第2話 ジャイリーンとエイムズ

『妖精の小路』をくぐると見渡す限りだだっ広い荒野。地平線の先に薄ぼんやりと稜線が見えるのですが、一体どれくらい距離があるのかわかりません。日差しが強く、地面に陽炎がゆらめき肌を刺すような熱気が服の中に入り込んできて、汗が出そう、というか出てき始めました。

 いかにも紫外線が強そうって感じなので日焼け止めが足りるか心配です。帽子やサングラスをしっかり準備していて良かった。

 周囲を見渡して、腕時計のナビと照合してみると、2kmほど6時方向に歩くよう指示が出ました。なるほど、こちらには遠くにですが建物らしき凹凸がハッキリと見えます。危険予想地帯として黄色く表示されているのがちょうど目の前の荒野のようです。

 早速取材先へと歩こうとしたところで、『妖精の小路』がもう一つ解放されるのが見えました。中から出てきたのは背が高い白人の男性のよう。私と同じように防塵対策したミリタリールックに、頭には帽子代わりに迷彩柄のバンダナを巻いています。襟足からのぞいている髪の毛はちょっと燻んだ金色かしら。心なしか何処か着こなしがラフで緊張感に欠けた雰囲気、無精髭がまばらに生えているし、それにちょっとお腹が出てます。荷物の他にカメラバッグがあるところを見ると同業者のようです。

 『妖精の小路』をくぐった男は目の前の景色を一望して背伸びの後にため息一つ、そして私に気がつき少し驚いた表情。それから無遠慮に私を眺めると、

「ハァイ、君も同業者かい? 僕はエイムズ、いやしかし、こんな荒野で美人さんに会えるなんて思わなかった。こいつぁ幸先がいいや!」

 少し警戒していたけれど、朗らかそうな笑顔で流暢に話しかけてくるあたり、人付き合いで面倒をおこしそうなタイプでは無さそうだという印象。

「こんにちは、私はソーニャ。美人だなんて嬉しいわ。あなたも連合軍のキャンプ?」

「もちろん。しかし想像以上に何もないね。湿気がないのはありがたいけど」

 エイムズと私は荒野に目を向ける。

 旅は道連れ、私とエイムズはそのまま連合軍のキャンプに連れだって歩いた。聞くところによると彼は合衆国のリベラル系雑誌からの依頼を受けたカメラマンだそう。『戦争の真実』というタイトルで反政府軍の支配下から脱出した難民のキャンプ等の取材に来たとのこと。

 しかし、その割に、

「ハハハ、戦争の真実なんて言うけど、不自由そうに生活している難民の様子を見せつけて与党を攻撃する材料を作っているだけさ、『私たちの税金はこんな人達を増やすために使うべきではない』とかってね、全くもってつまらない仕事さ」

 彼の知ってる政治家の口調を真似たのでしょう、大げさな身振りで語ってみせました。あまりこの仕事に対して乗り気でなさそう。聞けば彼は元々ネイチャー系のカメラマンだそうで、ここ最近は景気が悪く仕事にあぐねていたとのこと。

 私たちのように門で移動が出来る人材が仕事にあぐねるってよっぽどの事だと疑問に思ったのですが、どうやらそれが表情に出ていたのでしょう、

「離婚の慰謝料ね、高くついたよ全く、手もろくに握ってくれなかったからおかしいなとは思ったんだ」

 と、苦笑しながら私に言いました。感想に困る内容だったので色々大変なんですね、と肩をすくめてみせると、なに、いい勉強になったさとエイムズはうそぶいて見せました。どこか憎めない人柄とは思うけど、なるほど騙されやすかったということでしょうか。

 そんな私の表情を見て何かを感じとったのでしょうか、

「しかし凄いね、君の荷物。どうやったらそんなに重そうなの抱え切れるんだい? それにカメラ周りのまとめ方も中々いいセンスしてる、参考になるよ」

 話題を私の荷物に切り替えてきました。今回の取材ではザックに25kg程度で宿泊先として基地内の迎賓館が利用できることもあり、荷物はかなり少ない方なのですが、そう言われると悪い気はしないので、ありがとうと返しました。

「とはいえ、それが無かったらジュニアスクールの生徒が間違えて門に入ったのかと通報するところだったよ」

 最後の一言は彼流のジョークのつもりなのでしょうか。ドヤ顔で私を見つめ返したまま時が止まる。

 それ地雷なんですけど………

 無言の私に耐えられなくなったのか、エイムズは視線をそらして苦笑いしたっきり私達2人は黙々と基地に向かって歩くことに。デリカシーに欠けていると思う。

 基地に到着した私たちはまず滞在許可申請の手続きのため、応接室に通されます。広報担当官から滞在中のルール、立ち入り禁止区域、撮影許可範囲などについての同意書を提示されるのでこれらに全て目を通していきます。

