053_不運、あるいは策略か

 ヘルベティカがカズトに会いに行く前、アセリア領の領主城では最後の調整が行われていた。


 課題はふたつ。


 ひとつは、数年にわたり続いた天候不順を原因とする不作と、北で起きた獣人族との戦争に対する援助要請が重なったことによる、財政赤字への対応。

 もうひとつは、アセリア領でも最南端に位置するタキシスの町に降り立ったという女神の御使い、そして『魔力炉』をもたらしたという男への対応。


 ひとつ目に対しては、他領からの買い付けとようやく平年どおりの収穫量が見込めるようになったことで、若干の余裕が生まれていた。

 それでも、来年以降の収穫に寄るところが大きく、いまだ予断を許さない状況にあるのは変わりはない。


 ふたつ目に対しては、女神の御使いが降り立ったことの真意を確認すること。

 その裏には『魔力炉』を入手できるほどの力を持った者の存在――カズトなる人物の確認が優先されている。

 現在わかっているのは、女神フェアレンティーナに使える御使いの存在はブレイマン大司教がその目で確認していることから、事実と考えられること。

 カズトはその御使いに力を託され、町の再建に取り組み、その功績を持って住民に好意的な印象を持たれていること。

 性格は穏やかとはいえないが、問題の解決能力が高く、その為に必要な試練は町人の手で解決させる考えを持つ。

 かと思いきや、町の発展その物には資材を投入し借金してまで尽力している。

 厳しくはあるが、町の発展に努力した町人への評価は高く相応の対価を持って答えることから、平等な統治者・・・としてみられていた。

 これらの情報から総じて、善人であると判断できる。


 このふたつの課題に対してヘルベティカが出した提案は、条件付きでカズトを夫として迎え入れるというものだった。

 その提案は、アセリア領を支える側近たちに取っても驚愕の一言といえよう。

 当然、会議は荒れに荒れ、3日に渡るものとなったが、最終的には領主の決定として承認される。

 決定打となったのは、カズトを迎え入れることがふたつの問題を一気に解決する為に、最小の犠牲において最大の効果を発揮すると考えられたからだ。


『魔力炉』を単独で得たというカズトの扱いについて、無視できないというのは側近の誰もが認めている。

 大きな力は制御下に置かなければならない。無秩序に振るわれることを避ける為にも楔は必要だ。

 それはヘルベティカを支える側近たちにもよくわかる理屈だった。


 だが、その方法についてヘルベティカ本人の夫に迎えるというのは、簡単に聞き入れられることではない。

 カズトが平民であることが問題ではなかった。

 中には平民を見下し、血の混じることを恥とする純血派もいるが、幸いにしてアセリア領の貴族には実需を取る傾向が強く、平民であっても力があるならば取り込むことに抵抗はない。


