第8話 救世主の願い

「お兄ちゃん、用って何?」

ここは町外れにある小さな喫茶店。

たった1人のお兄ちゃんに会いに、わざわざ隣町から汽車に乗って来た。

こんな事は滅多にないのだが、つい最近通話をしていると、妙に真剣な口調に疑問を持った。

そんな私は、思い悩んでいる事でもあるのかと心配になり、親からお金を貰って会いに来たのだ。

我ながら優しい妹だと思う。

「相談がある」だなんて言われた事ないのに、いきなりどうしたのか。

教師を辞めたくなったのか、恋人でもできたのか。

後者はこの人の人間性を見れば、想像するのは難しいと考えられる。という事はやはり、教師を辞めたくなったか。

元々教師になるのは嫌だと言っていたし。いつニートになってもおかしくない人間だ。

珈琲を飲むお兄ちゃんの前で、私は先程からどうやって話を切り出そうかタイミングを伺っているのだが、話は進まない。

私は相当の理由がなければ、この町には来ないと決めている。

こんな田舎に来ても楽しくないからだ。

だから今回も用事があると言って、いつも通り断って、家で勉強でもしようと思った。

しかし、私も相談事があったのだ。

両親は忙しくて話す時間はないし、何だかんだ言って1番慕っている。

パウンドケーキを1口食べる。

広がる甘さに幸せを感じていると、やっと声を発した。

「ちょっと、助けて欲しいんだけど。」

その言葉は私の想像を超えるものだった。

あの、認めたくないけれど天才肌であるお兄ちゃんは今まで私に助けを求める事など、1度もなかったのだ。

そんな彼が25を過ぎたというのに、16歳の妹にSOSを出すだなんて、よっぽどのことだろう。

これはマジなやつかもしれない。

フォークを持った手を止め、息を呑む。

「本当に、どうしたの?」

「あ、いやその·····」

なかなか話さない。

「俺今、軽音部の顧問やってるんだよね。」

それは知っていた。知っていたし、初めて聞いた時は驚いた。

あの無気力なお兄ちゃんが、新設された軽音部の顧問になるだなんて誰が想像していただろうか。

でも、それがどうしたのだろう。

「そこに星野 春架ってボーカルがいてさ、」

これはまさかの禁断の恋、というものだろうか。そういう場合、妹である私は応援するべきなのだろうか。

こんな人でも恋心を抱くようになったのか。

「そいつの友達になってくれないか。」

「·····ん?え?」

何故私がその人と友達にならなければいけないのだろう。

もしかすると、その子の距離を縮める為に私が仲立ちして·····。

「そいつがさ、人を、てか自分を信じられない奴でさ、親友的なのもいないらしいし。」

だからといって、他校の私が友達になる必要はないと思うのだけど。

「お前、友達いないだろ?」

「·········は?」

今世紀最大の冷たい反応。

可愛い妹に対して、それは少々失礼すぎではないか。

·····まあ、事実であるけれど。

そもそも友達とかいらない主義だし。

前は親友がいたが、今では違う。

仮の親友ならいるけど。

「そんなに睨むなよ。気が合うと思うぜ?お前と少しだけ似てるからな。」

「ふざけないで。私も忙しいの。」

「お前も相談事あるんだろ?」

帰ろうとする私を止める。

その表情からは何を考えているか分からないが、少し焦りが含まれていた。

流石に良心が痛んだので、ため息を吐きながらパウンドケーキを頬張る。

「で、何で友達にならないといけないの?友達がいれば自分を信じられるようになるって安易な考え?」

少々きつく言いすぎただろうか。

昔からメンタルが弱いから、少しでもきつい事を言ってしまえば拗ねる。

「ひ、酷い·····。」

このように。

面倒臭いが、扱いには慣れている。

「帰りにドーナツ買ってあげるから。早く答えてよ。汽車の時間もあるし。」

「実はな、」

ドーナツに反応してすぐに話し出す。

天才には抜けている人が多い。

そんな事を聞いたことがあるけれど、本当かもしれない。

いい歳した大人がドーナツに釣られるだなんて、笑えるではないか。

「お前ならあいつの気持ちが分かると思ってな。聞いたところによると、今まで馬鹿にされる事が多かったとか。それで人の目が怖くなったんだってさ。その気持ち、お前にも分かるよな?」

