第3話 行き先

「お前らさ、肝心な事を忘れてるよ。」

「へ?」

先生が言う、明日から決めなければいけない事とは何だろうか。

もうバンド名も活動方針も決めたのに。

部費の事とか?

「活動方針ってお前らが考えたのは"活動内容"だろうが。どこを目標に活動するのかってのが大事だと思うんだけど?」

面倒くさそうに、ボサボサとした頭を掻く。

少しずれ下がった眼鏡を直す。

先生の言う通りだ。

私達が決めたのはあくまで"活動内容"。

目指すべきところではない。

でも、目指すべきなんて決まるのだろうか。

「やっぱり先月まで中学生だったから、まだまだ子供なんだな。」

嘲笑われる。

「そうですよ。子供ですよ。」

駿はそんな態度が気に食わなかったのか、ムッとした表情で睨んだ。

そんな駿を先生は焦って宥める。

何だか見ていて楽しい。つい笑ってしまった。まるで兄弟みたいだ。

「おい、春架。笑ってないでこの怠慢教師に何とか言ってやれ。」

「せ、せんせ····」「ん?何か?」

今日はもう少し続けたいと言おうとすると、先生は手を差し出してきた。

ん?と不思議に思っていると、手帳を開き始める。

「言える事なんてないよな?それよりも提出物があったはずなんだけど。」

サーと血の気が引く。

そういえば。大事な今日までの提出物を出していなかった。

これはやばい。入学して間もないのに早速を先生に怒らせてしまう。

「す、すみません!今出しますからっ!」

急いで鞄を漁り、そこからプリントを取り出す。それはグチャグチャになっている。

しかし、これを提出するしかない。

「ん。随分としわくちゃだな。星野の鞄の中には何が詰まっているんだ?四次元ポケットなのか。」

微笑んではいるが、目は笑っていない。

この先生も碧音と同じく、敵に回してはいけない人物だ。

今年の担任はハズレか。

「まあいい。そういう事で今日は終わり。さっさと帰れ。暗くなるからな。」

外はまだ明るく、時計を見るとまだ十七時だ。冬だとこの時間帯はもう真っ暗なのに。

随分と日が長くなったものだ。

遠くから野球部らしき掛け声が聞こえる。

「先生、まだ五時ですよ?まだやれます。」

碧音が言うと先生は盛大に首を振った。

「先生、今日は定時だから長く恋人と一緒に過ごせるんだよ。だから、な?」

顔の前で手を合わせる。

先生に恋人がいるなんて驚きだ。

もう三十近くだし、顔だって悪いわけではないから、いてもおかしくはないけれど。

こんなだらしないのに。彼女さんも大変だ。

「先生、恋人いたんですか。」

「ん?ああ、ゲームという名の恋人がな!」

脱力。

ドヤ顔で見てくるが、私達にはイライラしかやってこない。

そういえば入学式の日に、ゲームを愛してるとか言ってたな。

ただの先生の娯楽の為に、私達が振り回されなければいけないのか。

今日は終わるのか終わらないのかは碧音にかかっている。

正直私はやりたい。

話し合いが嫌いな私は早くミーティングを終わらせて、本格的に活動したいのだ。

しかし、顧問がいなければ部活を出来ないというのがこの高校の決まり。

決まりを破ってまで、部活を続ければ先生達からも睨まれてしまう。

「じゃあやります。時間無駄にしたくないので。良いですよね?」

流石リーダーだ。

またその笑顔には威圧が含まれているが、先生は動じない。

私達ならその顔を見れば引き下がってしまうだろう。

「お菓子奢るから。」「そんなんじゃ釣れませんよ。」

「じゃあ宿題少なくしてやるよ。」「余裕で終るので結構です。」

私的には減らして欲しいのだけど。

「弦買ってやるから。」「しょうがないですね。」

弦に食いついた我がリーダー。それくらいは自分で買って欲しいものだ。

