第2章 覚悟-5


 セリカの求めに応じて、オーソドクスのあちこちを見て回るうちに日が暮れた。

 途中でばったり出くわした委員長も加わったおかげで、興味の持てないオーソドクスについて、熱心な訪問者に詳しく解説するという苦役からは解放されたが、一日を潰しての社会科見学が終わった時には、俺はぐったりと疲れていた。


 俺は、セリカを、先生に用意してもらった部屋まで送る。

 さいたまユグドラシルには異世界からの来客用のホテルが存在する。

 俺はその一室の前で立ち止まり、鍵(といっても物理鍵ではなくクリスタルのバーのようなものだ)をセリカに渡して立ち去ろうとする。

 その俺の腕を、セリカがつかんできた。


「リュウトさん。

 少し、お話を聞いていただけませんか?」

「……淑女が男を部屋に招くには、不適切な時間だと思うが?」

「わかっています。

 でも……そう思われても結構ですから、上がっていってください」

「…………」


 色ごとめいた言葉とは裏腹に、セリカの表情は必死だった。

 ため息をつきながらセリカに一歩近づくと、セリカはびくりと身を震わせた。


「何が『そう思われても結構』だよ。俺が弱みにつけこむような人間に見えるか?」

「いえ、見えません……」

「重い話は、おまえが落ち着いてからと思ったんだがな。

 ……言っとくが、本当に聞くだけだぞ?」

「はい、それで構いません。ど、どうぞ……」


 と言いつつ、セリカはノブの開け方がわからないようで、おろおろしている。

 しょうがないので俺が開けて、セリカを先に中に入れてやる。


「ギアがあれば楽なんだが、ないとなると、スイッチは……ここだな」


 部屋に明かりが点く。


 心持ち広めのビジネスホテル、といったような一室だ。

 バス・トイレ別、簡単なキッチンもついている。

 世間の感覚で見れば悪くない部屋だと思うが、狐管こすが先生の職務室や理事長室を見た後だといかにも質素だ。


 セリカは俺にソファを勧め、向かいのベッドに腰掛ける。

 セリカはベッドのクッションのよさに驚いたようだった。


「さて……それじゃあ早速だが話を聞こうか。あまり遅い時間までここにいると、あとで狐管先生にからかわれそうだ」


 俺がそう水を向けると、セリカはいきなり頭を下げてきた。


「――助けてください、リュウトさん」


 かすれ声でそう言ったまま、セリカはいつまでも頭を上げようとしない。


「お、おい、やめろ」

「はいと言ってくださるまでやめません」

「むちゃくちゃだ」

「無理は承知です。わたしにできることならなんでもします。リュウト様のお力を貸してください」

「……断る。

 だいたい、お前の手伝いをして、俺に何かメリットがあるか?」

「――国を、差し上げます」

「……何だと?」

「魔王国の魔族は受けた恩義を忘れません。

 あなたに国を救われたのなら、あなたに国を差し上げます。

 世界広しといえど、勇者にして魔王となった方はいないのではないでしょうか?」

「そんなもん、いらん」

「魔王となって何を要求されても、構いませんよ。ハ、ハーレムを築くことも」

「興味ねえよ」

「魔王位を継げば、代々受け継がれている絶大な力が――」

「間に合ってる」

「……わ、わたしに……その、興味があったりは……?」

「もう何年か経ってから言え」


 バッサリ切り捨てると、セリカが涙目になった。


「じ、じゃあどうすればいいんですかぁっ!?

