第9話 音の空間


午後6時。

すっかりと陽が長くなり、外はまだ明るい。

廊下では明日の学祭に向けて、最終調整などで騒がしくなっている。

私も先程までは、学級活動の方でダンスの練習や衣装合わせをしていたところだ。

午後5時半からは部活のリハーサルで、体育館では出来ないが、部室に集まっていた。

私も含め、メンバー達はすっかり疲れきっていて、会話が一切ない。

カタカタと楽器を手入れしていたり、楽譜を見ていたりする。

そんな中で私1人だけが、落ち着かないように挙動不審に動いていた。

明日は学祭。

失敗は出来ない。

そう考えると、言葉に出来ない感情が溢れそうになる。

「·····春架のクラスは活動、どうなの?」

「あー·····大体終わったけど。」

「そう·····。」

私達のクラスは早めに行動していたから、いくらかは余裕があるが、隣のクラスはそうではないらしい。

朝早くから集まったり、放課後もどのクラスよりも遅くまでやっていたりする。

この3人も忙しいはず。

早くリハーサルを終わらせてクラスに戻したいが、すでに3人の目は死んでいる。

虚ろになっていて怖い。

私から話しかけるなど、出来るわけがない。

余計な事をすれば、殺される!

光の灯っていない目を見ながら、どうしようか考える。

リーダーである碧音も、仕切り役の駿もあれじゃあ、いつまで経っても進まない。

「あ······。」

何となくポケットの中に手を入れると、ガサガサと音がする。

チョコレートだ。

ここに来る前に、疲れているであろうメンバー達に分けようとポケットに忍ばせたもの。

すっかり忘れていた。

私も空腹だし、食べるとするか。

「はい。チョコレート。」

3人に渡す。

力を振り絞るかのように震えながら、控えめに袋を開ける姿に少し恐怖を覚えつつ、私も甘い固形を口に入れる。

甘くて、ほろ苦い。

でも、それが疲れた身体を癒してくれる。

「春架、ありがとう·····。元気出た。」

明らかに元気ではないし、フラフラしているし、本当に大丈夫だろうか。

そんなに大変な作業をしているのだろうか。

今度、隣のクラスの委員長に言ってみよう。

にしても、明日は高校生活初の学祭で、私達の部活にとって初のライブだというのに。

まさにカオスだ。

舞は1人で微笑んでいるけれど、目は笑っていないし。

駿はどこを見ているのか分からない。

碧音というと、幻覚が見えているらしい。

つくづく私のクラスで良かったと思う。

隣のクラス、恐ろしい。

出来れば声をかけるだなんて、自殺行為に相当する事したくないが、このままだとリハーサルをやらずに帰る事になる。

仕方ない。勇気を振り絞ろう。

「ね、ねえ。·····リハーサルやりゃないの?」

·····やってしまった。

盛大に噛んでしまった。

沈黙が続き、顔が赤くなるのを感じる。

緊張すると噛んでしまうのを、どうにか直したい。明日は気を付けないと。

未だに一言も発さないメンバーを見る。

3人の瞳には光が宿っていて、何とか笑いを堪えようと口に手を当てて、肩を揺らす。

むかつく。

そんなに笑う事ないのに。

「·····やらないんですか。」

「ああ、ごめん。やるよ。」

碧音は涙目になって、お腹を抱える。

そんなに面白かったか。

「じゃあ、始めるか。」

腹は立ったが、元気になったなら良いか。

それぞれが楽器を持ち、演奏していく。

それに合わせて私も歌う。

例えリハーサルでも。練習でも。

私は全力で歌う。

歌うのが好きだから。

他の3人も全力だから。

「で、ここで1人ひと言。まあ、自己紹介みたいな?何話しても良いけどさ。」

そうだった。忘れていたけれど、最後の方に1人ずつ話す時間があるんだった。

所謂MCというもの。

今日、寝る前にでも考えようか。

緊張すると噛んでしまうし、練習もしっかりやらないと。

ああ、今日は寝るのが遅くなりそうだ。

つい漏れてしまったため息も、美しい楽器の音で消される。

何だか私も疲れてたみたいだ。