そしてこの先生は、出費をしてまでゲームの時間を取りたいのか。

「とにかく!明日またミーティングだからそれぞれの意見まとめておけよ!」

先生はパタパタと走っていってしまった。

嬉しそうにしている碧音を他所に、私達は大きなため息を吐いた。

暫く続いた沈黙の中で舞は呟いた。


「雑すぎ·····」



私は真っ直ぐ家に帰らなかった。

ミーティングが長引く事を予想して、帰りが遅くなると前もって伝えていたし。母親は夜勤、父親は出張で今は家にいない。

いるとしたら弟の麻冬だけだ。

きっと麻冬は自分で用意してある炒飯でも温めて、ゲームをしながら食べているだろう。

お風呂には入っているだろうか。

火事になっていないだろうか。

心配だが麻冬ももう、中学生だ。大丈夫だと思っていたい。

まだ七時前で日は沈みきっていない。

向かった先はお気に入りの場所、街の真ん中を流れる川だ。

こんな薄暗い時間に、1人で女子高生が川辺に座っていればギョッとするかもしれない。

何故ここにいるのか。

それは私にも分からない。

ただ、考え事がしたくて、一人になりたくて本能に従ったらこの場所に来ていた。

途中コンビニで買った大好物のプリンの蓋を開けて、スプーンを刺す。

漂ってくる甘い匂い。

この瞬間が良い。

「疲れたな」

疲れたと言葉にしたら、余計疲れると教えてもらった事があるけど、私は違うと思う。

大丈夫なフリをして我慢する方が、よっぽど疲れると思う。

プリンでも食べながらでも、自然をゆっくりと見ながら自分の思っている事を吐き出してしまった方が何倍も楽だ。

誰もいないこの空間。

ただ川が静かに流れているだけの場所。

川特有の自然の匂い。

少しだけ明るい空に1つ輝く1等星。

それが私にはとても居心地が良くて、ずっとこのまま座っていたかった。

プリンを口に入れながら、昨日と今日あった事を整理してみる。


―昨日

昼休みに友達と楽しく話していたら碧音に話しかけられて。放課後に呼び出され、勧誘された。私はつい勢いで入部してしまった。

―今日

ミーティングでバンド名がハルノートに決まって、これからの活動を動画投稿を軸にすると決めた。

そして明日は目標を決める。


私は改めて驚いた。

別に特別な力を得たわけでも、世界征服を企む組織に会ったわけでもない。

それなのに何故だろう。

私にとってはそれはとても大きな出来事。

こんなにも印象に残っている。

最近の事だからだろうか。

ただ勧誘されたから、軽音部に入部をしてミーティングで話し合っただけなのに。

それだけなのに何故だろう。

怖い1面を見たり、嫌な過去を思い出したりしたのに楽しくて·····。

よく分からない。

先生は自分の意見をまとめとけって言っていたけれど、自分の気持ちも分からない奴が、気持ちをまとめるだなんて出来るだろうか。

そもそも軽音部には入ったのも部活が決まっていなくて、たまたま勧誘されて断れなかったからなのに。決して軽音をやりたくて、入部したわけではない。

それなのに、今後の目標を決めるだなんて難しいだろう。

歌は大好きだけど歌いたくない。

駿は私の事を1番の歌好きだと言っていたが、本当の歌好きは歌う事を恥らわない。

きっとどんな所でも歌ってしまうのが、本当の歌好きだろう。

私の気持ちを知っている人は私自身しかいないはずなのに、私が私を嫌っているから分かってあげられない。

他の人には目標があるのだろうか。

碧音は言い出しっぺで、もちろんやる気はあるし、駿も無気力に見えるがドラムに対する情熱はかなりのものだろう。

舞だって最初は躊躇していたが、その目は真っ直ぐだ。


私だけ。