ドキッとした。

あまりにも真面目な声で、しかも事実を突きつけられたのだから。

しかも、その事は家族の誰にも言っていない。もちろん目の前にいる人物にも。


────親友に裏切られただなんて。


「まあ、境遇は少し違うんだろうけど。似ているところはあるからなぁ。」

流れる冷や汗。

爆発しそうな心臓。

別に隠すつもりはなかった。

実際、今日相談しようとしていたのもその親友についてだったし。

でも、この人は私の何をどこまで知っているのだろう。

住んでいる場所も違うのに、どうやってそんな情報を手に入れるのだろう。

体温が上がり、誤魔化すかのようにアイスティーを口にする。

「来週、この旅館に泊まって。そこのバイトだから。名前はもう1度言うけど、星野 春架。あ、金は出すからさ。」

信じられない。

当たり前のように話してるけど、本来、知るはずのない事をしれっと言ってしまっている事に気付いていないのだろうか。

馬鹿なのだろうか。いや、きっと本物の馬鹿なのだ。

「お、お兄ちゃんは何で·····私が気が合うと····思ったの····?」

声が震える。

そんな私の心を読んでか、一瞬にやっと笑い、珈琲を口にした。

「そうだなあ。」

意地悪だ。

「強いて言うなら、俺にも人脈があるからかな。例えばお前のクラスメイトとか。」

クラスメイト?

