少女の最期

ああ、眩しいな。

私には似合わない、春の暖かな光。

教室の窓から入ってきた桜の花びらを受け取ってはまた外に飛ばす。

世界はこんなに光で満ち溢れてるのに。

私はいつでも闇の中にいる。

親がいないからと虐められ、罵倒を浴びる毎日に生きる希望なんてなくて。

死にたいと思っているのに、そんな勇気すらなくて。

何度縄を吊るしても、窓辺に立っても、カッターを手にしても私の心はそれを拒否する。

そんな自分が嫌で仕方がない。

不登校になれば逃げたと言われる。

居場所のないこの空間で、私はずっと独りぼっち。

私は生まれた時に引き取られてから、ずっとずっと孤独だった。

嘲笑われて、まるで怪物を見るような目で見られる人生。

親がいないから何だ。

私は何も悪くない。

私を捨てた両親を。

哀れみの目で見てくる大人達を。

私を見下す子供たちを。

そんな人達を恨む毎日。

酷くボロボロになった自分の心を癒してくれるものはない。

そんな荒んだ心に宿った光。


中岡 碧音


あまり目立たないからか、1度も見たことのない人。

どうせこの人も汚れた他人と同じなんだと感じて距離を取った。

でも、いつからだっただろう。

彼が虐められるようになったのは。

今まで私だったポジションが、ある日彼のポジションへと変わった。

机の上には落書き。

中には紙くずの山。

絶えない陰口。

私が今まで経験してきたこと。

最低だと思うけど、嬉しくなった。

もう、あんな想いをしなくても良い。

私の代わりに彼がこれから傷付いてくれる。

彼が驚く姿を見ながら、陰で頬を緩ませた。

でも、ふと思った。


このままでは彼らと同じ人間になる?

このまま汚れてしまう?