私だけが何もない。


今までに何回も感じた事のある孤独感。

置いてかれる感覚。

ぐるぐると回る視界。

声にならない叫び声。


「やだっ···もう·····や···めて·····っ!」


目を瞑り、耳を塞ぐ。


『歌下手だね。』

『音痴じゃん!』

『声低いね。』


ウケ狙いで、冗談交じりで言われたはずの言葉は私の脳内で、全て悪いものに変換されていく。

大好きな歌を馬鹿にされた。

自分の声を笑われた。

おまけに自分の顔も笑われた。

外見がだめならと、憧れの人に近づこうとしたけれど内面も否定された。

成績も下がってどんどん追い越されて、悔しかった。

親も沢山怒らせた。

鈍くさくて呆れられた。


響くうるさいくらいの笑い声はずっと耳に張り付いたまま。

追い詰めているのが自分だと分かっている。

分かっているのにどうしても、嫌いなものは嫌いだから無理だ。

「悪口」「カースト」「媚」「欲」「自分」

私の嫌いなもの。

どう頑張ってもなくならないもの。


『親友ではない·····かな。』


いつだか茜ちゃんに「親友だよね?」と聞いた時の返事。

ずっと一緒にいるだけなのに、"親友"だと勘違いしていた私が恥ずかしかった瞬間だ。

そんな茜ちゃんも私を置いてどんどん前に進んで行く。

茜ちゃんだけではない。

他の人、多分クラスメイト全員。私を置いて行くんだ。

競争社会なんて言われるけど、私は競争は嫌いだ。どうせ負けるから。

どれだけ頑張っても最初から才能が違うから努力したって、無理なものは無理なのだ。

軽音だって世の中に沢山あるのに、こんな小さな田舎でやっていくなんて不利すぎる。

本当に世の中は不公平だ。

「もうやだ······」

三角座りをして膝に顔を埋める。

身体が重くて動かない。

突然、視界が歪んだ。

雨だろうかと空を見上げるが、相変わらずの星空が広がっている。

目を擦った時に初めて、自分が泣いているのだと気付いた。

たまにないだろうか。

特に理由も分からずに泣いてしまう事。

輝く星に想いを寄せながら、何もない空白の日々に涙する事が。

今にも零れそうな涙を堪えて、流れないように夜空を見上げる。家に帰った時に目が腫れていたら確実に麻冬に馬鹿にされるから。

すっかり暗くなってしまった。

頭上で光る星に手を伸ばしても届かない。

また、自分の未熟さを噛み締める。

まだ昇ったばかりで大きな三日月を眺める。

黄色に近いオレンジ色の不完全な形。

今の自分にぴったりだ。

「歌いたいよ。」

無意識に出た言葉。

きっと自分は歌を歌いたかったのだと知る。

それがどこでなのかは分からないが、大好きな歌が頭に流れる。

「きっと叶うさー」

そっと口ずさんだ歌も、誰かに聞かれる事はなく、川と一緒に流れていく。


♪♪♪


翌日。

雨が降っていて青空が見えない。

昨日はあんなに星が見えたというのに。

じめじめと暗い部室。

そこに机を4つ並べて向かい合っている。

昨日はゲームをするために部活を早めに終わらせた木下先生は、会議やらで来ていない。

これだったら、昨日話し合っても良かったのではないだろうか。

「さて、どうしようか。」

今日も仕切り役は駿だ。

「考えはまとまったか。」

私以外は皆まとまっているらしい。

私はまとまっていない。

私が何を目指したいのかも分からない。

迷惑だろうけれど。

「僕はこの町の外でライブをしたいかな。」

碧音はチョコレートを開けながら言った。

ライブだなんて······

普通に過ごしている時でも誰かの前では歌いたくないのに、何人もいる前で笑って歌うだなんてできる気がしない。

