第2話 ハルノート
桜が歌い出した。
爽やかな風とどこまでも続く青い空。
最近買ってもらった星柄のリュックに新しい白いスニーカー、まだ慣れていない制服。
そう。私はこれから新しい場所で新しい生活を送る。
「あ、まだ蕾もある。」
今にも開きそうな蕾を見て微笑む。
「私と同じだね。」
新しい世界に抱く期待と不安。
私の中では不安の方が大きいだろうか。
これから通うのは私の住む田舎の高校、春風高校。
大体の人がこの高校に入学するため小学生の頃からメンバーは大して変わらないものの、やはり不安はある。
いくら幼い頃からの付き合いとはいえ、同じ人間だ。もちろんスクールカーストなんて前からあったし悪口だって絶えない。
グループだって出来上がっている。
私は中学生くらいから人の目やはぶられる事が怖くなり、周りの顔色を窺いながら過ごしてきた。
私の友達は皆優しくて面白い人達だとは思っている。
一緒にいても楽しいし。
それでも、思春期というもののせいなのか。
どうしても何を考えているのか分からなくなり、勝手に怖がってしまう事がある。
これからの生活でそれをなくしたいのだ。
自分の事を慕ってくれている人だって多々いるのだ。それなのに人を信じられないだなんて失礼だ。
今日から気をつける事は三つ。
一つ目は誰とでも話せるようにする。
二つ目は生活態度と勉強への姿勢を直す。
三つ目は人を信じる。
そう簡単な事ではないかもしれないが、大人になる1歩前。
身に付けるべき事は身に付けておかなかければ。
「あ、もうこんな時間。」
綺麗に咲き誇る桜に目を奪われて慌てて時計を見る。まだ時間に余裕はあるが、いつも余裕を持っておきたいタイプだ。
スキップでもしそうなくらい軽い足取りで砂利道を歩いていると、後ろからバタバタと足音が聞こえてきた。
「おはよー!」
思いっ切り背中を叩かれて振り返ると、親友の茜ちゃんが眩しい笑顔で立っていた。
「おはよう。元気だね。」
「うん。だって入学だもんね!」
揺れる艶のある黒髪に白い肌、長いまつ毛に高い鼻。いつ見ても羨ましい。
全て私の持っていないものだ。
内面だってその明るさ、優しさ、面白さ。
人気者になれる三要素を、しっかりと持っている。
彼女は私にとっての親友であり、憧れでもあるのだ。
因みに彼女にとって私は親友ではない。
ただの友達、いや、ひょっとしたらただの「知り合い」なのかもしれない。
とにかく私は茜ちゃんの中で特別な人にはなれていない。
今までに友達だったらいいな、なんて何回思っただろう。
私は彼女の隣にいるのが楽しくて楽しくて仕方がないのに、それは一方通行である。
私にも親友がどんなものかは分からないが、何となくいつも一緒にいて楽しいから親友なのだと思い込んでいる。
小学生の頃からずっと隣にいるのだから。
だから、彼女の嫌なところだってある。
まずは自己中心的なところ。よく考えると振り回されてばかりだった。
それから自慢してくるところ。人間だから仕方ないのかもしれないけれどすぐ誰かと比べてしまう私にとっては辛い。
あとは誰にでも優しいところ。一見、良い事に思えるが私には良い人でいるための行動にしか見えなくて嫌だ。
こう考えると案外自分は、短気で天邪鬼で性格が悪いと思う。
これからの学校生活ではそこら辺も直していきたい。
そういえばずっと前に、私の嫌なところを教えてもらったことがある。
散々言われたが例えば「暗い」とか「挙動不審」とか「いちいち行動が遅い」だとか言っていた。
その時は随分と傷ついたものだ。
俯きながら涙目になって帰ったっけ。
でもそれは内面の嫌なところだ。
私の外見について言ってこなかったのが、唯一の救いだったのかもしれない。
顔とか声とかの事を言われてしまったら、それこそ今茜ちゃんの隣になんていなかっただろう。
