第8話 青空の下で

 荒野は抜けるような青空で雲ひとつありません。

 遮るもののない強い陽射しが遠くに陽炎を作っていて、そんな様子を眺める私の額やこめかみの隙間からは自然と汗がにじみ出て、鼻先を、頬を伝って滴り落ちていきます。

 焼け付く地面に落ちたそれは、たちまち蒸しあがり、乾いた空気に溶けていきました。

 そんな中、私とエイムズは寝そべって目の前の光景にフォーカスしているのです。

カメラを構えた場所から約100m。前方に迫撃砲が一門あり、4人がかりでこれを運用しています。

 ムラージが双眼鏡で観測、エドワードが弾道調整、ジミーが装填手、最後に奇襲警戒で小銃を構えているのはジャイリーン。

 戦場というにはあまりに静かで穏やかな雰囲気ですが、日が高くなるにつれて気温がジリジリと上がっていくので、耐熱フィルム越しに地熱が伝わり始め、額や頬に汗が滲み始めます。隣のエイムズもしきりに汗をぬぐっています。水を飲もうかとボトルに手を伸ばそうとした時にエイムズと目が合う。

「酷い暑さだ、もうシャツが大洪水だよ」

「ダイエットになるんじゃない?」

「はは、そいつぁいい………」

 暑さのせいもあって集中力が途切れがち。会話を持たせるのが辛い。何かで紛らわせたいです。多分エイムズも同じだったのでしょう。間をおいてため息の後、

「なあ、ソーニャ」

「なに?」

「ジャイリーンに結婚を申し込もうと思うんだ」

「気が早いのね、どこまで進んだの?」

「ベッドまでは」

 最初からそうだったけど、この人とことん惚れた女性以外は女だと思って接してない、あけすけすぎます。

「彼女、随分悩んでいるみたいよ」

 食堂での彼女の姿が頭をよぎる。

「知ってるさ」

「強引じゃないかしら?」

「復讐なんてナンセンスだ、戦って欲しくない、でもそう言って彼女を説得できるかい?」

 私は口を閉ざす。

「戦っている彼女よりも、はしゃいでいる彼女の方が何倍も綺麗なんだ。」

 写真を向けると恥ずかしがるジャイリーン。プリクラで大はしゃぎするジャイリーン。猫を抱き寄せて喜ぶジャイリーン。

 そんな姿を思い出す。

「そうね」

「僕は戦争屋じゃない、彼女のために敵討ちを手伝うなんて無理だ。でもそれ以外で彼女に喜んでもらえることは出来る気がする。後は彼女に選んでもらうしかないさ。」

「そうね」

 私がジャイリーンなら多分エイムズの返事にOKするだろう、故郷家族をを奪われるという感覚が想像できないから。

 だけど、その悲しみや怒りを胸に生き続けてきたジャイリーンはどうなの? エイムズが迫っているのはジャイリーンに全てを捨ててくれと言っているのでしょうか? 悩むジャイリーンの姿が浮かぶ。私は粘ついた口の中を少量の水で潤し、

「生き方を否定しないやり方ってないのかしらね」

 と、つぶやく。

「死んだらそれまでじゃないか」

 エイムズはそう返した。考えなくても当たり前の話、もしかしたらジャイリーンも気がついているかもしれない。

「応援してるわ、結婚式呼んで頂戴」

「もちろんさ」

 笑顔でエイムズが親指を立てる。顔は汗まみれ。ため息ひとつついて私は、

「それにしても」

「ああ」

「暑いわね」

「ああ」

 一雫の汗が地面に落ちて蒸しあがった。


 後方の砲撃部隊による準備砲撃が始まったのは12時ジャスト、幾つもの砲弾が上空をヒュルヒュルと空気を切り裂く音と共に飛んでいき遥か彼方で落着し土煙のようなものが上がる。

