第3話 ジャイリーンの日常


朝日


 翌朝、と言ってもまだ日は登っていない真っ暗な時間。私は寒いのを我慢して布団を抜けだし、手早く着替えを済ませ、カメラを持って外に出ます。さすがにこの時間帯は人気がほとんどない。夜勤当番の兵士がだるそうに連れ立って歩いているくらい、話しかけると向こうは慌てて欠伸を噛み殺し、こんな時間にどうしましたと聞き返してきたので、私は朝日が見たいとカメラを持って話しかけると、しばらく兵士同士であれこれ話した後、訓練場のあたりならどうだろうと教えてくれました。

 基地の敷地はとても広く、大まかに教えてもらった場所にたどり着くまで10分近くかかります。隊舎や、車両倉庫などがある区画を抜けた先にあるそれは、一段と開けた場所で、そこに人工的な丘や溝(塹壕というらしい)が掘られています。外周には鉄棒や雲梯、ロープなどのアスレチックが並んでいて、さらに奥に鉄柵が張り巡らされているようです。軍事施設らしいものものしい雰囲気がありますね。

注意書きの看板や警告表示などが幾つかあったので、それらが映り込まない場所を探して少し歩いていると、空が黒から紺色に変わり始めました。

 少し急いで人工丘に登り、三脚を立てる。レンズは超広角の16-35mm絞りを落として深度を深く、ISO感度は320くらいかな、そのまま撮れば真っ暗な画になる。明るさを稼ぐためにシャッタースピードを5秒で調整。

 リモコンでシャッターを切る。じっと待つ……寒い……カシャリ。うっすらと荒れた地面が映り思っていた以上に暗い。今度は10秒……まあまあ? さらに数回試行したあたりで、稜線の紺色がどんどん薄くなり白みがかり始めてきます。

 思わず見惚れてしまいそうですが、即座にシャッターを切る。10秒が長く感じる。次、シャッタースピードを上げて撮る。微かな揺らめきと共に朝日が顔を出し始める。シャッタースピードを短く調整しながらどんどん撮影する。

 朝日が昇りきるまでの10分間、こまめに調整を繰り返して20枚くらい撮ったでしょうか。

 ふと気がつくと鉄柵沿いにランニングする兵士たちが見えるので、そちらに目をやると、見知った顔、ジャイリーンがいます。丘の上から手を振るとジャイリーンは驚いた顔でこちらに振りむきました。

「おはよう、ジャイリーンもう訓練してたの?」

 丘を下りながらジャイリーンに挨拶をする。

「おはよう、ソーニャ。ええ、でも訓練じゃないわ私の日課みたいなものよ。まぁ軍隊だしランニングが趣味の人は多いわ。」

「凄いわね、私なんて仕事でもない限り早起きなんてしたくないわ」

「それより何をしていたの?」

「ああ、朝日を撮っていたの。仕事に入ったら現地の朝日を必ず撮るのよ。ほら」

 カメラのプレビュー画面を見せる。濃紺の世界を切り裂くようなオレンジのライン、日が昇り始めて淡く輝く大地など、ほんの10分の間に起きる景色の変化を追った画だ。

「綺麗ね、とても戦場とは思えないわ。」

 ジャイリーンは頬を伝う汗を拭いながらモニターの画を見入っている。頬や髪を濡らす汗が朝日を浴びて輝いて見えた。ああ、これは………思わずカメラを彼女に向け、

「ジャイリーン、一枚撮るわよ!」

 素早くカメラのモードを絞り優先に切り替え、絞りを開けてシャッターを切る。ジャイリーンはきょとんとした表情、さらに切る、今度は困った顔、次にハッとした表情の後、

「やだ、私化粧をしていないわ!」

 手で遮るようなポーズ、

「そんなことないわ、今あなたはとても綺麗よ! 私が撮りたいって思ったんだから間違いないわ」

 そう言いながらどんどんシャッターを切る。気恥ずかしそうな表情になったジャイリーン。ファインダーから目を離してジャイリーンにいたずらっぼく微笑んで見せると、ジャイリーンは観念したような感じで笑顔を見せ始めました。

 表情に余裕が出始めたところで、モードをマニュアルに切り替えてポートレート風の設定で撮る。まるで頃合いを察したかのように風が吹いてジャイリーンの髪を優しく揺らした。


カシャリ


 それから私たちは連れだって食堂へ、朝食も軽く1500kcalはあるみたい。なるほど、食べる前にお腹を空かせた方がいいのか、謎のレトルトパックではなかったのがせめてもの救いです。どちらにしても、カロリーが高すぎるので私もランニングくらいしてみようかしら? 