友達なのに友達ではない、という微妙な距離感の中で私達は関わっている。
「靴変えた?」
「うん。買ってもらったんだ。結構気に入ってて。」
「ふーん·····あ、私も変えたよ。」
こういう、すぐ自分の話に持っていくところとか
「可愛いでしょ。」
価値観を押し付けてくるところとか
「うん。可愛い。」
本当は疲れるけれどもう慣れた。
何だかんだ言って、私の事を考えてくれるからそれくらい良い。
「天気良いね。快晴だよ。入学日和!というやつですな!」
「そうですな!」
それにノリも良い。
「今日暖かいね。確か二十度超えるんだっけ。ニュースで見た気がする。」
「そうなんだ。どうりで暖かいと。」
こんな小さな話でも私にとっては、大切な時間だったりする。
「とうとう私達女子高生、華のJKだよ。」
「JKって·····」
世の中は女子高生を華と言うが、私もメイクをしたり短いスカートを履くようになったり高いヒールを好むようになるのだろうか。
想像すると身震いがする。
「あ、クラス決まるんだった。」
茜ちゃんが指さした方には何人かが集まった掲示板。
どうやら学校に着いてしまったようだ。
「同じクラスになると良いね。」
「そうだね。」
仲良い人はいるだろうか。
嫌いな人と同じクラスではないだろうか。
ドキドキする。
不安の波が押し寄せる。
もちろん茜ちゃんと同じクラスが良いし、他にも仲良い人は沢山いるからその人達とも一緒になりたい。
逆に嫌いな人はなりたくない。
当たり前の考えなのだろうけど。
ゆっくりと名簿を見て自分の名前を探す。
今年は人数が少ない。
1クラス23人だなんて。
同じ中学校だった人も何人かは都会に行ったりしてしまって、今年は特に少ないらしい。
そのお陰で入試の競争がなかったりもする。
「あ、あった。」
茜ちゃんは見つけたみたいだ。
私も焦って探す。
「あった。」
23番 星野 春架
私の名前だ。
しかも上には茜ちゃんの名前もある。
つまり同じクラス。
嫌いな人とは一緒になってしまったが、他にも仲の良い人と同じクラスになれたから今年は運がいいのかもしれない。
楽しくなりそうだ。
「わあ、春架同じだね。」
「うん。同じだ!お世話になります。」
二人で大きな音を鳴らし、高い場所でハイタッチを交わす。茜ちゃんは身長が低いからジャンプをして。
それが予想外に痛くて思わず手を抑える。
「いってー·····」
忘れていた。
茜ちゃんは馬鹿力だった。
「······っぷ。ふふ······あははは!」
ずっと手を抑えている私を見て、茜ちゃんは大声で笑い出した。それを見て私も笑う。
案外こういう時間が幸せだったりする。
「······はぁ。面白かった。あ、お姉ちゃんだ。ちょっと行ってくるね!すぐ戻るから待ってて。」
一人取り残されてしまった。
先程まで掲示板を眺めていた人達ももういない。暇だ。
何となく空を眺めていると、優しく肩を叩かれた。もう戻ってきたのだろうか。
こんなに優しいの珍しいと感じながら振り返ると、優しそうな高身長で茶髪の男子が立っていた。
私は元々背が高い方だから、男子に見下ろされるのには慣れていない。
それから自分で言うのもあれだが、私は極度の人見知りでもある。
慣れない上からの視線。
初対面。
私の本能が拒絶反応を起こす。
「な、なんれしょうか!」
焦ると噛む。
分かっていたのに焦る。
恐らく今私の顔は、林檎みたく真っ赤にしている事だろう。熱を感じる。
「え、いや·····ハンカチ落ちましたよ?」
見た事のない人という事は、違う中学校から来た新しい学年の人。
ハンカチを拾ってもらうというまさに恋愛が始まるような、ベタな出来事。
冷静になればそんなの分かるのに、焦っている私は頭が回らない。
そんな私を見て彼も対応に困っているというかひいてる·····?
