第4話 夜空を見上げて

グルジスタンについて


 私が取材に来たこの国についてすこし触れたいと思います。

 グルジスタンは中東諸国、新ソビエト連邦に囲まれた小国の一つです。

 この国は、緯度は日本の九州とさほど変わらない場所にも関わらず雨量が少ないため日中は照りつける太陽が常に大地を焦がし続け、日中の気温は年間を通して35度を越える灼熱の大地となります。反対に夜はたちまち冷気が立ち込めて10度を下回る極端な温度差が特徴です。このため植物が育たない不毛な荒野が国土を横断する形で広がっています。

 この荒野を挟んだ向こう側にあるなだらかな山岳地帯を越えると反政府組織が根城とする都市があります。反政府組織は土着宗教の原理主義者によって組織され、他宗派の排斥と独立を訴えて武装蜂起した集団です。

 数年前に彼らによって引き起こされた大規模な内乱が勃発。これに対し連合軍による大規模介入が行われ鎮圧。

 現在、政府及び連合軍側は反政府組織の正当性を主張する根拠となる宗教上の聖地を抑える事で独立の訴えを跳ね除けている形です。

 反政府組織側は聖地奪還を掲げているものの、地勢、軍事力の不利を覆すことができず、都市を人質にとる形で潜伏し、近隣都市への小規模なテロや臨検、威嚇行動を行い、ネット上で過激な主張、捕虜の処刑映像などをアップロードして軍事的緊張を高める活動に終始しています。

 政府、連合軍はこれらの活動を抑えるため都市攻略を行いたい状況ですが、潜伏する反政府組織の拠点を特定出来ておらず、現状荒野を挟む形でのにらみ合いが続いています。

 事態が動かないまま月日は流れ、反政府組織の活動も徐々に下火になっているため、渡航制限などについても段階的に引き下げられ、大きな戦闘に遭遇する可能性は極めて稀です。このため戦場ジャーナリストの間では比較的安全な紛争地域という、よくわからない評価を受けています。


 そうは言っても何が起こるかわからないのが戦場であり、ちょっとしたはずみで誰かが簡単に命を落とします。

 ある日の夜中、慌ただしくなる基地の様子に気がつき起きてみると、軍事境界線上のパトロールを行っていた車両が地雷を踏み大破したとのこと。これによって出た被害は死亡1名、重症3名。

 私も慌てて取材に行こうと迎賓館を出たのですが、出口あたりでエイムズに呼び止められました。

「へい、ソーニャカメラを持ってあの中に突っ込む気かい? 僕たちはなるべく目立たないほうがいい。マスメディアじゃないんだ、下手に出て行けば反感を買うよ。」

 それは確かにそうだけれど、だからと言って撮影をしないわけにはいかないので、一体どうすれば? と目で訴える私にエイムズは、

「望遠レンズと三脚は持ってるかい? こっちにおいで」

エイムズは隊舎の屋上から基地の入り口が見える場所に陣取る。正門の方をそこから見ると夜だというのに隊員が大勢押しかけている。

「ソーニャ、君の最大望遠は何mmだい?」

「400mmね、ここからじゃ遠そう」

「カメラはフルサイズ?」

「APS-Cよ」

「640mmか、これで1000mmだね」

「わお、1.6倍のエクステンダー?」

「僕のサブよろしく、引きの絵は任せるよ。拡張感度は51200だっけそのカメラ」

「ええ」

「ま、なんとかなるでしょっと」

 そう言って、エイムズは800mmレンズに2.0倍のエクステンダーをかませる。ほぼバストアップで基地前の兵士を捉えられるレベルだ。

「こんな状況で狙えるのは、照明がしっかりしている正門前だけだからね」

 やる気がなさそうなカメラマンというイメージが一瞬で吹き飛ぶ。冷静な観察眼に的確なレンズチョイス、場数を踏んできたカメラマンならではの判断です。

 ごった返していた人垣が整理され、整列していくのを見て、ああ、あの中に飛び込んでうろついていたらさぞ心象が悪かったに違いないと背筋が震えました。基地にトレーラーが入って来るのが見えたので、私とエイムズはカメラを構えてシャッターを切り始めました。荷台にはぐちゃぐちゃに焼け焦げたジープが載っています。集まった兵士の何名かがこれに随行するのが見えたのでグループショットで抑えていきます。その後に回収班と思しきジープが数台通過し、最後に、荷台の幌を外したトラックがゆっくりと入ってきました。荷台には国旗に包まれた何かが積まれています。その場に集まった兵士たち全員が帽子を取り、先頭に立った人物に合わせて頭を深く下げる。トラックはゆっくりとそこを通り過ぎていく。

 私たちは無言でシャッターを切り続けます。人気のない屋上に絶え間なくシャッターの音だけが響く。

 トラックが通り過ぎ、照明のない場所に入り込んだところで私は撮影する手を止めて何気なく空を見上げました。澄み渡った夜空に、無数の星々が瞬いています。何気なくついたため息が白く曇って空に溶けていきました。エイムズに目を向けると、エイムズも同じように夜空を見上げています。

 不意にエイムズがため息を一つついて、

「戻ろう」

 と、呟きました。風がやけに冷たくて、早くベッドに包まりたい気分でした。


 翌日の夜、基地内のパブに行く。エイムズとデータの交換を行うついでに飲もうという話になったのです。パブはとても賑わっていて、エイムズが何処にいるのか分からず見回していると、スティーブ中尉が一人で呑んでいました。向こうも私に気がついたようで、