 とはいえ、それが直系に繋がるとなれば、話は変わってくる。

 男子に恵まれなかった元アセリア侯爵は、ヘルベティカの才能を見抜き、婿養子を迎い入れることを考えていた。

 その相手はクオルディア王国第3王子であったと推測されている。

 話が決まる前、最後の調整に出向いたアセリア侯爵夫妻が賊の強襲を受けて命を落とし、話は振り出しに戻っていなければ……


 不運、あるいは策略か。

 当時は様々な憶測のもと、国を挙げての調査も行われたが、結論としては不作が続いたことにより賊へと身を落とした、もと農民による犯行で決着がついている。

 もちろんそれを素直に受け取る者は多くなかったが、国の出した結論に否を唱える証拠もなく、今に至る。


 ヘルベティカにとってはまさに青天の霹靂であり、当初は1週間にわたり寝込んだものだったが、そこから立ち直れたのもまた、不作による陳情が溜まりに溜まったからだ。

 領民が飢えに苦しみ、同じ様な惨劇が起きてはならない。それだけを考え、腹心のオリオとともに政務に励む。

 そして、そんな姿を見続けた側近たちも、自分のやるべきことを見出し今日に至った。


 オリオを含む側近のヘルベティカに対する評価は、いつしか元侯爵夫妻に対するものと遜色がないほどにまで高まり、不作を乗り切った今ではより強い絆にまで育っていた。

 その愛すべきヘルベティカが己の身を切り、出生もわからない男を夫に迎えると言う。

 反発も強くあって当然だろう。

 それでもヘルベティカには婚姻を急ぐ必要性があり、側近たちもその必要性を感じていた。


 根底にあるのは、国王のバラカス領とアセリア領の南部を切り捨てるという打診の存在だ。

 南のルドニア王国の侵攻が激しさを増し、ひと月ほど前に戦線を維持するバラカス領の領主が戦死。

 北の獣人族との戦争が大規模なものとなり戦力の集中を行う中で、南の国境までもが脅かされ始め、このまま戦争を続ければ国家存亡にも関わると考えられた。

 今の状況だけを考えれば、一部切り捨ても英断ともいえただろう。その前の判断に誤りがあったとしても……

 国境を下げることはまだ打診程度の話しだが、今以上に北の状況が悪くなれば確定事項となる。

 そして新たに最前線となるアセリア領の領主が不在というのも大きかった。

 国からすればヘルベティカはあくまでも侯爵代理でしかない。そこに政務が熟せるかどうかといった能力は考慮されないのだ。

 ヘルベティカが戦えることを示さなければ、前線となるここは国王の直轄地となることが考えられた。

 南部切り崩しの打診と共に「東部へ避難・・してはどうか」という、遠回しにこの地より身を引けといわれたことも大きい。


 様々な外的要因がヘルベティカの選択肢を狭め、今まさに苦肉の策を打って出ることになったといえよう。


 両親より受け継いだ領が分断され、今度は敵国の最前線となり、元は同じ領民で争う。

 ヘルベティカにはそれだけでも受け入れ難い話の上、次いで自身は他家に嫁ぐ形で領地を奪われる。

 国王の判断を覆す為には、アセリア領だけでなくバラカス領も含めて利のあることを示し、今の危機を乗り越えるだけの力を示す必要があった。


 ヘルベティカはカズトを英雄に仕立て上げ、バラカス領がメディカ様を中心に立て直しを計る時間を稼ぐ考えだ。

 その為に、自身の女心程度で済むのであれば、得るもののほうが大きいと判断した。


 ◇


 場面変わって、バラカス領の領主邸。


 領主の忘れ形見となるメディカを傀儡とした摂政アドラーによる政務は、特に大きな波乱を生むことなく纏まっているといえた。

 もともと政務はアドラーを中心に行われていた為、今までと指示の流れが変わっていない為だ。

 唯一変わったのは、指示の決定権が元バラカス領主からアドラーになったことだが、アドラーはあくまでもメディカを表に立てている為、多少の非難は無視できた。

 何よりも領主の死という混乱を即座に収め、ルドニアの侵攻を止めた功績は大きい。

 故に、幼いメディカのアドラーに対する信頼も大きかった。


「ベッデル将軍は、御使い様をお招きすることができるでしょうか?」


 執務の間にて、メディカは心配事を晴らすように質問を投げかけた。

 まだ成人の儀も済ませていないメディカに政務を熟す資格はない。今は急ぎ夫を向い入れ、正式な領主を立てることが優先されている。

 しかし、辺境伯という家格に釣り合う必要がある上、不穏な噂の流れるバラカス領に親戚筋を送る者はなかった。


 個人としてみれば、メディカは蝶よ花よと育てられた清廉で可憐な少女だ。

 薄く桃色の髪は母親譲りで、大きく垂れ目がちな瞳は愛らしく、小さな唇から発する声は鈴の音のように聞き心地が良かった。

 父親には一人娘として愛され、母に代わり幼い頃から各地をまわって顔を見せていたこともあり、領民にも愛されている。

 そんな環境で育ったメディカは、人を疑うより信じることを良しとし、その信条はまさしく聖女ともいえた。

 だが政治の世界は、目に見えない魔物の跳梁跋扈する世界だ。

 白い物ほど良く染まる。メディカほど純真な心を持つ者が生きてはいける世界ではない。

 それを守るのがアドラーの役目だ。


 先のバラカス領主へ嫁いだメディカの母は、アドラーにとっての想い人でもある。

 その想い人が自らの命と引き換えに残したメディカを守るのは、アドラーにとって君命よりも優先される。

 それが例え国や領を裏切るかたちになれど、アドラーには関係がない。

 ただひとつ残された命、それを守るのは自分の命よりも優先された。


「それを成すのが将軍の勤めでございます。

 神話によりますと女神フィオレンティーナは戦神バトラールの妻にして、その戦いを支えるといわれています。

 でしたら、戦神バトラールの奇跡を受けたベッデル将軍の言葉に耳を貸して頂けるかもしれません」

「わたしも祈りましょう」


 メディカは両手を胸の前で交差するように組み、目を閉じて祈りを捧げる。

 窓からさす薄日が、メディカの祈りに応えるかのように薄桃色の髪を煌めかせていた。


 ◇


 以下、設定。


●クオルディア王国

 カズトが活動する国。南ではルドニア王国と、北では獣人族と戦争状態にある。


●アセリア領

 カズトが活動する新生タキシスの町がある。町は領の中でも南部に位置し、そのさらに南はバラカス領と接している。

 現在納めているのはヘルベティカ侯爵代理。政務の補佐をオリオが行っている。

 領の中央を東西に流れるロール川によって、北部と南部に分かれており、国王の策でロール川を新たな国境に改めると打診を受けていた。その場合、南部がルドニア王国に組み込まれることは避けられない事実だろう。

 それを避ける為にアセリア領の領主ヘルベティカが覚悟を決める。


●バラカス領

 クオルディア王国の南部国境線を守る領であり、ルドニア王国交戦中。

 南の勇者によって領主が討たれ、現在は一人娘のメディカを傀儡とし、摂政のアドラーが納めている。

 ただし軍部はベッデル将軍の管理下にあり、不穏な動きを見せるアドラーとは対立状態にある。

 カズトの諜報活動役としてドルトスがいるのも、ここバラカス領であり、アドラーに重用されていた。

 アドラーはアセリア領タキシスの町西部にミスリル鉱山があることを信託として受けていた。その為、アセリア領でも辺境とされるタキシスの町を半ば強引に無人化し、密かにミスリル鋼の採掘を行うつもりだったが、その計画はカズトに邪魔をされている。


●ルドニア王国

 ロリィによって告げられた南の勇者が活動する国。

 しばらく前にその力を示す為、クオルディア王国の南部を守るバラカス領の領主を討ち取る。

 その後は動きを見せないが、カズトはこちらへの諜報活動役としてノーラを送り込んでいる。

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