「俺もかな。この町の外は難しいかもしれないけど学校以外の所でライブしたいな。」

「私もライブはしたいけど·····。動画の再生数もありじゃないかな。あ、もちろん大きな場所でライブやりたいけれど。」

そうか。皆ライブをやりたいんだ。

自分は我儘だと思う。

昨日、碧音は人の目が怖いと言う私の為にライブを減らして動画投稿を軸にすると提案してくれた。他の二人も納得してくれた。

なのに、いざメンバーがやりたいと言った事には納得出来ない。

やりたくないのは私だけで。

また仲間外れだ。

「春架は?」

3人の目線。

それすらも怖い。

私が声を発する度に周りの視線が怖くなる。

こんな事言ったら怒らせてしまうだろうか。

これだから話し合いは嫌いなのだ。

「······私はまだまとまっていなくて·····。」

呆れられるだろうな。

怖くて俯く。

「まとまってないってどういう事だ?」

ズキン

その尖った口調に泣きそうになる。

悪いのは私なのに。

先生は自分の思いをまとめとけと言った。

他の3人だってしっかりと考えた末、導き出した答えなのだろう。

やはり場違いなのだろうか。

やる気の違い。

私だって歌いたいのに。

悔しくて泣きたくて唇を噛む。

自分の思っている事が言葉して出てこない。

これを情緒不安定と言うのだろうか。

「何か言えって。」

凄く責められている気分。

「そ、その·······」

私をまるで敵を見るような目で、こちらを向く駿。不安そうに見つめる舞。悲しそうにする碧音。

私がいなければ、少なくとも今ここにいるのが私でなければこんな雰囲気にはならなかったかもしれない。

「ご、ごめんなさい·····」

そんな言葉しか出てこない。

何かに対して謝っているわけではない。

ただ、ここにいるのが私である事に申し訳なさを感じているのだろう。

「謝るくらいなら考えろよ。」

心に刺さる。

怖い。

その通りだ。

身体が震えていて手には力が入る。

私だって考えてるのに。

私だって早く決めたいのに。

そんな気持ちも理解されない。いや、理解されようとしていないのだ。

そんな気持ちを知られてしまえば、本当に臆病で軟弱だと気付かれてしまう。

本当は勧誘してくれて少し嬉しかった。

見てもらえているのだと。

でも、実際入部して分かった。

ここは私のいるべき場所ではない。

思った以上にこの部活は本気で、私には辛い事も多かった。

私だってライブ出来ると思ったけど、どうしても怖いのだ。

今も何も言えない。

突然襲ってくるめまいと頭痛。

視界が歪み、一瞬見えた駿の顔は冷たかった。それと同時に私は意識を失った。



「お姉ちゃんはどうしてここにいるの?」

「え?」

目を覚ますと、そこはいつしか見た事のある海の見える丘だった。

またあの日と同じ夜。

そして隣には見覚えのある少女。

いつの間にかこんな所で座り込んでいた。

しかし、前来た時とは違う疲労感が残っている。頭が痛い。

「あーあ。お姉ちゃんが戻ってきて、また夜になっちゃった。」

悲しそうに空を眺めて呟く。

「ごめんね·····。」

そうか。私がここにいたら夜になるのか。

でも、確かに前ここで夜明けを見た。

まだ夜中のはずなのに、急に空が白んで太陽が昇ったのだ。

「どうして戻ってきたの?」

「それがよく分からないんだ。」

前と同じように気が付いたら"また"ここにいた。不思議だ。

でも、どうしてだろう。

ここには何かが足りない。

海も月も無数の星もあるのに。

泣きたくなるんだ。

さっきまで何をやっていたのだろうか。

「君はどうしてここにいるの?」

「ずっとここでお姉ちゃんを待ってたよ。」

私を待っていた?

何故?

