第1章 異世界転生学園の日常-2


『――さいたま新都心スマートバスをご利用いただき、誠にありがとうございます。

 次は、第3シャトル発着場前、第3シャトル発着場前でございます……』


《――次が、目的地の停留所です。ブザーを押してください》


「……っと」


 ぼうっと外を見ていた俺にギアが警告する。


 俺は慌ててブザーを押し、バスを降りる。


 バスを降りた俺は、目の前――いや、目の上に存在するクソバカデカい建造物を見上げる。


 さながらスペースコロニーのような巨大な建造物が、そこにはあった。

 全高、1034メートル。

 夏の日差しを受けて、建造物の構造材であるライトミスリルの白銀が、目に痛いくらい輝いている。

 建物の全体は円柱形で、各層は長径220メートルの楕円形。

 円柱のそこかしこから、ブランチルートと呼ばれる構造体が、まるで鬼樹トレントの腕や足のように、空に地面に突き出している。

 ブランチルートは、それぞれがちょっとしたビル以上の大きさだ。


 そして――ぶっちぎりで世界最大の建造物だというそれは、大きさだけでは満足できないとばかりに宙に浮かん・・・・・でいた・・・


 ――さいたまユグドラシルツリー。


 通称・さいたま世界樹。

 名前はやや間抜けだが、ものがものだけに、世界のどこに行っても「サイタマ」「ユグドラシル」といえばそれだけで通じるほど有名な建造物だ。


 その巨体は、およそ3500の浮島からなる異世界ラグナ・ラグーナからの帰還者が持ち帰った重力魔法によって維持されている。

 都市ひとつがまるごと収容できるというその膨大な容積の中には、AWSO本局と異世界省、次元観測所、異世界港、異世界バザール、そして俺の通うオーソドクス――異世界転生学園といった、異世界関連の組織が詰めこまれている。


 俺はバス停そばのシャトル発着場に近づくと、


「――ギア、シャトルを」


《――了解》


 ギアに命令を伝えると、ユグドラシルの足下から伸びるルートのひとつから卵形の八人乗りシャトルが降下してきた。遅刻気味の俺の他に乗る者はいない。


 立ち乗りの搭乗スペースに乗り込み窓際のレールをつかむ。シャトルは無慣性で上昇し、ルートに開いた穴からユグドラシルの中へと入り込む。

 シャトルは自動で俺を識別し、維管束と呼ばれるチューブの中を時速100キロで駆け抜ける。重力魔法のおかげで加速度は一切感じない。


 まもなくシャトルは学園オーソドクスのあるユグドラシル第90層へと到着した。


 俺はシャトルを降りると人気のない廊下をぼんやりと歩く。

 この時点で遅刻は確定していたが、急いできたふりをするようなサービス精神は俺の中にはない。


 ガラガラと扉を開ける。


 今時アニメでも見ないようなアナクロな扉だが、オーソドクスの施設はかなり忠実に「学校らしく」作られている。

 異世界へ渡った時に心の支えとなるのは故郷の風景なのだという。

 そういう意味で郷愁を誘うようないかにもな学校設備になっているらしいが、そういうのに郷愁を感じるのは、子どもたちではなくむしろ大人たちなんじゃないか?

