第六話 日英鰻漫談①

『私と食事に、ですか?』

『ああ、クレアさえよければ……。時間があるとき、いつでもいいんだ』


 神無月の末(※西暦の12月中旬)のある日、私は公使館女中のクレアを食事に誘った。彼女にはいつも公使館でお茶を馳走になっているので、そのお礼をしたかったからだ。

 彼女は目の前でみるみる笑顔になる。

『That's mint! とっても嬉しいです。どこで、どこで食べるんですか?』

『せっかくだから、横浜で私の知ってる店にでも案内しようかと思っているんだが、クレアは日本料理は大丈夫か?』

『じゃあお出かけですね。うれしい! 日本料理は食べたこと無いけどきっと大丈夫です』

『そうか、ならそうしよう』

『あ、でも……』

 クレアは次第にその笑顔を曇らせた。

『サツキさんは護衛のお仕事があるでしょう。お休みの日なんてあるんですか?』

『それは大丈夫だ。ブラドは昼間ほとんど寝ているから、昼飯を食いに行くくらいならわけもないさ』

クレアが再び笑顔になった。

『それならよかったです。なら今度の週末がお休みなので、ぜひお願いします。』

『わかった。こちらこそよろしく頼む』


 パタパタと駆けて仕事に戻っていくクレアの後ろ姿を見ながら、私も思わず口元をほころばせていた。私は異人は嫌いだが、あの子だけは特別だ。子犬のように愛らしい彼女は、ついついこちらから構ってやりたくなる。

 次の週末(異人達は7日に1度休みがあるという)までの日にちを指折り数えて、その日が来るのを心待ちにした。






 そして当日。

 ヴラドの寝室から寝息が聞こえるのを確かめて、忍び足で私は屋敷を出た。家を空けることを伝えると、ヴラドは勝手に一人で外出してしまいかねないからだ。

 横浜の街はよく晴れていて、鳥の羽のような白い雲がひとつふたつ、ぽかりと浮かんでいる。風は冷たく、着物の中まで寒さがしみとおってきそうだった。

 晴れ渡った空を眺めながら、公使館への道を急ぐ。

 昼四ツ(※午後12時)の鐘がなる小半時(※1時間)ほど前に、私は待ち合わせ場所の英国公使館に着いた。


「で、なんでお前たちがいるんだ……」


 着いて早々、げんなりする。

 公使館の門の前には、困ったような顔をして佇むクレアと、私が警護を務めるヴラド、そしていつかのスカーレット・キューパーがいた。

 ヴラドはいつものからかい混じりの笑顔で私に言う。

「いやですねえサツキ、私に隠れてこっそり外出なんて。私がもし、あなたのいない間に襲われたらどうするんです?」

「やかましい! だいたいお前私が屋敷を出るとき眠っていただろうが」

「私が起きていたらあなた出れないでしょう」

「たぬき寝入りか、くそ、次は部屋に入って確かめないと」

「おや、夜這いですか、歓迎しますよ」

「誰がするかっ! 本当、どこでそういう日本語を覚えてくるんだ」

 クレアに会うことはだれにも言っていないのに、なんでこいつはこうも察しがいいのだろう。

 痛むこめかみを抑えながら、私はもう一人の招かざる客に目を向けた。

『そしてスカーレット、一体お前はなんでいるんだ』

『わ、私は別に、クレアから話を聞いて、たまには日本の貧相な料理を食べてもいいと思っただけよ』

 スカーレットは目をそらして髪をいじりながら、言い訳がましいことを口にする。日本の料理に興味があるならそういえばいいだろうに。

 ともかく来てしまったものは仕方ない。クレアへのお礼にならなくなってしまったのは残念だが、今日はこの二人も連れて横浜に行くしか無いだろう。

 私はクレアに詫びた。

『すまんな、本当はお前だけに礼をするつもりだったのだが』

『いえ、わたしはかまいません。きっと、みんなで食べたほうがおいしいですよ』

 彼女はそう言って苦笑する。急なことで戸惑っているだろうに、本当にやさしい子だ。

『クレアは、やさしいな』

『いえ、そんなことないです。では、行きましょうか』

『うむ。ほら、ブラドとスカーレットも行くぞ』

 飛び入り二人に声をかけて、公使館の門前から出発する。歩き始めたとき、やはり少し不満があったのか、隣を歩くクレアが顔をくもらせて小さくつぶやいた。

「…………………Jeez」

『む、なんか言ったか?』

『あっ! いえいえ、なにも、何も言っていません!』

 顔を激しく降って否定するので、すこし変に思ったが深く追求はしなかった。

おや、と後ろで声がした。ふりかえると、後ろを歩いていたヴラドが何やら興味深そうにクレアのことを見ている。

「どうかしたか、ブラド」

「いえいえ、別に。…………これはつついたらおもしろそうだと」

「よくわからんが、あまり悪だくみをするなよ」

「なんのことでしょう」

 そらとぼけるヴラドにため息をつく。

 せっかく今日は、穏やかな一日になると思ったのだが。


 山手から降りて横浜の街につくと、昼時とあって大通りには人通りが絶えなかった。ここがかき入れ時とばかりにどこの店の前でも手代が呼び声を張り上げ、そこかしこにいい匂いが立ち込めている。

