第十話 五月、取材を受ける①

※ 最初に


 明治以前の日本に『友情』という言葉はありませんでした。

 江戸時代という厳しい身分制度を持つ社会では、縦の関係のみが重視され横の結びつきはほとんどなかったからです。

 そのことを前提に読んでいただけると幸いです。







 「私にニュースペーパーの取材?」

 「ええ、公使館からの紹介でして」


 霜月二日(※西暦の12月22日)、奉行所ぶぎょうしょに呼び出された次の日の昼下がり、ヴラドは急にそんなことを言い出してきた。

 用事があるとかで珍しく昼の少し前に起きたヴラドは、そのまますぐに英国公使館へと出向いた。護衛として私もついて行き、公使館の中の番士室で待機していたのだが、用事を済ませたらしいヴラドは部屋に来るなりそんなことを言った。

 番士室は本当は英国公使館警護役の武士のために用意された部屋なのだが、最近私たち別手組(※外国人護衛役)の侍も使えるようになった。英国人が日本人の護衛になれてきたのもあるだろうが、以前よりも待遇が良くなってきたのも感じる。

 これもあの事件のお陰なのだろうか、と内心思ったりしていたのだが、真実はよくわからない。

 ヴラドが入ってきたとき、私はちょうど公使館女中のクレアと一緒にお茶を飲みながら話していたところだった。

 持っていた茶椀をクレアに返し首をかしげる。

「私に取材と言ったのか? お前じゃなく」

「ええ、あなた個人を取材したいのだそうです。ほら、この前の熊を相手の大立ち回りで」

「うげ」

 思わず呻き声をあげてしまった。

 あの件では変に目立ちたくないから、これまでその手の話を聞きたい連中は全員会わないで来たというのに。それでも瓦版かわらばんに好き勝手書かれて閉口したのだ。

 日本語で会話したために隣のクレアがきょとんとしていたので、ヴラドの話を伝える。話を聞いた彼女は無邪気な笑顔で言った。

『Cracking! 取材なんてすごいですね、サツキさん。あのことすごい評判でしたものね』

『いや、あんまりありがたい話ではなくてだな……』

 クレアに返事をしてから、ヴラドに英語で話す。

『いつも言っているだろう、その手の取材は受けんぞ、断って……』

『断れませんよ。もう承諾してしまいました』

「おい」

『後でこの部屋に来るよう伝えましたから、よろしくお願いしますね』

『待て待て待て待て! お前はどうしてそう人の気持ちも確認せずに……』

 文句を言おうと立ち上がると、逆にヴラドがつい、と近寄ってきたので機先を制されてしまった。

 ヴラドは私の前に人差し指をピン、と立てて言う。

『いいですか、これは貴重なチャンスなんですよ?』

『む……どういうことだ?』

『いま日本とイギリスの関係は決して良いものではありません。二年前の東禅寺とうぜんじ襲撃事件しかり、今年の生麦なまむぎ事件しかり、横浜に住む外国人、イギリス人の怒りは甚だしいものがあります』

『まあ、そのくらいは知っているが……』

『そこで、貴方の活躍が使えるわけです。日本の侍が、イギリスの貴族の娘を猛獣から守った、という感動的なニュースは横浜に住む外国人にとって、ひいては本国に住む人々にとっても怒りを和らげるのに充分な力を持っているでしょう。ここで取材を受けることはただ市民の好奇心を満たすだけではありません。ひいては日英の友好のために必要なことなのです』

『日英の友好、か』

『今のままでは日本とイギリスはまずいことになりかねないのですよ。生麦事件の賠償問題もまだ解決していませんし。ジョーイローニンが私たち外国人を憎むように、日本人を憎んでいる外国人、とりわけイギリス人はとても多いのです』

