アルストロメリアの声
第1話 夜明けのプロローグ
私達はいつだって孤独の闇の中で闘っている。それが例え、誰かが見ていたとしても。
誰も手なんて差し伸べてくれやしない。
それでも輝いた日々を過ごしたくて人を信じ、自分を信じ、未来を信じる。
誰だって太陽になりたくてヒーローになりたいと願っている。
そんな世の中で、私が望むことは何だろう。
「お姉ちゃんはどうしてここにいるの?」
いつの間にか小さな丘から身体を丸めて、暗い夜の海を眺めていた。
微かに吹く生暖かい潮風が、髪を揺らす。
静かな世界。
見た事のない景色に少々戸惑いながら前を見ると、1人の少女が不思議そうに立っていた。
2つに束ねた黒髪、赤いワンピースに花の柄の靴。全て見覚えがあるのに思い出せない。
「分からないんだ。そういう君はどうしてここにいるの?」
そう訊くと少女はニコッと笑ってから、あの黒い海を指差しながら答えた。
「もうすぐ夜明けがくるから。」
「どうして?」
海の方を見ると北極星があり、月はまだ黄色く光ってるし空が白んでいるわけでもない。
なのに何故この少女は、夜が明けると分かるのだろう。
その顔は凄く自信に満ち溢れている。
私の方向感覚が狂ったのだろうか。
いや、そんなはずはない。
方位磁石も何も持っていないが、確かに海の方にあるのは北極星。
そして、何よりも私の勘がそう言っている。
自分の勘に自信があるわけではないが、どうしても今回ばかりは、自分が間違っていると思えない。
「え?何でそんな事訊くの?」
頭にハテナを浮かべる私の前で、少女は驚きながら首をかしげて困惑していた。
「だってまだお月さまは光ってるし、まだまだ暗いよ?それに、太陽が昇るのは海の方じゃないでしょ?あっちは北だから。」
当たり前の事を言う。
朝が来ると、月は光らない。
それに、太陽は東から昇ると習った。
もしかしたら、こんな小さな子だから、まだ習っていないのかもしれない。
「そんな事関係ないよ?だってお日様昇るもん。さっき会ったお姉ちゃんがね、言ってたの。」
「お姉ちゃん?」
この辺りに私と少女の他に人はいない。
こんな夜にこんな所にいる少女にも、自分自身にも疑問を抱いた。
それに、その「お姉ちゃん」とはどれだけ信憑性の高い人なのだろうか。
「うん。すっごく嬉しそうでね、歌を歌っていたよ。」
「歌を?」
「うん。聴いてると楽しくなる歌でね、そのお姉ちゃんも楽しそうに笑ってた。」
楽しそうに話す少女は、私の横に座った。
その子の頭を撫でてみる。
ふわふわとした感触、落ち着く匂い。
それもどこかで感じた事があるのに。
声も聞いたことがある。
少し赤くなっている頬も。
不思議な感覚。
まるで、遠い昔に見た夢にまた来ているような、そんな感覚。
「お姉ちゃんは何をやってたの?」
「なーんもやってなかったよ。気付いたらここにいて海を見てた。」
私を見るその瞳はとても純粋なもので、今の私にはどうしても直視出来ない。
すぐに目を逸らすと視界には、どす黒い底のない海が映った。
それはどこまでも広がっている。
今までの事をどうしても思い出せない。
私の名前は言える。住んでいる場所も。
でも、他の事は分からない。
自分が普段、何をやっている人間なのか。
どのような思いを抱いて生きているのか。
記憶喪失なのだろうか。
でも、ずっと思い出せなくても良い記憶な気もしてくる。
「私も。どうしてここにいるんだろう。声のする方に歩いてきたらここまで来てた。」
うーん、と考え込む。
そんな少女の隣で私も考え込む。
考えたって分かる事ではないけれど。
「声?」
「うん。こっちだよって言ってた。」
そういえば、そんな言葉聞いたかもなって思ったりする。
不安な気持ちで、暗い、果てしない森の中をひたすら歩いていた記憶だけがある。
何で森の中だなんて歩いていたのだろう。
何の用事もないし、知らない場所なのに。
しかも、こんな夜に。
下手したら1つの心霊現象だ。
