第4話
「足りないわ」
計画が始動して二度目となる北ベナントの定例会議は、そんな言葉で始まり、同時に凍結した。
月に一度行うようにしているこの会議は、発案者の当初の思惑とは違う方向に傾き始めようとしていた。
『浄化作戦』と命じられた、ベナントという国の将来を握る掃討計画。
『内乱』『戦争』という大仕事。この会議は、それに必要な情報を交換しあう為に発案されたものだった。
確認しなければならない幾つもの事案。それらを差し置き、何よりも先んじて放たれた一言に、水を打ったように静まりかえった。
多くの議員が顔を見合わせ、この一言をどう飲み込むべきかと途方に暮れる。
ある意味では、ただの一言がそこまでの重みを持つという事実が、この少女がこの会議の最も重要な案件を握っていることを物語っていた。
「……こほんっ」
停止した空間をそんな咳払いが緩ませて、会議室の中心にいた男は、姿勢を改めて、目の前の少女を見る。
重苦しい会議室。彼女だけが立ち上がっている中で、視線は男に集中する。
「……すまない、よく分からないな。ここにいる皆に分かるように言ってくれないか?」
「あら、ごめんなさいストラトスさん。つまりね、もっと資材と資金が欲しいってことなの」
「聞きたいのは、そんな戯言を平然と吐ける君の思考だ。ミス・ロールスロイス」
苛立ちを滲ませる言葉に、会議室の空気が改めて凍り付いた。
少女を真っ向から見据える、この会議の中心人物は、名前をカール・ストラトスと言った。
彼はベナントの人間ではない。海を越えた西の大国アメリアから派遣された、外交館大使だ。
アメリアは現在、その抜きんでた国力と経済力を持ってして、ベナントとの経済条約を締結している。
経済とは名義しているが、実際はアメリア外交官の政治機関への参加、アメリア国籍の船舶に対する港の無条件解放など、友好とは程遠い傀儡政策だ。
このこともあり、三十半ばの壮齢な男性は、しかし自分よりも遙かに高齢な他の議員を抑え、誰よりも高い地位と共にこの議会の中心に君臨している。
「……聞くまでもないことを、あえて言わせてもらうが」
元々は流麗な男性であったであろう彼の眉間には、今の地位まで上り詰めるまでにくぐり抜けた佳境の数を物語るように、深い皺が刻まれている。
それらを究極にまで深め、ストラトスは怒りを零下にまで冷え込ませ、静かに視線を突き刺した。
「既に『教会』に契約料は支払い、君が先日突きつけた資材と資金の要望も……それ自体頭を抱えるような量だったものをだ……我々は受託し、用意する手筈は整った」
ライバルを蹴落とし、部下を押し黙らせてきた、彼のキャリアがそのまま乗り移ったような、ナイフのように鋭い視線が刺さる。
「それを受けて、君はなんと言うのだ?」
「足りないって言ってるのよ」
それでいて尚、少女は不遜な態度を一切崩すことなく、自分の金糸のように艶やかな髪を靡かせた。
「製図段階で、ビビッとアイデアが浮かんだものでね。構造を一新するの。まるっと全部。強烈な作品になるわ、今からがとても楽しみだもん」
周囲の視線を歯牙にもかけず、一人自らの未来を脳裏に思い描き、少女は心を躍らせる。まるで舞台の上で視線を集めて踊る女優のような、そんな堂に入った立ち振る舞いだ。
美しい少女だった。それと同時に、得体の知れない人物でもあった。
身にまとう雰囲気は、どこかの令嬢か王族のような華やかなもの。
光り輝くような金色の髪はまっすぐ腰まで流れ、赤茶の瞳は、彼女の気品と気高い精神力を象徴するように、力強く雅だ。
服装は上品でありながら、どこか異質な物を感じさせる。薄い藍色のワンピースに、胸までの丈の同じ色のブラウスを着用している。布の繋ぎや装飾には金糸が使用され、滑らかな生地に走る金色の光はまるで雷のようで、不思議な存在感と底知れなさを印象づける。
藍色と金色を纏う姿は、普通とはかけ離れた立ち位置を意識させる。高貴な彼女の容姿と合わさって、まるでおとぎ話の魔法使いのようでもあった。
見積もって十六、七歳程度。この議会の平均年齢からすればまるで孫娘のような少女は、それでも臆することなく、ストラトスの視線を真っ向から睨み返す。
「そちらこそ聞くまでもないことを確認しないで。それともそんなに察しが悪いの?」
