第1章 異世界転生学園の日常-3



 放課後――

 俺は狐菅先生の職務室に向かうべく、1年教室フロアから無慣性エレベーターを乗り継ぎ、教員職務室フロアへとやってきた。

 行き交う教師がちらりと俺の方を見ながら教員会議室の方へと向かっていく。


 別に注目されているわけではないが、教員用フロアに来るとやはり緊張する。

 セントミリアの王宮ではそんなに緊張しなかったというのに不思議なものだ。

 それとも、あの時はなんだかんだ言ってゲームの世界にいるような現実離れした感覚があったのかもしれない。


 俺はM/Vエムヴィーで立体表示される道案内に従って廊下を進み、狐菅佳音教諭職務室と書いてある一室の前で立ち止まる。


 ドアをノックしようとして、視界の隅に何かがちらついたような気がした。

 その何かに猛烈な既視感を覚えた俺は、勢いよくそっちを振り向いた。



「――精、霊?」



 それは間違いなく精霊だった。

 俺が言うんだ・・・・・・から間違いない・・・・・・・

 ふわふわとした薄紫色の光の中に、おぼろげに小さな人影が浮かんでいる。

 子どもの頃親戚の女の子が遊んでいたナントカ人形みたいな大きさだ。


 精霊は、「クスクス……」とはにかむように笑うと、その姿を薄れさせながら、ゆるく弧を描いている廊下の奥へと消えていく。


「ま、待ってくれ!」


 俺はあわてて精霊を追いかける。


 が、


「……いない?」


 精霊は廊下から消えていた。

 俺は、本当にひさしぶりに、精霊の気配を探っていた。


 俺には精霊の気配を感覚的に察知する能力がある。

 正確に計ったことはないが、だいたい1キロまでなら精霊の種類まで判別できる。


「……だいぶ下だな?」


 高給取りのエリートであるオーソドクス教員の職務室があるこのフロアは、200層あるさいたまユグドラシルツリーの中でも195層という超高層にある。


 この上には、屋上にある次元観測所とAWSOの役員室くらいしかない。


 逆に下はと言うと、5階層ぶち抜きの大規模戦闘演習室、魔法訓練室などを挟んで、150層から145層にアナポ――アナザーポートと呼ばれる、異世界転移装置を備えた異世界港がある。


 その下は、20層にも及ぶ模擬迷宮を挟み、先ほどまでいたオーソドクスの授業施設、その更に下にはオーソドクス学生寮がある。


「次元精霊、だったな」


 先ほどの精霊は次元と時空を司る次元精霊だった。

 次元精霊は、大きな時空の歪みのある場所にしか存在しない。

 とすると、


「アナポか」


 俺は最寄りの無慣性エレベーターに乗って145層――アナザーポートのフロントフロアへと降りる。


 フロアは種々雑多な人々でごった返していた。

 様々な国籍の外国人――だけではない。

 耳の尖ったエルフやずんぐりしたドワーフといった、10年前まではファンタジーの住人だと思われていた人々が、別の世界への送還を求めてフロントに列をなしている。


 初め、異世界からの危険人物や魔物の流入を恐れて国によって厳格に管理されていたアナポだが、昨年度から段階的に民間への開放を進めている。

 それに伴い、40基あるという転移装置の稼働率も上がっているはずだから、異世界から流れ込んだ次元精霊が住処にしていてもおかしくはない。


 俺は列に割り込み、フロント係に話しかける。怪訝な顔で俺を咎めようとしたフロントの男に、ユグドラシルの構造部品と同じライトミスリルで作られた学生証を提示する。

 スキルの欄に精霊使役型魔法があることを確認してもらい、このフロアに次元精霊が迷い込んだ可能性があることを伝える。


 エリートクラスであるA組所属であることも説得力を発揮したらしく、係員は上司の指示を仰ぐべくフロントの奥へと消えていった。

 まず最初に権威をちらつかせる――お役人への対処方法は、異世界でもこの世界でもあまり変わりがないと苦笑する。


 もちろん、係員が戻るのを待つつもりなんてなかった。

 精霊の気配を探りながら、気配遮断で姿を隠し、アナポのゲートを問題なくくぐり抜ける。


 そして俺は「転移ゲートE3」と記された一角へと潜入する。


 今現在は未使用であるらしい「転移ゲートE3」には人気ひとけがなかった。


 がらんとしたドーム状の空間だ。

 一見何もないスペースだが、床下には半導体印刷技術を用いて緻密に描き込まれた魔法陣が幾層にも渡って敷き詰められているという話だ。いくつかの世界の異世界召喚技術を解析し、組み合わせて用いたそれは、他のどの世界にも存在しないだろう魔法陣のバケモノというべき代物だ。