学級委員長の仕事もあったけれど、1番の原因は気負いだと思う。

バンドのボーカルだなんてプレッシャーもあるし、茜ちゃんとの距離感が気まずい。

喧嘩はしていないけれど、避けられている感覚もある。気のせいだろうだろうか。

とにかく話す機会もないし、目を合わせる事すらしなくなった。

何かを隠しているようにも見える。

毎晩それを考えているせいか、寝る時間も減って、かなりの寝不足だ。

今日くらいは、ライブの事だけ考えられると良いのだけれど。

「·····春架?大丈夫?」

「え?ああ、うん。ごめん。」

舞が顔を覗いてくる。

流れる汗をタオルで拭き、スポーツドリンクを一気に飲み干す。

「あと一曲、頑張ろう。」

「うん。」

勢い良く立ち上がった。

立ちくらみがしたが、メンバーに気付かれないように黙っている。

スティックの音を合図に音が鳴り、私はそれに身を委ねて揺れる。

マイクを構える。電源は入っていない。

深く息を吸い、声を出す。

歌えるには歌える。

でも、先程歌っていた時とは違う感覚。

苦しい。

「誰もいないっ······道でー♪」

声が思ったように出ない。

メンバー達は気付いていないようだ。

他の歌は、普通に歌えたのに。

歌詞だって自分で考えて、覚えたのに。

何故この歌だけ歌えないのだろう。

演奏が終わっても、私は混乱していた。

それを悟られないように、3人の前ではいつも通りの顔をしていたけれど、本当はわけが分からなかった。

「明日、とうとうライブだね。」

「そうだね。」

3人は楽しそうに話す。

それでも私は、心の底から笑えなかった。

手足が震えていて、声を出せない。

緊張すると噛んでしまう癖。

1曲だけ歌えない。

不安定な人間関係。

馬鹿にされて傷付いた過去。

私を不安にさせるのには充分だった。

「春架、辛くなったら言ってね?」

「·····うん。大丈夫だよ!」

本当は今辛いのに。

何故、作り笑いをしてしまうのだろう。

何故、大丈夫だと強がってしまうのだろう。

もし、今ここで「辛い」と言えば、SOSを出せば、何とかしてくれるのだろうか。

ダメだ。泣いてしまう。

「あ·····もう·····こんな時間!3人は·····クラスの方行かなくても良いの?」

震えた声で、笑いながら言う。

もう、分かってしまったかもしれない。

内心ドキドキしながら、顔を見合わせて顔を青ざめる3人を見つめる。

「やばくない?」

「あの鬼委員長に怒られる·····。」

「春架、ごめんね?今日はもう終わり!」

私を置いて急いで部室を出るメンバー達を見送り、しゃがみ込んだ。

一気に静かになった部室。

「ふぅ·····」

明日は私達の初舞台なのに、どうしてこんなにも気持ちが沈んでいるのだろう。

碧音と話をしてから大分気持ちも楽になり、ネガティブ思考も消えてきたのに。

私の悩みなんて1粒の砂にも満たない。

なのに、何故こんなに辛いのだろう。

流れていく思考に頭を抱える。

「どうしよう·····。」

自分でもこれからどうすれば良いか分からなくて、外を見つめる。

教室に行っても、もう仕事はない。

でも、このまま帰りたくはない。

コンビニでも寄っていこうかと考えている時に、私の携帯の着信音が響いた。

雪乃さんからだ。

今頼れる人はこの人しかいない。

深呼吸をして電話に出る。

「······もしもし。」

「春架ちゃん。今大丈夫?」

「·····はい。」

安心させてくれる声。

「会いたいです。」

雪乃さんは明日の学祭の為に、今日は学校を休んでこの町に来ているはず。

今から旅館に行けば会える。

「いいよ。私はずっと旅館にいるから、ゆっくり来てね。」

「はい。今行きます。」

電話を切ってポケットにしまう。

急いでリュックを背負って、学校を飛び出した。

早く会いたい。

ただ、その一心で夕暮れの街を駆け抜けた。


「で、どうしたの?会いたいだなんて。」

優しく微笑む雪乃さんを見ると、今まで我慢していたものが流れる。