 ヴラドの語りは真に迫っていて、思わず私もうなずいてしまう。

『そ、そうなのか……』

 すると、黙って話を聞いていたクレアが急にずい、と身を乗り出していった。

『わ、私はサツキさんのこと大好きですよ!』

『ありがとう、わかってるよクレア。私もクレアのことが大好きだ』

『……えへへ』

 クレアがうれしいことを言ってくれたので、抱き寄せて頭をなでる。彼女は頬を赤くしてはにかんだ。

『私もサツキのこと大好きですよ』

『お前の好意はうさんくさいからいい』

『おや、ひどいですね』

 いつもと全く変わらない、あやしい笑顔で言われてもうれしくも何ともない。

やれやれと思いながら、クレアを抱きしめるのをやめてヴラドに向き直る。

『お前の言うことにも一理あるのはわかった。日英友好のためだと言われれば、私も今は奉行所にお仕えする身だしな。否やは言えん。取材は受けよう』

『ありがとう。そう言ってくれると思ってましたよ』

『しかし、取材と言っても所詮は瓦版屋なんだろう? 瓦版でそんなに異人の心が変わるとは思えんのだが」

『瓦版とニュースペーパーは似てますが違うものですよ。まあその違いについては追々わかってくるでしょう。とりあえず、私たち外国人はニュースペーパーから日々いろんな情報を得ていますし、その内容はかなり信頼されています』

『ふーん、瓦版と言うより書物に近いものなのかな……』

 ニュースペーパーについて思いを巡らしていると、ヴラドが言った。

『あとは直接記者に会った方がわかりやすいでしょう。そうそう、その記者さんは絵もとても上手い人でしてね。あとで貴方の姿もスケッチさせてほしいと言っていました』

『な!? 待て待て待て待て! だからどうしてそう言うことを勝手にぽんぽん決めるんだ!?』

『だってサツキ、貴方前に写真は嫌いだと言っていたじゃないですか。向こうは本当は貴方の写真を撮りたかったんだそうですが、私が説得してスケッチまでにしてあげたんですよ』

『む。それは確かにありがたいが、絵だって良くないぞ。……は、恥ずかしい』

『サツキさんは写真はお嫌いなのですか?』

 クレアがそう尋ねてきたので、戸惑いつつ答える。

『あ、いや、きらいというか、そのだな。……まあ、嫌いだ』

 魂が抜かれると聞いたから……と答えたら、流石にヴラドに笑われそうなので言わないでおく。

 ちょうどそのとき、番士室の扉をコンコンとノックする音が響いた(最近ようやく私もノックという風習が飲み込めるようになった)。

『おや、どうやら時間になったようですね。それではサツキ、よろしくお願いしますよ』

『待てと言っているだろう! 絵に描かれるのは勘弁してくれ』

『大丈夫ですよ。彼女はとても絵が上手いですし、それに日本人ですからその辺のこともくんでくれるでしょう』

『そう言う問題ではないと――む、待て。彼女? 日本人?』

 疑問に思っている間もなく、ヴラドが部屋の扉を開ける。「どうぞ」と彼女が中に招いた人物は、確かに着物を着た日本の女性だった。

「初めまして、小田野おだのカネです。今回は取材を受けてくださって、ありがとう存じます」

 そう名乗った彼女は明るい笑顔で挨拶をした。年の頃は二十前後ですこし緊張している風だった。が、それより気になる部分がある。

 地味な小袖こそでを着ているが姿態はすんなりと美しい。整った顔立ちの中で、瞳が利発そうに輝いていた。つまり総じて、カネさんはただの瓦版書きとは思えないくらい美人だった。

 大体の事情が飲み込めた。

 カネさんにあいさつを返す前に、部屋を出ていこうとしているヴラドに声をかける。

「おい」

「さて、では私は別の仕事があるのでこれで。カネさん、どうぞごゆっくり」

「おい、待てブラド」

「ありがとうヴラドさん! 今度お礼しますね」

「いえいえ、お気になさらず。お役に立てて良かったですよ。今度一緒に食事しましょう」

「待てえぇっ、ブラド。お前私をだしに使ったな!」

「なんのことだか。ではサツキ、取材が終わったら迎えに来てくださいね」

「なにが日英友好だっ! お前の言うことはもう信じないからなーーーっ!」


 こういうときのヴラドは本当に素早い。私が追いつく寸前で惜しくも扉は閉められてしまった。


(つづく)

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