「どうして?」

私がそういうと涙目で頷きながら、ぎゅっと私の服を握った。

「だって、お話の最後、聞かせてくれるって言ってたから·····。」

お話······。そうか。あのつまらない即興の物語を楽しみにしてくれていたのか。

「女の子、あのままじゃ可哀想。」

なんて優しい子なのだろう。女の子実際に存在する人物ではなく、私の中にしか存在しないのに。

「そうだね·····優しいね、君は。」

謝罪の意も込めて優しく頭を撫でた。

「君は帰らないの?」

「帰る場所なんてないよ。」

不貞腐れたようにそっぽを向く。

「家がないの?」

「ううん。あるよ。お母さんもお父さんも弟もいて、待ってくれてる。」

ならどうして·····。

家族が心配してしまうではないか。

「でもね、この世界ではそんなの関係ないんだよ。」

「関係ない?」

どういう事だろうか。

少女の言葉を理解出来ない私を見て、驚いたように目を見開き、微笑んだ。

「お姉ちゃんはこの世界の事、まだ知らないんだね。」

こんな小さな子が知っていて、私が知らない事があるのか。

「教えてあげるよ。·····あのね、本当は私達出会ってはいけないの。」

「どういう事?君は生きていないの?」

説明が難しいらしく、うーんと首を曲げて唸る。どうやら複雑な話のようだ。

「あのね、言いづらいんだけど、お姉ちゃんは誰かから逃げてきてるの。」

「逃げてる?君も?」

「うん。私も。何か黒い物体から。それでね、いつの間にかここにいるんだ。お姉ちゃんは違う世界でも存在していて、何かを抱えている時にこっちに来るんだ。」

まだ小さい子なのに、しっかりと説明してくれた。私以上に大人びている気がする。

まだ私の半分もいっていないであろう年齢。

それなのに彼女の目は前に会った時よりも虚ろで黒い。

思わず腕の中に閉じ込めてしまう。

きっと長い間、こんな誰もいない静かで暗い場所で私を待っていたのだ。

寂しかっただろうに。悲しかっただろうに。

「お姉ちゃん?」

私に抱かれながら不思議そうにするが、その声は震えている。

「ごめんね。待たせちゃって。」

「·····良いの。でも暫くは会えないかな。」

「何で?」

「多分お姉ちゃんはここに来ないから。」

何故そう思うのだろう。

私は暇があればこの子と一緒にいたい。

でも、この子は笑いながらそんな事を言う。

「お姉ちゃんは苦しんでいる事に気付けないくらい苦しむから。」

「そうなの?」

コクンと頷く。

どういう事だろう。

「さっき、また夜明けを教えてくれたお姉ちゃんに聞いた。」

そんな事言われたら余計戻りたくない。

「安心して。少し辛いかもしれないけど傷付いた事にも気付かないから。涙する日もあるけどきっとこの世界には来れないよ。」

その表情はあまりにも儚くて、言葉が出なかった。

何故か別の世界の自分を思い出せない。

ここにいる私は「本物」ではないのに。

「でもね、次に会う日には」

その優しく囁いた声は、とても甘くて眠気を誘った。


────きっと夜じゃないよ。




「···か········」

何だか暖かくて眩しい。

ふわふわしたものに包まれている。

「春·····架······」

意識がはっきりした頃には、私の瞳には必死に名前を呼ぶ碧音の姿が映っていた。

きょろきょろと周りを見ると、ここは保健室なのだと認識する。

碧音の隣に舞が安心したように安堵の息を漏らして、駿は窓辺で本を読んでいる。

ミーティングの続きだった事を思い出し、急いで上半身を起こすと激しい頭痛に襲われた。

そんな私の背中を舞が支えてくれる。

「どうして·····保健室に·····?」

「春架が急に倒れたんだよ。」

ああ、そうか。

私が何も言えなくなっている時に·····。

「貧血だって。少し疲れてるんじゃない?」

さっきとは全く違う。

心の底から暖かいものを感じる。

「さっきはごめんね?」

何か謝られる事、されただろうか。

碧音はこっそり耳打ちしてきた。

「駿ね、音楽の事となると人が変わっちゃうんだ。」

碧音が横目で見ると、まだ駿は本を読んでいる。

「謝らないといけないのは私の方だよ。昨日先生にまとめとけって言われたのに。」

だってそうじゃないか。

結果が分からないなら考えていないも同じ。

「それにしても良かった·····。もう起きないんじゃないかと思ったよ。」

「碧音の慌て具合、凄かったよね。」

「ちょっ···舞、やめてよ!」

呆然とする私の目の前で舞はケラケラと笑い、碧音は顔を赤くして慌てている。

ああ、そうか。

「·····心配·····してくれたの?」

ボソッとかろうじて聞こえる声で訊く。

そうすると二人は一瞬キョトンとして、ふわっと微笑んだ。

「当たり前じゃん。」

その言葉がどれだけ嬉しかった事か。

どれだけ安心させてくれた事か。

ずっと張り詰めていた心が溶けていく。

「えっ!何で泣いてるの!?」

そう。いつの間にか泣いていた。

止めようとしても涙はとめどなく流れる。