「雪乃さんっ·····ひっく·····うう·····」

言葉に出さなければいけないのに、涙がそれを邪魔する。

「大丈夫。ゆっくりで良いから。」

頭を優しく撫でられる。

まるでお母さんのような包容力は、私を落ち着かせてくれた。

「私、分かんなくて。どうしても歌えないんです。一曲だけ、歌えないんです。」

こんな事言っても、雪乃さんにとっては迷惑なだけだと思うけれど。

この人はバンドの事など知らないし。

「·····それに私、自信ないし。友達に避けられている気もするし。とにかく明日が怖いんです。ずっと、来なければ良いなって思ったりしちゃって。馬鹿ですよね。」

自嘲する。

私は雪乃さんに「馬鹿じゃないよ」って、言われたかったのかもしれない。

しかし、返ってきた言葉は予想外だった。

「馬鹿だねぇ。」

心が痛い。

まさに正論。私は馬鹿なのだ。

「はは·····そうですよね。」

泣いたからか、鼻声だ。

「春架ちゃんは何も分かってないね。うん。全く分かってない!」

腕を組みながらそう言う雪乃さんを不思議に思い、首を傾げる。

「1人じゃないって言ってるでしょ?怖がる事はないよ。私が保証する。明日は絶対成功するから。だから安心して、ね?」

「·····はい。」

「それでも辛くなったら、いつでも泣いて良いよ。ただし、1人では泣かないで。」

「はい。」

茜ちゃんでも、舞でもない。雪乃さんが1番分かってくれている気がする。

実際、こんなに自分の気持ちを伝えられるのは、雪乃さんしかいない。

ずっと前から一緒にいる人よりも、信頼感がある。

きっとそういう才能を持っているのだろう。

「明日は絶対見るから。だから笑って、全力で歌っている姿を見せてよ。」

こくこくと頷く。

「それで良し。落ち着いた?」

「はい。ありがとうございます。」

「プリン食べる?」

細くて白い手のひらの上には、私の大好物であるプリンがあった。

「食べます!プリン大好き!」

雪乃さんは笑いながら、プリンとプラスチックのスプーンをくれる。

「頂きます。」

滑らかなプリンを掬い、口に入れる。

「美味しい!·····食べないんですか。」

私が食べている目の前で、ニコニコと笑いながら見ている。恥ずかしい。

「美味しそうに食べるなって思って。春架ちゃんって感情が出やすいよね。」

「え?そうですか。」

「とても良いと思うよ。無愛想だったり、無表情よりは。春架ちゃん素直だしね。」

他人から見るとそうなのか。

でも、嬉しかったりはする。



♪♪♪


時計の音が部屋に響く。

散らかった部屋でスペースを探し、三角座りをしながら携帯を弄る。

「おう。出たぞ。」

奥の方から紺色のパジャマ姿で、ビールを片手に歩いてくる25歳を過ぎたおじさん。

「先生。生徒が家に来てるっていうのに、パジャマで、しかもビールとか頭おかしいんじゃないですか。」

「まあ、気にするな。」と笑いながらテレビの前に座り、ゲーム機を手にする。

「はあ·····。」

教師とは思えない態度に呆れるが、自分から来たのだから文句は言えない。

親から離れて暮らしている僕は、たまに顧問の木下先生の家に遊びに来る。

家に来ても何をするわけでもなく、ただこうして携帯を触ったり、ゲームをしたり、夕食のコンビニ弁当を食べるだけ。

先生も生徒が来ているのに風呂に入ったり、ビールを飲んだり、ゲームをしたり、寝てしまう事もある。

そういう時は僕はそっと部屋を掃除し、綺麗にしてから家を出る。

独身だからか、掃除を全くしない先生だから仕方なくやっている。

その度に自分が彼女のような気分になるが、実際にそうだとかなり気持ち悪い。

早く彼女を作って、結婚して欲しい。

僕の代わりを早く作って欲しい。

「中岡。一緒にゲームやんね?」

「あ、やります。」

先生から誘ってくるなんて珍しい。

先生の隣に移動し、ゲーム機を握る。

「カートで良い?」

「何でも。」

スタートの文字とともに始まるレース。

今は最下位。

先生は1位。

「おっせ。」

