第2話

 その日は克明に記されている。


 歴史が大きく転換し、また飛躍することになった、歴史的な一日だ。

 時は今より百年前。世界地図が詳らかに記され、世の情勢が大分明快になった時代。


 スティム・フォン・ウィジャスは、とある都市の片隅で静かに暮らす自動人形技師であった。

 自動人形とは、しばらく前から子供たちのおもちゃとして人気の『魔法の人形』だ。綿を詰めて作られた人形は、体のどこかの固い部分を押すと、歩いたり、踊ったりとコミカルな動きを始める。記録される限り十数人の職人しか作れない、希少な品だった。

 ゼンマイを必要とせず、滑らかで多様な動きはまるで生物のようだと、話題に上がらずとも人気を博していた。


 しかし、子供たちが楽しく遊ぶ片隅で、大人たちは密かに首を傾げていた。

 それは自動人形が魔法の人形と呼ばれる由縁……大人たちの誰も、人形が動くメカニズムを理解できなかったからだ。

 自然な動きを見せながら、誰も構造を把握できていない。

 勿論、解析を試みない訳ではない。それでも尚不可解であり続けたのだ。


 自動人形が他の人形と違うところは、ただ一つ。

 スイッチとなる固い部分。そこに埋め込まれた小さな木片に描かれた、不思議な紋様だけだったのだから。


 数少ない自動人形技師たちは、総じて詳細を聞きたがる者達を突っぱねて、謎は謎、魔法は魔法のままであった。

 ウィジャスも同じく、その技術に対し秘匿を貫き……しかし彼は他と違い、その心の内に、大きな野望を宿していた。


 歴史の転換は、彼の野望が形を成した、その日。

 ウィジャスはこの日を大仰にふれ回り、吟遊詩人も新聞社も呼びつけ、近隣諸国から国史さえも呼び寄せた。

 騒ぎを聞きつけた数多くの人が押し寄せる町の広場が、歴史の超新星爆発、その核となる。


 彼が製造した物体は、一見すると、只の車輪がついた箱であった。

 粗雑で全く見栄えしない。取っ手もペダルも何もなく、あるのは木枠にびっしりと記された、謎の紋様。

 見物人は誰しも眉を潜め……しかしその物体がウィジャスを乗せながら勝手に動き出した瞬間、目を見開いて喝采をあげた。

 只のおもちゃでしかなかった物が、技術として開花した。


 『動力』の誕生と、『魔導』の出現である。


 人の力に依らず稼働するその技術は瞬く間に広がり、まるでそれが水槽に穴を空けたように、影ながら存在したその技術者達がこぞって表に現れだした。

 彼等は自らを魔導機技師と名乗り、あらゆる分野で、その動力――魔導機の制作に乗り出した。


 それから先の発展は、過去数千年の為政者達が目を見張るものだ。

 側面に魔導式の車輪を取り付けた船の誕生で、航海の速度は三倍に伸び、遭難率は二割にまで下がった。

 陸に引いた線路をけたたましく走る魔導車両は、5000キロにも及ぶ大国の西から東を、僅か三日での交易を可能にしてみせた。