「あうっ·····ご、ごめんなしゃい·····ありがとうございましゅ·····。」
口が回らなくて彼の手からハンカチを受け取り、つい鞄で顔を隠す。
きっと変人だとか思われているのだろうな。
1日目からやらかしてしまった。
「あれ?そのハンカチ·····」
「え?」
彼が指さしたのは、ただのうさぎの刺繍がはいった桃色のハンカチだが·····。
「うさぎが可愛いですね。あと何か紙が挟まってますよ。」
女子か、と頭の中でツッコミを入れ、ハンカチを見る。
折り目に紙の切れ端が挟まっていた。
「あ、ああ······。」
昨日辛くなった時のお守りとして書いた、好きな歌の1フレーズだ。
何だか人に見られるのが恥ずかしい。
それに「独りぼっちヒーロー」だなんて。
「歌詞ですか。歌詞を書いて持ち歩くだなんて素敵ですね。」
ニコッと微笑む。
この人はきっと優しい人だ。オーラが白い。
「好きな·····歌詞なんです·····。」
そっぽを向くと紙をそっと取られてしまった。
「確かに良い歌詞だ。歌の名前は何ですか。是非教えて欲しい。」
「独りぼっちヒーロー·····ですけど。」
「独りぼっちヒーロー·····今度聞いてみますね。」
彼はメモ帳とペンを取り出し歌の名前を書き始めた。そこまでして聴きたいのだろうか。
彼も変わり者なのかな。
「あ、僕はこれで失礼します。」
メモが終わると彼は去っていった。
「変な人。」
「春架ごめん。遅くなった。」
丁度良く茜ちゃんも戻ってきたので靴を脱ぎ、長い階段を上って教室へと向かった。
♪♪♪
「世界って何だろう。」
つい声に出してしまった言葉。
さっきまでざわついていた周りも、一気に静かになる。
今の病んでる人とか思われなかっただろうか。変人だとか思われたに違いない。
顔に熱を帯びる。
「何言ってるの、春架。」
只今12時45分。
今は昼休みで仲の良い人達と昼食を口にしている。
私は卵焼きを口に含みながらある小説に書いてあった「世界とは何か。」という文についてずっと考えていた。
哲学を考えるのは好きだ。
卵焼きの甘さを感じながら周りの話も聞かないでいるとつい、自分の世界に入り込んでしまったのだ。恥ずかしい。
「少しくらい話に参加しようとしなよ。」
机をくっつけて食事を共にしているのは、私と茜ちゃんを含めて五人。
今話題のドラマや俳優、アイドルについてで盛り上がっていた。
いつも音楽を聴いたりネットの世界に入り込んでいる私には、話についていく術など残念ながら持ち合わせていない。
「それに世界って何だろうってさ·····。テーマが壮大すぎません?」
美香ちゃんが呆れたように言う。
「本に書いてたからさ。皆にとっての世界って何?」
「えー···そうだなぁ。」
質問したらしっかりと考えてくれる。
そこがこの人たちの良いところ。
「家族」と真緒ちゃん。
「友達」と美香ちゃん。
「社会」と直美ちゃん。
「全部」と茜ちゃん。
これは性格が出て面白い結果だった。
「春架は?」
案の定聞き返されるが私には全然分からなかった。
「それが分からないから聞いたのに。」
そんな壮大な哲学、答えなんて分かる人いないのにどうしても答えを求めてしまう。
「もう、春架は·····。」
「あ、この前駅前に新しいパン屋さん出来たじゃん?すごく美味しいんだって。」
真緒ちゃんの言葉に皆反応した。
食べるのが大好きな私も反応した。
小さな町だから少しでも何かが新しくなるとすぐ話題になる。今までなかった珍しいものだとなおさら。
パン屋さんなんて今まで一件もなかったものだから評判などが沢山流れ込んでくる。
今まで自分で作ったものかコンビニのパンしか食べられなかったのにプロの人が作る出来立てのパンを食べれるのだ。
私も開店当時から行きたいと思っていたが行けていない。
「特にメロンパンがやばいらしくてさ。外はカリッ、中はふわっと。甘さと香ばしい香りが広がって·····」
想像しただけでお腹が空いてくる。
お弁当食べ終わったばかりだけれど。
他の人も想像しているのかとても幸せそうな顔をしている。そんな様子を見て私も幸せになるのだ。
ああ、休み時間が終わらないで欲しい。
出来ればこの時間をずっと過ごしていたい。
次の授業が数学だなんて考えたくもない。
「チョココロネも美味しそうだよね。」
「えー、パンといえば食パンでしょ?」
たまに繰り広げられる、馬鹿っぽい会話も大好きだ。高校生という感じがする。
「いやいや、そこは豆パンでしょ!」
正直何でも美味しいのだけれど。
「春架は?何のパンが一番?」
ああ、強いていうならば
「羊羹パン」