 クレアがそわそわと浮き足立っているのがはた目にもわかった。きょろきょろとあたりを見回す様子は、初めてお祭りに来た子供のようだ。

『いろんなお店がありますね』

『横浜の街を見るのは初めてか?』

『いえ、お使いで何度か……でも普段はずっと公使館の中にいるので、こうして何か食べに外にでるのは初めてです』

『そうか』

 キラキラと目を輝かせてクレアはあたりを見回している。弾んだ声で彼女が言った。

『それで、どこに行くんですか?』

『そういえば言ってなかったな。クレアはうなぎを食べたことはあるか?』

 たしかうなぎはエゲレスでも取れるとヴラドに聞いたことがある。ちょうど旬だし、鰻飯ならクレアでも食べれるのではないかと考えていた。

 うなぎと聞いてクレアは、ぱあっと笑顔を咲かせた。

『ウナギは好きです。イギリスでもよく食べていました』

『へえ、エゲレスではどう料理するんだ』

『よく食べていたのはウナギのゼリー寄せです』

『ゼリー?』

 初めて聞く料理名だったので、私は思わず聞き返す。

『一口大に切ったウナギをよ~く煮て、どろどろになってきたら冷やして固めるんです。おいしいし、栄養もあるし、わたしの好きなごはんです』

『ふうん、鰻の煮込みとは日本にはないな』

 どじょう汁みたいな料理になるのだろうか? そう考えていると、クレアが何故か急に恥ずかしそうに顔を赤くして俯いた。

『あの、よければわたしが今度作りましょうか? お菓子作りと違って料理はそんなうまくないんですけど……』

 両手の指をもじもじと合わせ、恥ずかしそうに彼女は言う。うれしかったが、少しためらう気持ちもあった。

『む。いや、そんなにしてもらうのは迷惑だろう。普段のお茶でもありがたいくらいなのに』

『そんな迷惑だなんてことないですよ。わたしがしたいと思うんです』

 クレアはそういって微笑む。本当にいい子だ。異人もこういう性格の者ばかりならそう悩まないで済むのだが。

『あの、ちょっとよろしいですか』

 そのとき、なぜか横合いからヴラドが口を挟んでくる。

『クレアさん、余計なお世話かもしれませんが、ウナギのゼリー寄せを五月に食べさせるのはやめたほうがいいですよ』

 急に出てきたので、少し面食らった。

 クレアも驚いた顔をしたが、すぐにむっとした様子でヴラドに言う。

『な、なんでですか。私がサツキさんに何を作ろうと、ヴラドさんには関係ないじゃないですか』

『おお怖い、やはり、恋する女の子は強いですね――』

『わーー! わーー! わーーーーーーっ!』

 クレアが突然大声を出したので、ヴラドが何を言ったのかよく聞き取れなかった。

 そのヴラドは、なぜかおもしろそうににやにやと笑っている。

『フフフ、まあいじめるのはこのへんにして、ウナギのゼリー寄せをおすすめしないのは本心からですよクレアさん。私の言うことが信じられないなら、まずは日本のうなぎ料理をひとつ食べてみてから考えなさい。別にそれからでも遅くないでしょう』