「口を慎まれよ、魔導機技師殿」
叱咤するように彼女を呼び、立ち上がったのは、ストラトスの脇に控える外交官だ。国内の資本管理は彼が担当している。丸い体型で髭を蓄えた彼ももちろん、アメリアの人間だ。
「君こそ浅慮が過ぎるのではないかね? 資材の用意と軽く言うがな、あれだけの膨大な資源を国内外から調達するのに、どれだけの無理強いと幅寄せがあったと思っている? 資材調達もれっきとした契約なんだ。そこに更に寄越せなどと――」
「あのねえ」
凛とした張りのある一声で、またもや会議室に沈黙が訪れた。
三倍近い年の差がありながら、息を飲んだのは外交官の方であった。ストラトスは静かに右手を挙げ、彼に着席を促す。
ストラトスの視線を前にして、気圧されない。そればかりか、老齢の議員の怒りを一声で黙殺する。それだけで度を超えた胆力だった。
周囲に鎮座するベナントの官僚たちは、揃って互いの顔を伺うばかりである。実験を握るのはストラトスだ。彼が話を聞くのであれば、彼女を止めるものは誰もいない。
一様に重たい顔を見合わせる会議の場において、少女は異質とも呼べる美しさを誇っていた。それを自負するように、少女は自分が高位の存在であると疑わない素振りで会場を見回す。
事実として、彼女は他の誰よりも自尊心と独自性に優れ、魔導機技師という唯一無二の存在であった。
「教会の規約に記されていたでしょう? あなたは私を雇ったんじゃない。あなた達が私の『作品』を使うの。そして、私は作品に妥協を許さない。スポンサーっていうなら、私の言うとおりに動くのが常じゃない?」
「このっ――」
「まあ待て」
怒りを募らせる外交官を、ストラトスが押しとどめる。
静寂に戻った室内で、彼はゆっくりと首を回し、一人一人の顔を見る。
ピリピリと張りつめた空気を読んで、彼はぽんと柔らかい拍手を一つ鳴らした。
「この空間に相席する者たちは、立場の違いこそあるが、同じ地で同じ空気を吸う、言わば同士だ。無闇に険悪になるべきではない」
余裕を含ませた笑みで会議室を一瞥し、はち切れんばかりの場の空気を修正する。誰からともなく頷き、上がりかけた腰を元の位置に戻す。
ストラトスの口元に浮かんだ笑みは、自然にこぼれた物であった。
自尊心が高いというのは、個人的には好みだが、こういう場では厄介なものだ。自己の論を貫くため、結論を急ぎすぎる。
しかし周りの反応を露ともとらえずに我を通すのは、賞賛に値する。この場にいる誰も、自分の決断にノーとは言えないのだろう。言わせない、の方が正しいが。
ともかく……おもしろい。
やはり魔導機技師とは、通常とはかけ離れた異質な存在らしい。
異常を歓迎するように、ストラトスは少女に笑みを向け、言葉を投げる。
ともかく、この乱れた空気を是正し、引き戻す。
異分子は排除する必要はないが、彼女が頂点のように振舞われては、沽券に関わるし、癪に障る。
自分が頂点であること。ストラトスはこれを誇示することを忘れない。
「君も、これから数ヶ月はこの国に滞在するんだ。しこりは少ない方がいい。君の作品づくりの為にも……そうだろう?」
「……ひとまず、その意見には同意」
柔和な、しかし底の見えない視線を浴びて、美しき魔導機技師は小さく鼻を鳴らした。
双方の歩み寄りが大切だ。緩やかな雰囲気でそう示し、ストラトスは会話の主導権を取り戻す。
「ヘレナ・アルフィム・ロールスロイス君。『鉄の太陽』とまで称される君の魔導機生成技術には、我々も高い期待を寄せている。援助は喜んで行うし、多少の無理はこちらも通させよう」
何か言いたげな隣の外交官を目線で制し、言葉を続ける。
「だが、それらは契約……つまりは信頼の上に成り立っているんだ。君が魔導機を『作品』と呼ぼうが……『兵器』として投資に見合う結果を残してくれなければ、この契約は成り立たない」
流麗に紡がれる言葉は、合理という最強の矛。
ヘレナはじっとストラトスの言葉に耳を傾ける。高貴な雰囲気の通り、彼女も理知的で気品があり……何よりも、天才であった。
その形のいい小振りな耳に染み込ませるように、この会議室の全てを掌握するように、ストラトスはゆっくり、明瞭に言葉を述べる。
「これから始まる戦争。君の助けなくとも、私たちの勝利は確定事項なんだよ。だが私が求めるものは違う。北ベナントの……アメリアの、完膚なき完全なる勝利なんだ」