私のクラスメイトがお兄ちゃんを知っていると言う事だろうか。

そうなると考えられる人物はただ1人。

あいつしかいない。

1人でいる時にしつこいくらいまとわり付いてくるやつ。

あいつなら、お兄ちゃんの事も知っているはずだ。

自然と手に力がこもる。

「おおー。顔怖いぞー。」

「うっさい·····。」

アイスティーを飲み干す。

バレて悪い事ではないのだが、やはり違う地に住んでいる彼だけには心配かけたくはなかった。

毎日忙しくて親に構ってもらえない私を見てくれたのは、紛れもなく今目の前にいるお兄ちゃんなのだから。

「それで、何でお兄ちゃんはそんな深刻そうなの?」

何とか落ち着きを取り戻す。

「いや、だってさあ、同じバンドメンバーがボーカルの事嫌ってたら雰囲気悪いだろ?しかも言い合いになったなんて事あったら。」

なるほど。喧嘩になったのか。

それにしても珍しい。

いつもなら「大丈夫」で済ませるのに。

「そんなに今の部活が気に入ってるの?」

「まあな。」

珈琲の追加を頼み、私も紅茶を頼んだ。

「面白い奴が揃っててさ。勘の良い部長に、引っ込み思案なくせに貪欲な奴、冷静すぎて周りの面白い事に気付けない奴。それに、怖がりで、他の人とはどこか違う奴。」

あまりにも楽しそうに話すものだから、私は安心した。

教師になったばかりの頃は、目に光がなかったから。

「俺はそんな一癖も二癖もある奴らを導いてあげるってわけ。指導とかじゃなくて。」

教育方針とやらも定まってきたらしい。

「面白そうだろ?」

笑いながら訊いてくる。

「そうだね。」

幸せそうで何よりだ。

私も負けてられない。1度親友に裏切られただけでクヨクヨしている場合ではない。

いつか見返せるように。


自分の住んでいる町に帰るとすぐに、"あいつ"の家に向かった。

辺りはすっかり暗くなっていたが、私には関係ない。

家に帰っても誰もいないだろうし、家が近いからすぐに帰れる。

それよりも、早く文句を言いたいのだ。

赤い屋根の家を見上げ、恐る恐るインターホンを鳴らす。

扉が開き、光が漏れる。

顔を出したのは私が用のある人だった。

「翔。」

クラスメイトの長谷川 翔。

私よりも少し背の低い男子。

「あれ?ゆ、雪乃ちゃん····。あ、会いに来てくれたの?」

「そうだよ。言いたい事があってね。」

「も、もしかして····」

「よくもお兄ちゃんに余計な事言ってくれたわね。お兄ちゃんだけには言いたくなかったっていうのに。」

彼の顔は暗闇でも分かるほど青ざめた。

やはりそうか。

「ご、ごめん·····。でも、ほっとけなくて。」

翔に心配される筋合いはないのだが。

「·····もう良いよ。それだけ言いに来たから帰るね。」

振り返って帰ろうとすると、腕を掴まれた。

その理由が何となく分かってしまい、逃げようとするが叶わない。

翔は扉を閉め、周りを見回してから口を開いた。

「いつになったら、返事をくれるの?」

会う度に言われる。

「何回も言ってるでしょ?私はそういうの、興味ないから!」

入学してすぐに、私は告白された。

彼曰く、中学生の頃から好意を持たれていたらしいが、当然気付く事なく過ごしていた。

そんなある日、放課後の教室で顔を赤くして告白されたのだ。

クラスのムードメーカーの翔があんな顔をする事はほとんどなく、今でも忘れられない。

私は恋心など全く抱いていないが、告白されたのも初めてで断り方が分からずにいる。

「興味がない」だなんてふってるも同然だと思うのだが、彼は引かない。

「ごめん、間違えた。いつになったら振り向いてくれるの?」

ずっとこんな調子なのだ。

「そんなの知らないよ。離して。」

「答えてよ。どうして俺じゃダメなの?どうしたら見てもらえる?」

彼は離してくれない。

それどころか手に込める力が強くなっているのは気のせいだろうか。

「じゃあ逆に、どうして私じゃないとダメなの?私より可愛い子なんて沢山いるじゃない。どうして私なの?」

「そ·····れは、俺にも分かんない。分かんないけどっ!俺は雪乃ちゃんじゃないとダメなんだよ!」

変なの。

理由も分からずに好きになるとか、変。

「私はまだ翔の事好きではないから、離して。もう帰らないと。」

そう言うと離してくれた。

「まだって事は、いつか好きになってくれるんだね。ずっと、待ってるから。」

自分の言った事に後悔したが、今は勘違いさせておこう。



♪♪♪



私は運命だと思った。


兄の言う通り、旅館へ行き、バイトを始めたばかりの女の子だけを部屋に残した。

その驚いた顔をする彼女。

可愛い。