「うるさいです。それほど差はないですよ。すぐに抜かせれますから。」

そして、2週目の中盤になり、やっとの思いで先生を抜かした。

「言ったでしょう?抜かすって。」

「まじで勘凄いな。」

「勘じゃないです。確信です。」

「相変わらずだねえ。」

ゴールをしてゲーム機を放り出し、散らばったプリントの上に寝転がる。

「春架大丈夫かな······。」

リハーサルの最後の歌を思い出し、無意識に声に出してしまう。

あれは絶対声が出てなかった。

他の歌は完璧だったのに、あの歌だけが不安定で声が小さかった。

「そんなに好きなの?」

そんな僕をニヤつきながら見てくる先生など知らない。無視をする。

「ふぅ·····。」

あの表情を見れば、苦しんでる事くらいすぐに分かるのに、何故誤魔化すのだろう。

先生には辛そうでも、何も言わなくて良いと言われているから敢えて何も言わずに教室に戻ったが、気になるものは気になる。

「心配するなって。今頃、"あいつ"が動き出しているだろうから。」

「先生の言う"あいつ"って誰なんですか。」

これは前々から気になっていた事。

「うーん。まあ、俺の妹で、星野の次期親友とでも言っておこうか。」

「次期親友·····?」

春架にとっての親友とは、あの茜さんではないのか。

もし、違うとしても春架の親友になりたいと強く思っている人物がいるのに。

そんな人を差し置いて、春架の親友になれる人物がいるのだろうか。

「お前、桜田が星野の親友とでも思ってるのか。」

「ええ、まあ。」

彼女の願望は凄く強いし。

春架も舞に信頼を持っているし。

「桜田は天才だからな。星野とは合わないよ。"友達"としての相性は良いけど。」

やはりこの先生、よく見ている。

生徒同士の人間関係など、普通はそこまで深く分かるはずがないのに。

この先生は部活にもなかなか顔を出さない。

理由があるから、何も言えないのだが。

「どうしてそう思うんですか。」

「いや、中岡だって気付いてるだろ?桜田が星野の親友になるなんて、無理。これはただの感覚だけどな。」

本当にこの先生は凄い。

「あ、レース始まったわ。」

「え!酷っ!」

「構えていない方が悪い。」

僕が油断をしていると、またレースが始まってしまった。

スタートダッシュが遅れ、順位は最下位。

追い抜かせれる自信はない。

このままどれだけ差を縮められるか。

「で?リハーサルどうだったのよ。」

「え?ああ、大丈夫ですよ。まあ、ボーカルによるけれど。」

「その言い方だと、星野が微妙か。」

「そうですね。最後の歌だけ。それだけを歌えていませんでした。」

淡々と答える。

僕は春架が作ったあの歌が大好きだ。

いつも抱え込んで、悩んでいるような人が作ったとは思えないような輝いている歌。

それを聴けば、虹の架かる世界に飛び込んだような感覚になる。

だからこそ、全力で歌って欲しいのだ。

あの歌こそが彼女にしか歌えない歌。

それなのに。

「·····ふーん。中岡は間違ったと思った?」

「何がですか。」

「あいつらを選んだ事。」

「いや、別に。舞は凄い才能の持ち主だし、駿はまとめてくれるし、春架の歌は想像以上に良いし。」

最初は不安だったけれど。

でも、僕は間違えない。

「そうか。·····珈琲でも飲むか?」

「あ、頂きます。」

軽く投げられた缶コーヒーを開け、乾いた喉に流し込む。

教師の家で珈琲を飲むだなんて普通はありえないけれど、僕は"普通"ではないから。

虐められていたからか、鍛えられた洞察力。

昔から外れない勘。

自分でも怖くなるくらい。

それはどうやら先生も同じらしい。

とても僕に似ている。

だからこそ、頼み込んで部活を作れたし、こうして家に上がれてたりする。

僕は先生にも仲間にも、恵まれているのだ。

「明日頑張れよ。お前だって悩んで、抱え込んできたんだから、星野と一緒だ。星野は頼れる人を見つけたが、お前はまだだろ?」

「いえ、見つけました。その人は今、僕の隣にいて、僕のアイテムによって最下位になった人です。」