 魔法技術に特化した特定帰還者――俗にいう賢者型勇者であっても、こんな規模の魔法陣を自分の脳内で展開することはできないだろう。だからこそ、一度異世界に召喚されてしまうと、よほど特殊な能力に恵まれない限り、自力で元の世界に戻るのは難しい。


 ドームは高さ10メートルちょうど、床も半径10メートルちょうどの半球形をしている。送還・召喚魔法の範囲は多くが球形のため、その方が都合がいいからだ。また、ちょうど10メートルにしておけば異世界からここにものを送る際にもサイズの見当がつけやすい。


 照明が落とされ、薄暗いドームの中に、薄紫の燐光を放つ精霊が集まっていた。

 その数は百を超えそうなほどで、精霊光を捉えられる俺の目にはドーム内が紫色に輝いて見えるほどだ。


「――おい、お前ら」


 俺は精霊に呼びかけるが、答えはない。


 俺が勇者としてやり損なってから、精霊たちは俺の声を無視するようになった。

 俺の方でも、精霊たちの声が聞こえなくなった。


 精霊たちは、狂ったように一カ所に集まり、人型を解いて純粋な次元魔力へと形態を戻していく。

 そこにひとつの「扉」を作ろうとしていることが、俺にはわかった。


 次元魔力は途方もない勢いで凝集し――爆ぜた。


「くっ……」


 凄まじい精霊光から目をそらす。

 精霊光はすぐに収まった。

 その場所に目を戻すと、そこには一人の少女が立っていた。


「ここが……異世界……?」


 呆気にとられたようにつぶやいたのは、14、5歳くらいの少女だった。

 メタリックな光沢のある銀色の髪とルビー色の瞳、色白の肌。この世界にはありえない容姿をしている。


 その上、少女はかなり奇妙な出で立ちをしていた。

 冒険者風の軽装備だが、その一品一品が一級品であることは、装備にまとわりつく精霊たちを見ればわかる。

 腰の剣帯には背丈に見合った短剣グラディウスが提げられていた。


 そこまではいいのだが、右手に持ったバカデカい大盾タワーシールド。これだけは異質だ。

 大盾タワーシールドは、少女の身体をすっぽり隠せるほどの大きさで、神金属オリハルコンで作られているようだった。

 表面には竜の鱗のような意匠が施されており、盾の下端には、地面に固定するための巨獣の牙のようなスパイクが3本も生えていた。


 そんな凶悪な見た目の大盾タワーシールドに半ば隠れて立っている少女は、見た目の奇抜さに反して、真面目そうな顔立ちをしている。

 少女は意志の強そうな大きな瞳を見開いて周囲を見渡し――


 俺と、目が合った。


「…………」


「……よぉ」


 何と言っていいやらわからず、そう声をかけてみる。


 少女はしばし固まっていたが、


「あの……ここはどこですか?

 あ、『ここ』というのはつまり、この世界ということなんですけど……」


 いきなり、そう聞いてくる。


「この世界か? A/Wコード0000クアッド・ゼロ地球世界ガイア――と言ってわかるか?」

「え、えーだぶ……?」

「……わからないみたいだな。ってことは、未確認世界からの非正規召喚か」

「え? ええ……?」

「あんたはどこから来たんだ? つまり、どこの世界から来たかってことだが」

「く、クロウ=チャーティアです」

「クロウ……チャーティア?

