第4章 至高VS急造-1

 そこは、見渡すかぎり、紅の続く異空間だった。


「あいつもそろそろ飽きちゃったわね~」


 クロウ=チャーティアの女神イティネラは、その艶やかな肢体を、天鵞絨ビロードの張られた寝椅子ディヴァンにしどけなくもたせかけながら、そう言った。

 無言で差し出した金の杯に、すばやく従僕が忍び寄り、馥郁たる香りの果実酒を注ぐ。

 イティネラはその果実酒を一口含むと、残りを床へと零していく。

 零れた果実酒は、一見乱雑に床に広がるかと見えたが、その実巧妙に制御されており、ひとりでに大きな魔法陣を描いていく。もちろん、魔法を制御しているのは怠惰な女神イティネラではなく、金の杯に宿ったよこしまな精霊だ。


「はい、召喚!」


 杯をディヴァン脇のサイドテーブルに投げ出した女神が、そう言って手を叩く。

 すると、魔法陣の上に、黒髪黒瞳の、肥満気味の青年が現れた。

 この青年はその名を蒲生信治といい、絶賛ひきこもり中のニート青年である。

 手にはゲーム機のワイヤレスコントローラーを握りしめていた。


「あら~、変わり種が引っかかったわね? 

 ねえ、あなた、特別な力をあげるから、わたしの世界に召喚されてみない?」

「な、なな、な、これは、まさか、異世界召喚?」

「へえ、召喚魔法のことを知ってるなんて、珍しいわね?

 とにかく、適当に秩序外の力チートを与えてあげるから、酒池肉林でも屍山血河でも、好きなようにやってちょうだい。もうこの世界には勇者もいるから、いろいろかちあっちゃうと思うけど、せいぜいあがいてちょうだいね。

 あ、もちろん元の世界に返せってのはなしよ?」


 勝手にしゃべり、女神イティネラは早速蒲生青年を異世界へと飛ばそうとする。


「い、いや、チート能力くれるのはありがたいんだけど、逃げた方がいいよ、女神様」


 蒲生の言葉に、女神は眉をひそめた。


「あら、下手な脅しね? わたしが何から逃げなければならないというの?」

「そ、そりゃもちろん、AWSOの――」


 蒲生の言葉を遮り、その空間に甲高い異音が響き渡った。

 その音は、あえて擬音化するなら、

 ――ギャリギャリギャリ……!