それは嫌だ。

でも、もうあんな想いしたくない。

いっそ全て消えてしまえば良いのに。

このまま、白い雲が青い空に溶けていくように消えてなくなれば悲しいことなんて1つもないのに。

よく考えれば彼は何もしていない。

誰かの悪口を言ったわけでない。

迷惑をかけたわけではない。

ずっと椅子に座って本を読んでいるか寝ているかなのに。

虐められる理由なんてあるだろうか。

私だって。

そう。虐めに理由なんてないのだ。

力があれば人はすぐ上に立ちたがる。

それだけ。

彼はそれを知っているのだろうか。

傷付いた様子は一切見られず、むしろ嬉しそうというか、飄々としているというか。

嫌そうではない。


不思議。


でも、視線を落とすとやはりそこには悪口が書かれている。

······ドMなのだろうか。

いや、それはない。

彼は嬉しいのではない。

挑発しているのだ。

煽って、煽って、煽りまくって暴力を振るってくるまで待っているのかもしれない。

そうすれば皆、ただでは済まされないから。

軽蔑の眼差し。

背筋が凍るほど冷たい視線。

これが賢い、というのか。


ああ、この人は何かが違う。

そこら辺の汚れた人とは違う何かを持っているに違いない。

真っ直ぐな瞳。

ずっと待っていた。

あんな人を。

「絶対助けるから。」

私が言える言葉ではないけど。

口だけでは言わせて欲しい。

必ず綺麗な世界を見せてあげるから。

だから、隣に立たせてください。

余裕ありげに微笑む彼をずっと見ていた。


それからは毎日が変わった。

彼は私のことなんて知りもしなかったけど、私はずっと彼を見ていた。

私への虐めもあったけれど、それすら気にならないくらいに。

私の瞳には彼しか映らなかった。

「21番かぁ。」

席替えも運命だと思った。

なるべく彼に近い場所であって欲しいと願い、その願いも叶った。

「よろしくね。」

初めて目が合う。

純粋で綺麗な瞳。

つい見とれてしまっていた。

止まった時の中で。

彼の安心する出来る優しい声が響く。

初めての音に胸が高鳴る。

そんな声も出せるんだ。

春の柔らかい独特の空気に包まれたような、そんな優しい声。

例えるならカモミール。

白くてフワッとした幻。

赤面症ですぐに緊張してしまう私は、長い間話すことは出来なかったけど、彼のことが大好きになった。

もう1度彼を見ると、窓の外を眺めていた。

とても優しい顔で。

私と同じように虐められているのに、こんなにも違うのか。

絶望しかなかった私と比べて、彼は逆に希望が宿っているような、そんな雰囲気。

高鳴る鼓動を抑えるように、胸に手を当てて椅子に座って教科書を開く。

でも、やはり目に入るのは彼の姿。

もっと話したい。

もっと知りたい。

私は"恋"をしたのだと思う。


それから、私は変わったと思う。

あお君と毎日話すようになって、幾分か前向きになれた気がする。

あお君には子供っぽいなんて言われるけど、まだ私の心の中には闇が潜んでいる。

それでもあお君が側にいてくれるだけで私の世界は輝いていた。

その無邪気な笑顔が、私を呼ぶ声が、この心の蔵を騒がせる。

私は今でも尚、消えたいと思っている心を閉ざして、生きる希望を探した。

だから、あお君が悲しかったら私も悲しい。


「あお君は辛くないの?」

何となく出た言葉。

ずっと疑問に思っていたこと。

本当は泣きたいのだと思う。

本当は辛いのだと思う。

一緒にいて何となく分かってきた。

彼は一瞬キョトンとしてからフッと笑った。

「別に辛くないよ。」

明らかに辛そうな顔してるのに。

それさえも気付いていないのだろうか。

「本当?」

「本当だよ。」

貼り付けられた笑顔に心が痛む。

「もし、辛いって言ったらどうする?」

あお君が試すように言った。

意外な言葉に唖然として、深く考えてみた。

そういえば助ける助ける思ってても、具体的にこうする、とかは考えていなかったかも。

本当にダメだなと思う。

もしここで、あお君が泣きながら辛いって言ってきたらどうするだろうか。


クラスメイト達を怒るか。

彼の手を引いて逃げるか。


私に出来ることは何だろう。

私だからこそ出来ること。

「うーん······」

いや、それはもう決まっている。

「助ける!」

いつだって助けるから。

例え私が犠牲になったとしても。

無計画な宣言をあお君は笑う。

それで良い。それで良いんだ。

私はその笑顔が見たいのだから。


ぼんやりと空を見ると鳥が飛んでいた。

私もあの鳥みたいに自由に飛べたらな。

そしたら私も風に乗れるのに。


8月末。

カランコロンとなる音。

闇の中に灯る光。

賑わう通りと並ぶお面。


私はあお君と夏祭りに来た。

あまりクラスメイト達に会いたくないと思って、お面をしているけど、しっかりと浴衣を着て花形の髪飾りも付けた。

浴衣だと少し歩きにくい。

でも、どうしてもあお君に浴衣を見てもらいたくて頑張ったのだ。

会った瞬間に「似合ってるよ」って微笑みながら言われて、つい頬を染めてしまった。


誰かとお祭りに来るだなんてほぼ初めて。

お祭り独特の雰囲気が漂う。

狐のお面をするあお君の隣に、違う種類の狐のお面を付ける私。

彼の顔は見えないけど、時々触れ合う裾が擽ったくて、隣に人がいるのだと感じさせてくれた。

周りには大嫌いな人達が沢山いたけど、それすら気にならない。

「林檎飴買いに行こうよ。」

「うん。そうだね。」

1番端にあるお店。

可愛くて綺麗な飴が並ぶ。

「可愛い······」

ここら辺は人も少なくて静かになっている。

「そうだろう?好きなのをお選び。」

お店のおじさんは優しく笑った。

私は花形の飴を選んだ。

下駄の音を響かせて何も話さずに歩く。

謎の緊張感。

2人でお面を付けて歩いている姿はなかなかに面白いと思う。

でも何か、嫌だ。

人が怖い。

無邪気に笑ってるあの子も、わたあめを食べるあの人も皆、怖い。

急に震え始める手足。

今すぐ静かな所へ行きたい。

でも、あお君は私が虐められていることを知らない。

気付いていない。

彼が鈍感なのもあるけど、私が今まで必死に隠してきたから。

もし彼がそのことを知ったら、もう失望されるのかな。

私が助けるって言ったくせにって。

「······静かな所行こう?」

「うん·····。」

あお君がどうしてそう言ったかは知らない。

もしかしたら、私の気持ちに気付いたのかもしれない。

神社の陰の階段に2人で座り、息を吐く。

仮面を外す。

遠くで聞こえる笛の音を聞きながら、空に広がる星達を眺めた。

お祭りの光よりもずっとこっちの方が綺麗。

「天の川凄いね。」

「そうだね。」

先程とは違う心地良さ。

心かぽかぽかする。

「そろそろ花火が上がるかな。」

時計の針は9時を表している。

ヒュゥと音がする。

気付けば空には満開の花火が上がっていた。

少しだけ明るくなって、あお君の顔がはっきりと分かる。

今、何を考えているのだろう。

私といて楽しいかな。

同じ気持ちになってくれているかな。

「綺麗だね。」

「うん。」

月並みな言葉しか出てこない。

それでも、幸せだった。

これからもこんな風に花火を見れるかな。

2人で並んで。

「あお君は私といて楽しい?」

「もちろん。·····千春は?」

「私も·····楽しい。」

今までで1番楽しい。

今が最高潮なのだと思う。

ずっとこんな時間が続けば良いのに。

なのに、なのに·······


幸せって壊れるものなんだ。


頭から降ってくる水。

雪が降り出した頃。

私の虐めはエスカレートした。

放課後、教室の済に追いやられてバケツの水をかけられた。

寒い日に被る水は一段と冷たく、すぐに体を冷やしていく。

響く高笑いが私を壊していく。

「もう······やめてっ·····!」

流れてくる涙を拭いながら抵抗する。

それでも人数には勝てない。


辛い

痛い

苦しい

誰か助けて·····!