 食事中の話題に先ほどの写真を見せると、ジャイリーンは恥ずかしかったと頬を赤くしている。そう言いつつも一番表情の良かったカットを見せると

「なんだか自分じゃないみたい」

 と言いながらずっと見つめていた。


 初日はそのままジャイリーンの1日に密着することに。朝食後そのままジャイリーンの部屋に連れて行ってもらう。4人部屋と聞いていたのですが、狭い部屋に申し訳程度のパーテーション別けがされているだけで、そこに二段ベッドが二台置かれています。片方のベッドの下段とロッカー二つ。そこがジャイリーンの使用できるスペースで、私物も含めた全てが詰め込まれている。ロッカーの片側は軍服、作業服、靴などの軍用品が詰め込まれていて、もう片方に私服、私物が詰め込まれている。嗜好品や趣味の道具を置けるほどの余裕があまりないのってなんだか息が詰まりそうねとジャイリーンに言うと、

「部屋は二人で使っているからその分気楽でいいわ」

 なんでも新兵の頃は10人部屋なんかが当たり前らしい。私が苦い顔をしているように見えたのか、ジャイリーンは慣れよ、慣れ、とおどけて答える。

 そのやりとりを私はカメラを動画モードにして撮影していました。ジャイリーンは先ほどまでの私の質問に答えている間にベッドを整え、着替えを済ませ、軍靴を履き終えているのです。噂には聞いていましたが軍隊や警察などの支度の速さ想像以上のもので、とりわけ凄いのは脛まで続いている靴紐のホックにあっという間に紐を通してしまったことです。ちょっとした手品のようで映像で回しておいてよかったと思いました。私もブーツは良く履くのでやり方を覚えておきたいです。できるかどうかは別だけど。

 仕事に入るとジャイリーンはとにかく早い。動作のメリハリがはっきりしていて歩くスピードも私が小走りしないと追いつけないくらい。昨日は私に合わせてくれていたんだなと痛感する。

 途中でジャイリーンもそのことに気がついてごめんなさいとこちらに合わせようとしましたが、それは趣旨に反するということで断りました。後で死ぬほど後悔したけれど。

 午前中気温が上がらない内に30分以上かけた入念なストレッチの後、銃を持ったまま基地のランニング。彼女たちの言うところのハイポートを約5km、その後訓練場で鉄線潜り、綱登りを始めとしたアスレチック、そして訓練場の丘や平地を匍匐で移動してからの陣地制圧訓練というメニュー。空砲などを用いて実戦さながらの緊迫感に溢れている。一通り終わると彼女たちの全身は汗と泥で悲惨なことになる。

 5分しか水の出ないシャワーで手早く汗と泥を洗い流し、野戦服をランドリーに突っ込むまでが午前中の彼女たちの仕事。私は、彼女の写真を撮るために要所要所ショートカットしたり休んだりすることも出来るのですが、それでも汗だくになってもう動くのが辛い。

 私は迎賓館に戻らなければシャワーを使えないので、お昼を済ませてから。正直気持ち悪いけど我慢我慢。

これだけ汗をかけば、あのレーションも少しは美味しくなるのかもしれないと思いながら、昼食を摂る。


 そんなことはちっともなかった。


 不味い以前に、疲れすぎて胃が受け付けない。ジャイリーンはよくこれを食べられるわね。そんな食事風景を数カット撮影し、デザートのチョコレートバーだけをどうにかお腹に押し込んでおくことにしました。


 午後は、射撃訓練。ジャイリーンの所属は歩兵連隊の迫撃砲中隊だそうで、その迫撃砲の訓練という。

 迫撃砲ってなあにと聞くと、歩兵が扱う大砲よと言う。

 彼女の部署に向かうついでに教えてもらうところによると、大型トレーラーで牽引しながら運ぶとても長い砲身の大砲は施設や陣地に対してかなりの遠距離から打ち込むものだそうで(10km〜20km)、これは砲兵科という別の専門部隊が担当しているとのこと。専門部隊があるのに歩兵が扱うのはなんでだろうと疑問を提示したところで、その迫撃砲が置かれる格納庫に到着。