「うっ······くっ······ひっく···ごめん。何でもっ·····ないからっ·····」

泣きながら声を出すのは大変だ。

「え?泣いてるのに何でもないの?それはおかしいね。」

碧音が笑いながら、ハンカチで涙を拭いてくれて舞が背中をさすってくれる。

「無理して全部言わなくていいからさ。泣いてる理由、少しだけでも教えてもらえないかな。」

「う·····ん。」

二人のお陰で落ち着き、私は少しだけ自分の思っている事を言う事にした。

きっと今なら言葉に出来る。

「私ね、不安なんだ。この部活で足引っ張らずに出来るかって。歌下手だし。ライブも怖い。」

うんうん、と頷きながら聞いてくれている。

「だからね。何がしたいのか分からないんだ。こんな私が何を目指せるんだろうって。夢を掲げたところで叶わないかもしれないし。」

「そうやって否定的になるからだろ。」

「駿。」

やっと口を開いたかと思えばこれだ。

そんな事とっくの前に知っているのに。

碧音は駿を睨む。

「昨日、川辺で1人、考えてたんだ。でも、辛い事ばかり思い出しちゃって。もう、自分が考えている事が分からないの。」

また一筋の涙が頬を伝う。

「何でそうやって泣くんだよ。分からない分からないって言ってるだけじゃ何も始まらないだろ!」

駿の口調が荒くなり、ビクッと肩を揺らす。

彼の言っている事は正論だ。

なのに、私は悔しくて、負けたくなくて、つい怒鳴ってしまった。

「そんなの知ってるよ!でもしょうがないじゃん。······私だって考えてるのに。」

起きたばかりか、頭がふらふらして抱える。

舞はまだ支えてくれている。

「こっちはなぁ!お前がハッキリしないから活動出来ないんだよ!ほんとお前のそのハッキリしないとこ嫌い。あーあ。何でこんな奴勧誘しちゃったかなぁ!」

がつんと頭に衝撃。

物静かな人だと思ってたけど、そんな事なかった。こんな人でも怒鳴るのだ。

駿はそれだけ言うと保健室を出ていった。

「ふぇ·····あああああああ·······」

人前でこんなに泣くだなんて、初めてかもしれない。でも、周りなんか気にならないくらい泣いてしまう。

全然話した事ない人に、もう慣れた言葉を言われただけなのに、こんなに悲しいのは何故だろう。

言い方がいつも言われる時よりも、キツくてリアルだったからだろうか。それとも、これから共に音楽に携わる仲間だからか。

「春架·····」

また否定された。

高校生になってから明るくしようと、新しくなろうとしたのに。

結局は何も変わっていない。

「私·····嫌われてるんだね·····。こんなに引っ掻き回すつもりじゃなかったんだ。だから···」

このまま迷惑をかけるのならいっそ、退部してしまえば良いのでは。

そしたらもっと楽しい部活になる。

「こんなんじゃダメだよね。私が辞めないと。」

涙は未だに流れているけれど、それでも笑って見せた。

きっと、追い出されるのだろうな。

こんな情緒不安定なボーカルいらないとか言われて。

「春架·····」

覚悟を決めてギュッと目を瞑る。

今からでも入れる部活あるだろうか。

「何でそんな事言うの?」

「え?」

予想外の言葉に驚き、前を見ると碧音は悲しそうな顔で首をかしげている。

「だって私、部活をめちゃくちゃにしちゃって·····。」

こんな奴いらないだろう?

「僕は!春架が良いと思ったから勧誘したんだよ!なのにどうして否定するの?僕が否定されてるんじゃん。春架じゃないとダメなの。だからそんな事言わないで。」

また怒られた。

でも、その怒りには優しさが含まれていて。

駿の時とは違う温かい涙が流れてくる。

いくら泣いても止まらない。

「大丈夫。焦って答えを出さなくても。何なら引き延ばしてもいい。学祭はライブやるけどそこは我慢してもらっていいかな。それまでじっくりと考えてもらって良いから。」

先程よりも優しい声。

「良い·····の?」

「うん。僕達だってこれからの事を1日で決めるだなんて正直無理だと思ったんだ。駿はああ言ってるけど、どうか辞めないで。無理させて本当にごめんね。」

気を遣わせてしまっているのだろうか。

「駿にはこっちから話しとくからさ。きっと、悪気はなかったんだよ。だから気にしないで。」

窓の外を見るともう日が沈みそうだった。

時計を見ると六時。

話し合っている時に最後に時計を見た時は4時半くらいだったから、1時間半も待たせてしまった。

「もうこんな時間·····ごめんね?もう帰らないと。」

いいのいいの、と笑ってくれる。

「さあ。帰ろ?」

泣きつかれておぼつかない足で立つ。


また、夜が来てしまう。


♪♪♪


本当は分かっていたんだ。

春架が何かを抱えて、怯えながら生きている事。

入学式の日に初めて会った日から何となく、この人は周りとは違うと思っていた。

声を掛けたら、見事に噛んでいて面白い人だと思った。

あと、歌が好きだと知った。

だって、わざわざ歌詞を書いて学校に持ってくるだなんて相当の歌好きだろう?