子供っぽさが残るその表情、純粋な瞳。

傷付けられてきた人の顔だ。

ひねくれ者は相当の事がなければ、傷付かない。

傷付くのは純粋な証拠。

人を信じやすい証拠。

お兄ちゃんは人を信じられない、だなんて言っていたけれど、この子は信じやすいタイプだろう。一目で分かる。

最初は心を開いてくれなかった。

でも、理由を話せばすぐに今までの事を打ち明けてくれた。

時々、黒いオーラをわざとに出して、恐怖心を植え込んだりもして。

途中からは涙を流していた。

この子にとって、馬鹿にされるのがどれほど辛かった事か。

私の腕の中で泣きじゃくる彼女を優しく抱きしめる。

小さい頃から顔や声を馬鹿にされた事。

何度も変わろうとしたが、無理な事。

部活内でトラブルになった事。

嫌われるのが怖いという事。

1番仲良くしている子を嫌ってしまっているという事。

ライブに出るのが怖いという事。

全て教えてくれた。

この子は抱え込みすぎだ。

根が良すぎるのだろう。


「大丈夫。」


私は知っている。

この言葉は魔法の言葉だと。

無責任な言葉に聞こえるかもしれないが、本当は凄く安心させてくれるのだ。

この言葉1つで人の気持ちは大きく変わる。

最初、お兄ちゃんに頼まれた時は乗り気ではなかった。

こんな私が誰かを励ますだなんて、出来るわけがないと思った。

だけど、分かったのだ。

私よりも弱い人がいる。

目の前で同じ歳の女の子が泣いているというのに、放っておけない。

ここまで手を差し伸べてしまったのなら、最後まで背中を押してあげなければいけないだろうけど、それでも良い。

巻き込まれても良いから、私は彼女が成長していくのを見たいと思った。

そして、望むのなら、一緒に歩んでいきたいとも思った。

友として、もっと言うなら親友として過ごしていきたい。

それは叶わないかもしれないけれど。

なんせ学校も何もかも違うのだから。

お兄ちゃんは私に似ていると言っていたが、この子は似ているようで似ていない。

根本的なところから違う。

私は唯一の親友に裏切られた。そして、私も同じように裏切った。

だけど、きっとこの子は裏切らない。

そう確信出来るのだ。

もっとこの子の事を知りたい。

仲良くしたい。

歌声を聴きたい。

欲張りかもしれないが、私の通う学校にこの子がいたら、なんて思う。

そしたら私が傷付く事も、この子が傷付く事もなかったかもしれない。

お兄ちゃんの言う通り、この子は何か違う。

少なくとも私が知っている人達とは、雰囲気からして違うのだ。

「もう、1人じゃないよ。」

もう、君は1人じゃないから。

学校は違うけれど、環境は違うけれど、私が守る。

もう、泣かないで欲しい。

笑って欲しい。

辛い時は、いつでも私が相談に乗る。

だから、もう1人で抱え込まないで。

今日初めて会ったばかりだから、信用出来ないかもしれないけれど。

私は嘘をつかないから。


暫く彼女は泣いていた。

その後、メアドを交換した。

それが嬉しかった。

心の距離が短くなった気がしたのだ。



「どうだった?」

20時を回る頃、春架ちゃんが帰ると暇になり、お兄ちゃんに報告も兼ねて電話をした。

流石にこんな時間から出掛けるのは旅館の人達に迷惑がかかる。

「良い子だった。」

そう言うとお兄ちゃんは嬉しそう笑った。

やはり、前よりも明るくなったと感じる。

前までそんな風に笑う事もなかった。

これも、部活のおかげなのかな。

「どんな風に?」

細かくて面倒臭いが、思った事を素直に話すことにした。

「まずね。お兄ちゃんは間違ってた。」

「何が?」

「自分を信じてはいなかったけど·····。ちゃんと人は信じてる。信じすぎだから傷付くんだよ。そこ分かってあげないと。」

「ふーん·····。」

否定されたからか面白くなさそうな反応。

でも、事実だ。

「そして、根から優しい子。話を聞いていても自分の事を否定していて。」

「何て言ってた?」

「あー·····」

やはり気になるのだろう。

しかし、全て言って良いものなのだろうか。

躊躇っていると電話の向こうから急かす声が聞こえ、仕方なく答えた。

「まず、大きな悩みは4つ。」

ほぼ涙声で、しかも内容がまとまっていなかったから分かりにくかったけれど、国語力は学年1位である私は何とかまとめた。

「1つ目が馬鹿にされる事。本人が言うには人が持っていて当然のものを、持っていないから。」

決してそんな事ないのだけど。

私からしたら人を見下して、簡単に裏切る人の方がよっぽど馬鹿にされるべきだと思う。

「2つ目はバンドの事。嫌われてしまっているのも嫌だし、ライブも怖い。」