「お姉ちゃんは好きなものあるの?」
「私はプリンが好きなんだ。君は?」
「私もプリンが好き。」
えへへ、と笑う顔はすごく無邪気だ。
「でもどうして急に訊いてきたの?」
「うーんと、お姉ちゃんに会った事がある気がしたから!もしかしたらと思って。」
「それに、暇だしね。」と舌を出す。
確かにこんな小さい子が、ここにいて退屈しないわけがない。
玩具もゲームも、本もお菓子も何もない。
何もすることがない。
その柔らかい手を握った。
とても暖かい。
そしてまた懐かしい感覚。
「じゃあ、少しだけ昔話をしようか。」
「うん。」
これはただの思い付きだ。
どんな話をするかも決めていないけれど、即興で話してみよう。
私は何となく少女が飽きてどこかに行き、1人になるのが怖かった。
彼女の暇潰しになれば良いと思ったのだ。
案の定、少女は目を光らせて私を見た。
「とある街に、1人の女の子が暮らしていました。その女の子は歌うのが大好きで毎日、歌を歌って暮らしていました。」
「私と同じだ!」
少女は目を輝かせて、興味津々に聞いてくれている。私はなるべく分かりやすいように、簡潔に話を進める。
「でもある日女の子はよく遊んでいる友達に歌が下手だと言われてしまいます。」
「え·····」
顔が曇る。
その顔を見るのは辛かった。
でも、その話をする事自体には辛さなど一欠片も感じない。
「女の子は気にせず歌っていましたが、とうとう大好きな人に馬鹿にされて歌うのをやめてしまいました。」
脳内で女の子が1人で蹲って泣いていた。
その姿をどこかで見た気がしたが、どうしても思い出せない。
ただ、それを考えると胸が苦しくなる。
暗い部屋で1人、隅で蹲り、ぽろぽろと声を押し殺して泣いている誰かの姿。
そんな光景がフラッシュバックする。
私はそれを、必死に脳内から消し、話す。
「それから?どうなったの?」
ぎゅっと服を掴まれる。
その顔は焦っているようだった。
その顔を見て、1度目を見開き、海を見た。
これから先の物語を言っても良いか、少し躊躇ったが、途中で終わらせるのはナンセンスだ。だから······
「それから女の子は毎日泣いて暮らしました。馬鹿にされるのが怖くなり、思った事も言えない弱虫になってしまいました。·····終わり。」
「終わりなの?その女の子は傷ついたままなの?」
私には、この物語の続きが思い浮かばなかった。何故この話しをしたのかも謎だ。
頭の中でハッピーエンドで、笑っている女の子を描く事が出来ない。
可哀想だとは思った。
期待して聞いていたお話が、バッドエンドで終わってしまうのは悲しい。
きっと、この少女を悲しませてしまった。
それでも、これは想像のお話だから、何を言っても許されるはず。
「ごめんね。続きは私にも分からないんだ。いつか話せるようにするから。」
目線を移すと、少女は静かに泣いていた。
透明な雫が彼女のワンピースに落ちていく。
折角の服が汚れてしまうと思い、優しく涙を拭ってあげた。
「ああ、泣かないで。本当にごめんね。」
何とか宥めようとする。
「ううん。お姉ちゃんは悪くないの。ただね、ちょっと辛い事を思い出しちゃったんだ。だから私のせいなの。」
あまりにも悲しそうにするものだから、この子が普段どのような生活をしているのか少しだけ気になった。
「もし良かったら君が泣いている理由を聞かせてくれないかな。」
私が優しく抱きながら、そう言うとしゃくりながら、簡単に話してくれた。
私はそれを聞いて相槌をする。
「私ね、お友達に馬鹿にされちゃったの。変な顔だし声も変だし言ってる事おかしいって。笑われちゃって傷ついたの。」
手を繋いだまま抱き締めた。
心が締め付けられる。
この感じ、何故か知っているのだ。
脳内で映画のように再生されるのを、必死に隠しながら頭を撫でた。
「·····辛かったね。私が味方だから大丈夫だよ。君は変じゃない。」
痛いほど気持ちが分かる。
しかし、その理由は分からない。