あれは美味しい。知り合いに勧めれて食べたら感動してしまった。
「羊羹パン·····それ、美味しいの?」
「美味しいよ!もうビックリするくらい!」
何だ、食べた事ないのか。人生の36分の1くらい損してる。
「そこまで言うなら今度食べてみる。」
「あ、春ちゃん、その卵焼き頂戴。私の唐揚げあげるから。」
直美ちゃんが私の卵焼きを見つめる。
私は直美ちゃんの唐揚げを見る。
「悪くない交渉だな。良いだろう。」
そんな他愛もない話をしていると、後ろから声をかけられた。
「あの·····」
声の主は中岡碧音だ。
入学式の日にハンカチを拾ってくれた人。
「星野さん。」
「は、はい!」
私に用だと思っていなくて驚いてしまった。
「ほ、放課後時間ありますか。」
「あ、ありますけど····?」
同じ歳なのに敬語を使っている事に、少し違和感を感じながらも、必死に返事をする。
「少しだけ時間をとって欲しくて。」
「い、良いですけど·····。」
本当は早く帰っておやつでも食べながらゲームしようと思ったりしたけれど、断る理由もないしいいか。
「じゃあ放課後迎えに来ますね!」
「はあ·····。」
そう言って教室を出ていった。
嵐のような人だ。
「春架、告白されるんじゃない?」
「へ?」
何故かにやけてこちらを見てくる。
「あの人、春架に一目惚れしたんじゃない?だから告白の為に·····」
「そーれはない!だって入学式の日にしか話してないし、それから関わりないしそもそも私可愛くないから。一目惚れなんて絶対しないじゃん!」
「女の子が可愛くないなんて、言ったらだめだよ。全く。」
直美ちゃんが私の髪に触れる。
「自分を可愛くないと思うのは女子力が低いからだよ。髪もパサパサで、どうせ乾かしてないんでしょ?」
「そ、そんなっ····確かに乾かしてはないけれども!」
よく女子力がないと言われるが、私はそんなの思ったことない。
元々顔が良くないのに、女子力上げても何になるというのだ。
この話になると皆鬼のような顔をして説教を始めるから、話題を変える必要がある。
「それに、人見知り発揮しすぎだよー。」
「え、そんな事ないでしょ。普通に話せてたじゃん。」
「いや、凄く変でした。焦りすぎ。」
苦笑される。
私は結構、頑張って普通に出来ていた気がするのだが。
どちらにしろ、話題は変えなければ。
「あ、茜ちゃんは何を書いてるの?」
茜ちゃんが書いている紙に目を落とす。
「んー?入部届け。」
それを聞いた途端血の気が引く。
そういえばまだ部活を決めていなかった。
私は両手で顔を隠しながら唸る。
「春架、まだ決めてなかったの?」
「うぅ······」
やりたい部活はない。
でも、帰宅部だけは絶対にやだ。成績に入らないし青春したい。
「部活少ないもんね。」
この学校の部活は運動部だとテニス、野球、バレー、サッカーがあり、文化部だと美術部、吹奏楽部、パソコン部しかない。
少子化に伴う教師減少が引き起こした重大な問題。選べる部活が少ないなんて。
特に私のように特技がなくても出来る部活がない。最悪だ。
「急がなくてもいいんじゃない?」
「そう思う?」
入学してから一週間。
まだ、どこの見学にも行ってないし行く気にもなれない。
「でもまあ、考えとかないとだね。」
さっきの会話が盛り上がり、疲れて頬杖をつきながら外を眺めていた。
♪♪♪
「ついてきてください」
私は今、中岡君の隣で夕暮れの廊下を歩いている。
一見、ロマンティックでthe青春という感じがするが別に恋愛的なイベントでも何でもない。正直どこに連れていかれるかも分からなくて怖い。
高校生活早々、暴力事件やらリンチやらに巻き込まれるのだけは、絶対に避けたい。
中岡君はそんな人には見えないが、人間には表の顔と裏の顔というのがある。安易に信用してはならない。
そして私は気付く。
早速、人を信じれていない。
最初の意気込みはどこへいったのやら、もう疑心暗鬼になっていた。
本当にだめな人間だ。
窓から差し込む光が時々眩しくて目を瞑る。
「星野さんを呼んだのは僕が作る部活に入って欲しいからなんです。」
「部活?」
新しく作る部活····。
「そうです。軽音部を作りたくて、部員集めをしていて。でもまだ僕と家長君しかいないんです。そこで、星野さんにボーカルをやって欲しくて残ってもらいました。」
川のように流れる言葉についていくことは出来なかった。
「んっと·····ややこしくなるから敬語なしで簡単に説明して。」
彼は一瞬嫌そうな顔をしてため息をついて、最初からタメ口で説明してくれた。