これがお兄ちゃんの言っていた事だろう。

ああ、と声が漏れる。

「3つ目が友達の事。誰だっけ、確か茜ちゃんとか言ってた。その子を親友だと思ってるけど相手はそうじゃないし、短所ばかり見えてくるから疲れてくるんだって。」

その気持ちは分かる。痛いほど。

でもそれは、しっかり相手を見ている証拠なのだと本人は気付いていない。

お兄ちゃんも知っていたのか、納得しているような声を出す。

「4つ目はそんな自分が嫌だという事。傷付きやすいのも、弱虫なのも、人を嫌ってしまうのも、全て。」

私は1日で好きになれたというのに、当の本人は嫌いだなんて。

私はそれがどうしても許せない。

私はもうひねくれて、救いようがない人間だけど、春架ちゃんは、彼女は違う。

まだ、人を信じる力を持っている。


私は目を瞑って、過去を思い出した。



♪♪♪



いつだって私はあの子と一緒にいた。

名前は月上 聖理香。

親友だと思ってたし、あっちだってそうだと思っていた。

小学生からずっと隣にいたのだから、聖理香の事はすべて知っている気にもなっていた。

好きな物も、好きな人も全て。


あの日だって一緒に遊ぶ約束をしていて、家に行こうとしていた。

近くのコンビニで適当に好きそうなお菓子とジュースを買い、ついでに漫画も買って、暖かい風の中を走った。

やっと到着し、インターホンを押しても誰も出て来ない。

いないのだろうか。

それとも寝ているのだろうか。

今日は平日だからご両親はいないはず。

携帯を取り出し、電話をかけても出ない。

「いないのかな。」

塾にでも行っているのだろうか。

だとしたら電話に出ないのも分かるが、何故この時間に約束したのだろう。

日にちも間違えていないし。

疑問が残ったまま、このまま帰ろうと漫画だけを取り出し、袋をドアノブにかけた。

「あとでまた電話すれば良いしね。」

そんな軽い気持ちだった。

聖理香も塾やピアノで忙しいから最近は遊ぶ暇などなかった。

だから、今日は楽しみにしていたのだ。

見上げると大きな家。

私の家もなかなかのものだと思うが、この家はこの辺りでも1番大きい気がする。

お金持ちで、住む世界がまるで違う。

一応私もお金持ちの学校には通っているが、他の人より裕福なくらいだ。

ピアノをやっているわけでも、塾に行っているわけでもない。行きたくもない。

だから、何でも出来る聖理香を尊敬している部分もある。

親友であり、ライバル。

素晴らしい関係ではないか。

「帰って漫画読もうかな。·····あれ?」

自分の家に向かっていると、近くの公園に見慣れた人影があった。

「聖理香?」

あの華奢なシルエット、ふわふわとカールのかかった茶髪、おしゃれな洋服。間違いなく聖理香だが、何故あんな所にいるのだろう。

じっと見ているともう1人、女の子が聖理香の元に走ってきた。

その人も見慣れた人で。

クラスメイトの涼風 風香だ。

2人は楽しそうにベンチに座り、アイスを食べている。

すると、気付かれそうになり、物陰に咄嗟に隠れた。

ここからだと会話がよく聞こえる。

私と約束していたはずなのに、何故風香と一緒にいるのだろう。

「今日雪乃と約束してたんじゃないの?」

「あー。してたけど良いの。風香といる方が楽しいし。雪乃、色々面倒臭いからね。」

すぐにそういう事だと悟った。

聖理香にとって私は邪魔者。

親友でも何でもない。

「あの子、すぐ調子に乗るからね。」

怒りと悲しみがこみ上げてくる。

飛び出しそうになるのをぐっと堪える。

「あと、しつこい。付きまとってくるのほんとやだ。気持ち悪い。」

そんな事思ってたのか。

今まで仲良くしていたつもりだったけれど。

本当は私が一方的にくっ付いてただけか。

「やっぱり、育ちも違うしね。親友はもちろん風香ちゃんだよ。」

「私も親友は聖理香ちゃんだけだよ!」

私は気付かれないように逃げた。

走って、走って、家に戻り、自分の部屋に飛び込んだ。

鞄を投げ、ベッドに飛び込む。

濡れていく枕。

涙のせいで視界が歪んでいる。

「何で·····。」

明日から、どうやって顔を合わせれば良いのだろうか。

もう、今までのように笑い合う事は出来ないのかな。

あまりにも酷すぎる。

約束を破って違う人と遊んでいた挙句、悪口まで言って。

聞いていないとでも思ったのだろうか。

聖理香の明るい笑顔が好きだった。

優しいところが好きだった。

でも、それはただの演技で。

私は騙されているだけだった。

私はこれからどうすれば良いのだろう。


翌日。

重い足取りで学校に行き、教室に入る。