無意識に出た言葉も、ただの慰めであり、決して覚悟を含んだものではなかった。
「あれ?」
ふと顔を上げると、空は白んでいて月は沈んでいた。その代わりに太陽が昇りそうだ。
しかも、少女が言ったとおり、海の方角が白んできている。
不思議に思い、首を傾げたが、今はそんな事どうでも良かった。
「もう朝?」
ただ、何故か朝日が昇る事自体に疑問を持っていた。
夜があれば朝もある。
常識。
なのに、朝が訪れる事が不思議で不思議でたまらないのだ。
まるで、陽の光を見た事のないように。
ずっと、夜の世界にいたかのように。
「あ、本当だ。だから言ったでしょ?あのお姉ちゃんが言っていた事は嘘じゃなかったんだ。」
つい先程まで泣いていた少女は興奮したように、海を眺めた。
黒く広がっていたはずの海は、キラキラと陽の光を反射して眩しく光る。
「もう行かないと。」
「行ってしまうの?」
私は帰り方も分からないのにそう思った。
とにかく私は行かなければいけない所があるのだと、言い張った。
「うん。私行かなきゃいけない所があるんだ。きっとそこへ行かないとまた夜がきてしまいそうだから。さっきの話、その後が分かったらまた話すよ。」
「本当?」
「本当。約束する。」
小指を差し出すと少女は小指を絡めてきた。
果たせない約束はしない。
そして目の前が真っ白になった。
♪♪♪
「······っは!」
目が覚めると目の前は白い天井。
ふかふかのベッドの上で私は慌てて上半身を起こして時計を見るとまだ午前5時前。
随分と早く起きてしまった。
「まだこんな時間·····」
寝起きの脳で考える。
この時間だと二度寝は出来ない。
でも、この時間に起きてしまったら学校で寝てしまう。
どうしたらいいものか。随分と中途半端な時間に起きてしまったものだ。
暫く考えた後、出た結論はベッドの中で起きている、という事だった。
「あったかい。」
幸せだ。
春といえどまだ肌寒い。
部屋の温度は20度もいってない。
壁に貼ってある好きなキャラクターのポスターを何となく眺めながら、ついさっきまで見ていた夢を思い出す。
不思議な夢だった。
内容は覚えていなかったが、静かで、綺麗で儚い夢だった気がする。
カレンダーを見ると、今日の日に赤い丸印が書いてあった。
「学校·····。」
楽しみで楽しみではない場所。
大好きな友達に会える場所。
大嫌いな友達に会ってしまう場所。
そんな所に今日からまた、行かなければいけない。
寒さを堪えながらもベッドから降りて、クローゼットの中の紺色の制服を取り出す。
新品の匂いが鼻をくすぐる。
待ち切れなくてパジャマを脱ぎ、制服を身に纏った。
「うん。良い感じ。」
くるっと1回転して鏡を見る。
そこに映ったのは何年か前とは、随分と違う少し大人になった自分の姿。
相変わらず寝癖は酷いけれど。
自分の容姿には自身は全くないが、なかなか似合っていると思う。
胸が高鳴った。
新しい生活が始まるのだ。
自己紹介の練習も、準備も昨日のうちに終わらせたから完璧だ。
ふと1階から物音がして、親が起きたのだと気付く。急いで階段を降りて、リビングへ向った。
「お母さん、おはよう。」
「おはよう。早いのね。」
珍しい、と笑い抱き締めてくる。
それに答えるように私も抱き締め返す。
本当に落ち着く。
こんな幼稚なやり取りも、平和だと思わせてくれる。
「今からご飯作るからね。」
「はーい。今日の朝ごはんは何?」
「オムレツにでもしようかな。」
「やったー!」
お母さんの作るオムレツは最高だ。
ふわふわでとろっとした卵に中にはジャガイモとベーコン。
フライパンが音を立てる。
「今日は入学式ね。とうとう高校生になるのね。」
「そうだよ。高校生。」
本当は不安だ。
でも、きっと。明るい毎日が待っている。
これから始まるのは私達の青春の1ページ。
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