僕の方の画面には1の数字。

先生の方には最下位の文字。

「ふっ。俺は親友になれねえよ。ちゃんと頼れる友達を探せよ。」

鼻で笑われ、僕も苦笑する。

「しかしまあ、大変だったな。」

「先生は何が大変だったんですか。部活にも出ないで。」

「まあまあ。俺だってさ、何もしてなかったわけではないんだから。」

一体何をやっていたのか、部長でもある僕にも分からない。

ただ、それを言う先生の顔は何かを企んでいるような、そんな顔。

「明日には分かる。楽しみにしてろよ?」

「不安です。」

きっとこの先生だから、失敗などしないだろうけど。

「はははっ!よく言うよ。」

僕達は午後9時までコントローラーを握った。



♪♪♪


「春架、衣装大丈夫?」

「大丈夫だよ。」

赤いワンピースを揺らし、回ってみせる。

私好みの膝丈ワンピース。

スカートの部分には大きな音符マーク。

胸元には私が好きな星のブローチ。

舞が作ってくれたもの。

メンバーそれぞれ違うデザインだ。

舞はピンクのブラウスに茶色のスカート。

桜のブローチが可愛さを、より一層強くしている。

ちなみに碧音は白いTシャツに黒いズボン、青色のベストを羽織り、結晶のブローチ。駿は緑のロングベストにスペードのブローチ。

舞は寝る間を惜しんで、衣装作りや作曲をやってくれた。おまけにブローチも探してくれたらしい。

本当にありがたい。

時々目の下に隈があり、心配になる事もあったが、今は健康そうだ。

周りをキョロキョロと見渡す。

このライブは軽音部以外の助けも多い。

衣装は舞と舞のバイト先の先輩との共作だし、照明や演出は碧音のバイト先の先輩が考えてくれた。

私も雪乃さんに勇気付けられて、今こうしていられるわけで。雪乃さんに会えていなかったら、弱いままだっただろう。

今日はそんな人達に、感謝の気持ちも込めて歌おうと決めていた。


「もうすぐ始まる。集まれ。」


駿の合図で4人が丸く集まる。

緊張。

駿も飄々としているが、かなり緊張しているに違いない。いつもと雰囲気が違う。

碧音は身体が小刻みに震えている。

いつもの騒がしさはなく、ステージ袖に来てからは一言も発していない。

「リーダー、一言·····って、緊張しすぎ。」

私達は苦笑する。

「だって、初めてだし·····。」

不貞腐れたように目を逸らす碧音の肩を、優しく叩いた。

「碧音がそんなんじゃ、こっちまで緊張してくるよ。笑って。」

私が言える立場ではないけれど。

だって、私の声も震えている。

肩に置いた手を上に伸ばし、碧音の頬を思いっきり引っ張ってやる。

「いひゃい!」

涙目になっている碧音から手を離すと、黒い笑顔で見られた。

きっとライブが終われば私の人生も終わる。

後々怖いが、緊張が少しでも解れたようで一安心だ。こっちの緊張も和らいだ。

少しくらい怒られても良いかな。

駿に怒られた時といい、作詞の時といい、リーダーにはお世話になったし。

次は私の番だ。

「むー·····。まあ、良いや。」

不満そうに頬を擦りながら口を開いた。

一気に真面目な雰囲気なり、私達も黙る。

「·····最初はバラバラで、リーダーとしても不安ばかりだったけど」

ざわつく会場の音に負けないように、少しだけ声を張っている。

その言葉も、きっと前々から考えていたのだろう。

「何があっても大丈夫だよ。このメンバーは僕が選んだんだし。」

相変わらずの自信だが、それが私達にも確信できるから不思議だ。

自然と笑みが零れた時、碧音と目が合った。

その顔は今までにないくらい優しい顔。

「1人じゃないし、ね。」

その言葉に胸が熱くなる。

4人は手を重ねた。

「今日は最高に楽しもう。」

それぞれの顔を見る。

自身に満ち溢れた顔。


「ハルノート、行くぞ!」

『おー!』



もう少し。もう少しで始まる。

震える手足。立つのも辛いくらい。

高鳴る鼓動。

全身が熱くなるのが分かる。


これからステージで歌うのだ。