中岡君が軽音部を作る為に家長君を誘ったら乗ってくれた事。
しかし、部活には最低三人必要で、肝心なボーカルがいないと気付いた事。
そこで、私を勧誘しようと決めた事。
混乱が収まったのはそれから五分ほど経った時で、その時にはもう部室にいた。
部室といっても今は使われていない、普通の教室で軽音部なのに楽器一つ置いていない。
おまけに埃っぽくてくしゃみが出そうだ。
「僕と家長君で軽音部を作ろうってなって、そこで軽音部に適している星野さんを選んだんだ。」
「いや、なんで私なの?」
私の歌声も聴いた事ないのに。
私自身歌を歌うのはこの上ないくらい好きだけれど人前で歌うほどの自信はない。
歌った事もない。
合唱でなら皆の声に紛れるから歌えるけど。
事実、家では殺人音波と言われている。
確かに自分でも酷い歌声だとは思う。認めたくないが認めざるを得ない。
そんな私に何故。
「ん、連れてきた。」
どうしようか考え込んでいるとドアが開き、家長君が隣のクラスの桜田舞ちゃんを連れて入ってきた。
「舞ちゃんも勧誘されたんだね。」
意外な人物に驚く。
舞ちゃんとは前から仲良しだ。
彼女は私に優しくしてくれるし、人見知りなところとか似てるし、ずっとお母さん的存在だった。
今回クラスが離れたのが残念だ。
「あ、春架ちゃんもかぁ。」
4人が向かい合わせに座る。
「さっきも説明したけど星野にはボーカルを、桜田にはギターをやって欲しい。」
舞ちゃんがギターとはイメージないが、今はそれを気にしている場合ではない。
「だから、何で私なの?歌が上手い人なんて沢山いるしさ。」
別にやりたくないわけではないけど。
「何でって、そりゃあ一番歌好きだからだろ。」
家長君は驚いた顔でこちらを見てくるが、私の方こそとても驚いている。
家長君となんて話した事もないのに。
それに歌が大好きだなんて誰にも、あの茜ちゃんすら言っていないのに。
ぴょんぴょんとした黒髪を指で巻きながら、余裕だというように座っている。
「何でそんな事·····」
「うーん·····勘?」
勘でそこまで断定できるその自信が凄いと思った。その人の考えている事が分からない。
「勘って······」
「で?入部してくれるの?」
さっきから流れが速すぎないか。
説明受けたばかりなのにもう入部を決めろだなんて。気が早すぎる。
もう少し考える時間をくれたって良いのに。
「わ、私には無理だよ。確かに歌は大好きだけどさ、この声だよ?誰が聴きたいと思うのさ。」
過去に私の低い声を馬鹿にされた事がある。
それからは自分の声が嫌になって耳を塞いでしまうくらいにまでなった。
きっと私が歌を歌ったところで、馬鹿にされて終わりだ。
「いや、好きなら歌えばいいじゃん。」
またそうやって簡単に。
今まで傷付いてきた私の気持ちなんて知らないくせに。
「想像してみろ。自分が輝いたステージに立って歌っている姿を。」
目を瞑り、集中させる。
想像力だけは誰にも負けない自信がある。
なんせ幼稚園児の頃から、想像の世界で遊んで暮らしてきたのだから。
ステージ·····歌········
ライトで照らされた私。
その後ろにはバンドメンバーがいて目の前には数え切れないほどの観客が飛び跳ねたり、肩を揺らしたり。
私はそんな会場で大好きな歌を歌う。
流れる汗。
眩しすぎる証明。
会場を包む声援と歓声。
考えるだけでも、悔しいくらいに快感が込み上げてくる。
「どうだ?」
「凄く羨ましい。」
正直に言う。
「で?星野はどうしたいの?」
「私は·····」
正直やりたくて仕方がない。
でも自信がないのだ。
「桜田さんが星野さんがやらないと、自分もやらないって。本当はやりたいけれど。」
今まで黙っていたと思えば、中岡君はよく分からないことを言った。
名前を出されている舞ちゃんも驚いたのか、考えられなくなったのか遠い目をして上の空だ。
「舞ちゃんはそう言ったの?」
わざと威圧をかけてみる。
するとはっと意識を戻し、首を思いっきり左右に振った。
「え?何だって?桜田さん、言ったよね?あれ?確かに言ったんだけど。」
中岡君は飲んでいた天然水を飲み干し、ペットボトルをクシャっと潰した。
優しそうに見えるが実はこの中で、1番怖いのかもしれない。
「うんうん。だよねぇ。」
舞ちゃんは怯えて背中を丸めて怯えている。
やはりこの部活には入らない方が·····
家長君は本を読み始めているし。
「僕は聴いてみたいんだ。」
「何を?」
「君にしか歌えない歌を。」
その目はキラキラと輝いていて、私の意識を引っ張っていった。
高なっていく鼓動。
「私にしか·····歌えない歌?」