 体感で20秒後に炸裂音が届いた。これが間断なく続きその間に戦車や装甲車が移動を開始する。見晴らしの良い場所での戦闘は射程距離が長いほど有利だとか。

 故に射程が短い制圧部隊を前進させる為の砲撃支援で相手の攻撃機会を封じることが重要となる。訓練と比較にならない張り詰めた雰囲気の中、遠くで砲音銃声が間断なく聞こえる。

 そんな中、日差しが一瞬遮られたのに気がつき空を見上げる。こんな砲弾が飛び交う中を大きな鷲が悠然と飛び交っている。あまりの大きさに目を奪われてしまう。戦場の死肉を漁ろうとでも言うのでしょうか。私達の頭上を悠然と旋回しています。

 エイムズに教えると、うぶつせの姿勢が辛かったのでしょう。仰向けになり空にレンズを向け、鷲がフレームに入り込む瞬間を見極めてシャッタを切る。カシャシャシャシャと連射音が響きます。これを数回繰り返し、再びうつ伏せに戻りカメラを迫撃砲に合わせ直しました。プレビュー画面を覗き込ませて貰うと望遠カメラにもかかわらず的確な構図で飛翔する鷲を捉えています。エイムズの確かな技量を改めて思い知らされます。

 ふとその鷲に違和感を覚えてプレビューを閉じようとするエイムズを制して凝視しました。

「エイムズ、その鷲の右足、毛の生え際がやけに黒いけどなにかしら?」

「本当だ、なんだろう?」

 プレビューの拡大表示を使って黒い部分を確認すると、

「ビニールテープかな、それになにか不自然な盛り上がりがある。」

「なにか巻き付けてあるのかしら?」

 嫌な沈黙が流れる。私とエイムズは護衛の兵士にこの鷲の存在を伝える。護衛の兵士は誰に伝えるべきかで戸惑っている様子だったので、戦術研究会の年長者の名前を何人か挙げると、どうやら直属の上司が居たらしく、そこに伝えると伝令に走李ました。その際エイムズが撮影したデータ入りのカードも一緒に持たせて。

 伝令が出て5分後ジャイリーン達、護衛兵が一斉に鷲を狙って射撃を開始する。不安は的中したようです。

 ですが、射撃が開始されたものの、鷲には全く当たりません。

 これは後に知ったことですが、動いている目標に対して射撃を当てるのは極めて難しいのです。空中を高速で移動する鳥ならば桁違い。また、ジャイリーン達が装備する通常の小銃に使われる弾丸は、ライフル弾と呼ばれる尖った弾頭で遠くまで届き、人体を貫通する威力があるものの、点による攻撃です。

 飛ぶ鳥などを落とす際は散弾という小さな鉛玉が大量に詰まったカプセルから飛び散った玉で撃ち落とすのが普通だそうですが、小銃というのはそのような弾を使えるような形状の銃ではないそうです。これらはゲリラ戦などの特殊部隊に少数配備されている程度だとか。

 さらに小銃による対空戦闘の訓練というものは軽視されがちで実弾訓練すら行わない場合が圧倒的に多いため、迫撃砲部隊は素人目に見ても混乱している様子でした。砲手以外の装填手、観測手も銃を持ち射撃に加わるのですが、鷲も高度や気流を巧みに読んで挑発するかのように飛び回っています。

 私はその様子を動画モードで記録し続けることにしました。

 そんな中、ジャイリーンが射撃の手を休めて鷲の軌道を辿るように観察を始めました。ムラージとなにやら会話を始め、ムラージがそれに頷いてジャイリーンが明後日の方向に銃を構え、ムラージは小銃を肩にかけ直し双眼鏡を手にして、ジャイリーンの左前方に立ち右手を肘の位置まで上げる。


 鷲が旋回しながら徐々にジャイリーンが銃を構える方向に近づいていく。


 ムラージが右手を握り拳に変えた瞬間、ジャイリーンが発砲した。


 鷲の翼が一際大きく広がりもがくように何度か羽ばたいた後糸が切れたように垂直に落下していく。

 小隊員達から歓声が上がる。ムラージとジャイリーンがハイタッチし、ジミー、エドワードもそれに加わる。他所の班も同様にジャイリーンを褒めているようだ。ジャイリーンはそんな笑顔を、後方で撮影しているエイムズに向けた。そんな様子を夢中で撮影しているのでしょう隣で連写するシャッター音が聞こえ−−−−


