041_私だってまだ乙女な心は残している
マチルダの料理は絶品だった。
俺は既にマチルダをタキシスの町に連れて帰ることを決めている。
そこに本人の意思は関係ない。
死ぬまで俺の為に旨い料理を作り続けるがいい。
まさに胃を掴まれた……これはもうマチルダに弱みを握られたようなものかも知れない。
弱みはなんとか隠し通さないとな。
これだけ美味しい料理を作れるのであれば、丸い体など些細なことだ。
痩せようと頑張るのは勝手だが、痩せて料理が不味くなるようであれば強制的に太らせよう。
「この町にもお父様の顔が利く卸問屋がありますので、良い素材を分けてもらえたので良かったです」
「そこはライナードの父親がやっているお店だね」
「マチルダのご両親のおかげで、いつも潤わせてもらっているよ」
「僕の家は糸と織物が専門だからね、仲間に入れてもらえないのが残念だよ」
聞けばみんな大店の嫡男なり嫡女だった。
そんな気はしていたが、あれだけの学校に通えるとなればやはり上流に当たる家庭になるか。
そう言えば、俺とロリィの入学金を用意してもらった時、カロッソも青い顔をしていたな。
それ以上に3人娘が青い顔をしていたが、やはり高かったのか。
お金は全部任せているので、いまいち金額と価値基準が釣り合わない。
まぁ、お金で苦労するのはカロッソと3人娘に任せよう。
俺は必要なものを用意すれば良い。
◇
翌日。
課外授業の行われるダンジョンの入り口は、町の西側にあり、朝の7時だというのに既に人で賑わっていた。
ぱっと見で200人近い人がいるけれど、全員がダンジョンに入ったらまともに魔物と出会えるのだろうか。
どんどん奥に進んで、最初に出合う魔物がボスでしたとかじゃないだろうな。
俺はダンジョンについて、改めて知識を検索する。
いつものように、知識としては知っているのに意識してないが為に墓穴を掘るのを避けたい。
ダンジョン――それは魔力炉を核とした一種の生命体である。
なんだそれ……
授業で習ってないぞ。
もしかして基本的すぎることはわざわざ取り扱わないのか……まぁ、いい。
ダンジョンは日々成長を続け、魔力炉を失わない限り巨大化し続ける。
ダンジョンは魔力溜まりから魔物を産み出し、それは魔力炉に近いほど強力な魔物となる。
ダンジョンは幾つかの転移ポイントを持ち、それを介して入り口に戻ることが出来る。
ダンジョンは時に宝箱を産み出し、その中には、希に
ダンジョンは今だ謎に満ちている。
……取り敢えず、全員出入り口からピクニックよろしく突き進む、と言うことはないとわかっただけでも良しとするか。
慣れた人たちは強い魔物――つまり、良い素材や宝を求めて奥へと進むようだ。
それとなくルティナやライナードに聞いてみたが、マチルダも含めて普通に知っていることだった。
知らなかったのは俺だけかよ……知識はあるんだけどな。
そんなこんなで、いよいよ俺たちがダンジョンに入る番となった。
「それじゃ、ほどほどにがんばろう!」
「ルティナが一番張り切りそうで恐いんだけどね」
2人が課外授業に出る理由は、将来仕事に就いた時、国中を移動する中で間違いなく出会うであろう魔物に慣れておく為らしい。
護衛を雇っての移動とはなるが、最終的に自分の身を守るのは自分だと良くわかっているのだろう。
いざ魔物を目の前にして、護衛の指示も聞けないほど怯えていたら話にならないしな。
さて、まずは2人の実力を見せてもらおうか。
◇
時は1週間ほど遡り、カズトが領都に戻ってきた日。
アセリア領の領主城にある執務室で、領主は頭を抱えていた。
今年の税収も下がっている為だ。
どうやって予算のやりくりをするべきかと、今から頭を悩ませる彼女の元に、別の問題を持って執務官が現れた。
領主であるヘルベティカは、前に垂れた紺色の髪を耳に流し、身を正して執務官の報告を聞く。
いつかは自分の趣味にあわせて飾ろうと思っていた執務室は、1年が過ぎた今でも事務的で質素な物だ。
せめて花瓶の1つでも置くべきだったか。
(忙しい時に限って問題が重なる)
20代前半のヘルベティカは当主である父の死後、変わって政務を納めている。
母に才はなく、自分でもしばらくは自由にと婿養子を取るのを遅らせていたことが、ここに来てアダとなった。
ヘルベティカが妙齢でなければ、代理の代官によっていずれは都合の良いように利用されていただろう。
だが、幸いにしてヘルベティカには当主としての責任に応えるだけの能力があった。
それでも、慣れない執務に多忙を極め、眉間の皺はもう取れないのではないかと思うほど深くなっている。
執務官にもたらされた話はバラカス領の摂政からで、この領の南に大規模な盗賊団が発生した為、その討伐の為に越領の許可を請うものだった。
盗賊団は領間の通商を妨げる問題であり、こちらの対応が遅れたことでバラカス領にも支障が出始めていた。
当初、小規模な盗賊団が出たことは報告書に書かれていたが、あわせて傭兵団による討伐も終えたとも書かれていた。
だから、バラカス領からの申し出には疑問が残る。
(済んだことであればと気にしていなかったが、生き残りがいたのだろうか?)