 ……知らないな」


 AWSOによって確認済みの異世界は、召喚科の授業で丸暗記させられている。

 だから、真面目な生徒なら自信を持って断言できるのだろうが、俺は残念ながら落ちこぼれだ。

 しかし、おそらくではあるが、彼女の口にした世界は、まだ知られていない世界だ。


「……魔王城の禁書庫にあった魔法が……まさか、成功するなんて……」

「異世界送還・・魔法か? それは珍しいな」

「珍しい……ですか?」

「普通は、異世界召喚魔法なんだよ。異世界から都合のいい勇者を召喚するためのな」

「勇者……!」


 少女は憎々しげにその言葉を口にした。


 それから、少女は我に返って、


「そういえば、自己紹介がまだでした。

 わたしは、ミドラニア魔王国第一王女セリカリア・アシュレイと申します。

 あなたは?」

「俺は――」


 どう答えようか迷う。


 そこで、床の魔法陣が、再び駆動音を発していることに気がついた。

 そして、再びの精霊光の爆発。


 光が収まると、そこには複数の男が現れていた。

 それぞれ高価そうな魔法装備に身を包んでいるが、顔を見ればわかる。

 こいつらは、ごろつきの類だ。


「アナドィリ……!」


 少女――セリカリアが鋭い声を上げた。


 その声に、男たちの1人がセリカリアを見、口笛を吹いた。


「ほう、魔王女様じゃねえか。こいつぁ運がいい。

 だが、ここは一体どこなんだ? 賢者サマが、魔法で俺たちを飛ばしたところまでは覚えてるが……」


 男たちは物珍しそうに周囲を観察している。

 その様子はふてぶてしいというほかなく、見知らぬ場所への怯えの色は浮かんでいない。


「……早く、逃げてください!」


 セリカリアは俺にだけ聞こえるようにそう言って、腰の剣帯から短剣を抜いた。

 俺は制服姿だから民間人に見えたのだろう。


「どうやってここに!?」

「賢者サマが教えてくれたんだよ。

 魔法を使って魔王城から脱出した魔族がいるってな。

 魔王が怖じ気づいて逃げたんじゃないかってんで、俺たちが追うことになったんだ」

「お父様は逃げたりなどしません!

 でも……どうやってあの魔法を……?」

「そこはさすがの勇者様だ。

 竜族の長老を締め上げて、心当たりの魔法を吐かせたのさ」

「くっ……酷いことを……!」

「ふん。勇者様のご下問に答えないのがいけないんだよ。素直に答えていりゃあ、生まれたばかりの子どもを殺されずに済んだだろうに」

「……っ!!」


 セリカリアが全身全霊を込めて男を睨むが、男は歯牙にもかけなかった。


「――さて、魔王じゃなかったのは残念だが、魔王の娘だって殺せるに越したことはねえ。

 魔王を倒した後の分け前を増やすためにも、おめえの首はもらってくぜ」


 男は勝手なことを言うと、だらりと下げた剣を振りかぶった。


 男の動きはかなり鋭い。

 男はセリカリアの構える大盾タワーシールドに、がつんと凄まじい勢いの斬撃を加えた。セリカリアの盾が床に食い込む。セリカリアはあわてて盾を抜こうとするが、それより男の動きの方が早かった。

 男は盾に片手をかけると、それを梃子にセリカリアの側面へと周る。その勢いを利用して剣を振り上げ、セリカリアの首を跳ね飛ばそうとする。


「死ねやおらああッ!」


 セリカリアが身を固くするのが気配でわかる。


 ――身体が、自然に動いた。


 身体が覚えていた歩法の極意がセリカリアとの距離を一瞬で詰め――

 衰えていなかった動体視力がCランク勇者に匹敵する速度の剣撃を見切り――

 俺は風の精霊をまとわせた指先で、剣の腹をすくい上げるように弾いた。

 剣の軌道がセリカリアの首から逸れる。


 相手の反応など確かめない。

 俺は剣を叩いた指を、剣を叩いた反動を吸収しながら貫手に変える。

 その貫手で狙うのは男の喉笛だ。


 溢れる、血。


 勇者として必要に迫られ人を殺したことなら嫌と言うほどある。

 その感覚が、この男はまだ死んでいないと告げている。


 俺は貫手を開いて男の頭をつかみ、全身の力を使って男の頭を容赦なく地面に叩きつける。


 男の身体から力が抜けるのがわかった。


「――事情は知らないけど、よ」


 俺はゆっくりと身を起こしながら言う。


「お前らが悪人だってことはよくわかった」

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