陶酔させるような、甘く力強い言葉。
同席する北ベナントの重役はともかく……彼らを支配するアメリアの外交官たちは、彼が匂わせる権力に完全に酔っていた。
「この戦争で圧倒的な勝利を収め、南ベナントを武力で蹂躙し、統一する事によって、近域の諸国はアメリアに堪え難い畏怖の念を抱くだろう。南ベナントから立ち上る業火の煙が、ひいては、この地域を支配する最初の狼煙となるんだ」
身振りまで交えたストラトスの演説は、瞬く間に空間に伝播する。
大国が小国を支配し、発展の礎とする、産業革命と平行して行われた領土戦争。
その先頭を走るアメリアにとって……『支配』という言葉は、これ以上なく陶酔に浸らせる、強烈な麻薬であった。
気づけば隣の同僚たちは、首を振る機械と化していた。
会場全体を掌握したストラトスは、まるでそれが国の総意であるように、国を代表するように、ヘレナを見据える。
「この戦いが、私たちアメリアが頂点に君臨する架け橋になるんだ。だからこそ君を呼んだんだよ。ミス・ロールスロイス君」
名前を呼ばれ、ヘレナは小さく鼻を鳴らした。
「君の評判は聞いている。この場に来てくれたことを誇りにも思うよ。本当だ……援助は手厚く行おう。必要なら手配もしよう。だが結果は残して貰う。そういう契約だからな」
欲しいのは信頼だ。
そう呟いて、ストラトスは身を僅かに乗り出した。
「国を背負うビジネスだ。メリットのない投資は行えないんだよ。交渉には、要求に見合う結果と、その保証が必要だ。分かるね? ……さあ教えてくれ。君は一体、何を作ろうというんだ?」
得意気に、仰々しく問う。
金色の魔導機技師は、それを受けて尚、不遜気に鼻を鳴らして腕を組んだ。
「随分と回りくどい言い方をしちゃって……言われなくてもそのつもりよ――ハジュラ!」
指を鳴らすと、ヘレナの後ろに控えていた長身の男性が歩み寄る。金色のヘレナと対比するように、彼の髪は鈍く美しい鉄色をしていた。
彼は脇に抱えていた巨大な用紙を、丁寧に広げて見せた。
数十人が一堂に介する会議室の机。そこにはみ出さんばかりに広げられた、巨大な羊皮紙。
魔導機の設計図だ。
『――』
誰からともなく、息を飲む音がした。ストラトスさえも、一瞬我を忘れて我が目を疑ってしまう。
そこに記された膨大な情報。精緻で緻密な設計図。
その全貌を理解できた者から順番に……今見ているこれは現実なのかと、懐疑心さえ置き去りにした放心状態へ導かれる。
「声も出せないようね。まあ、当然でしょうけど」
やっぱり私、天才だわ。
そう得意気に笑い、ヘレナは自分の親指を口に含ませた。
指の腹を少し噛んで、血を滴らせる。深紅のそれを、設計図の端の方。完全な円に呪文の描かれた魔法陣に押しつける。
すると、血液が不自然な軌道を動き出し、魔法陣をなぞるように動く。血液で描かれた魔法陣、ただの図形でしかなかったそれが宙に浮かび、緩やかに回転し始めた。
淡く青白い輝きがヘレナの手元を照らし出す。魔法陣の下で、ヘレナが羊皮紙に滲ませた血液が意志を持つように動き出し、今度は黒鉛で書かれた設計図を紅い糸でなぞる。
設計図の一部――完成した魔導機の図をヘレナの血が描き終えると、深紅の線が淡く発行し、これもまた宙に浮かび上がる。
会議室の中央で、深紅の線で描かれた立体図形が、魔導機の完成図と、その動く様を見せつけた。
目の前で稼働する様を見せつける設計図に、誰もが呆然と言葉を失う。
「……愚かしいとは自覚するが、確認させてくれ」
震える声で、喜びを隠せないままに、ストラトスが弁を代表する。
「本当に、これが、動くんだな?」
「ええ。完膚無き勝利をお望みなんでしょう?」
理解の及ばない凡夫共を睥睨するように、ヘレナは金色の髪をなびかせた。
不遜な余裕に唇をつり上げて、少女は赤茶の瞳を力強く輝かせた。
「安心して。このヘレナ・アルフィム・ロールスロイスが、南ベナントに神の鉄槌を下してあげるわ」
超弩級戦略魔導機。その名も『
かくしてベナント南北戦争に向けた戦略兵器は、当初の三倍の資材を投入して製造が始まった。
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