そんな彼女が教えてくれた歌の名前は


「独りぼっちヒーロー」


それからは何回もこの曲を検索して聴いた。

そして気付いた。

君が心の底で泣いていると。

同じクラスになれれば最高だったけれど、離れてしまったのは運がなかったのだ。

あの日、部活に勧誘したのも君となら分かち合えると思ったからで。

最初は嫌そうだったけど、煽ったら乗ってくれた。それだけで嬉しかった。

僕はたまに怖いって言われて、初日も多分恐れられたと思う。

まあ、ペットボトルをグシャグシャにしたら女の子は怖いよね。

翌日、バンド名を決める時は真剣に考えてくれたし、ツッコミも上手で楽しかった。

活動内容を決めた時は、彼女の抱えているものが少しだけ見えてきた気がした。

舞はそれが何か何となく分かっていたらしいけれど、教えてくれなかったんだ。

でも、感覚でだけど人に見られるのが嫌そうには見えなくて。

人の目が怖いって言ってたけれど、きっとそれは違う。

彼女は否定される事が怖いのだ。

そして、僕は思い付いた。


顔を見られないなら歌える。


だから、インターネットを使って歌ってしまえば自由に出来る。

そう思った。

これで、笑って歌ってくれると思ったのに。

思った通りにはいかない。

「お前らさ、肝心な事忘れてるよ。」

先生が言った言葉。

活動内容だけ決めても意味ない。

目指すべきところを定めなければ。

先生とのやり取りなんてただの茶番で、先生は僕が考えている事と同じ事を思っていたに違いない。

あのまま話し合いを進めておけば、彼女は抱え込みすぎて倒れてしまう。

1度休ませなければならない。

だから先生は、ゲームを口実に部活を早く終わらせるように促した。

僕も終わらせるつもりだったし。ふらふらと教室を出ていく彼女の後を追う。

断じてストーカーではない。

いつどうなってもおかしくない彼女を1人で帰らせるわけにはいかなくて、でも彼女の世界に踏み込む勇気のない僕はこんな事しか出来なかった。

家に帰ると思えば、彼女は川に向かって歩いていった。

流石に焦った。

あんな状態で川に向かっていけば誰だって焦るに違いない。

出ていこうか迷っている時、河川敷に座ったのが見えて足を止めた。

プリンらしきものを取り出して食べる。

彼女は暫く川を見つめていた。

たまに耳を塞いだり、三角座りをしていてすぐに飛び出して行きたかったけれど、それすらも我慢した。

ずっと見守っていると、何かを呟いたのを聞いた。

正確には分からないけれど、多分、「歌いたい」と言っていた。

現に歌っているし。

それは僕に教えてくれた例の歌。

初めて聴いた歌声。

とても素敵で聴き入った。


次の日。

僕は自分の意思を言った。

彼女には申し訳ないけれど、ライブは少しくらいやりたいし。

我慢させる事になるけど軽音部だし。

皆自分なりにまとめた事を言って、彼女は「·····私はまだまとまっていなくて·····。」

きっとそう言うだろうなと予想していた。

それでも良かった。

そもそも今日1日で決める予定はなかったし。昨日言われた事を今日決めるだなんて、焦りすぎだろう。

なのに。

僕の1番最初に出来た友達は怒っていた。

元から彼女の事を好んでいなかったのは知っていたけれど、こんなにも嫌だったとは思っていなかった。

音楽になると別人のようになってしまう性格だから悪気はないのだろう。

でも、あれは可哀想だ。

涙を浮かべながら俯いちゃって。

何も言えなかった僕も悪い。

とにかく、今も自分を追い込みすぎている彼女を助けたかった。

どうしようか考えている時、急に目の前で倒れた。

顔は青ざめていて唸っている。

ここはリーダーである僕が、何とかしなければいけない。

「舞、今から保健室に行って斉藤先生に状況を説明してきて!僕はおぶっていくから。駿は······」

しれっとしている駿を1発殴りたかったが、そんな事したらこの部活は終わってしまう。

ぐっと抑えて背中に春架を乗せる。

とても軽い。

早足で1回の保健室へと向かう。

扉を開けると、斉藤先生がにこにこと笑って待ってくれていた。

「聞いたわよ。まずはここに寝させて。」

言われた通りに白いベッドの上に、ゆっくり降ろす。

「軽い貧血ね。多分抱え込みすぎていたんじゃないかな。環境も変わったしね。少し寝て休めばすぐ良くなるわ。」

「そうですか。」

ひとまず安心だ。

「じゃあ私は木下先生呼んでくるわね。だから見てあげていて。」