そこには考えたくもない光景。

私の机の上には沢山の紙くず。

恐る恐る近付き、開いてみると、暴言が書かれていた。


『死ね』『きもい』『消えろ』『邪魔』


襲いかかる目眩。

今までこんな事なかったのに。

周りを見てもこちらを見てニヤニヤと笑っているだけで、何も言ってこない。

高校に入学して、新しい友達も出来て、全て上手くいっていると思ってたのに。

「·····何これ。」

ただ睨む事しか出来ない。

苛つきながらも紙を丸め、捨てる。

私は悟った。

ここで弱くなっているとエスカレートする。

何でもないように、飄々とした態度でやり過ごすのが最善策だ。

本を開く。

構ってくれなくても良い。

だから、もう傷付けないで。

「あ!雪乃ちゃーん!おはよ!」

翔がハイテンションで抱きついてきそうになったのを避ける。

「あ、か、翔君おはよう。元気だね。」

「あ、おはよう。いつもこんなんだけど?」

先程まで遠くから笑ってこちらを見ていた聖理香と風香が、翔が来た瞬間近付いてきた。

「雪乃、朝から斉藤先輩と話せて良かったね。良い感じだったじゃん。」

聖理香はそんな事言うが、私はそんな人知らないし、話してない。

それに、昨日の事など気にも止めていない様子なのが気に食わない。

こっちは悲しくて泣いていたというのに。

「斉藤先輩なんて知らないけど。」

何故聖理香がそんな事言うか。

それは簡単だ。

翔の事が好きで、話したいから。近づきたいから。だから、翔が近付いてくる私と仲良くしているふりをしている。

これだから嫌なのだ。

もし私が翔の告白にyesの返事をしていれば、私のこれからの高校生活は酷い事になる。

ただでさえ、今でもそうなりかけているのだから、油断など出来ない。

「雪乃。」

「ん?何?」

朝から好きな人と話せたからかご機嫌だが、私は不機嫌なのだ。

悪いが、雰囲気を壊させてもらう。

「何で昨日、約束破ったの?」

静かになる空間。

「え?あ、ごめん!ピアノが入ってるの忘れてて。あのお菓子も雪乃でしょ?」

申しわけなさなど1ミリも感じられない態度に、私はもう我慢の限界だった。

「何がごめんだよ·····。」

俯いて呟いた言葉に、聖理香は驚いていた。

「どうしたの?今日の雪乃、変だよ。」

変なのは全て、聖理香のせい。

「昨日、風香と遊んでたでしょ。仲良くアイス食べて、私の悪口言って楽しそうだったね。こっちは悲しくて泣きそうなくらいだったっていうのにさ。」

実際は本当に泣いたのだけど。

「え、あ·····見てたの?」

否定しようとはしない。

だが、その顔は強ばっている。

「うん。帰りに見てた。そこでやっと分かったよ。聖理香にとって私は邪魔な存在。友達なんてなれっこないんだ。」

今となってはなりたくもない。

話の内容を掴んだのか、翔が心配そうに近付いてくるが気にしない。

「だからもう、近付かないで。友達じゃないから、さ。」

最後は笑顔で言った。

泣きそうなのを我慢して。

私と一緒にいれなくなるのは聖理香にとって都合の悪い事になる。

最高の一撃だろう。

「あ、あれは嘘なの!全て嘘!本当は雪乃が何でも出来るから羨ましくてっ·····。」

そんなうわべだけの言葉、誰が信じられるだろうか。

私よりも持ってるくせに。

富も、才能も、全て。

「そういうのいいから。」

冷たく突き返す。

周りからは「何あれ、感じわるっ。」「調子乗りすぎじゃね?」という囁きが聞こえるが私は何も悪くない。

悪いのは裏切った聖理香なのだから。

「雪乃ちゃん、お昼一緒に食べよ。」

翔がこっそり耳打ちしてきた。

いつもは断るが、今日は即了解した。


「それでどうしたの?」

お昼休みの屋上。

珍しく晴れて、皆外で遊んでいるせいか人はいない。

「んー····。」

私は朝コンビニで買ったお弁当を頬張りながら、素直に昨日の事を話し始めた。

途中、溢れ出す涙を拭いながらで聞きにくかっただろうけど、それでも頷きながら聞いてくれた。

誰かに相談事なんて久しぶりだ。

1つずつ言葉を紡いでいく。

あの時のショックを、言葉で表現するのは難しかった。

よく考えると私は今まで傷付くという事がなかった気がする。

どちらかというと今までは私が傷付けてきたから、そういう気持ちがわからなかったのだ。

私よりも出来ない人を馬鹿にして、嘲笑って過ごしていた。そんな最低な人間。

「そっか·····。それは辛かったね。」

翔も、そんな私に騙されているのだ。

どうして、いつものように大きな声で笑ってくれないの?

どうして、いつもうるさいくせに、こういう時に限って大人しくなるの?

