも一年前のことだ。
その気持ちは、もうとっくの昔になくなってしまっているだろうが……。
「……勇者様?」
「あ、ああ……いや、シャーロット、俺のことを勇者と呼ぶ必要はない」
俺がそう言うと、シャーロットはぎゅっと拳を握りしめた。
「勇者様……」
「だから、俺はもう勇者じゃない」
「いいえ、あなたは勇者様です」
シャーロットが、強情にそう言い募る。
「私が言っているのは、結果のことではありません。リュウト様のお心のありようが勇者であると言っているのです」
「だったらなおさら俺は勇者じゃないよ」
「……勇者様……」
シャーロットが、泣き出しそうな顔でうつむいてしまう。
「――おい、リュウト。姫様をいじめるな」
そう言って割って入ってきたのは、日焼けした褐色の肌と紫の短髪、サファイア色の瞳を持つ長身の美女だ。
エレナ・ロデーシャ。
二十歳すぎの女性格闘家で、気甲術と呼ばれる魔法とは異なる力でパーティのアタッカーを務めていた。
俺とは前衛同士馬が合い、旅の合間に手合わせを繰り返していた仲だ。
「……別にいじめてないだろ」
「ウミノリュウトはいじめてない……ふてくされてるだけ」
ぼそりとそうつぶやいたのは、エレナの背後に隠れるように立っている、小柄な少女だった。
華奢な身体と色白の肌。襟元でぴっちりと切り揃えられた白銀色の髪とアメジストの瞳。
クレリックとしてパーティの回復役を務めていた少女で、名前はステラ・アリシアナという。
パーティの妹分として可愛がられていて、とくに俺になついてくれていた。
今は……見ての通りの、ぎくしゃくとした関係だ。
「ふてくされてもない」
「じゃあ、何の用だ、《腑抜け》」
エレナがつけつけと聞いてくる。
エレナたちの耳にまでそのあだ名が届いているのは、当たり前のはずなのに、今更ながら胸が痛んだ。
「……力を貸してほしい」
エレナから視線を逸らしながら、つぶやくように言った俺に、エレナは「ケッ」とつぶやいた。
代わりに歩み出てきたのはシャーロットだ。
「――この時を待っていました、勇者様」
シャーロットの言葉に、俺はぽかんと口を開けてしまった。
「断らないのか?」
「私が、勇者様の要請を断るでしょうか?」
シャーロットの翡翠色の瞳が、じっと俺のことを見つめてくる。
真っ直ぐな瞳だ。
昨日の夜のセリカのような。
「ウミノリュウトは自信をなくしてる。だから、目が泳ぐ。だから、シャーロットの言葉を疑う。シャーロットの気持ちを受け止められない。馬鹿。阿呆。勇者はすっかり愚物に成り果てた。見下げ果てた愚者」
ステラの毒舌が心を抉る。
「ふん、ステラの言うとおりだ。
力が借りたい?
その言葉に大義があるのなら、自信があるのなら、もっと胸を張って言えるはずだ。
勇気のない勇者に何の価値がある?