そんなもの本当に存在するのだろうか。
「あるよ?絶対ある。間違いなく。それとも僕が言ってる事が信じられない?」
口角を上げる。
「信じれないかな。そんな歌、今までなかったもん。」
歌は皆のものだから。
「じゃあ試してみれば?」
本を読みながら、家長君は他人事のように言う。
「本当にそんな歌あるのか、試してみればいいじゃん。この部活でさ。」
嵌められたのだろうか。
でも、そんな言い方されると引き下がれなくなってしまう。
「うーん。どうしようかな。」
簡単には決めない。
今後三年間続けるであろう事を、一瞬では決めたくない。慎重に選ぶのだ。
「星野さんがやらないと桜田さん出来ないんだよなぁ。それに、星野さん歌えないのかなぁ?」
そのムカつく言い方に、私は冷静な判断力を失ったのだと思う。
全て短気で負けず嫌いの私の性格のせいだ。
「あー、もう!分かった、やるよ。やるから!」
勢いで言ってしまった。
にやりと笑った二人の男子を見て、私は後悔する事しか出来なかった。
舞ちゃんは驚いた顔で見ていたが、暫らくした後、嬉しそうにはにかんだ。
「じゃあ明日、入部届けよろしくね。」
部活が決まってしまった。
さっきは勢いで言ってしまったものの、後悔の波が押し寄せる。
軽音部なんて私には似合わない。
だって学校祭とかでライブをするだなんて。あがり症で人見知りの私には到底出来ない。
しかも、私は自分の声が好きじゃない。むしろ嫌いなのに。
『その声キモイ』
『声低いね』
『女の子なの?』
脳内でぐるぐると廻る過去の言葉。
いつだか言われた言葉だ。
それが誰に言われたものかも分からないが、泣きそうで、でも泣けなかった。
事実だから。
自分の声が変な事なんて、とっくの前から知っているし。
もしかしたらこれは、自分自身で言っていた言葉なのかもしれない。
どちらにしても傷付いたのは確かだ。
それからは自分の声や顔、性格全てが嫌いになった。
歳を重ねるにつれて、ひねくれ者になっていく自分に気付いていた。
そしていつの間にやら、愛想笑いも上手くなってたり。
今歩きながら見ている夕日も幼い頃はとても綺麗に見えたのに今の私にはそう見えない。
きっと目が腐ってしまったのだ。
「何だかなぁ。」
新しい高校生活で変わろうと思ったけど、それは難しい事で愛想悪くしてしまうし、話題に入っていけないし。今だってネガティブ思考になってしまっているし。
自分を変えるだなんて本当は、無理なのかもしれない。
今までネガティブ思考で過ごしてきた人間が、急にポジティブ思考になるなんて事、不可能なのだ。
そういえば、どこかで「性格は三歳までに形成される」とか聞いた事がある。
幼稚園児くらいまでは純粋で暗かったけれどもっと素直だったはずなのに。
入学式の日に見た桜の木にはもう花はついていない。下を見ると全て落ちている。
前までのワクワクはどこへ行ったのか。
また今までと同じマンネリの中で過ごしていくのだろうか。
入学してから変わった事といえば校舎と先生とスニーカー、あとはクラスだけだ。
あとは何の変化もない。
はずだったけど、それは違うのかな。
今まで軽音部に勧誘される事も、人が言った言葉にムキになる事もなかった。
そして勢いで入部すると宣言した。
つまり、新しい日常が始まる。
そう思うと何だか笑えてきた。
その笑顔は決して楽しいかったり、嬉しかったりという笑顔ではない。
不安で不安で仕方がないからだ。
メンバーの足を引っ張らないだろうか。
歌えるだろうか。
途中で辞めたりしないだろうか。
馬鹿にされないだろうか。
傷付かないでやっていけるだろうか。
何か失ってしまうのではないだろうか。
不安が広がっていく。
本当にセンチメンタルだ。
「すべて守りたいんだー♪前を向いてー」
悲しく一人で歌う自分を守るためのヒーロー。まさに私だ。
こんな孤独を破って新しい世界に行けるのなら、案外勢い任せでも良いのかもなんて。
もうすぐ夜が来る。
暗くて悲しい夜が。
そう考えるとまた気が沈んでいしまい、アスファルトの上にため息が落ちた。
♪♪♪
「自己紹介しようか。」
「皆同じ学年なんだしやらなくても····」
次の日、私と舞ちゃんは入部届けを先生に出しに行き、部活に参加した。
顧問の先生は私の担任の先生で、古典を教えている木下先生だ。
授業が面白いと人気だが私は毎時間寝てしまいそうになる。寝ているとは言っていない。
「えー、でも雰囲気出るし僕だけ違う中学校だし、ね?」
今日はミーティング。
部長である中岡君は、どうしても自己紹介をしたいらしい。
別にやる必要もないと思うが。