いつも通りにしてくれれば、私だって涙なんてすぐに止まったかもしれないのに。

その優しさに心が熱くなって、止めようとしているものが溢れてくるのだ。

「無理しなくても良いよ。友達だって別にいなかったからってどうなるわけでもない。」

肩を抱かれるが、抵抗はしない。

「それに」と付け足される。

「君が1人でいれば、俺はもっと近づけるでしょ?」と囁く。

こんな時にもそんな事を、と苦笑する。

これも彼なりのフォローなのだろう。

「もしかしたら、この3年間付き合えないかもしれないよ。」

「それでも、待ってるよ。」

いつもそうだ。

待ってるからって。

いつもはその言葉に苛つくのに、今は安心感を与えてくれる。

「雪乃ちゃんも泣くんだね。」

「·····そりゃあ。」

「今日は随分と素直だね?」

「それだけ悲しかったの!」

明日からは普通に過ごせないかもしれない。

それでも、自分を見失わなければ大丈夫な気がするのだ。


それから私には案の定、"普通の高校生活"というものは与えられなかった。

教室に行けば私の机に落書きがされて、陰口が絶えない。

実に居場所の悪い場所ではあるが、それも気にならないくらい私はひねくれていた。

別に嫌われても良い。

机に書かれたレベルの低い暴言など気にせずに、その上に勉強道具を広げる。

気にする方が馬鹿らしい。

虐められているだなんて、思わない。

聖理香達はそんな私を遠目で見ながら何かを企んでいるようだが、どうせ私には通じない事だ。

「雪乃ちゃん!見てよ、これ。」

「何それ。」

「えー、知らないの?パッチワークだよ。作ったんだ。あげる。」

「女子かっ!·····まあ、ありがとう。仕方ないから貰ってあげるよ。」

翔は前よりも隣にいる事が多くなった。

彼にも友人は沢山いるはずなのだが。

私も彼といるのを楽しんでいたりする。

少しヘタレな部分や女子らしい部分もあり、見ていると面白い。

一緒にいると安心出来る。

もう、誰も信じられなくなったけれど、この人だけは信用出来る。

「翔君!ねえねえ、この後一緒にカラオケ行こうよ。」

何を勘違いしているのか、翔の腕を無理矢理取ってこちらを見てくる。

そんなので傷付かないから無意味なのに。

しかし、これが毎日のようにあるからとうとう、うるさいと思って見ないフリをした。

その度に翔は断っているが、それが私への気遣いだと思うと心が傷んだ。

「ああ、ごめんね。放課後は用事が入ってて無理なんだ。皆で楽しんできてね。」

そう言って私の所へ来る。

すれ違いざまに聖理香達に睨まれるが、そんなのお構い無しだ。

「断らなくて良いのに。行ってこれば良いじゃん。カラオケ。」

拗ねたように言う。

「えー。面倒臭いし、静かな方が好きだし。それに、雪乃ちゃんを独占出来るじゃん。」

恥ずかしい事を言う。

前まではうるさいとしか思えなかったが、今では普通になり、悪い気にはならない。

本当に私に好意を持ってくれているようだから、なかなか返事をしないのは可哀想だとは思ってしまう。

しかし、仕方のない事なのだ。

ここで交際を始めれば、私は学校を追い出されるかもしれない。

翔にも害があるかもしれない。

立場が上である人間は、何をしてくるか分かったものではない。

「帰る。」

「う、うん。」

最近は毎日翔と一緒に帰っている。

私の今の状況を見て、心配してくれているらしい。

「この範囲分かんないんだよね。雪乃ちゃん、これから俺の家来ない?教えて欲しいんだけど。」

「良いけど。」

どうせそう言ってても、ゲームするくせに。

でも、そんな時間も私には楽しく感じられるのだ。

聖理香と一緒にいた時よりもずっと楽しい。


でも、そんな毎日もずっとは続かなかった。


相変わらず翔は私の事が好きだと言ってきたが、私もそんな彼に惹かれていった。

それに気付いたのか、私への嫌がらせもどんどん悪い方へと進んでいった。

机の上の落書きは何を書いているか分からないほどだったし、机の中は紙くずだらけだ。

教室清掃も全て任されて、クラスメイト達は団結するようになった。

それでも隣には翔がいる。

それだけで心強かった。

それだけで良いのだ。

しかし、ある日、私と翔は引き離された。

聖理香に放課後図書室に呼ばれ、仕方がなく行くと、条件を出された。

これ以上翔といるなら、次は翔に害を与えると言ってきた。

もちろん、翔の事が大好きな彼女達にそんな事出来るわけがないのだが。

「翔、関係なくない?直接私にやれば良いのに。それとも、私が怖いの?」

煽っていくスタイル。

弱く見られてはいけない。

「は?」

聖理香は前とは全く違う人間になっていた。

前までは優しくて、柔らかい笑顔だったのに、今では大声を出して、笑うようになった。

綺麗だった茶髪は金髪に変わり、化粧も濃くなっている。

それでも先生が注意できないでいるのは、聖理香の親に逆らえないからだろう。

本当にくだらない。

「·····はあ。分かったよ。翔と一緒にいなければ良いんでしょ?」

そう。それだけの事だ。

教室で待ってる翔にその事を言って、今後関わらなければ何も起きない。

「ふふっ。じゃあ、そうしてね。じゃあ、皆、ボウリング行こうよ!」

それでも翔の事を信じている自分がいる。

この人達が彼に近付いても、意味ない。

彼は私の事を待ってくれるのだ。

「っ!雪乃ちゃん、どうだった!?」

誰もいない教室。

これから私は1人になる。

孤独になるのだ。

「翔。もう、近付かないで。今後、一切私に話しかけないで。あなたのせいで、私は苦しんでるの。分からない?もう、嫌だから。」

冷たい口調で言ったつもりだった。