「よう、カメラマンさん。あんたも飲むのかい?」

 グラスを片手にこちらに声をかけてきました。ですが今日はなんだか物静かな雰囲気。

「ごめんなさい先客ありなんです。カメラマン仲間の」

「そうか………」

 何だろう、微妙な空気。

「引き止めてすまないな、まぁゆっくり楽しんでいきな」

 後ろ髪を引かれるような気もしたけれど、それ以上会話が続くわけでもなかったので、エイムズを探しに戻る。エイムズは壁際の席で食事をしながら呑んでいました。

「やぁ、昨晩はありがとう。何か食べる?」

 そう言ってメニューを渡すエイムズ、私はお腹に手を当てて首を横に振る。

「何も無理して基地の食堂使わなくてもいいんじゃない?」

「中々ない経験ですし、どれだけ耐えられるか挑戦してるの」

「仕事熱心だね。ビールでいいかい?」

「ええ」

 ビールはジョッキではなく空のグラスと瓶で運ばれてきました。グラスに注いでみると、2杯分くらいの量のようです。

「んじゃま、乾杯と」

「お疲れ様です」

 二人で、軽くグラスを合わせて飲む。温くて甘い事にちょっと驚きましたけどこれはこれで美味しいかも。

「ああ、酔う前にデータ渡すわ、はい、カード」

「そうだね」

 エイムズは、バッグからコンパクトノートを取り出し私のカードを差し込み、サムネイルをさっと確認してコピーを取り始める。

「うん、ありがとう。こっちのデータはこのカードに入れておくよ。」

「助かるわ」

「お安い御用さいつも一人で対応していたから助かったよ。」

 エイムズはそう言いながらPCをしまい私にカードを返す。

「しかしまぁ、人死にの現場はいつまで経っても慣れやしないね」

 と、エイムズ。全く同意です。

「まーね、猫とか撮ってる時が一番だわ」

「おお、君猫好きなのかい? 」

「そうね、犬も好きだけど猫の気ままな感じが好きね。」

「そいつぁ、気が合いそうだ。実はここ最近街中の猫スポットをいくつか見つけたんだよ! オフはいつだい? 案内するよ!」

エイムズはやたらと陽気にというより興奮気味に私を誘う。猫か、猫、猫、うん悪くない!

「ちょっとジャイリーンのスケジュールの兼ね合いもあるから明日返事でもいいかしら?」

「もちろん! 」

 と言ったところでエイムズはハッとした表情で私を見る。

「な、なぁソーニャ、ところで一つ聞きたいんだけど、ジャイリーンって部隊にステディな関係の男はいそうかい? 」

 唐突すぎて面食らう。

「え、いや、流石にそんなこと判らないわ」

「そうかぁ………」

 エイムズは迷うように頭をもたげ、そして意を決して私に語りかける。

「いや、実は柄にもなく一目惚れってやつでね、いつか声をかけてみたいなって思ってるんだ。」

 ちょっと、驚いた。

「結構ストレートね。いいわよ。昨日のお礼って事で、そうね私が彼女の日常に密着ってことで一緒に街で買い物をするってのに同行するってのはどうかしら。」

「いいね、いいね! OKそれで行こう! こっちのスケジュールは何時でも開けられる。」

 こうしてジャイリーン本人の知らぬ間に秘密のデートプランが計画されていたのでした。

 ひとしきり話し込んだ後、エイムズとパブを後にしようとしたところでジャイリーンに遭遇、あまりにタイミングが良すぎたので私とエイムズは顔を見合わせてしまう。そんな私たちに怪訝そうな表情で、

「どうしたの?」

 と聞いてきたので、

「ジャイリーンが綺麗だって噂話してたところよ」

 と、まぁ一部事実を伏せて答えて見せる。ジャイリーンはちょっとオーバーに両手を振って、

「おだてても何も出ないわよ」

 と、恥ずかしそうに言う。意外におだてられるのに弱いのね。

「ジャイリーンもお酒飲むの?」

「違うわ、ああ居た居た、中尉酔い潰れてる。マスター、中尉の支払い立替えておくわ」

「いいよ、明日そいつに金持ってこいって伝えておいてくれ」

 ジャイリーンは私達に困った様な表情でため息をついた後、中尉を介抱しはじめる。その姿にエイムズがあからさまにソワソワしだした。

 中尉とそういう仲なのかしら?

 真相がどうあれ酔い潰れてるぐったりしている中尉をどうにか叩き起こして歩かせようとジャイリーンが難儀していたので、とりあえずエイムズをつついてみる、

「あ、ああ、僕も………手伝おうか?」

「助かるわ、反対側支えてくれる?」

 ジャイリーンとエイムズが両側からスティーブ中尉の腕を肩に担いでパブを出る。私もとりあえずジャイリーン側に立って付き添う。中尉は何かうわごとを呟いているが、もう意識はなさそうだ。

「マスターから連絡あったのよ、中尉が悪酔いしそうだから誰か迎えに来いって」

 なんでジミーとかじゃなくてジャイリーンが来ることになったのと聞くと、マスターから女の方がいいと言われたんだとか。意味がわからないわとジャイリーンは呟く。エイムズが遠慮がちに口を開く、

「もしかして昨日亡くなった兵隊さんと何か繋がりがあった? 」

 ジャイリーンは、ああ、と思い当たる節があった様子で、

「時々会話しているのを見かけた程度だけど、親しい感じだったと思うわ」

「なんとなく分かる気がするよ。一人で飲みたくなる時もあるさ、慰められるなら女の方がいい」

 エイムズが目を伏せてポツリと呟く。エイムズにも色々あるのだろう。ジャイリーンは仕方ないかという表情で、

「ほら、中尉しっかり歩いてください。もう少しで隊舎です。」

 と言って軽くスティーブ中尉を揺すりながら歩いた。

 私はエイムズの荷物を持って後ろから歩く。

 時折エイムズがジャイリーンを見つめている様子が、年不相応なあどけなさを感じさせているのが印象的でした。

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