「君達、何してるの?」

声を聞いた途端、涙が止まった。

助けて欲しかった人。

見て欲しくなかった人。

焦った顔であお君が近寄って来る。

どうして?

もう帰ったはずじゃ······。

「だ、大丈夫。何にもないから。」

どうしても強がってしまう。

弱い私を見ないで。

弱い私はあお君にとって私じゃないから。

あお君は私を優しく抱きしめた。

「大丈夫なわけないでしょ······強がるのもいい加減にしてよ。」

ごめん。ごめんね。

私、あお君の為に何もしてあげられない。

「······どうしたんだよ。これ。」

公哉も来てくれた。

クラスのムードメーカーで、私達を見捨てないでくれた人。

「千春······お前も虐められているのか。」

「お前も·····?」

ああ、そうか。

あお君は自分が虐められていると思っていないからね。

強い心。

本当に憧れてしまう。

頭にハテナを浮かべるあお君に、公哉は説明している。

「千春はいつから虐められていた?」

ここで「生まれた時から」なんて言ったらどうなるかな。

あお君は優しいから自分を責めるかも。

ごめんね。

少しだけ嘘をつかせて。

「······1ヶ月前から。」

心配かけたくないんだ。

上手くもない演技を披露する。

私、あお君達が思っている以上に純粋な人間ではないんだ。

こんな私でも見捨てないでいてくれる?


つまらないな。

前まで輝いて見えた世界もまた、モノクロの世界に逆戻り。

あお君も公哉もいるのに。

私は悲しむ為に生まれてきたのかな。

生まれてすぐに捨てられて、嘲笑われて。

何が足りないのだろう。

この色褪せた世界で私の生きる意味は?

自分は何を持っているのだろう。

何もかもが分からない。

空を飛びたいな。

こんな小さな籠に閉じこもってないで、自由に飛んでみたい。


「あお君。」

「ん?」

いつもの優しい柔らかい声。

私の大好きな声。

そんな声ももう聞けなくなる。

「私ね、鳥になりたいの。」

前も言った言葉。

でも、あお君は前とは違う反応をした。

焦りがこもった瞳でこちらを見る。

私自身も前とは違う想いで言った。

「何言って·····!」

少し我儘だけど、私の最後の願いを聞いてくれないかな。

本当に楽しかった。

辛いことも多い人生だったけれど、あお君や公哉が一緒にいたから頑張れた。

でも、駄目なんだ。

もうその優しさで私に触れないで。

私の心が壊れるから。


最後に、彼に私の人生を全て教えた。

今までのことを。

凄く驚いていた。

当たり前だよね。


「僕、もっと千春と生きたいよ。」

なんてさ、やめてよ。

行きづらくなるでしょう?

そんなプロポーズみたいな言葉、私には勿体ないよ。


ねぇ、知ってた?

私、あお君のこと大好きなんだよ。

隣にいるだけで胸が苦しくなる。

貴方が笑いかける度に私も笑顔になる。

褒められる度に顔に微熱を帯びる。

夢にも出てきてしまう。

それくらい好きなんだ。

たからさ、そんな嬉しいこと言わないでよ。

幸せすぎて涙腺が限界だから。


もう少しで日が暮れる。

その前に行かないと。

本当は行きたくない。

でも、生きたくもない。

心の中に生まれる矛盾。


今にも泣きそうな彼の顔を見て笑う。

本当にあお君は優しい。

しっかり、伝えないと。

後悔しないように。

「絶対に生きてね。辛くなっても。私見てるから。君は1人じゃない。」

私はこの世界に勝つことは出来なかったけど、あお君は前を見て歩き続けて。

ゆっくりで良い。

ゆっくり、しっかりと生きて。

じゃないと、私が悲しいよ。

絶対に見てるから。


もう限界。

これ以上彼の顔を見れば、躊躇ってしまう。

そろそろ、行こう。

これは私が決めたことなんだ。

悔いなどない。

そう心に言い聞かせる。


「バイバイ。大好き。」


指に少しぬくもりを感じて、私は白い世界に落ちていった。


おかしいな。


何故泣いているんだろう。


ごめんね。

本当にごめん。

大好きだよ。


────あお君。

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