 リュウトさんは何かほしいものとかないんですか!?」

「知るか、逆ギレするな」

「ううう……」


 恨めしそうに睨んでくるセリカに、俺はため息をついた。


「大体、なんで俺に頼む? 今の条件なら、進んで受けるっていう命知らずが、この学園には吐いて捨てるほどいるぞ?」

「だからこそ、です」


 セリカは、じっと俺を見つめ返して言う。


「そんな人に国を任せたら、めちゃくちゃになることは目に見えてます。

 実際、クロウ=チャーティアに現れた勇者は、それはもう酷いとしか言いようのない人物でした」

「俺だってそうなるかもしれない」

「なりません」

「何でわかる?」

「見ればわかります。

 あなたがそんなにも無気力なのは、気力の全てを尽くして戦ったからです。

 それだけ、その世界のことを大切に思っていたからです」

「……っ」

「本当に無責任な人は、世界が滅んでも心を痛めたりしません。

 実際、クロウ=チャーティアに現れた勇者はそういう男です。

 相手と言葉が通じるというのに、相手の真意も確かめずに、面白半分に殺そうとする。

 彼にとって、クロウ=チャーティアはゲームの盤面なんです。

 そんな人間に祖国を、仲間たちを蹂躙される気持ちがわかりますか……?」

「それは……」


 何も言えない。

 何も言う資格がない。


 セリカが今日一日で見て取ったように、多かれ少なかれ、オーソドクスの生徒たちはゲーム気分を引き摺っている。異世界召喚AWSを、異世界を舞台にしたロールプレイングゲームへの招待のように思っている部分がある。


 だが、それでも、訓練を受けているだけマシなのだ。


 セリカの世界に召喚された勇者は、どうやらAWSOによる割り込みを受けずに召喚された一般人のようだが、だからこそ危うい。

 オーソドクスで召喚・転生に必要な技術や心構えを習うことなく召喚された一般人は、なすすべもなく死ぬか、逆に疑心暗鬼に陥って不必要に力を振り回すことになりやすい。

 また、その中に一定確率で性格破綻者が混ざることも知られている。


 要するに――セリカの世界クロウ=チャーティアの人種ひとしゅは、大ハズレの勇者を引いた、ということだ。


「リュウトさんの力が必要なんです。

 どうか――お願いします!」

「…………」


 長い沈黙が降りた。

 セリカは頭を下げたまま動かない。


「……それでも、お前の頼みを受けることはできない。あきらめてくれ」

「いえ……あきらめません」

「どうしてだ?」

「……ヒナギクさんが言ってました。

『あいつは昔から頼まれると断れない』って」


 セリカがくすりと笑って言った。

 最初は言葉が通じていなかったセリカと委員長だが、おしゃべりを続けるうちにギアによる言語解析が進んで、簡単な内容ならギアの同時通訳によって伝えられるようになっていた。

 最後の方に何かひそひそ話してると思ったら……そんな話をしてやがったのか。


「あの野郎……」

「怒らないであげてください。

 ヒナギクさんは、こうも言ってたんです――『あいつをもう一度勇者にしてやって』と」


 俺は思わず舌打ちした。

 余計なお世話だ。そんなこと言ってるから、委員長なんて呼ばれるんだ。


「……どういうことなんですか?