私以外の3人はもう、ステージの上で楽器を手にして準備している。

思い返せば成り行きでこの部活に入部した。

それからはミーティングばかりやって、駿を怒らせてしまった事もあった。

あの時は本当に辛かった。

それから先生の協力もあって、活動費を集める為にもバイトをやって。

高畑先輩やりっちゃんに出会って。

雪乃さんに励まされて。

ここまで来るのに悩んだ事も沢山あった。

何度も孤独に追いやられて。

この3ヶ月の間で、数え切れないほどの出会いがあった。

今思えば、どんなに辛い事も私には大切な思い出だ。

たった1人で勝手に自己嫌悪に陥って、クヨクヨしていたけど、それも間違いではない。

学生の時にしかない悩み事だ。

本当は凄く怖い。

これからどんな事が起きるのか。どんなハプニングがあるのか。

馬鹿にされてしまうかもしれない。

悪口を言われてしまうかもしれない。

皆見てくれないかもしれない。

恐怖と不安。

でも、少しの期待。

大丈夫。

リハーサルは問題なかったし。

まだ、駿には嫌われているし、昔の傷が癒えてはないけれど。私にだって出来るという事を証明しよう。

私だって何もしてこなかったわけではない。

秘密でアプリを使い、ボイストレーニングだってやってきた。

ランニングだってやった。

歌詞も全て覚えた。

メンタルだって鍛えた。

今日はそれを見せ付ける日だ。

私を見てくれる人、全員に。


「次は軽音部の発表です。よろしくお願いします。」


生徒会の合図と共に始まる演奏。

心臓が口から飛び出そう。

でも、その鼓動が気持ち良い。

深く息を吸い、一歩踏み出す。

その先には······


「空白の地図広げー♪踏み出そーう♪」


輝くステージ。


「さあ!」


私が登場した瞬間、会場は大きな拍手で溢れ返った。今日はいつもより喉の調子が良い。

目の前には数え切れないほどの人。

薄暗いが、はっきりと顔が分かる。

中には生徒ではない人もいて、目頭が熱くなるのを感じた。

不思議だ。

先程まで、恐怖と不安に襲われていたのに。

今は怖くない。

歌うのに夢中になっているからだろうか。

仲間がいるからだろうか。

それとも、今目の前にいる人達が笑顔で聴いてくれているからだろうか。

緊張も全くない。

歌っていると笑顔になれる。

流れる汗も快感に変わり、身体が浮いたように軽くなる。

ライブってこんなに楽しいものなのか。



「皆さん、こんにちは。ドラムを担当している家長 駿です。」

とうとうMCの時間だ。

簡単な自己紹介だけど、緊張する。

人前だと頭が真っ白になってしまう。

そんな私を他所に、駿はいつも通りの口調で落ち着いて話している。

「この学校の中で、ドラムに対する愛は誰にも負けない自信があります。そこんとこよろしくです。」

そう宣言して1歩下がる。

短かったけど、彼のドラムへの想いは皆に届いただろう。

彼の真っ直ぐな意志は、きっと誰かを救う。

駿が一歩下がったのを見て、舞が前に出る。

「ギター担当の桜田 舞です。」

彼女の光が込められた瞳に釘付けになる。

「私はいつも皆が集まってる端で笑っているような人間です。私はそんな刺激のない日々に飽きていました。でも、軽音部に入部して、分かったんです。·····自分で何かをしないと、日常は変わらないって。」

引っ込み思案であがり症な彼女が、真っ直ぐ自分の想いを伝えている。

そんな姿に胸が熱くなる。

「これから、私達は変わっていくと思います。いいや、変わっていきます!だから、私達の青春を見ていてください。」

勢いよく話したせいか、息が上がって、顔も赤くなっている。

それが私には凄くかっこよく見えたり。

それよりも、随分とハードルを上げられた。

前に出た碧音も、駿や舞と同じような目をしているし。

「リーダーであり、ベース担当の中岡 碧音です。僕は昔から勘だけは妙に良くて、人選びに間違った事はないし、僕と仲の良い人にハズレはいません。だから、この部活を作る時も僕がメンバーを選んで勧誘しました。」