それでも、自分でもわかるほどにその声は震えて、掠れている。

「雪乃ちゃん?」

翔の顔を見れなくて、俯く。

きっと、怖いのだと思った。

今までの楽しい毎日が壊れるのが怖かった。

「驚いたけど·····。それが嘘だってのは分かるよ。きっと、君は優しいからそんな事言うんだろうけど、僕はどうなっても良い。君といれるならね。」

そう。彼は優しいから。

だから、そんな事言ってしまうのだ。

そんな事言われたら、私だってどうすれば良いか分からなくなってしまう。

「僕は·····君が好きだよ····。ずっと一緒にいたい。ねぇ。今まで楽しくなかった?」

「楽しかったよ。幸せなくらい楽しかった。きっと、これが親友なんだなって。」

今の私にとって親友は翔だ。

友達以上、恋人未満の関係。

「親友·····か。それは良いね。僕も振り向いてくれるまで親友でいるよ。」

本当はもう、翔の事しか見ていないのだけど。そこまで言ってしまったら彼の今後がどうなるか分からない。

「ずっと、隣にいたらダメ?」

「酷い目に会うよ?」

「それでも良いよ。」

ああ、これから私は大事な親友を傷付けてしまうのだ。

「ごめんね。」

「大丈夫。」

「本当にごめんね·····。」

私は翔の優しさに縋ってしまっているのだ。

その日はずっと謝り続けた。


案の定、次の日からは皆の態度が変わった。

落書きもなくなり、前までの雰囲気は一切見られなかった。

あの人が来るまでは。

「雪乃ちゃん、おはよう!」

飛び込んでくる影を避ける。

聖理香達は驚いていた。

もう関わらないと言っていたのに、朝から仲良くしてれば驚くだろう。

しかも、仲良くすれば翔の高校生活は、一変すると考えられる。

私は親友を売るような事をしているのだ。

「もう、何で避けるのさ。」

「危ないから。」

それでも、私達にはあまり関係のない事。

幼稚なお遊びに、付き合っている暇はない。

私達は本気で輝いた毎日を過ごしたいのだ。

今までは誰かを馬鹿にして、見下して生きてきたけれど、今度は誰かを救えるような、傷付けないような生き方をしてみたい。

「雪乃·····話が違うじゃない。」

「最初はそう思ったんだけどね。生憎、私達は誰かに邪魔される筋合いはないの。そんな小学生みたいな事したくないからね。」

聖理香を含め、今教室にいる人達皆、顔を赤くしてこちらを睨んでいる。

逆に私は飄々としている。

正直、怖さなど全くない。

本当は早く終わらせて欲しい。

朝学習やらないといけないし。

朝から不愉快。

「ねえ。貴方達は翔に何が出来るの?私にはしないのに、彼には害を与えるの?言っておくけど、私あんなのじゃ傷付かないよ。」

朝から何をやっているだか。

これだと翔が何かされるのは目に見えてる。

それでも彼は、私を見放さなかった。

彼だけは。隣にいると言ってくれた。

ここで私がやるべき事は、それを最小限に抑えて、害を減らす事。

そして、彼の隣にいる事。

私が責任を持って、守るのだ。

「じゃあ、どうすれば傷付く?」

よくぞ聞いてくれた。

「そうだなぁ。暴力とか、幼稚な事しても私は何も思わないしなぁ。あ、でも最近どっかのお馬鹿さんに裏切られて。あれは、ショックだったかな。」

わざとに煽ってみる。

そこで相手が取り乱せば、こちらの勝ちだ。

聖理香達は何も言えなくなる。はず。

「へー。」

意外と普通の反応だったが、聖理香の考えている事は、すぐに分かった。

私は今、親友に裏切られたのが悲しかったと言った。すると、私を傷付ける為には、必然的に私の親友を裏切らせるのが大切。

今の私の親友は翔。

きっと、私達の仲を悪くするような、そんなドラマのような、馬鹿な事をするつもりなのだろう。頭の悪い私でも分かる。

でも、彼は裏切らない。

何故かそう思えるのだ。

前までは早くどこかへ行って欲しかったのに。今ではそばにいて欲しい。


ずっと。そばにいて欲しい。


♪♪♪


「雪乃?」

「うん?ああ。」

携帯を握りながら、立っている。

いつの間にか、思い出に浸っていた。

受話器の奥からは、お兄ちゃんの心配そうな声が聞こえる。

大袈裟なんだから。

それとも、心配症なのだろうか。

焦ったようすから、随分と心配かけてしまったようだ。

でも、結構長い間、考えていた感覚がある。

脳が正常に動作しない。

「大丈夫か。」

「少し疲れちゃったみたいで。」

そういえば明日から学校だ。

私は先生には1週間ほど休むと言っているが、授業についていけるだろうか。

それに、不登校だと思われるのも嫌だ。

翔は大丈夫だろうか。

次々と押し寄せる不安。

「まあ、しっかり休め。明日くらいに会いに行くよ。少し疲れてるだろうし。」

きっと、お兄ちゃんは喫茶店で会った時からそれに気付いていたのだと思う。

優しい声を聞いて安心したのか、涙腺が緩んできて必死に止める。

「じゃあね、お兄ちゃん。おやすみ。」

震えた声で言う。

気付かれたかもしれない。

「ああ、おやすみ。」

ぷつりと切れた電話を見つめ、翔にメールを打って送信する。

反応してくれるだろうか。

きっと彼の事だから、すぐ返信するだろう。

自分らしくない文面を見て、くすっと笑う。窓の外を見ると、満月が美しい景色を照らしている。

今日はもう疲れたから寝ようとしよう。

電気を消し、私は深い眠りについた。


To.翔

私は1週間いないけれど、大丈夫?

毎日連絡しても良いかな?

1人でとても寂しいんだ。



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