047_だ・め・で・す

 ミストリア学園の課外授業は、たまたま通りかかった2人の英雄のおかげで、最悪の事態を回避できた。

 死すら覆した女神アルテアの奇跡を目に、誰もが2人に敬服し、女神アルテアへの感謝を捧げる。

 だが、サイクロプスの登場により起きた災厄は、生徒たちの心から消えていない。

 あの戦いから生き残った者が、再び武器を手にするのは難しいことだった。


 事は、勇者候補であるセオドリックの活躍に嫉妬を抱いたダーヴィスが、『魔族召喚』サモン・イヴィルの魔道具を使ったことに始まる。

 予想に反して生徒に被害が出た時は焦りを感じたが、それが平民と知った時には、自分の活躍に花を添えるだけだと思った程度らしい。

 2度目の召喚もゴブリンの増援のはずで、力ない者が死ぬことはあるだろうが、自分が死ぬとは考えていなかったようだ。


 状況が悪くなれば悪くなるほど、その状況を打開したことが評価される。

 セオドリック以上の評価を得れば、自分が勇者となることも夢ではない。

 ダーヴィスはその歪んだ自尊心を利用されただけと、審問委員会は判断を崩す。

 真の目的は勇者セオドリックの暗殺にあったのではないかと。

 ダーヴィスが『魔族召喚』の魔道具を手に入れた先が、勇者の存在に敵対する『反勇者信仰』の手の者とわかったからだ。


 勇者の存在は世界を歪める。

 そう信じる者たちは、必要なのは勇者ではなく、強大なる悪だと考えていた。

 その存在を前に人々は団結し、一丸となって進むことができると。

 それが唯一、人同士が争わない世界のあり方だと、信じていた。


 アセリア領で起きた事件は直ぐに王都の司法官へと届けられ、真相解明に向けて動き始めたが、カズトたちへの影響はまだなかった。


 ◇


 嫌な夢を見た。

 前世の記憶は楽しいと思えることなんてひとつもない。

 どうせなら全てを忘れてしまいたいのに、特に嫌だったことだけは鮮明に覚えている。

 人の呪いを一身に受けて死んだあの夜、俺は神を呪った。


「……やれやれ」


 夕日が差し込む部屋で昼寝から目を覚ます。

 思ったより寝過ぎていたようだ。

 開け放たれた窓からは、串を咥えた猫を追いかけ回すロリィの姿が見える。

 何故かホッとした。

 そして、今の自分が夢の存在ではないことに感謝する。


 ロリィには少し優しくしないとな……


 じっとりとした汗で濡れた衣類が肌に纏わり付き、気持ち悪い。

 少し冷えてきた夕方の空気が体を冷やし、身震いする。


「復讐でもすれば気が晴れるのか?」


 ……ばかばかしい。

 そうだ、こんな時はツバサちゃんに癒やされてこよう。

 俺は身支度を整え、直ぐに元の世界へ転移する。


 そこで中年の男から財布を取りあげ、得意そうに「こうやるんだよ」と語る男を殴り倒し、その仲間と思える男たちも殴り倒す。

 いつもより力が入っていたのか、悶絶してのたうち回る男たちは、手足の骨が折れ、血を吐いていた。


 気分が全くさっぱりしない。

 やはり、怨みもないやつを殴ったところで気は晴れないな。

 なら、俺を殺した奴や両親でも殴れば気が晴れるのか――


「ん? これは……ツバサちゃん!?」


 俺のツバサちゃんレーダーが反応を見せる。


 いつものようにゴミ掃除を終え、いつもよりホクホクとした懐に満足しつつも、晴れない心に苛立ちを覚えていた時。

 夕日に照らされた緑茂る公園のベンチに座る、ツバサちゃんを発見した。

 出勤には随分と早い時間だし、余り柄の良くない連中がたむろする公園で見掛けるとは思わなかった。


 俺は軽い足取りでツバサちゃんの元へと向かう。

 そして、足を止める。


 ツバサちゃんの頬を伝って涙の雫がこぼれ落ち、夕日の赤みがかった光りを煌めかせ、綺麗な色を残してスカートへと消えていく。

 一粒、また一粒。

 宝石のようなそれは一瞬で消え去る。

 まるでツバサちゃんの生命の輝きが失われていくような、美しさだった。


 いや、失われちゃ駄目だろ。