「駿、この間言ってた事、僕が隠すとでも思ってるの?」
黒い笑み。
私を入部させた時といい今といい、この人は恐ろしい。敵には回したくない相手だ。
「わ、分かったからっ!自己紹介しよう!」
「よし、そうこなくっちゃ。えーとね、僕は中岡碧音。好きな食べ物はオムライスだよ。よろしくね!」
満足そうな表情。その隣で家長君は青ざめている。そんなにバラしたくない弱みを握られているのか。
入学式に初めて会った時は優しそうな人だと思ったのに勘違いか。
「家長駿です······よろしく·······。」
「桜田舞です。よろしくね。」
「星野春架です。よろしく。」
一体感など、一切見られない。
あるとすれば、このリーダーに対する恐怖心と不安だけだ。
この先が思いやられる。
「家長君はさ·····」
「なあ、同じバンドのメンバーなんだから君とかさん付けるのやめね?」
そんな急に出来るわけない事を·····。
今まで名字&くん、ちゃん付きで通してきた私にとってはとても難しくて恥ずかしい。
「良いね、それ!」
リーダーも乗り気だ。
「で、でも中岡君······」
「え?何?」
こっちを見てニコッと笑う。
「い、いえ、何でもないっす·····。」
背中に寒気が走り何も言えなくなった。
弱みを握られているわけではないけど、実は握られているのでは、と思わせる。
しかし、どうしようか。
急に呼び方を変えるなんて。
「春架。」
「は、はい!」
あ、今呼び捨てだった。
「呼び捨てで呼んでみて。」
本当は嫌だけど、彼に逆らうと後から怖い。
「あ、碧音·····」
しぶしぶ小さな声で呼んでみると彼は、パアと笑って抱きついてきそうになったところを私が素早く避けた。
きっと彼は誰構わず嬉しくなると、抱きついてくるタイプなのだろう。
高校生なのに。
少し不服そうにするも、その表情には喜びが溢れている。
「駿。ま、舞······。」
一人呼んでしまえば、もう何人呼び捨てにしても同じだろう。
「は、春架!」
舞も嬉しそうだ。
少し照れくさいが、呼び捨てで呼べる仲間が出来て嬉しいと思っている自分もいる。
「さあ、じゃあ本題にいくぞ。」
そう。今日は呼び捨てにするために集まったのではない。
「まずはバンド名を決めよう。」
何故かリーダーではなく駿が仕切る。
碧音に進ませたらいつまで経っても終わらなさそうだし。しっかりしている駿が適役だ。
「the☆春風」
「ダサい。」
ネーミングセンスがまるでない。
バンド名なんて決めなくても良いのでは、と思ってしまうのは私だけだろうか。
「春風高校軽音部」で通ると思うのだが。
「ハンバーグスターズ」
それを口にしたのは駿だった。
ふざけているのか、と怒りそうになったが本人が真顔でいうものだから怒れない。
流石の碧音も呆然としている。
本当にこのメンバーで大丈夫なのだろうか。
「ええっと·····私はなんか高校生らしいキラキラとしているような名前が良いな。思い付かないんだけどさ。」
どうせ考えるのなら。
「ハンバーグ輝いてるだろ。」
「光に当てたらね。」
どれだけハンバーグ推しなのだ。
高校生らしい名前が良いって言ってるのに。
不覚にもあのジューシーなハンバーグを想像してしまい、お腹が鳴りそうになる。
「the☆青春!あ、でもthe☆オールスターズも良いな。」
「そのthe☆何とかってとこから離れよ?」
私はこの部活ではツッコミ担当だろうか。
いつもクラスではボケ担当なのに。
舞は一人で口に手を当てて考えてるし。
胃が痛くなってきた。
「真剣に考えよ?」
「「真剣だけど?」」
「あ、そうでした。すみません。」
わざとではないというのが余計タチが悪い。
碧音はいつの間にか、机の上に大量のお菓子を並べ始める。
「食べる?」
「いや、いらないです。」
ポテトチップを勧められたが、受け取らなかった。きっとこの人、考える気ない。
「あ、ポテトチップズっていうのも良くない?インパクトがさ。」
「どこが良いのか分からないんだけど。」
この先三年間その名前でやっていくと考えたら恥ずかしい。
それにポテトチップ好きじゃないし。
「えー、良いと思うんだけどなぁ。」
私と碧音が言い合ってると、舞が何か思い付いたように手を叩いた。
「······ハルノート。」
先程まで意味不明な単語を聞いていたからか、響きが良く感じた。
「どういう意味?」
「あ、あの。私達って高校生でまさに青春時代じゃん?だから、その青春を書き記すノートって意味で·····。」
顔を赤くしながら説明する。
しっかりと理由があってとても良い意見だと思う。どっかの誰かさん達とは違う。