『うう、わかりました』

 クレアがなんだか悔しそうに拳を握って顔をくしゃりと歪めている。私はヴラドに言った。

「ブラド、あんまりクレアをいじめるとその口に猿轡をかませるぞ」

「おや、いまの忠告はわりと親切心からなんですが」

 ヴラドは飄々として悪びれない。気を取り直して私はクレアに話を振った。

『それで、他にうなぎ料理はあるのか?』

 クレアも笑顔になって言った

『はい、燻製にしたり、シチューとかおいしいです』

『シチュー? とはなんだ』

『ええとですね……』

 クレアはなんとか私に説明してくれようとしたが、ところどころ知らない単語があってどんな料理かはわからなかった。ともかく、うなぎの煮込み料理らしい。

 やっぱり私がどじょう汁を思い浮かべていると、横からまたヴラドが口を出してきた。

「おそらく五月が考えているものとはだいぶ違いますよ。たいていは鰻をぶつ切りにして、パセリとコショウで生臭みを消して煮込んだものです」

 またこいつ、と思わないでもなかったが、料理の説明をしてくれたのはありがたいので口には出さなかった。

「パセリとは確か西洋の紫蘇だな」

「ええ、汁が緑色になるくらいに入れます。バター……牛の乳で作った油を、加える事もありますね」

「ふうん、聞いていると魚の煮込み料理みたいだが……しかし牛の乳から作る油とは、相変わらず異人は妙なものを食べるな」

「興味があるなら今度作りましょうか?」

「むむ、そうだなあ、ものは試しに……」

 言いかけて、ふと視線を感じる。見れば、クレアが何かを訴えるように上目遣いでこちらを見ていた。

『…………』

 さらにその後ろで、スカーレットが怒ったように目を釣り上げている。

『ねえ、ちょっと。あなた達だけで会話しないでくれる。日本語はわからないんだから!』

 私は慌てて二人に詫びた。

『これはすまなかった。おいヴラド、私が英語で話している時に日本語で話しかけてくるな。つられるだろ』

『これは失礼』

 ヴラドはすましたままとぼけている。くそ、こいつわざとやったな。

 ヴラドは存在から無視することにして、私はクレアに話しかけた。

『悪かった、クレア。そうそう、日本のうなぎ料理には蒲焼きというのがあるんだ。うなぎを切ってタレにつけて焼いたものだが、うまいぞ』

『へえ……どんな料理か楽しみです』

 クレアがそう言って微笑む。しかしその後ろを歩いていたスカーレットは、鼻で笑った。

『ただ焼いただけなんて、この貧しい島国らしい料理ね』

『なんだと』

 さすがにカチンときた。こいつは……あいかわらずかんにさわる言い方をする。

『食ってもいないくせに、そういうことを言うな。もしかしたらイギリスの料理よりうまいかもしれないだろう?』

『ハッ、世界最強の大英帝国の料理が、こんな東の果てのど田舎の貧相な島国の野蛮な食事に負けるはずがないわ。ありえないわね』

 もしかしてさっきから会話に加われなかったのを根に持っているのだろうか?

 しかし日本の料理をバカにされたとあってはこちらも引けない。

「……上等だ。その喧嘩、買ってやる」

 思わず拳を鳴らしながら、つぶやく。日本語で言ったので当然向こうには伝わらない。 しかし言外の意味は伝わったようでスカーレットは私を見てにやにやと笑っていた。

『もし日本のうなぎ料理がまずかったら、今日の食事代はお前たちの分も私がだそう。うまかったら貴様が払え』

『あら、おごってもらえるなんてお礼を言っておくわ』

『蒲焼きを食べたあとも同じことが言えるといいな』

『大口叩くと後が惨めよ』

『その言葉、そっくりそのまま返すぞ』

 バチバチと火花を散らしてにらみ合う。

 袖を引かれて我に返ると、となりでクレアが困った顔でオロオロしていた。

 あわてて謝る。

『すまんクレア、スカーレットの言い方が頭にきて、つい言い返してしまった』

『いえ、でも大丈夫なのですか? そんな勝負をして……』

『む? ああ、クレアの分は、どのみち私が持つつもりだったから心配しなくていいぞ』

『いえ、そうではなく……』

 心配そうに見つめるクレアに、私は笑いかけた。

『大丈夫だ。日本のうなぎを食って、まずいというやつはたぶんいないよ』

 私達は再び歩き出す。ちょうど、目的の鰻屋が見えてきた。



*




 二階の小座敷に、私達四人は通された。南向きのその部屋はやわらかい陽の光が流れ込んできて、大きい火鉢とあいまって少しあたたかすぎるくらいだった。スカーレットとクレアは座敷の畳にそのまま座ることに慣れていないので、店の者に頼んで特別に一階の床几と机を一組持ってきてもらった。