「はい!」

カラカラと扉を開けて行ってしまった。

春架は気持ちよさそうに寝ている。

子供のように無邪気なその寝顔に、胸が高鳴る。それと同時に申し訳なさも込み上げてくる。

この約3日間でとても大きな負担を与えてしまった。

「無理させちゃったかな。」

「元からストレス感じやすい子だし、悩みは尽きないタイプだからね。その量が少し多かったんだよ。」

舞は春架の事をよく知っているようで、安心した。分かってあげれる友達がいるではないか。

「っち。めんどくせーヤツ。」

駿ってこんな人だったのか。

僕や舞には優しいけれど、というか今まで春架にも、優しかった気がする。

なのに、急にどうしたのだろう。

「倒れているのにそんな言い草ないだろ?」

睨み合う。

「病んでるこいつが悪いんだよ。それに体調管理も出来ない奴がボーカルとか大丈夫なのかよ。マジで。」

聞こえる寝息。

だいぶ落ち着いたみたいだ。

「僕は春架しか出来ないと思うよ。」

そろそろ拳が出そうだけれど我慢。

舞もさっきから我慢しているのだから。

「俺、こいつの事嫌いなのにさぁ。何で勧誘したんだよ。まあ、碧音がどうしてもって感じだったから後押ししたけど。あーあ、これ失敗だよ。」

そんなはずない。

僕が人選びで失敗する事はまず有り得ない。

これだけは自信を持って言える。

だから大丈夫だと思うんだ。

駿だってこんなんだけど、さっきからチラチラ春架の事心配層にしているから、悪い奴ではない。

いや、良い奴なんだ。

僕は知っている。

こんな僕と仲良くしてくれる彼は優しすぎる。僕が嫉妬してしまうくらい。

「······この答えは学祭が終わるまで保留にしておこうか。·····それで良いですか、先生。」

開いている扉を見る。

物音も立てずに僕達のやり取りを見ていた。

敏感な僕はずっと知っていたけれど他の二人は全く気付かなかったようで、顔が青ざめている。

「·····ずっと聞いてたんですか。」

「まあ·····な。」

つかつかと入ってきて春架の横に立った。

「予想通りだったか。こうなるとは思ったけどさぁ。」

全て知っていたかのように言う。

「いや、先生。確かに勧誘したのは僕ですけど先生も気になるって言ってたじゃないですか。僕だけのせいにしないでくださいね?」

2人は僕達の会話についていけてなかった。

「中岡のせいにはしてないよ。お前も分かってたろ?星野は何かが違うって。」

「それはそうですけど····。」

説明すると僕と先生は組んでた。

軽音部も先生と話し合って、メンバーだって二人で決めた。

この先生とは何だか気が合うのだ。

まず最初に口を揃えて出した名前は春架。

他の人とは違うものを持っていると先生も感じていたのだ。

駿は僕が、舞は先生が目をつけた人物。

僕は駿がドラムをやっていたと知っていたし、先生も舞がギターを弾けると知っていたから。

暫く人間観察というもので春架を見ていたが、彼女はとても素直なのだと思う。

素直で、でも真っ白ではない。

たまに見せる嫉妬と孤独。

ぞくぞくした。

こんな事言ったら変な人だと思うかもしれないが、平凡な綺麗事だけではない。

きっと彼女なら歌える。

そう感じたのだ。

「こんな病んでる奴何で勧誘したんだよ。」

「星野は病んでるのではないよ。思春期特有の価値観の濃さが、他人よりも激しいだけだから。」

その通りだ。

彼女は病んでいるわけではない。

僕らは高校1年生。ちょうど思春期だ。

思春期はどうしても、他人と自分を比べてしまうらしい。

だからこそ、テストの順位のシステムとかも意味を成すわけで。

僕はまだ春架の事はあまり分からないが、この数日見ていると比べやすくて抱えやすい人だと分かった。

おそらくそれは先生も。

「そろそろ起こそうか。もう遅いし。」

確かに倒れてからもう1時間程経った。

「春架。起きて。」

起きない。

「春架!起きて!」

声を大きくして体を揺する。

すると春架は目を擦りながら、上半身を起こした。

その顔は倒れた時とは全く違う血色。


ベッドの上で混乱する春架、本を読みながらそれを睨む駿、安心したのか微笑む舞、また例の如く春架に存在を気付かれていない木下先生。

そんな少しおかしな空気の中で、僕はどんな言葉を落とそうか。


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