 その迫撃砲という武器を初めて見た印象としては、イカつい望遠鏡にタイヤが付いているという感じです。

 私とジャイリーンが到着すると、彼女の部隊の面々に、ようこそと歓迎を受けました。午前中の訓練と打って変わって気さくな雰囲気です。

 装備の説明の前に部隊の事についてジャイリーンから簡単に説明を受ける。

 彼女達の所属する歩兵連隊というのは4つの歩兵中隊にジャイリーンの所属する迫撃砲中隊と、これを管理する中隊の集合したものだそう。

 1つの中隊は約200〜300人の人員で構成されていて、中隊の人員は30人ずつの小隊に振り分けられ、さらにその中に10名前後の班が形成される。

 学校に例えると連隊が学校で中隊が学年、小隊がクラスで、その中で班分けされているということでしょう。

 ジャイリーンが所属するのは迫撃砲中隊第三小隊の2班だ。一つの小隊に6つの班があり各班に一門の割り当てで運用されているという。

 ジミー、ムラージ、エドワードと3人の兵士たちを紹介されました。そこにジャイリーンを加えた4人で2班は構成されています。そんな説明を受けていると、

「お前ら、楽しい花火の準備はできているか? おお、あんたが噂のカメラガールかい?」

 格納庫の奥から両手を広げながら陽気な兵士が私に語りかけてくる。いかにも軍人といったがっちりとした体格に、彫りの深い顔立ちに鷲鼻が印象的な男性。

 初対面から思いっきり子供扱いされている気がしたけれど、嫌味さは感じない。

「ようこそ我が第三小隊へ、私は隊長のスティーブ中尉だ! カッコ良く撮ってくれたまえよ!」

そう言って、顎に手を当てながらポーズを決める。軍隊の広告に出てきそうな雰囲気、取り敢えずシャッターを切るとスティーブ中尉は満足そうに頷いて、

「滞在中は何でも聞いてくれたまえ。軍機以外ならなんだって構わないさ」

 と言い残し、去っていく。周囲に居る兵士たちもサムズアップして見せて笑顔だ。ジャイリーンはそれを見ながら。

「ほら、女が来たからって鼻の下伸ばしてんじゃないわよ」

 と、手を叩いて作業に戻れと促す

「おぅ怖い怖い、なあ嬢ちゃん、君のお姉さんとか友達がいたら是非紹介してくれ!」

 身震いするようなリアクションでおどけるのはジミーで、チリチリの縮れ毛、浅黒い肌に大きな黒い瞳が印象的、南米出身らしく陽気でお調子者。

「ジミー、ほーどほどにしておけよー、怒らせると後が怖いぞー」

 間延びした口調の発言はエドワード、ヒョロリとした長身の白人だ。メガネをかけていてインテリっぽいのでどこか軍人らしく感じないけれど、作業服から覗かせている腕には筋が浮いています。

 年長者で班のリーダーを務めるムラージは小柄ですが、がっしりとした体躯に黒くて毛が濃ゆい印象の現地人。立派な髭を蓄えています。まるでドワーフのよう(さすがに本人には言えませんが)。ふざける二人を諌めるように、

「気を引きたいなら、茶化さんでカッコいいところを見せろと言うことだ。」

 と、言い後は黙々と作業を続けている。

「俺はベッドの上なら今の100倍色男さ、どうだい今夜試してみない・・・」

 両手を広げて格好をつけるジミー。こちらは放っておくとそのままセクハラを連発してきそうな予感がします。と、その空気を切り裂くように、

「0に幾ら掛けたって、意味ないわよ」

 言うが早いかジャイリーンがレンチを投げつけ、ジミー寸でのところで躱す。レンチは壁に当たった後乾いた音を立てて床に転がった。

「うぁっぶね!? 相変わらずキツい女だなお前!」

抗議するジミーに、よその班から「なんだくたばらなかったのかあの猿」「アリバイは俺たちがどうにかするから、本気でやってくれ」とジミーへのブーイングが上がる、一体何をしたのかしらこの人、

「はいはい、仕事仕事」

 ジャイリーンが野次馬を散らしたところでどうにか仕事らしい雰囲気が戻ってきた。


 午後の仕事が始まる。大型のジープの後ろに牽引フックを取り付けて迫撃砲を引っ張る。私もこのジープに同乗して基地の外へ出る。

 外と中の区切りなんて有刺鉄線と鉄柵くらいしかなかったけど、基地から出ておおよそ2kmくらい離れた場所にジープが止まる。小隊長を始め他の班も続々と集合する。

 停車したと思ったら次の瞬間には全員車から出て、あっという間に迫撃砲のフックを外して展開を終わらせ小隊長を囲むように集まる。

「3班集合完了」

 意外に静かな声でムラージが宣言する。小隊長のスティーブ中尉は軽く頷くだけで映画でよく見る敬礼等は行わない。続いてやって来る4班、5班も同じようにしている。

 後で、ジャイリーンになんで敬礼や整列をしないのか尋ねると、戦闘中は誰が指揮官か分からないようにするのが普通らしい、狙撃や不意打ちで指揮系統を寸断されないように、基地を一歩外に出れば誰もかれもが一兵卒にしか見えないようにするのだそうだ。なるほど。