最初から碧音らしい。

自身に満ち溢れた言葉。

「······最初は駿。いつもは素っ気ないけど、ドラムに対する情熱は誰も勝てないし、優しい人です。」

駿は照れたように目を逸らす。

「次に舞は引っ込み思案で大人しいイメージだけど、全然違くて。自分の好きな事や気になる事に対しては貪欲なんです。」

それが褒め言葉なのかは分からないが、舞は嬉しそうに顔を赤くしながらはにかんだ。

碧音も嬉しそうに話している。

必然的に次は私だ。

「····春架はネガティブで馬鹿で、あまり表情に出ないタイプです。」

そう笑顔で断言する碧音。

期待はしていなかったけれど、何だか残念。

ネガティブなのは分かる。

でも、馬鹿はないだろう。失礼な。

それに、褒めていないし。

「でも、本当に優しくて、良い人で、なによりも歌が大好きです。」

·····この人は本当に狡い。

下げてから上げるだなんて、感動してしまうに決まっているではないか。

しかもどや顔を決め込んでいる。

「僕はそんなメンバーが大好きになりました。だから、これからも沢山音を届けたい。そう思っています。······あとはボーカルの春架が、まとめてくれます。」

突然の丸投げ。

しかもふりが雑。

いつもなら睨んでいるところだが、今日だけは仕方ない。許してあげよう。

その代わり、少しだけ長く、真面目な話しをさせてもらうとするか。

一歩前に出て、息を吸う。

「ボーカル担当の星野 春架です。」

まずは私の名前を知ってもらう。

「私は小さい頃から馬鹿にされる事が多い人間でした。こんな顔で、こんな声で、こんな性格で。私は素晴らしく何も出来ない人間だったからです。」

こんな事言うと、また駿に怒られそうだ。

今、自分で傷を抉る。

こんな事を大勢の前で話すのは恥ずかしい。

何の自慢話にもならない。

それでも私は言葉を紡いだ。

「自分でも分かっていたけど、それでも辛くて·····苦しくて!」

溢れ出す言葉。

しんとなる会場。

「自分に、自信がなくなりました。」

脳裏に浮かぶ、泣いている自分の姿。

あの時は誰にも頼ることができなくて、1人で苦しんでいた。

「私はそれから、なるべく傷付かないように過ごしてて。高校生になったら、変わりたいと思ってました。そんな時、軽音部に勧誘されて、成り行きで入部しました。」

今でもあの日の事は覚えている。

碧音に煽られて、いつの間にか入部すると決まってしまった。

「今まで人の目ばかり気にしていた私はライブをするのが怖くて怖くて·····。」

いつだって私は怯えていた。

悪口が怖い。

嘲笑われたくない。

見下されたくない。

言葉に表せない苦しみの中で、ただ流されるままに過ごしていた。

今だって震えている。

「でも、気付いたんです。私は逃げているだけだって。怖いからって、嫌だからって。耳を塞ぎっぱなしで、向き合おうとしなかっただけ。」

それが1番の恥。

周りが何故笑えているか。

きっと、皆傷付かない才能を持っているのだと、私が持っているものが少ないからだと、勘違いしていた。

生きている限り傷付け、傷付けられる運命だというのに。

ただ、皆がしっかり前を見ていたから笑っているんだとやっと分かった。

「だから、私はもう逃げません。」

これは宣言である。

これからの私に向けての宣戦布告。

「誰かが私達の歌を必要とするのなら、何度だって歌います。どんなに怖くてもまた、輝くステージに立ちます!」

多分、今の私の顔は過去の自分では信じられないくらい晴れ晴れとしているだろう。

拍手と完成の渦の中で、私は笑った。

振り向くと碧音と舞も私と同じように笑っていて、駿はそっぽを向いている。

これから、この仲間達と歩んでいくのだ。

時計を見ると時間が迫っていた。

随分と長く話してしまったな、と思う。

「最後に、そんな意思を込めて。私達で作詞作曲をした大切な歌です。」

メンバー全員と目を合わせる。

準備は出来ているようだ。

「聴いてください。アルストロメリア。」

私がそう言うと、前奏が始まった。

爽快で、キラキラしている。そんな曲。

正直、私には難しかった。

歌詞を考えるのも、歌うのも。

夢なんて持っていないし、これからの事など簡単に書けるものではない。

でも、碧音や雪乃さんのおかげで少しだけ明るい未来を想像する事が出来た。

1人ずつ目を合わせる。

茜ちゃん、高畑先輩、りっちゃん、雪乃さん、クラスメイト。

皆が私を見てくれている。

ずっと、この日を待ち望んでいたのかもしれない。

そして分かった。

誰かに認められたくて、見てもらいたくて。

ただ今まで何もしてこなかったのだと。

馬鹿にされても良い。

貶されても良い。

ただ、誰か1人にでも見て欲しかった。


今ならきっと、歌える。


「走り出したー♪」

次は私が1番気に入っているフレーズ。

この1フレーズに沢山時間をかけた。

考えて、考えて、やっとの思いで思い付いた謂わば私の宝物だ。

きっと、これからずっと先、この言葉を大切にしていくだろう。


"前とは違う僕を見てくれる人がいるなら

それが自分でも1人じゃない

そう思えるんだよ"