 俺の唯一無二にして癒やしの女神様だぞ。


 俺はたまたまプレゼンに用意していたハンカチを取り出し、ツバサちゃんに差し出す。

 この優しい肌触りは、モフモフしているだけで心が癒やされる一品だ。


 ツバサちゃんは、突然現れた俺に一瞬だけ驚いた表情を見せたけれど、素直にハンカチを受け取ってくれた。

 そして、それを目元にあてしばらく静かに泣き続けた。


 隣に座った俺は、掛ける言葉も思い浮かばず、ただ好きなだけ泣かせることにした。

 1人にはさせられない。そろそろゲスな連中も出始める時間だ。


 ツバサちゃんは余りプライベートを語らないが、明るさと優しさの裏に、いつも悲しみを隠しているような気がしていた。

 悲しいことが多いからできるだけ明るく、辛いことが多いからできるだけ優しく、そうすることで自分を支えていた気がする。


 俺にとっては女神様だが、世間一般からすれば堂々と公言する仕事ではないだろう。

 そこに複雑な思いがあることは想像に容易い。

 彼女の場合は好きでしている仕事という訳でもないようだけれど、嫌いでも今の仕事をしてくれていて良かったと思う。

 でなければ出会えなかったのだから。

 それが彼女をどれほど傷付けていようと、俺にとっては良かったはずだ……


「カズトさん……、泣いているのですか?」

「ん、あ、いや。これは……」


 変な夢を見たせいか、俺も心が弱っていたな。


「ふふふっ。ここは励ましてくれるところじゃないんですか?」


 少し赤みの残った目で、それでも何処か嬉しそうにツバサちゃんが覗き込んでくる。

 これは心からの笑顔だ。


「まぁ、そうなんだが、ちょっと自己嫌悪をしていた」

「自己嫌悪ですか……わたしもです。

 誰だって辛いことの1つや2つありますよね。

 それくらいのことでいちいち泣いていたら駄目ですよね……」


 ツバサちゃんは、自分を叱咤激励するように言い聞かせていた。

 強くあろうとすることは、良いことなのかもしれない。

 だからといって、弱さを失うわけじゃない。


「別に良いんじゃないか。

 泣きたくなったら泣いて、楽しかったら笑って、嬉しかったら幸せになる。

 全部自分の自由だ。

 ただ、辛くて泣いている時は少しくらい優しくされたいよな」

「……それで傍にいてくれたんですか?」


 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。


「丁度良かったんだ、俺も泣きたかったから」

「そうですか」


 それっきり、2人で日が沈むまで夕日を眺めていた。

 半径100メートルほどに結界を張り、邪魔者は排除している。

 小動物すら姿を消したこの辺りは不自然なほど静かで、それでいて穏やかだった。


「カズトさん、これからお時間ありますか?」


 空がまだオレンジと紺色の混ざり合う頃。

 しばらくそんな空を眺めていたツバサちゃんが、悩みの取れたような表情で問い掛けてきた。


「お望みとあればいくらでも。

 でも今日は仕事じゃ?」

「目を腫らしてしまいましたから、今日はお休みさせていただきます。

 あ、もしかしてお店のほうに来てくれようとしていました?」

「それじゃ、今日はNo.2のミサキちゃ――」

「だ・め・で・す」


 少しだけ嫉妬したような仕草が可愛い。


「駄目なのか、それじゃ仕方がないな。

 今日は大人しく言うことを聞くとしよう」

「それが良いですよ。きっと楽しいですから」

「それは楽しみだ」


 ――とても良い夜を過ごせた。


 満足、それは今この瞬間のことを指すのだろう。

 いつも以上に情熱的だったツバサちゃんは、疲れもあってか、今は気持ちよさそうに寝付いていた。

 寝息は穏やかで、それはまるで子守歌のようでもあり、俺も睡魔に誘われる。

 心から安心できる、そんな場所そんな時間ができたのは、自分にとっても救いだった。

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