 魔導機が持つ唯一無二の動力は、あらゆる面で人々の生活に確信をもたらし、誰も想像し得なかった発展を成し遂げた。

 同時に、その技術者――魔導機技師達は、自らの技術に多大な誇りを持ち、まるで神のような権威を持って、この世界に君臨することになったのだ。


 あらゆる魔導機が世界に蔓延り、人々がその恩恵を享受する。

 車両・船舶・工房機……そして、兵器。

 新たな時代の光景は、僅か300を下る魔導機技師が世界を回す、技術資本の歴史であった。


      ☆


 その歴史の転換期から百年後の、現在。

 二機の騎馬型魔導機を繰りながら、クリムは目の前を走る機体をじっくりと観察していた。


 伝説は、ただの噂では無かった……諸手を振って喜びたい事だが、いざ現実に目の前にすると、意外にも沸き上がってくるのは不信感だった。

 これから彼が出会うのは、こんな辺境の土地にひっそりと住む魔導機技師だ。名のある噂は数あれど、目に見えた功績があるわけではない。

 ラクシュミー逹の乗った機体は、まず間違いなくかの魔導機技師、ヘイミッシュ・フォードの作品であろう。

 そう見立てをつけて、まずは彼の作品の出来を見て、実力を伺おうという腹積もりなのだ。

 幸い、幼い頃より勉学に勤しんでいたおかげで、クリムには魔導機に関しては人並み以上の知識はある。見定めるのに苦労はしなかった。


 魔導機――特殊な加工を行った素材に魔法陣によって描かれた魔力を流すことで、自ら力を発する『動力』によって、通常では成し得ない稼働を実現する神秘の技術だ。

 ウィジャスから始まるその歴史は誰しも耳にする有名な物だが、一説には有史以来よりごく一部で存在していた技術だとも言われている。奇跡と称された歴史のそれらは、この魔導機技術が深く関わっているのだとか。


 ただの傀儡が自ら動きだし。

 土くれの人形に疑似的な生命を宿し。

 あるいはその摩訶不思議な力によって、世界の理すら崩してみせる。


 今では魔導機は、高額ながら世間的にも広く認知され、人々の生活になくてはならない存在であり、それを制作する魔導機技師達には、多大な敬意が払われている。

 今も変わらず奇跡の技術で有り続けるものの、その存在と大まかなメカニズムは、世界に広く知れ渡っている。

 それでも、ラクシュミーたちが乗り込んでいる魔導機は、クリムの知識からは考えられない物だった。


 土を焼成して作られたボディは箱型で、二人が縦に並んで座れるような構造になっている。小型の箱に取り付けられたのは、綺麗な円上に造られた四つの車輪。

 それ自体は自走型魔導機トルク・ゴーレムという標識で最も多く製造され、般式とも王道とも呼べる、最もポピュラーな魔導機の型だ。

 ただ、土製という脆さが目立つ組成でありながら、その馬力は段違いであった。

 土を焼成して造られた四気筒エンジンが唸りを上げ、獣の咆哮のような猛々しい音で大気を揺らす。排煙と土煙をこれでもかとばかりに巻き散らし、後に続くクリムの視界を容赦なく埋め尽くす。


