第3話



 左上と呼ばれた湖は、何の冗談か、本当に馬蹄の形をしていた。

 超絶存在に踏み沈められて水が溜まった、澄み渡るU字型の湖。その中央部に、その建物は姿を現していた。


「さあ、着きましたよ。長旅ご苦労様です」


 速度を緩やかに落とし、家屋から五十メートルの所で徐行する。

 先ほどの草原とはその様相も異なり、草もまばらにしか生えていない。目に見えるほとんどが、滑らかな土で構成されていた。水こそないが、土の質は草原と言うより湿地に近い印象だ。

 湿り気を含む黄土は柔らかく足が沈み込む。足を取られないよう騎馬をゆっくり歩行させながら、クリムは待ち望んでいた光景を、意外という面もちで眺めていた。


「……」


 伝説とも称される魔導技師、その邸宅。

 しかし、簡潔に言ってしまえば……期待はずれというか。

 土を焼成した、ただそれだけの、土気色のドーム。大きさこそ通常の家屋よりも大きく、陶磁器のように滑らかな半球場は見る人が見ればため息がでる精緻さだが、それらが昆虫の繭のように重なり合い雑多に並んでいる光景は、魔導機技師の住居と言うには拍子抜けに過ぎる。

 遊牧民の集落と呼ばれたほうが、まだ納得したことだろう。それか、怪しい薬でも作っている、おとぎ話の魔法使いか。


 クリムの知る魔導機技師という存在は――文献に記述されている知識としてだが――皆一様に傲慢にして尊大。自らの権威と意匠を見せびらかすように、着姿から住居に至るまで絢爛に着飾るものであった。

 芸術家よりも遙かに我が強く、貴族よりも遙かに権威を主張したがる。しかし事実として、摩訶不思議な技術を修めて世界の実験をその手に握る。それが魔導機技師という存在の筈だ。


 こんな辺鄙な草原のど真ん中という段階で妙な予感はしていたが、それでも構える住居はどれだけ豪華絢爛なのかと、畏れさえ抱いていたほどだ。実際、この草原に足を踏み入れたときも、すぐに一目で分かるような大きな屋根でも見えるだろうと思いこんでいた。

 ヘイミッシュ・フォードという人物が、知識の中のどの魔導機技師とも合致しない。技術は知識より上方に、印象は常識より下方に。


「世捨て人っていうのは、本当みたいだな……」


 何となくそう納得して、クリムは騎馬を降り、柔らかな土を踏みしめる。

 ぽんっ、とラクシュミーが手を鳴らして、二人の子供逹にお願いした。


「二人とも、フォード様を起こして来て下さい」

「はーい!」

「ねえねえ。どうしよっか、アグニ」

「どーん! っていく? ぶおおー! ってする?」

「どっちも!」

「じゃあ、ばっごぉーん!! ってやろう!」

「わあい!」


 何やら物騒な言葉を並べながら、アグニとルトは二色の炎となって、高速で飛翔。家屋から突き出た煙突から中に入っていく。

 残されたのは、クリムとラクシュミーの二人。歩いて近づいて行きながら、クリムはふと隣を歩く絶世の美女に目を向ける。


 クリムもまだ子供だが、一般的な女性と比べても、ラクシュミーはかなりの高身長であった。見上げるように彼女の顔を見つめると、童心に帰るような、甘えたい気持ちにさせられてしまう。