勇者じゃなくてただの『
いや、自分の意志をなくした今のおまえはもはや『
エレナの言葉遊びに、エレナが高いレベルで日本語を習得していることを知り、俺は今更のように驚いた。
エレナはクリスガルドでも語学を苦としていて、他種族の村や異国にいる時には通訳役であるシャーロットやステラのそばを離れなかったものだ。
「今のおまえに、わたしたちはもったいない。
今のおまえに、わたしたちが力を貸す意味なんてない。
それでも力を借りたいってんなら……わたしたちに力を示してみせろ。
だが、チャンスは一度だけだと思え。一度だけ、かつて勇者だったおまえに免じてチャンスをやる。それをつかめないようだったら、後のことは知らないね」
エレナが苦り切った顔でそう言った。
セリカが心配そうに俺の顔を覗きこんでくる。
俺は小さく頷いて、言った。
「……ありがとう。それなら、戦おう。もともとそのつもりで来た」
「へえ、言葉だけはいっちょまえじゃないか」
エレナが薄く笑って挑発してくる。
「じゃあ、ハーフコンタクトでいいな」
ハーフコンタクトとは、魔法攻撃のうち、致死的な威力を持つものを演習場に埋め込まれた結界魔法で自動的に相殺し、M/Vによる仮想現実で代替する戦闘形式を言う。
たとえば、致死的な威力の《ファイヤーボール》が放たれたとすると、演習場の結界魔法が自動発動し、《ファイヤーボール》を消滅させる。と同時に演習場のシステムに接続されたギアがAR(拡張現実)によって見た目だけが再現されたバーチャルな《ファイヤーボール》を全ての対戦者に対して表示する。
これによって、戦闘の臨場感を損なうことなく、演習における事故を防止することができるのだ。
適度な緊張感を維持できるハーフコンタクトは、オーソドクスにおける基本的な模擬戦闘形式としてもっともよく用いられていた。
俺の言葉に、エレナが小さく頷いた。
「そっちはリュウトとその女、こっちは、わたしとシャーロットだけでいい」
「……本気か?」
俺は驚いて問い返した。
かつての俺のパーティの基軸となっていたのは、やはり勇者である俺だった。
実力的に言えば、俺1人で残りの3人をまとめて相手して圧倒できる程度の開きがあった。
いくら鈍っているとはいえ、同数で戦って彼女たちに負けることはありえない。
が、エレナは頷き、指を鳴らしながら言ってくる。
「わたしらはいつでもいいぞ?」
「……俺はウォームアップが必要だ。――
どの世界から召喚された勇者であっても、勇者には3つの共通する力がある。
1つ目は、
2つ目は、自動通訳。セリカリアとの会話で特に意識することもなく言葉が通じているのは、この力のおかげだ。
そして3つ目が、
これは、どこともしれない異空間にものを収納することができるという能力で、生物は収納できないという縛りこそあるものの、膨大な量の物資を収納することができる。
この3つの力を、オーソドクスでは「特定召喚者の三大固有能力」と呼ぶが、生徒たちはもっとざっくばらんに「勇者3点セット」と呼んでいる。
俺は実にひさしぶりに、
まずは、霊剣ミストルティン。
千年ヤドリギから削りだしたという木剣は、精霊の加護によって金属製の剣を遙かに凌駕する切れ味を誇ると同時に、優秀な精霊魔法の媒体でもある。
次に取り出したのは、精霊鎧キルシュバッサー。
桜の精霊の加護を受けたこの鎧は、桜の樹と絹糸で作られており、俺の精霊力の循環を飛躍的に高めてくれる。そしてもちろん、オリハルコンやライトミスリルにも劣らない強度を持ち、魔王の一撃を受けても砕け散ることはなかった。
さらに、風の精霊王のマント、月の精霊神のサークレットなど、それぞれにいわれがあり、強力な付加効果のある装備を、一品一品取りだし、身につけていく。
どの武器、どの防具にも、冒険の思い出があった。
なつかしい。
なつかしいが、同時にどうにも今の俺にはなじまない気がする。
ともに強敵と戦ってきた装備たちが、今の俺に対してよそよそしい。
それは決して錯覚ではない。
精霊力の走り方が悪いのだ。
「……くそっ」
俺はミストルティンを素振りする。
びゅん、と間の抜けた音がした。
その間に、セリカがシャーロットたちに話しかけ、自分の事情を切々と訴えている。
シャーロットたちは、俺の話を聞いていた時とは打って変わった積極的な様子でセリカの話を聞いている。
セリカは頭を下げ、シャーロットたちの助力を乞うている。
シャーロットたちはセリカに言質は与えなかったが、セリカへの態度は大分軟化しているようだった。
俺は、いくつかのスキルや精霊魔法をその場で試していく。
シャーロットたちは、俺の手の内を完全に把握している。
今更隠す意味などなかった。
どの魔法も、どのスキルも、かつての鋭さを失っているように思えてならない。
身体が重く、精霊力が集まらず、精霊たちは言うことを思うように聞いてくれない。
今の俺の戦闘能力は、かつての俺の3分の2といったところだろうか。
勇者としての己などとうに捨て去ったつもりでいたが、ここまで衰えているとさすがにショックだった。
しかし、それで勝てないとも思わない。
よく見知った相手だ。
手の内はわかっている。
確かにエレナたちは強いが、勇者だった俺ほどではない。
侮るつもりはないが、.負ける方が難しい相手だ。
俺はそう思って、どこか気楽に構えていた。
――それが大間違いだったと知るのに、それほどの時間はかからなかった。
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