 といった音だが、この「音」は聴覚によって補足される空気の物理的振動ではなく、精神と魂とを揺さぶる精神界面アストラルブレーンの振動である。

 女神イティネラの作り上げた、この精神界面アストラルブレーンの「浮島」を、何者かが、外から揺さぶっているのである。

 いや――


「なッ――わたしの結界が、破られる!?」


 ギャリギャリ、が、ガリガリ、へと変化してから数瞬、どこまでも紅く続いていた空間のただ中に、巨大な亀裂が走った。

 そして、その亀裂が外側から弾けた。


「うわ、うわあああああ――っ!」


 精神と魂とを揺さぶる暴風に、蒲生青年が吹き飛ばされ、イティネラのディヴァンに頭からぶつかって気絶する。


 そして、紅の空間に開いた大穴から、巨大な歯車の山塊が姿を見せた。


「な、ななな……っ!」


 顎をがくんと落として動揺するイティネラ。

 その前に、歯車の山の中から身を乗り出して、長い銀髪の女が現れた。


「やれやれ……ジャジャラヴァキがいなかったら間に合わないところだったね」


 年齢は10代後半といったところか。

 女性としては高い方の背。

 つややかな銀髪と褐色の肌は、女がダークエルフであることを示している。

 年齢の割に大人びた色気を醸し出していて、もう数年もすれば、イティネラその人とタメが張れる絶世の美女になることだろう。

 そのこともイティネラの癇に障るが、それ以上に苛立たしいのは、女の目だ。

 突然現れたこの女は、女神を前にして、あろうことか腕組みをし、瞳を自信と好奇心とに輝かせて、イティネラを真正面から見据えてくる。


「だ、誰だ貴様は!」

「――弥勒玄魅みろくくろみ。この名前を、魂に刻み込むといいと思うよ」

「ふざけるな! 神の寓居を侵してただで済むと思うな!」


 イティネラは、「死」という概念そのものを手中に生み出し、乱入してきたダークエルフの女に投げつける。


「おっと」


 女は、投げつけられた「死」をこともなげに手のひらでキャッチした。

 それを見た女神が哄笑を浴びせる。


「馬鹿め! のたうちまわって死ね!」

「――ジャジャラヴァキ、概念機関オン」


 女は落ち着き払って、手にした「死」を背後にそびえる歯車の化け物にポイと渡す。

 歯車の化け物は、全身の歯車をギュルギュルと軋らせながらそれを受け取り――


「ほいさ、概念機関波動砲――ファイア!」


 ジュドッ――!


「な、何が……うああああッ! 私の、私の身体があああ――ッ!」


 凄まじいエネルギーが通り過ぎた後には、右腕と右肩、首から上だけを残して、身体の全てを失った女神が倒れていた。


「うひゃあ。初めて試したけどすごい威力だ。それにしても、その状態で死なないなんて、さすがは一世界の神様だね?」

「う、うがっ……な、何が……?」

「世界に満ちる概念という概念をエサとして育つ歯車の魔王ザ・ギアジャジャラヴァキの概念機関波動砲だよ。あなたのくれた『死』という概念を燃料にして、そのエネルギーを直接ぶつけたんだけど、大したものだね。これで魔王としてはAランクというのは、ちょっと納得の行かない査定だな」


 あとでAWSOに文句を言わなくちゃ、と女がつぶやく。


「きさ、貴様……」

「ここまでされてまだ闘志が衰えないのは大したものだけど、そろそろ冷静になった方がいいと思うな」


 女はぺしぺしと傍らに立つ歯車の化け物――少女のげんでは歯車の魔王ザ・ギアジャジャラヴァキ――の身体を叩きながら、


「私の封神縛デモン・シーリングを食らえば、あなたもこの魔王と同じように、私のペットにされてしまう。

 もしそれが嫌なら、出すものを出してほしいんだけど……どうかな?」

「……くっ。何が望みだ……?」


 女神の言葉に、女は笑みを深くする。


「何、あなたの持つ、召喚魔法を譲ってほしくてね」

「何だと!」

「あれ、高く売れるんだよね。とくに、今回あなたが使った召喚魔法は、ギリギリまでAWSOでも観測できなかった目新しい代物だからね。高値が付きそうだ」

「……だ、だが……それを渡してしまっては、私はもはや神として存在できなく……」

「そんなの、知ったことじゃないよ。

 あなただって、勇者を召喚するのに、相手の事情なんて考えてなかったじゃないか。

 これこそ、因果応報というものだよ」


 女は両手を合わせて「なんまんだー」とつぶやいた。


「し、しかし……私の神格が……今更人の身に戻るなど……!」

「何だ、死ぬわけじゃないのか。なら、容赦する必要もないね。さっさと召喚魔法、譲ってよ」


 女は急かすが、女神はなんとかしてこの場を逃れようと言い訳を繰り返す。

 女は笑顔のままで、虚空から取り出した大鎌を女神の鼻先に突きつけた。


「――ほら、早く降参しないと私の奴隷にしちゃうよ?」


 笑顔で脅してくる女に、クロウ=チャーティアの驕慢なる女神イティネラは、生まれて初めての屈服を選ばざるをえなかった。



 ――こうしてクロウ=チャーティアへの召喚魔法は、オーソドクス征徒会長、《闇の司祭ダークビショップ弥勒玄魅みろくくろみの手に渡ることになった。

 そしてその召喚魔法は、AWSOの魔法技術者の手によって解析され、クロウ=チャーティアへの特定召喚権(勇者としての力を得て召喚される権利)として、AWSO主催のオークションにかけられることになる。


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