「教練7—1、想定5、かかれ」

 スティーブ中尉がそれだけ言うと、小隊は解散し班ごとに行動を始める。

 迫撃砲が横一列に並んで、射撃体制を整えているようだ。私は後方に下がるよう指示され、下がる。近くに屋根だけの簡易テントが設営されそこに無線機が置かれている。無線機越しに声が聞こえる。

「風速SSW1m、湿度0%」

「1班諸元入力完了、仰角45°減装薬」

「撃て」

 砲門に正対するように立った兵士が頭上に砲弾を抱えて砲塔にそれをストンと投げ込みそのまましゃがみこむ。間を置かずにボフンという大きな音とともに砲のお尻から大きな煙が吐き出され、投げ込まれた砲弾がバットで打たれたボールのように高く高く噴煙を引いて打ち上げられていった。砲弾はそのままなだらかな放物線を描いて、落下していき遥か彼方に土煙を巻き起こしました。遅れて爆発音。

「弾着確認、誤差30m諸元入力修正仰角+1°」

「2班諸元入力完了、仰角46°減装薬」

「撃て」

先ほどの隣の班の砲門が火を噴く。再び土煙。

「弾着確認、誤差−5m、仰角±0」

「全砲門、効力射開始」

 号令と同時に諸元入力を終えた部隊が合図を待たずに砲弾を飛ばしていく、白い尾が幾つも青空を切り裂いていく。そして彼方で土煙が絶え間なく弾け地平線を曖昧にする。最初と2発目の着弾位置の差で角度を調整しているのだそうだ。

「2班、3班、5班、諸元修正仰角+2°」

「2班諸元入力完了、仰角48°減装薬」

「3班諸元入力完了、仰角48°減装薬」

………しばらくの沈黙

「5班どうした」

「5班諸元入力完了、仰角48°減装薬」

「撃て」

 今のやりとりを見ながらスティーブは、

「今日の5班の諸元入力は誰だ? 」

「ロベルトです」

「5班はハイポート基地一周」

「了解」

 どうやら、今のちょっとした間がいけないらしい。厳しいわね………そんな様子を私は写真に収めながらつくづく軍人でなくて良かったと思うのでした。

 そういえば訓練に出る前に聞きそびれた何故歩兵部隊に大砲部隊がセットであるのかと言う理由については、おおまかに3つあり

1歩兵と即連携がとれる

2歩兵でも扱える大火力

3随伴できる機動力を備えている

 これらが必要なためなのだそうだ。歩兵が前進したい時相手がバンバン銃を撃っていたら当然いい的になるだけだ。これを防ぐために事前に射程外から大砲をどんどん打ち込んで相手に撃たせない状況を作る。あるいは相手が攻め込んでくるのを防ぐために撃つ。さらには爆発を利用して地雷原を掃除するなど歩兵が前に進むために必要な支援を行うから砲兵ではなく歩兵の枠組みの中に組み込まれているのだそうだ。

 また、射撃している様子を見た感じでは、最悪一人でも撃つことが出来るという簡単な仕組みである事も重要な要素のようだ。

 それから約1時間、幾つかの指示で角度修正の対応と射撃の繰り返し、意外とあっさり射撃訓練は終了する。現場からの撤収も早かったためこんなものなのかと驚く、撤収が終わり格納庫前で小隊長の評定があり、5班は全員ハイポートに出た。それ以外の班は武器の整備を行うそうだ。

 実のところ銃や砲というのは使った後の手入れがとても重要だそうで、砲身にはガスや煤による汚れ、そして思わぬ場所にまで巻き上げた砂埃が入り込んでいる。これを丁寧に掃除しなければならない。専用の洗浄装置でもあるのだろうと漠然と思っていたのですが、意外な事にこれらは手作業で丁寧に分解してパーツを一つ一つ布切れを使って汚れを拭き取っています。

 掃除を怠ればサビや劣化が早くなり、ジャム(玉詰まり)や暴発の危険が高まるらしく、手作業で行うのは部品の不良を確実に確認することと、万が一のトラブルが戦場で発生した時に対処するのは結局のところ人間の手になるため普段から分解清掃を徹底し、武器の仕組みや必要な部品を頭に記憶させておくのだそうです。生死に直結することなので新兵の頃から特に厳しく叩き込まれると教えられました。

 全員分の小銃と迫撃砲、これら全ての清掃に約2時間射撃訓練よりも長い時間が使われました。その日はこれで終了。基地一周のハイポートから戻ってきた5班はこれからそれを行わなければなりません。かなりハードだなと思いながら私たちは食堂へと向かうのでした。こうした過酷な訓練の後に待ち構えているのがこの美味しくない食事かと思うと、軍というのはとても過酷な仕事というほかありません。

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