それにしても、領兵を使って討伐に出るというのであれば、生き残りというには随分と規模が大きい。
恐らく50人ほどの規模になるが、それほどの規模になれば討伐を終えたなどという記録はないはずだ。
むしろ、領兵の出動を願う嘆願書である方が自然と言える。
(傭兵団による討伐を終えたというのが嘘の報告だったということか?)
だが、それで得をする者はいない。
いるとすれば、その報告を上げた者が盗賊と繋がっていたということになる。
(いや、ないな)
盗賊団の存在には商人が一番敏感だ。
情報は何よりも早くここへ伝わってくる。
それがないと言うことは、盗賊団の討伐は成されたと言うことだ。
(バラカス領の摂政が、盗賊の討伐を知らなかったと言うこともあるか……それもないな)
兵を動かすとなればそれなりの負担だ。
事実も確かめずにこの様な申し出はないはずだ。
となれば、盗賊団は未だ健在と考えた方が良い。
「オリオ、しばらく前に南部で盗賊団が出たという報告があったと思うけれど、あれの最新情報は特にない?」
「はい。傭兵団による討伐済みという報告が最後です」
執務官のオリオは、父の仕事を支え続け、その人柄には信頼が置ける。
そのオリオが無いというのであれば、報告は無いのだ。
「そう……」
ヘルベティカは、この時点で視察団の派遣を決める。
もし本当に盗賊団がいて、それをバラカス領が討伐してくれるというのであれば、こちらとしては経費も掛からず被害も収まる為、嬉しい話だ――ただで済むのなら。
本来ならどんな弱みを握られるかもわからない他領の干渉を、そう易々と了承できるものではなかった。
それが例え、領兵のやりくりに割り当てる予算に四苦八苦していようともだ。
しかし、ヘルベティカは簡単にその申し出を断ることができない。
申し出にはもう1つの理由が添えられており、それに対する隙のない返答が思い付かないからだ。
もう1つの理由、それは国防を担うバラカス領の新兵教育の一環として、と言うものだった。
バラカス領は南のルドニア王国と常に戦争状態にあり、それを支える最前線だ。
国からは多くの物資と人員が送り込まれ、国防に関し正当な理由があるならば、ある程度の独断が許されている。
そのバラカス領から、表向きは正当な理由で受けた申し出であり、理由もなく断るのは難しい。
「確か南は税収が上がっていたわよね?」
「今年の税収は2倍近くまで上がっておりますな」
執務官のオリオは何枚かの資料に目を通し、主に売買益によって税収が上がっていると伝えた。
「とても盗賊団に襲われたとは思えないのだけれど、その辺の確認はどうなっているの?」
「先月税務官が、領境の税収を担当しているビルモの町を訪れた時は、町長が替わっていたそうですが、納税物に問題はなかったと書かれております」
ヘルベティカが眉を顰める。
「町長の選任は領主である私の管理下にあるはずだけれど?」
「防衛上拠点とされる町についてはその様になっておりますが、その他の小さな町村については代表の町を選出し、そこに管理運営を任せております。
ビルモの町はその中の一つでございます」
「そう。問題なく廻って、税収も上がっているなら問題ない――とも言い切れないわね。
税収が上がった理由を調べてくれるかしら?」
「既に視察団を向かわせております。
他の町でも税収を上げることが出来るかもしれませんからね」
「仕事が早くて助かるわ」
視察団の派遣は自分でも思い立ったが、オリオは既に手を打っていた。
彼が動いてくれるおかげで、ヘルベティカは忙しい中でも楽をさせてもらっている。
「南と言えば、最近ダンジョンが攻略されたとか、御使いが現れたとか言う噂が出ているという話だったわね」
「視察団には合わせて確認を取るように伝えております」
「あの大規模ダンジョンのはずはないから、生まれたばかりのダンジョンか。
出来れば少し成長させてから狩りたかったというのは贅沢かしら」
「人の欲望は尽きませんからな。
育つのを待てというのは難しいでしょう」
それでも、2、3年くらい寝かせれば領の財政も大きく潤うことになったと思えば溜息しか出ないのは、領主ならば誰でも同じだろう。
ダンジョンの誕生という可能性に対する対策を取らなかったのはヘルベティカだ。
それを悔いても今更かと、考えを押しやる。
残る問題はバラカス領への返事だが、ヘルベティカは返事を
もしバラカス領が焦れて兵を動かすならば、それは
黙認する代わりに見返りもなし、それで問題ないと判断する。
「いい加減、金と力があって、私の願いを叶えてくれる男でも現れてくれないかしら」
「いたらどうされますか?」
「無理にでも婚姻を結んで愛を育みましょう」
「生まれを問わずということでしたら、金と力を持ち、まだ他の家の者に囲われていない人物に心当たりがあります」
「本当ですか!?」
自分で思っていた以上に心が動いたヘルベティカは、思わず立ち上がってしまったことを恥じるように座り直す。
「この町に来ているようですので、一度会われてみては如何ですか?」
「よし、時間を作りなさい。
直ぐにでも呼び出し――いやまて、私が会いに行こう。
その方が誠意的だろう?」
「では、その様に」
(勝機! この際、相手の生まれはどうでも良い。
どうせ侯爵家を継ぐことになるのだから。
ただ、美醜だけは我慢できる範囲に収まっていて欲しい。
私だってまだ乙女な心は残している。
今日はゆっくりと湯に浸かり、いつもより多めに香油を塗ってもらうとしよう)
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