 リュウトさんは勇者……なのですか?」

「……聞きたいか?」


 セリカは小さく頷いた。


「……1年前のことだ。

 俺は突然、精霊世界クリスガルドと呼ばれる異世界に召喚された」


 俺は、まっすぐに俺の顔を覗きこんでくるセリカから顔を背けつつ、語る。


「さっき、次元観測所で話したな。7割の召喚魔法は事前に検知できると。

 だが、逆に言えば、未だに3割くらいの召喚魔法は事前に検知できないってことだ。

 それでも、後からでも検知できるなら、まだマシな方だ。

 最悪なのは、どこの世界に召喚されたのか、AWSO側で全く把握できない事態だ」


 そして、その最悪の事態を引き当てた一人が、1年前の俺だった。


 ――精霊世界クリスガルド。


 それが、俺が1年前に召喚された世界の名前だ。

 そして、もう存在しない世界の名前でもある……。


 勇者として召喚された当時の俺は、オーソドクスの生徒でもなんでもないただの中学3年生だった。


 さらに悪いことに、クリスガルドへの召喚は、召喚形式が独特だったために次元観測所によって検知できず、俺がどの世界に飛ばされたかを特定することができなかった。


 俺は見知らぬ異世界で、勇者として一人で戦い続けるハメになった。

 仲間はいたが、この世界――地球世界ガイアの出身者はひとりもいなかった。


 俺は精神的に追い詰められ、狂ったように力を求めてクリスガルドを彷徨い、そして――魔王に挑んだ。


 結果は、敗北だった。

 魔王に嘲弄とともに叩きのめされた俺は、クリスガルドが滅ぶ様を見せつけられた。


 最後の最後で、クリスガルドの精霊たちが俺とパーティの仲間を地球世界ガイアへと送り返してくれた。

 そしてその後、精霊世界クリスガルドは滅亡した――。


「5000万」

「え?」

「俺が救えなかった命の数だ」

「…………」


 セリカが息を呑む。


「俺は勇者だ。

 それも、世界を救えなかった勇者だ。

 そんな勇者に、お前はいまさら何を望む?」


 俺の言葉は、自分でも弱々しく感じられた。

 セリカのことを拒もうとしているくせに、心のどこかでは救いを求めているような、情けなくて中途半端な言葉だ。


 セリカは、ゆっくりと口を開いた。


「わたしたちも――たくさんの仲間を失いました。

 最盛期の魔王軍は七百万。それが今では十万も残っていません。

 わたしたちが救いがたいほどに甘く、愚かで――何より弱かったからです」

「……それは、お前の責任じゃない」

「わたしが将でなかったという意味では、その通りですね。

 ですが、わたしは魔王の娘として何不自由なく生きてきたのです。たとえ殺されようとも、魔族としての誇りを捨てるわけにはいきません」

「誇り、か。

 だが、今ではお前は、こうして安全な異世界にいる。そもそも、お前の親父さんは、お前に生き延びてほしくて、この世界に送り出したんだろう? お前は、親父さんの想いを無にしてでも、死しか待ってない世界に戻ろうっていうのか? 誰一人、幸せになることのない道だぞ」

「覚悟とは、そのような理屈で捨てられるものではありません。

 覚悟とは、自分自身にかけた呪いです。

 わたしの言ってることを、甘いとか、理想論だとか言う人はいると思います。

 その通りかもしれませんが、そう言われることまで含めての覚悟なのです」

「……死ぬ覚悟はできてるってことか?」

「ええ。でも、決して死ぬことが目的なのではありません。どんなに惨めな思いをしても、わたしにできることを何でもやることこそが目的です。

 だから――わたしはあなたを何がなんでもクロウ=チャーティアに連れて行きます」

「結局、俺の力が目当てなのか」

「そうです。

 ごめんなさい――でも、そうなんです。

 だけど、何を約束しても、あなたは『はい』とは言ってくださらなかった。

 ですから――」


 セリカは立ち上がり、腰の短剣を引き抜いて、両手で柄を握り直し、その切っ先を自分の喉元に突きつけた。

 そして、言い放つ。


「――力を貸していただけなければ、今ここで死にます!」

「……脅す気か」


 俺はソファからゆらりと立ち上がった。

 そして、勇者としての威圧を解放して、セリカを真正面から睨みつける。

 セリカは、魔将ですら気圧された俺の威圧を、正面から受けきった。


「魔王は、守ると決めた者を守るためなら、手段を選びません。

 たとえ世界を敵に回そうとも、たとえ自らの命を失うことになっても、最後の最後まであがきます」


 睨み合う。


 そのまま数十秒がすぎる。


 根負けしたのは覚悟のなかった方――つまり、俺の方だった。


「……召喚権を手に入れるところまでだ」

「ありがとうございますっ!」


 感極まったようにセリカが抱きついてくる。


「わっ! お、おい……っ?」

「ああ……よかった……」


 俺が戸惑っている間に、セリカの身体から力が抜けていた。

 ずるり、と地面に崩れそうになる身体をとっさに支え、ベッドの上に横たえる。

 剣帯だけでも外してやろうと思ったが、剣帯に手をかけるとセリカは眠ったままでそれを押さえた。


 俺は大きなため息をついた。


「……今回だけだ。今回だけ、力を貸す」


 周囲の精霊たちが、不満そうにブーイングする。


 精霊は心が素直で清い者を好むという。

 こんな煮え切らない態度を取るような奴は嫌われて当然かもしれない。

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