本当は自信がなかった。

この歌詞を、言葉を音にするのが怖かった。

でも、今では歌える。

伝える事が出来る。

私を見てくれる人はいるから。


「走り出そうー♪」


ラストのフレーズを歌った時、目の前がカラフルに色付けられた。

「え······。」

こんなの聞いていない。

こんなに大量の紙吹雪が撒かれるだなんて、私は聞いていない。

後ろを見ると、3人も驚いた顔をしている。

巻き上がる拍手喝采に、私は呆然とする。

驚きと一緒に込み上げてきたのは、歓喜。

気持ち良い。

目の前は笑顔で手を叩くお客さんで、埋め尽くされている。

「あ、ありがとうございました!」

深くお辞儀をしてから、少し名残惜しいけれど、私達はステージを去った。


幕から会場を覗くと、お昼休憩が始まっていて、がやがやと動き出している。

それを見て、私達は廊下に出る。

「·····ビックリした。」

「そうだね。」

先程の驚きがまだ残っていて、声が出ない。

「春架。」

「うん?」

サッと顔を上げると、駿が改まった顔で私を見ていた。

「俺はまだお前の事、好きじゃないから。」

直球で、目を逸らさずに言われる。

でも、ショックではなかった。

「うん。まだ、それで良いよ。」

まだ、私は誰にでも好かれるような人間ではないから。

それに、「好きじゃない」という事は「嫌いじゃない」という事。

「嫌いだ」と言われた時は悲しかったけれど、この3ヶ月間で私に対する考えが変わってきたのかもしれない。

そう思うと嬉しい。

「私、ちょっと学級の方行かないとダメだから行くね。駿も行かないと怒られるよ?」

「やべっ。」

2人はクラスのリーダー格らしい。

そうだ。舞は副委員長、駿は議長だった。

「ねえ、春架。あれ。」

「何?」

大人っぽく微笑む碧音が指差した先を見ると、私は目を見開いた。

「皆·····。」

満面の笑みで、クラスメイトの何人かと高畑先生にりっちゃん、雪乃さんまでいた。

そこには茜ちゃんも。

「春ちゃんっ!」

何人かが、私に飛び込んでくる。

「凄く良かった。」

「歌上手だね!」

「こっちも楽しかったよー。」

「あの言葉感動した。」

「最後の曲、世の中に出したら絶対ヒットすると思うよ!」

飛んでくる褒め言葉。

溢れ出る喜びと、緩む涙腺。

追い打ちをかけたのは碧音だった。

「春架。」

抱きついていた人達はそっと離れた。

碧音は私の方へ歩み寄ってくる。

そして、頭に手を置かれる。


「1人じゃないでしょ?」


悪戯っぽく笑う。

雪乃さんにも何回か言われた言葉。

その度に胸が熱くなったけど、碧音が言ったからか、今日は何かが違う。

温かい涙が、次々と頬を濡らす。

どうしてくれるのだ。

これじゃあ、目が腫れてしまう。

泣かないように、今日1日堪えたというのに。

結局泣いてしまった。

でも、今日の涙は決して悪いものではない。

いつもの悲しい涙ではないから。

皆はハンカチで涙を拭ってくれたり、背中をさすってくれたり。

私も良い友人達を持ったものだ。

「また、歌ってよ。」

誰かが言った言葉。

歪んだ視界の中で見えたのは、微笑んでいる茜ちゃん。

「うん······うん!歌····う·····。歌うからっ!そしたらまた、皆·····聴いてくれる?」

何とか言葉を紡ぎ、伝える。

「もちろん!」

ふわっとした感触。

いつの間にか私は、茜ちゃんに抱きしめられていた。

「茜ちゃん·····。」

伝わってくるぬくもりは、偽物ではない。

「もっと聴きたい。」

まだ。まだ茜ちゃんの中には私がいる。

まだ、私の存在は認められている。

「これからも歌うね。」


泣きながら、私は今の幸せを噛みしめた。

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