 私が四人前の鰻を注文すると、さり気なくヴラドが熱いのを一本頼んでいた。昼間からよく飲むな、と思っていると、ヴラドがクスッと笑う。

「これは別勘定でいいですよ」

「いや、構わんよ、勝負は勝負だ。それにまだ私が払うと決まったわけでもないしな」

 スカーレットの方を見ると、何度か落ち着かず体を動かしている。どうしたのかと思っていると、クレアがひくひくと鼻を動かして、顔をほころばした。

『いい匂いですねー』

 それを聞いたスカーレットがなぜか取り乱す。

『べ、別に匂いが良くても味までいいと決まったわけではないわ!』

 心のなかで拳を握りしめる。どうやら勝負の流れはこちらに傾きつつあるらしい。

 やがてあつらえた鰻めしが運ばれてきた。丼の蓋をあけると、タレと鰻の香ばしい匂いが立ち込める。

 私は手を合わせていただきます、と言った。クレアとスカーレットはクルスを切って何やら祈っている。ヴラドは、私と同じように手を合わせただけだった。

「お前は祈らないのか?」

「この方が日本らしくないですか?」

「ばか」

 私は箸を、他の三人は匙をとって、早速鰻めしを食べ始める。

 一口食べた瞬間、スカーレットが固まった。うっ、とつぶやいてそのまま匙が動かなくなる。

 一方クレアは満面の笑顔になった。

『おいしいっ! とってもおいしいです!』

『それは良かった。口に合ったなら嬉しい』

 私も旬の鰻に舌鼓をうつ。ここは江戸のものにも負けない、美味い鰻を出すのだ。

 ヴラドはもう一本目を空にして、追加の銚子を頼んでいた。

 スカーレットは未だに黙ったままでいる。しかし匙の方は動き出して、次々と鰻飯を頬張っていた。その反応で勝利は確信していたが、私はにやにや笑いながら聞いてみる。

『さあ、どうだー? 感想を言ってみろ』

『ぐうっっ…………』

 顔を赤くして、プルプルと震えている。意地でも負けを認めたくないらしい。しかし手は止まらず相変わらず鰻を口に運んでいた。

『どうした? まずいならまずいって言っていいんだぞ』

『ぐぅっ………』

 隣のクレアも子供のように夢中で頬張っている。

『ほんとうに美味しいです。このソースの味も独特だけど、とっても鰻と合います!』

『そう言ってもらえると私も嬉しいよ。クレア』

『えへへ、サツキさんありがとうございます。こんなに美味しいうなぎ食べたの生まれて初めてです』

『そうかそうか』

 クレアがおいしそうに食べるのを眺めていると、『そうだわっ!』と言って突然スカーレットが立ち上がった。

『一体どうした』

『ソースよ! この料理はソースの味が濃すぎる。これはうなぎ本来の味を活かしているとは言い切れないわ!』

 やや自信を取り戻した様子で、スカーレットは言う。

『イギリスの燻製やゼリー寄せのほうが鰻の味を活かしているもの。これでは正しいうなぎ料理の勝負にならないわよ!』

 ほう、そういう言い抜けを思いついたか。たしかにかば焼きのうまさは醤油の味に負うところ大だ。

 深くうなずいて、スカーレットの言い分に同意した。

『なるほど、一理あるな』

『でしょう! だから今日の勝負は引き分けと……』

スカーレットがなにか言いかけたとき、私は手を鳴らして店の者を呼んだ。女中がやってくると、もうひとつ追加で頼む。

「すまないが、うなぎの白焼をもう一人前追加で持ってきてくれ」





『負けたわ! 私の負けよ!』

四半刻(※30分)後、ついにスカーレットが負けを認めた。白焼きをきれいに食べ終わって、ついに観念したらしい。

『どうだった、日本のうなぎは』

『おいしいわよ、おいしかったわよ! なんでただ焼いただけの料理がこんなに美味しいのよ!』

スカーレットは実に悔しそうにしている。実に爽快だ。

『どうやら決着が着いたようですね』

 熱いほうじ茶をすすりながら、ヴラドが言う。最近どんどん仕草が日本人らしくなっているのは気のせいだろうか。

『お前はあまり驚いてないな。結果がわかっていたのか』

『ええ、日本商人との会食で前に食べたことがありましたからね。日本のうなぎのおいしさは知っていましたから』

『ならスカーレットに教えてやれば良かっただろうに』

『勝負で敗北したほうが、深く反省するでしょう?』

 相変わらず人が悪い。

 まあたしかに、目の前でスカーレットはひどく落ち込んでいた。相当誇りを傷つけられたらしい。これもいい薬になるだろうか。

 私は一応スカーレットに確認する。

『では勝負は私の勝ちだな』

『……ええ、わかっているわよ。いくら払えばいいの?』

 私は手を打って店の者を呼び、勘定を頼んだ。女中は一度店の奥に引っ込むと、しばらくして戻ってくる。

「しめて一分いちぶちょうどになります」

『一分だそうだ』

『ブ? なにそれ、何ポンドのこと?』

『ポンド? なんだそれは』

 私もスカーレットも、揃って首をひねる。ややして、スカーレットが慌てだした。