 オーソドクスが作られた時の総理大臣は大のアニメオタクだったというし。


「すみません、遅刻しました」


 一言断って、朝のホームルーム中の教室を抜けようとする。


 が、


「ちょっと、腑抜けるのもたいがいにしなさいよ!」


 クラス委員長の女子がいきなり噛みついてくる。

 返事するのが面倒だったので、俺はその女子をジロリと睨む。

 いつもならしばらく睨み合いをして終わるのだが、今日はいつもよりしつこかった。


「っ! な、何よ、せっかく勇者の力持ってるのに、なんで生かそうとしないのよ!」

「……俺はもう勇者じゃない」


 つぶやくように言って、俺は自分の席へと向かいかける。


「あ、ちょっと待って、海野君」


 後ろから声をかけられ、俺は首だけで振り返る。


「――はい、成績表」


 そう言って二つ折りの紙を渡してきたのは担任の狐菅佳音こすがかのん先生だった。


 狐管先生は、俺の肩くらいまでしかない身長と童顔のせいで、クラスメイトの大半より幼く見える。

 頼りなさそうに見えるが、実は超がつくほど優秀なSランク召喚師だ。


 狐菅先生は、AWSOができる以前に、担任していたクラスごと異世界に召喚された。

 狐菅先生は、担任していたクラスの生徒たちを守りながら、召喚した王国と魔王を相手に大立ち回りを見せ、無事全ての生徒をこの世界へと連れ帰った。

 準備なく異世界に召喚された者の生還率は10%を切るというから、驚くべき成果だ。AWSOに所属する生ける伝説リアルレジェンドの一人と言っても過言ではない。


 ……しかし「AWSOができる以前」って、狐菅先生いくつなんだよ……。


「……何?」

「いえ……」


 俺は狐菅先生の差し出してきた成績表を受け取り、席に着く。


 M/Vが花盛りの時代になっても、成績表は紙で手渡しされる。

 そして、これを開く時の緊張感も変わらない。

 俺はため息とともに成績表を開く。


 1年A組3番 海野竜人 16歳 特定召喚帰還者(変則)


 そのすぐ下には学科の成績がある。

 A組は高等部相当クラスなので、普通の高校と同じ科目も教えている。

 平均より少しマシ、という程度の成績だった。

 抜け殻として生きていくならそれなりに勉強はしておく必要がある。面倒だが、そこまで手を抜いているわけではない。


 問題はその下だ。


 召喚科科目〔合計4つ以上のBを取得すること〕

  現代知識(政治・経済) C

  現代知識(自然科学一般) C-

  現代知識(応用物理学・工学) C

  現代知識(医学・薬学) C

  現代知識(農業) B-

  現代知識(食品・調理) A

  汎用魔術コモンマジック(知識) C-

  模擬戦闘 B-〔近接・魔法混合戦闘〕

  特殊技能 C〔精霊使役型魔法〕


 俺は成績表を凝視して、B以上の数を数えた。

 Cはわざわざ赤字で印刷してあるので、黒字だけを数えればいい。

 現代知識(農業)と現代知識(食品・調理)、そして模擬戦闘。

 3つしかない。


(……ははっ。ついに落第か……)


 乾いた笑いしか出てこない。

 いくら召喚科科目は単位認定が厳しいとはいえ、あんまりの成績だ。


「――今回、赤点を取った者には、特別補習を実施します。

 該当者は放課後私の職務室まで来てください」


 膨大な報酬で雇われているこの学園の教師たちは、それぞれ専用の個室――職務室を用意されている。

 つまり先生は、落ちこぼれの生徒にマンツーマンで補習授業をしてくれると言っているのだ。


 先生の言葉に、クラスメイトの視線が俺の方に集まる。

 A組は入試の成績が優秀だった者と、数名の召喚・転生の経験者が集まる選抜クラスだ。

 赤点なんて取りそうなのは俺くらいしかいない。


「――ちっ。狐菅ちゃんに迷惑かけんなよ、腑抜け」


 誰かが聞こえよがしにそう言った。

 たぶんあいつだ。

 小学校の時に電車事故で死んで異世界に転生し、冒険者をやって糊口を凌いでいたところを、同じく転生していたこの学園の先輩に救われ、この世界に戻ってきたという半獣人の生徒。

 身体能力が高く、模擬戦闘では負けなしだ――俺を除いて。

 模擬戦闘でつい熱くなって少し本気を見せてしまったことがあり、それ以来やたらと絡んでくるようになった。


 が、狐菅先生に迷惑かけるなというのは全く正しい言い分で、ぐうの音も出ない。


 ――何やってんだ、まったく。


 腑抜け、などというあだ名で呼ばれるようになったのはいつからだろう。

 周りに興味を持たず、それこそ腑抜けた学園生活を送ってきたから、いつからそう呼ばれるようになったのか、何がきっかけだったのかもわからない。


 いつの間にかそう呼ばれていたが、俺自身内心でそれを受け入れてしまっていた。

 発憤して見返してやろうなんて気力もない。


 俺は成績表を鞄に収めると、既に授業が始まっている教壇から目をそらし、窓の外の空を見る。

 地上650メートルの教室からは、本当に空しか見えなかった。


 雲ひとつなく晴れ渡った薄い色彩の青空は、かつていた世界のことを思い出させる。

 目をつぶり、こみ上げてくる何かをやり過ごす。



 ――キャハハッ……フフ……



 どこからか、精霊の声が聞こえた気がしたが――

 もちろん、ただの幻聴にすぎなかった。

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