第2章 覚悟-1

「――忘れていた、じゃありません! 留年するかもしれないんですよ!」


 いきなりの大声に耳がキーンとなった。


「ち、ちょっと待ってくれ先生。今取り込み中だったんだ!」

「何が取り込み中ですか! これまでもそんなことを言って呼び出しを無視して――あら、そっちの子は?」


 狐菅こすが先生が俺の隣に驚いた顔で立っている少女に目をとめた。


 先生がセリカリアを観察している間に、俺はこの部屋を観察する。

 一流ホテルのスイートルームのような部屋だ。

 話には聞いていたが、オーソドクスの教師は本当にこんな部屋をもらってるんだな。築30年の俺ん家と比べたら宮殿と木賃宿くらいは違う。


 そして、隣室へとつながる扉の奥に、俺は静かに眠る魔獣の気配を感じている。

 おそらく、あれが噂の先生の従魔――グリフォンなんだろうな。

 今は眠っているみたいだが、客――俺やセリカリアの気配を探っているような気がする。

 眠りながらそんなことができるとは器用なもんだ。

 もし俺やセリカリアが先生に危害を加えようとしたら、あのグリフォンは一瞬にして覚醒し、物質と精神を同時に侵食するという独自のブレスでもって、俺たちとこの部屋を破壊することだろう。


 俺は猛獣の檻に放り込まれたような気がしているのだが、セリカリアは幸いなことに隣室の剣呑な気配には気づいていないようだ。


「あ、えと、初めまして……ミドラニア魔王国第一王女、セリカリア・アシュレイと申します。あなたは?」

「ああ、いきなりごめんなさいね。

 私はオーソドクスで教師をしている狐菅佳音こすがかのんです。

 異世界の方? 私の召喚魔法に巻き込んでしまったみたいですね」

「あれが……召喚魔法なのですか!? 凄まじい精度と速度でしたが……」

「ユグドラシル内部程度の広さなら、相手がどこにいても逃げる暇すら与えず召喚できるんだったか。実際めちゃくちゃだなこれ」


 召喚者に悪意があったらどんな相手にでも不意打ちをかけることができてしまう。

 使い手が狐菅先生だから黙認されているが、そうでなかったら政府によって厳重な使用規制をかけられていてもおかしくない。


 が、先生にとっては今更な話だったらしい。

 かわいらしく小首をかしげて聞いてくる。


「それで、この子はどうしてここに?」

「……さあ?」


 俺は間髪入れずに答えていた。

 セリカリアと名乗った少女の周りには、次元精霊が漂っていた。

 先ほどの召喚で多くの精霊が魔力として消費されたが、その後も続々と集まってきた精霊たちが、セリカリアにじゃれつくように踊っている。

 精霊の一人が俺に向かってあっかんべーをしてくる。


「てめえら……」


 どうもこいつらは俺に当てつけようとしてるらしいな。


 俺は次元精霊たちを無視しつつ、狐管先生にアナポで起きた出来事について説明する。

 異世界からの不正規転移が起こったこと。

 その発端となったのが、ミドラニア魔王国王女を名乗るこの少女であること。

 勇者の一味だというゴロツキにしか見えない男たちがセリカリアを追って現れたこと。

 さいわいにして、魔王軍を殲滅しかけている勇者の一味という割には、それなり程度の実力だったため、俺でも何とか退けられたこと。


 ……「それなり程度の実力」「俺でも何とか」の辺りでセリカリアが何か言いたそうにしたが、睨んでむりやり黙らせた。


「なるほど……そんなことが」


 先生が小さくうなずいた。

 ひょっとしたら先生が異常にものわかりがいいように思われるかもしれないが、そうではない。

 この程度の事件は、ここオーソドクスでは、頻繁とまでは言わないまでも、たまには起こる部類に入る。

 事件の内容も、相も変わらない勇者、魔王、召喚の三題囃で、陳腐とすら言っていい。


 もちろん、その渦中にあるセリカリアにとっては陳腐では済まない問題なのだが……。


 先生が関係各所に連絡を取り終えると、セリカリアがガバッと頭を下げて言った。


「――リュウトさん! コスガ先生!