『というか、よく考えたら私日本のお金なんて持ってないわ。両替していない』

『おい、なんだと! じゃあなんで来たんだ』

『いつもは従者が建て替えてくれるから……』

『あほか、ならあんな勝負にのるなよ』

 あほ、のところは日本語だったので伝わらなかったらしい。スカーレットは急にあたふたし始めた。

『ど、どうしましょう……。ごめんなさいサツキ』

『ああ、もういい、ここは私が出すから』

 懐から紙入れを出して一分銀を女中に渡す。毎度どうも、といって女中は笑顔で奥に消えた。

 スカーレットが慌てて椅子から飛び上がる

『ちょ、ちょっと! いくら何でもそれはできないわ。私が賭けに負けたんだから』

『別に構わんさ、お前にうまいと言わせればそれでよかったんだ。どうせクレアのぶんは出すつもりだったしな。気が済まないなら今度なにかごちそうしてくれ』

 スカーレットが申し訳無さそうに椅子の上で縮こまっている。

『本当にごめんなさい……』

『だからいいと言ってるだろうに』

『サツキさん、私からもありがとうございます。ごちそうさまです』

『クレアまで』

 スカーレットとクレアの二人に揃って頭を下げられると、さすがに私も照れる。

 ふとヴラドを見ると、手をひらひらと振って言った。

『サツキ、ごちそうさまでした』

『お前はもう少しありがたがれ』

『だっていつも私が出そうとするときは断るじゃないですか。私にはおごられないくせにあなたばかりずるいです』

『お前に貸しを作ると後々面倒そうな気がするからだ』

『失礼ですね。なにもしませんよ』

 ヴラドはそう言ってクスクス笑う。そういう態度が怪しさを倍増させていることに、こいつは気づいているんだろうか。

『それより、ポンドとは結局なんだったんだ?』

『イギリスのお金の単位ですよ。今の両替比率だと、2,4両で一ポンドですから、一分いちぶはだいたい2シリングと1ペニーですね』

『あら、意外と安いのね』

 スカーレットはわかったようだが、私には何が何やらわからない。

『シリング? ペニー? 何だそれは』

『お金の下の単位、日本の両に対するもんのようなものです。1ポンドは20シリング、1シリングは12ペンス。ペンスはペニーの複数形です』

『なんだかややこしい計算をするなあ』

『日本の分やしゅもややこしいと私は思いますが』

『む、なるほど異人からはそう見えるのか』

 そんな話しをしていると、クレアが何やら指折り数えていた。

『えっと、ということはこのごはんが一杯……5ペンス(※約4000円)! わわ、サツキさんごちそうになってすみません』

『だから、構わないさ。この店は安いほうだ』

『安くないです』

 クレアがブンブンと首を振る。いっぽうスカーレットはきょとんとした顔をしていた。これは貴族の娘と奉公人との感覚の違いだろうか。

『クレアからすると、高いのか?』

『はい、高いと思います。ここに来るときにお話ししたウナギのシチューは、ロンドンでは1杯で半ペニー(※約400円)でしたから……。もちろん味は比べ物にならないくらいおいしかったですけど』

『いや、そこまで自分の国の料理を卑下しなくてもいいぞ』

 なんだかクレアはすっかり日本の鰻飯の虜になってしまったらしい。

『しかし半ペニーというと……』

『だいたい、20文ですね』

『なるほど、安いな』

 ヴラドの注釈に私は納得した。

『しかしまあ、鰻めしはどこでも値の張る物だからな、この店が特別に高いわけじゃないから、気にしなくていいよ』

『でも……』

『別に私だって年がら年中この店に来ているわけじゃない。クレアと一緒だから、来たかったんだ』

『サツキさん……』

『クレアの笑顔が見れただけで、私には安かったよ』

 にっこり笑うと、クレアは顔を赤くして下を向いてしまった。小さく消え入りそうな声で、『……はい』とつぶやく。

 その姿はとても可愛らしかったが、スカーレットが急に大声を上げたので、見つめていることはできなかった。

『ああ! もういいでしょう、食べ終わったんだから早く出ましょう!』

『いや、もう少しゆっくりしてもいいんじゃないか』

『いいから早く!』

 そう言って一人勝手に出ていこうとしたので、私は慌てて追いかけた。ヴラドもそうだがスカーレットも長い金髪に青い目と目立つ容姿をしているから、賊に狙われやすい。店の外に一人で出す訳にはいかないのだ。

『ああもう、すまんな、店を出ようか二人とも』

『ええ』

『はい』

 ヴラドはすぐに、クレアはやや間を置いて残念そうに返事をした。そんなクレアに申し訳なく思う。

 私達は四人連れ立って、鰻屋を後にした。


                               (つづく)

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