 ジャイリーンが私達の視界から姿を消した


 直後に鼓膜が破れそうな爆発音と共に私達の視界は白く染まった


 目の前で起きたことに意識と思考が追いつかない。

 地震のような振動と何かに押し潰される圧迫感。

 振動が収まらず何処かにすがりつきたいと手を彷徨わせると、自分の左手が激しく震えていることに気がつく。

 振動は自分が痙攣しているのだと自覚し、どうにか抑えようと右手を動かそうとする。鈍い痛みが走った。目が見えていないことに気がついてそっと目を開けると青空だった筈の迫撃砲陣地が土煙と埃で霞んでいる。右手は真っ白になるくらい強い力でカメラを握りしめていたらしい。壊れてないかと心配して腕を引き寄せようとすると体を圧迫する重みの正体に気がつく。

 私を護衛していた兵士です。兵士が何かを私に囁いているようですが声が小さくて聞こえない。というよりは、耳鳴りが酷くて聞き取れない。

 目線だけ兵士に合わせて何を言っているのか聞き取ろうと努力する。次第に耳が慣れてきたのか、

「…かい、…えるかい、…ず…、……3……たき…るんだ。」

 どうやら同じ内容を繰り返しているらしい。耳を澄ませてみると、

「…えるかい、きこ……るかい、まず、……3回…ばたきをす…だ。」

 3回瞬き? 言われた通りに瞬きをする。砂が目に入っているらしく痛みで涙が溢れ出す。兵士は頷くと、

「いい…、まだ体を上げ…ダメだ、動かない、かない」

「何が、あったんですか」

 上にのしかかられているせいで呼吸が難しく、言葉と同時に噎せてしまう。兵士は私の横にうつ伏せのままスライドして、自分の水筒の水を私に渡す。姿勢を変えたかったが、兵士が左手で私の背中を押さえつけているので動くことは叶わない。顎を突き出すようにして水筒の水を口に含む。

「飲まずにその場で吐き出して」

言われるまま吐き出しますが、姿勢のせいかヨダレのように顎に垂れてしまい、気持ちが悪い。状況に理解が少しずつ追いついてきた。見ればエイムズも同じように庇われているようです。こちらは意識が回復していません。

「いいかい、よく聞いて。ここはもう危険だ、私と一緒に移動しよう」

「体を低くして四つん這いで私の後について来て欲しい。」

「荷物は諦めてくれ」

兵士は2回ずつ同じことを言って都度、私に理解を促した。私は兵士の目を見ながらはっきりと大丈夫と答えました。

 隣でエイムズが目を覚ました様子。私と同じように兵士から声をかけられています。

 しかし、エイムズの様子がおかしい。体をビクビク震わせ、うわ言のように何かをつぶやきながらカメラを触り始めました、よく耳を澄ませるとジャイリーンと言っているよう、そうだ、ジャイリーンは? 私がようやくそのことに思いが巡った瞬間、

「ーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」

 何処からそんな音が出るのか見当もつかないような声でエイムズが叫んだ。

「まずい、パニックだ、しっかり抑えろ!!」

私についた兵士が、エイムズを抑える兵士に呼びかけましたが一瞬遅かった。エイムズは力任せに立ち上がってまっすぐに目の前の土煙の中に飛び込んでいきました。

 護衛の兵士はどうやら何処かを痛めているらしく、追いかけようとしたが、途中でうずくまってしまいます。

「くそ、なんてこった。」

「いいかいお嬢さん、絶対私から離れないで、絶対だ、絶対だ!」

 とびきり強い口調で兵士が念押しする。私は必死で頷く。銃声が近くで何発か響きましたが、誰が何に対して撃ったのか私に知る由はありませんでした。

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