「良いね、それ。そうしようよ!」
とうとうネタを切らしたのか、二人もしぶしぶ頷く。
「じゃあバンド名はハルノートで決まり!」
碧音は黒板に綺麗に整った字で「ハルノート」と大きく書く。
「次はこれからの活動方針を決めようか。」
バンド名が決まった次は活動方針。
といっても、こんな人口の少ない小さな町で出来る事など限られているだろう。
「まず学校祭だろ?それから定期ライブみたいなのしたいな。」
都会のバンドはもっと、路上ライブとかやっているのだろうか。
世間知らずの私には分からない。
「それしか出来ないのかな。」
都会と田舎の違い。
でも、学校の中だけでもライブが出来るのならそれでも良いと思ってしまう。
そもそも皆の前で歌うのは嫌だし。
「夏祭りとかで出来たら良いのにね。」
とんでもない。
大勢に見られるのは怖いのだ。
「うーん····駅とかなら!」
「迷惑だろ。」
駿が笑う。
「もちろん歌作ったりするよね?」
「当たり前だよ。」
「どのくらいのペースで?」
「三ヶ月に一曲くらいかな。」
「でもライブ沢山やりたいな。」
意外にも舞がやる気を出していた。
「舞、そんなにやりたいの?」
「う、うん。だってなかなかそんな経験ないし。ライブだなんて憧れるじゃん。春架はやりたくないの?」
満面の笑み。
私以上に引っ込み思案なのに、その目はしっかりと前を見ている。
ちゃんと夢を見ているのだ。
でも、私は違う。
「·····出来るならやりたいよ。でもね、怖いんだ。」
本音を言った。
「春架·····」
自分でも分かるくらい怯えている。
それを察したのか舞は肩を抱いてくれた。
「人の目の前で歌うのが怖い·····」
蘇る記憶。
「あ、人の目を気にせず歌う方法、ある。」
「え?」
碧音が手を叩き、にやっと笑う。
「こ・れ・だ・よ」
彼が振りかざしたのは、黒くて薄いもの。
「いやあの。これだよって言われても、携帯の持ち込み禁止だから何も反応できないんだけど。」
「やだなぁ。僕のじゃないよ。駿が昼休みにゲームをやるために持ってきてるものだよ。ああ、先生には言ってないし、バレなきゃ大丈夫だよ!」
笑顔でつらつらと喋る。
なるほど。弱みとはこの事だったか。
駿は後ろから泣きそうな顔で睨んでいる。
確かに先生にバレれば停学か、保護者指導。
入学早々問題は起こしたくないのだろう。
そしたら、持ってこなければ良いのに。
「で、携帯がどうしたの?」
「今は何時代?」
「へ、平成時代。」
「じゃあ今この社会は何と呼ばれている?情報処理の時間に習ったよね?」
習ったよね?とか言われても習った事の大半はすぐ頭から抜けてしまうから、思い出せない。
「·········?」
何も答えられずにいると目を丸くした。
「え?本当に分かんないの?授業受けてるよね?」
「いや、こいつ授業サボってるから。」
「サボってないから。」
誤解を生むような発言はやめて欲しい。
それにクラス違うじゃないか。私の授業態度なんて知るはずないだろう。
「情報社会だよ!」
「······情報·····社会。」
「そう。それを活用するの。」
何となく言いたい事が分かってきた気がする。つまり、彼が言いたいのは
「私達の歌を、インターネット上に投稿するっていう事?」
「正解!」
碧音は満面の笑みでピースサイン。
確かにこの方法だと、人の目を気にせずに歌える。良い案だ。
「春架は人の目が怖いって言ってたからこれなら大丈夫だよね。少し辛いかもしれないけど、ライブも少しやる事になるけど。」
優しい。
意地悪でドSな人かと思ってたけれど、最初に感じた通り優しい人だ。
「うん。ありがとう。」
「じゃあ動画投稿を軸に活動していこう。」
話はまとった。
「なるほどね。」
先程まで聞こえなかった声が聞こえた。
一斉に扉の方を見るとそこには、顧問の木下先生が首に手を当てて欠伸をしながら、立っていた。
「いつからいたんですか!?」
「え、バンド名決まったくらいから。」
全く気付かなかった。他のメンバーもキョトンとしている。
「いつ気付くかなと思ってたんだけどまさかここまでとは先生もショックだよ。」
「すみません。」
「家長。後で話がある。·····中岡もかな。」
という事は、携帯を持ち込んでいるのも知られてしまったのか。
駿を見ると顔が青ざめている。
碧音はそれを見て笑っている。
「でさあ、今日はもう解散で明日から決めなければいけない事がある。」
「決めなければいけない事?」
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