 目を見張るほどに張りのあるボディラインに、絹糸のように艶やかな髪。精緻な人形のような、現実味さえ置いていく美しい顔立ちに、凛とした艶やかな立ち姿。

 生まれたままの彼女の姿も脳裏にあり、どうしても緊張で声が上擦ってしまう。


「あの……」

「ふふ。心配なさらなくても大丈夫ですよ。フォード様は裏表のない方ではありますが、決して人嫌いではありませんから」

「そ、そうですか……」


 柔らかな声の一つ一つが、いやに魅力的に感じてしまう。


「そ、その……ラクシュミーさんは、ヘイミッシュ・フォードとはどういう――」


 気恥ずかしさに体をちぢこませてしまう、その緊張に固まった体が、突然の爆音に大きく跳ね上がった。


「うわぁ!? な、何だ!?」

「あらあら、随分はしゃいじゃって」


 炸薬弾でも直撃したような、重く激しい爆音と衝撃。今まさにクリムが向かう建物の一部が激しく爆砕し、煙がもうもうと上がる。

 その煙を突き抜け、天高く飛来する一つの影。小さな影の周囲を、紅と蒼の二色の炎が取り巻いている。


「――クソガキ共ォォォォォォォォォォォォ……!」


 こだまのような、遠方からのそんな叫び声。

 困ったような、ラクシュミーの微笑。

 ……どうやら、あれが『ばっごぉーん!!』らしい。


「えっと……じゃあ、アレが」

「ええ。初めましてになりますね」

「あ。すいません、アレとか言っちゃって……」

「いえいえ」


 奇想天外すぎて一周回って冷静になった思考で呆然と眺めていると、小さな影がくんっと向きを変え、こちらの方にぐんぐんと近づいてきた。


「ちょ――っ」


 獲物を定めた鷹のように、真っ直ぐこちらへと突進してくる。凄まじい速度に混じって、双子の精霊の陽気な笑い声も近づいてくる。

 隕石のような来訪に、クリムは思わず腰を落とし、ぎゅっと目を瞑る。

 その目の前、ちょうどラクシュミーの眼前まで飛来した人物は、ぼんっと風船が割れるような音で減速と浮遊を行うと、ラクシュミーの腕の中へすっぽりと収まった。

 周囲を飛び回る二色の炎が人の形に戻って腹を抱える。


「おはよー! フォード!」

「っせえなクソガキ共! 毎朝ドッカンバッコンと! 寝起きバズーカに寝起きナパームに飽きたらず! 今度は何だ? 鳥か? 高射砲か? 寝起きでフライアウェイか!?」

「でも、起きたでしょ?」

「ええ起きましたとも! バッチリ目が冴えましたとも! 走馬燈まで見えましたがね! 寝起きに放出されるアドレナリンの量じゃねえんだよ、毎度毎度な!」

「……毎度なんだ……」


 ラクシュミーの腕に抱えられた男性は、自身の短い髪を振り乱して激高する。

 初めてクリムが見た彼の瞳は、瞳孔が最大まで開かれていた。寝間着は突風で乱雑に乱れ、鈍い金色の髪は少し焦げ付いている。あんまりな姿だが、さっきのは寝起きにしてはあんまりな仕打ちだ。素直に同情する。

 胸元に収まる男性を慈愛の瞳で見下ろし、ラクシュミーは宥めるように語りかける。


「おはようございます、フォード様」

「ああ、ラクシュミー。朝からお前に抱かれてお前の顔とおっぱいを見れるのはすごく嬉しいのだけど。とてもとても幸せなのだけれど。それなら今度からお前が俺のベッドまで来て起こしてくれ。頼む。割と真剣に死ぬから。明日にでも」

「申し訳ありません。フォード様にお客様がいらしていた物ですから」

「……うん?」


 眼前で揺れるラクシュミーの胸を凝視し「ふぉぉぉ……」と謎のトランスをしていた男性は、その言葉でようやく、腰が抜けてへたり込むクリムの姿を捉えた。


「……」

「は、初めまして。ボクは……ええと」


 薄い碧色の瞳が、真っ直ぐにクリムを見つめる。奇想な登場に、クリムも名乗る余裕がない。

 と、その目が徐々に細まり、いぶかしむように眉がひそめられたと思うと。


「あら――」


 唐突にラクシュミーの顎を引くと、自らの顔を近づけ――

 その唇を、自分の唇で蓋をした。


「なっ――!?」


 突然のキスに、最も驚いたのはクリムだ。目を見開き、美女が唇を奪われた光景を呆然と眺める。

 なぜだか分からないが……魅力的な女性であるラクシュミーが『他人の物』である証明に……訪れたのは、不思議な敗北感であった。

 いやに長く感じる口づけを終え、男性はキッと敵意を込めた目でクリムを睨みつけた。ラクシュミーもまた、落ち着き払っていた顔を朱に染めて、口を緩めてはにかんでいる。


「あらあら、お客様の前ですのに……こまった人」

「やらんぞ」

「え……えっ?」

「やらんからな!」

「いやっ、取りませんから!?」


 ラクシュミーの腕に抱かれたまま、男性は妙に凛とした表情で、自信満々にそう告げた。

 彼こそが、他の魔導機技師とは一線を画する存在。

 常識外れの技術と人並み外れた特異な思考によって、ベナントという国家の崩壊の危機を救う人物。


 希代の魔導機技師、ヘイミッシュ・フォード。


 寝起きでうまく働かない頭と常識外れの飛翔によって過剰に分泌したアドレナリンによって、訳も分からずに使用人との愛を見せつけたこの男性こそが、後に生きる伝説となる、その人であった。

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