「げほっ! げっほ!」

「あらあら、ごめんなさいクリムさん……アグニ、ルト。もう少し速度を落として下さい」

「えー。こんなヌルヌルのスピードでいいの~?」

「ルトもアグニも、まだ全然いけるよ! なのに、もっとがんばらないの?」

「我慢して下さい。クリムさんを迷子にしてはいけませんから」

「はーい。ほら、アグニ」

「ちぇー。トロいのが悪いじゃんかぁ」


 ラクシュミーの声に反応して、アグニとルトの二人がエンジンのある盛り上がった部分からひょっこりと顔を出すと、不満を漏らしながら再び潜る。

 魔導機の速度と音が多少緩やかになり、クリムの魔導機と併走する。

 それでも、クリムの魔導機は未だ全力疾走を続けている。

 最高級の鉄を利用して造られた、国宝級の騎馬型魔導機。その四駆を壊れんばかりに走らせて尚、彼女らの魔導機に悠々と追い抜かれてしまうのだ。

 土製にも関わらず圧倒的な耐久力を誇る、その焼成技術もさることながら……恐ろしいのはやはり馬力だ。内包するエネルギーの桁が違う。


 圧倒的な火力の要因は、すぐに知れた。

 ……といっても、その光景は、自らの目を疑うものであったが。

 魔導機の後部ハッチが、ボンッという派手な音と共に開いたと思うと、そこから深紅と蒼天、二色の炎が飛び出してきた。

 幻想的な、炎のような光の固まりは人の形を徐々に作り、やがて肌色の体を形作ると、後部座席に二人仲良く収まった。


「おにーさーん、もっとがんばってよー!」

「ルトもつまんないよー! かけっこしようよ、かけっこ!」


 アグニとルト。紅と蒼の二色を讃えた幼児たちは、互いの髪を炎のように揺らめかせながら、そう言ってクリムを煽る。

 クリムはただただ苦笑いを浮かべ、楽しそうに口元を押さえるラクシュミーに視線を向ける。


「すごいですね……精霊なんて、文献でしか見たことがありません」

「一流と呼ばれる魔導機技師であれば、精霊の使役はそこまで珍しくはありませんよ? ですが、彼らほどかわいらしいものではないでしょうけれど」


 まさしく母親のような笑みを浮かべて、ラクシュミーはどこか自慢げに微笑んで見せた。


 精霊とは、自然霊が生命としての形を成した神格存在の通称だ。

 ほとんど伝承でしか語られない彼らは魔導機技術とも関わりが深く、より質の高い魔導機を創るには、彼らの協力が欠くことのできないとも言われている。

 ……と言いつつも、場所が違えば神として祀られる特異存在だ。もちろん、クリムも見るのは初めてだった。


 そんな精霊が、魔導機のエンジンとして直接力を注ぎ込んでいる。桁外れの馬力も、神に等しい存在の補助があるとすれば頷けた。

 また、そんな桁外れの力を内包させ、形状を保ち走らせ続ける技術もまた、並大抵の物ではない。


 ヘイミッシュ・フォード。彼の設計した自走型魔導機は、精霊の力さえもその手中に収めてみせるのだ。


「……」


 凄まじい技術力だ。自分の乗るこの国宝級の二機でさえ、彼の前では霞んでしまうかもしれない。

 ともすれば、本当にベナントを救ってくれるのでは。

 膨らみ続ける期待に唾を飲む。クリムの視界には、空が浸食したように沈んでいる、あの景色が再び姿を見せていた。


「また湖だ……この辺りには、地下水脈でもあるんですか?」

「いいえ。ですがこの湖のおかげで、非常に豊かな土と水が手にはいるんです。フォード様のお気に入りの場所ですよ」

「じゃあ、ヘイミッシュ・フォードも湖の側に?」

「あら、そういえば言ってませんでしたね。フォード様は左上の湖に居を構えています」


 魔導機の爆音にも打ち負けない、透き通る張りのある声でそう言い、後ろのアグニとルトが付け加える。


「今日はたまたま右下に来てたんだよ! おにーさんはラッキーだったね!」

「そうそう。工房作業で左上が土で汚れちゃったから、わざわざ来てたんだよねー!」

「うんうん。まっ茶色!」

「左上……?」


 不思議な呼称に、クリムは眉を潜める。魔導機を巧く操りながら後ろを振り向くも、右下と呼ばれた先ほどの湖は、すでに遙か彼方に消え、もう見えなくなってしまっている。

 眼前で大きくなっていく、綺麗な湖を描く湖。生命の豊かさを象徴するような美しい湖は……三日月のように円形に広がる形は。


 ……ひょっとすると。


「……蹄跡を探せ、って……」


 まさかとは思うが……思いついた予測を、恐る恐る口にする。


「あの……この湖、幾つあります?」

「四つだよ!」

「そうそう、真四角に四つ! ちょうどお馬さんと同じ形!」


 アグニとルトが元気よく教えてくれる。

 思わず前方で風を浴びるラクシュミーに説明を求める。驚愕の理由を察してか、彼女は楽しそうに唇を綻ばせる。


「浪漫がありますよね。数千年も前に、超大型神級魔導機が存在したという静かな証拠……湖の清涼さには、その魔導の残滓が影響しているという説もあります」


 言わんとすることは、よく分かる。だがクリムの常識では、到底信じることができない。


 四足駆動の超巨大な魔導機が、かつてここに存在した。


 だが、湖となった『足跡』。前と後ろでは、地平線を越えるほどの距離がある。それだけの身の丈を持つ機体となれば、一体どれだけ途方もない大きさだと言うのか。

 想像を絶する、しかしながら確かに存在したと証明する四つの湖に、クリムは畏れを抱かずにはいられない。

 本能的な畏怖の感情。ラクシュミーはその感情さえも抱きしめるように、柔らかな笑みをクリムへと向けた。


「おとぎ話のようなものですよ。足跡は四つ。移動したのか、どこへ消えたのか、何もかもが謎です……だからこそ、面白いのですけれどね」



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