 お願いします! ミドラニア魔王国とわたしに、お力をお貸しください!」


 俺と先生は、思わず顔を見合わせてしまう。

 先に口を開いたのは先生だった。


「――ごめんなさい。私は立場があるから、セリカリアさんに協力はできません」


 キッパリと、先生が断った。

 ちょっと――いや、かなり意外だ。

 立場があるからなんて、狐菅先生がいちばん言いそうにないセリフの筆頭だ。

 俺の怪訝そうな表情に気づいたのだろう、先生が言う。


「……私がどうしてこんなに強力な召喚魔法を使えるかわかりますか?」


 俺とセリカは首を振る。


「それは、守る範囲を決めてるから。

 昔だったら、一緒に召喚されてしまった生徒たち。

 今は受け持ってるクラスの子たち、ついでオーソドクスに通う全生徒。

 ただし、自分の身を守れる教師や居合わせただけの部外者やオーソドクスの設備なんかは対象外。

 この範囲は絶対に守る、そう決めて召喚獣と契約してるんです。

 ……これ以上は秘密だけど」


 秘密と言いつつ、かなり大事なことを狐菅先生は教えてくれた。

 自分の能力の性質や限界を他人に知られたいと思う勇者はいない。

 それだけ先生が申し訳なく思ってるってことだ。


「それに――」


 先生は言葉を切ると、いたずらっぽく笑った。


「――力なら、海野君が貸してくれますよ」

「ち、ちょっと、何を勝手に――」

「だって、話を聞く限り、海野君はさっきの戦いでも全然本気じゃなかったでしょう?」

「えっ……あれで、本気じゃなかったんですかっ!?」

「ええ。本気になった海野君は、たぶんわたしより強いわ」

「コスガ先生より……」

「おい、いい加減なこと言うな! 先生はSランク勇者だぞ!? 俺が敵うわけないだろ!」

「精霊魔法だって使わなかったみたいだし?」

「……使わなかったんじゃない。使えないんだ」

「私はそうじゃないと思うけど、伝わらないと思うから、この話はこれでおしまい」


 反駁しかけた俺を狐菅先生が制す。


「でも、力を貸すかどうかは別として、セリカリアさんの同伴者は引き受けてくれますよね?」


 異世界人は、今のところ、日本側の受け入れ体勢の問題で、日本側同伴者なしでの外出を禁じられている。

 一人でも軍隊並みの戦闘力を持つ異世界人も存在するからだ。

 また、中世並みの文明レベルの異世界人を野蛮人と見て危ぶむ人たちも一定数いる。

 受け入れ体制はAWSO設立から十年経った今でも整っているとは言いがたい。

 ユグドラシルは異世界に対する「出島」なのだいうのが、定説と化した論評だ。


 その「出島」の案内役を務めるのが、先生の口にした「同伴者」という存在だ。

 もちろん、同伴者というのは体裁を気にした言い方で、実質的には監視者以外の何物でもない。


「冗談じゃない! どうして俺がそんな面倒なことを――」

「どうして? 単位が足りないからに決まってるじゃない!」

「うっ……」

「セリカさんの同伴者を引き受けてくれれば、私が担当してる汎用魔術コモンマジックの点を底上げしてあげますよ?」


 先生が、取引を口にした。

 普通の学校じゃありえないことだと思うが、オーソドクスの教師はかなり強力な裁量権を持っている。この程度はよくあることだ。教師から交換条件を引き出せるようなたくましい者こそ干渉官向きだという理由もあるらしい。

 日本の学校には珍しい剥き出しの実力主義だが、この程度の環境に適応できないようでは異世界で生きていけるわけがない。それがAWSO設立者であり自分自身異世界召喚された経験もある狐管理事長の意見だった。それについては俺も同感だ。

 もっとも、俺はもはや異世界に行きたいなどとは思ってない。やる気のない者にとって、オーソドクスは地獄のような環境だ。


「もうちょっとちゃんとした理由もあります」

「ちゃんとした理由?」

「通訳の問題です。セリカリアさんがやってきた世界は、まだ地球世界ガイアにとって未知の世界です。だから通訳がいません。となると、セリカリアさんと意思疎通を取れるのは――」

「……勇者だけ、か」


 こくりとうなずく狐菅先生。

 勇者は異世界人と通訳なしに話すことのできる解明不能の能力を持っている。

 俺は1年前に異世界である精霊世界クリスガルドに勇者として召喚されたし、狐菅先生も担任していたクラスごと異世界に召喚された経験がある。

 なまじ普通にしゃべれるもんだから忘れてたが、セリカには言葉の問題があったんだった……。

 ギアに言語を学習させることはできるが、滑らかに意思疎通ができるようになるまでには少なくとも2、3日は必要だ。数時間もあれば初歩的な会話くらいはできるようになるが、常識の違いについてギアが解析結果を出すのにそのくらいの時間がかかるのだ。

 同じ地球人であっても国籍によって習慣や常識が大きく異なる。これが異世界人ならなおさらだ。予想もしないところでトラブルに巻き込まれるおそれがあった。


「……わかった。やるよ。単位は魅力だしな」

「またまた。海野君なら困ってる人を放っておかないと思ってました」


 えへん、と狐菅先生。ちょっと実年齢が垣間見える動きだった。


「……単位が魅力だからだ」


 俺は繰り返し言って、席を立つ。


「セリカリアさんの処遇は、伯父様――いえ、AWSOの狐菅理事長に相談してみます。

 結果が出たらギアにメッセージを入れるので、それまでユグドラシルを案内してあげてください。せっかく地球世界ガイアに来たんですし」

「「ありがとうございました」」


 期せずして、俺とセリカの声がハモった。

 セリカにまとわりつく次元精霊が小さく笑った。

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