 現地入りする前に読んだものと細部が微妙に異なっていたのですが、特に問題はなかったためサインを交わすと、基地内での身分証として首掛けのパスカードを渡されました。エイムズは何やら広報官とすり合わせが必要らしく隣で話し込んでいるようです。

 私は案内役の兵士と早速顔合わせすることに。その兵士が今回の取材対象であるジャイリーンです。

 背がスラリと高く、無駄な脂肪がない引き締まった体に、精悍さを兼ね備えた彫りの深い顔立ちの女性で、緩やかにウエーブがかかっているであろう黒い髪の毛を後ろでキツく束ねています。軍服姿が凄くキマっていて、同性の私から見てもため息が出るほど綺麗です。

 コトリと何かが落ちる音。音のした方を見ればエイムズがジャイリーンを見たまま固まっています。床には手に持ってたと思しきペン。なんてわかりやすい反応かしら。あきれた表情の広報官がわざとらしく咳払いして見せると、

「あ、ああ、失礼……手続きの途中でしたね。」

 赤面して、広報官に向き直りました。当のジャイリーンは一体どうしたのかしらという雰囲気です。

 私とジャイリーンが簡単なスケジュールの打ち合わせをしている間中、隣からチラチラとこちらに視線が飛んでくるのが、ものすごく鬱陶しく感じました。


 ジャイリーンはとても知的で真面目、そして親切な女性というのが私の印象。施設の案内や取材可能時間のタイムスケジュールを忙しい合間を縫って私に教えてくれるし、こちらが聞いたことは基本的になんでも答えてくれる。

 広報室を出て宿泊先の迎賓館に移動する間に、彼女から改めて生い立ちを語ってくれました。少数部族出身で反政府派と宗教教義の不一致が原因の迫害に遭い、故郷と家族、そして婚約者を失ったそう。彼女自身はその時ガリアの大学に通っていたために難を逃れてたそうです。

 その後連合軍が介入する事態へと発展し大規模な内紛が起きたのが3年前、彼女はこの頃連合軍に志願し戦うことを選んだのだと言う。故郷の、家族の敵を討つシンプルで強い動機でした。

 内紛の後、勢力こそ弱まったものの依然反政府組織は健在で散発的ながらも小規模なテロ、ゲリラ戦を行い続けている事から、銃火を交える以外にも戦う方法が必要だと感じている様子です。

 彼女が取材に協力的なのはこの情勢をより多くの人々に知らしめ、反政府組織の非を説かねばならないという強烈な使命感からだと私に言う。

 ただ、知的でまじめなだけでなく、彼女自身の持つ芯の強い部分を隠すことなく私に伝えてくれるところが、なんだろう、仕事の範疇を超えて仲良くなりたいなと思いました。


 到着初日は基地内の迎賓館に通されベッドを用意してもらったところで日が落ちました。

 直前まで容赦無く照りつけていた日差しが無くなると、驚くほど寒くなるので体調管理が大変だと実感。上着を羽織ってジャイリーンと一緒に食堂に向かう事にします。

 実はこの食事の時間が取材である意味一番楽しみだったりするのです。常々不味いと噂に聞く連合軍の食事について、その真相を実際に知ることが出来るのですから。

 ジャイリーンと雑談しながら食堂に到着すると、丁度良い時間帯にも関わらず利用している人間があまりいない様子。席は三分の一も埋まっていないのが既に予想を裏付けてくれているような気がします。

 食事は、主菜副菜と区切られた配膳トレーを持って厨房スペースから渡されるパン、レーション、サラダ等をそれに盛り付けていくイートイン形式。

 驚いたのはレーションのレトルトパックを湯煎で温めただけのものをそのまま手渡された事です。素手で掴むと火傷するので皆お盆を配膳係に差し出して置いてもらっています。どうやら配膳係も軍人のようで軍服の上からエプロンをしただけというスタイル。糧食班と呼ばれる当番制で順番に回ってくるとのこと。料理ができない人間でも、お湯の面倒見くらいは出来るだろうという話のようです。

 トレーにレトルトパックが乗せられた時点で薄々感付いていましたが、これ一つで1500kcalを超えているらしく、パンなどを含めると一食で2000kcalを超えています。正直完食できる自信はないです。

 席についてジャイリーンは両手を組み額に掲げて何事かをつぶやき最後に右手で横一文字に宙を切る仕草をして食事を始める。私は頂きますと手を合わせる。

「あら、あなた日本人なの?」

「ええ、生まれも育ちも」

「そうなの? 半年くらい前までここに国際共同連盟からの派遣で日本人の小隊が駐在していたわ、てっきりあなたはユニオンあたりだと思ってたわ」

「よく言われるわ、なるほどそれで知っていたのね」

「ね、そのイタダキマスってどういう意味なの?」

「あ、うん食事を食べますっていう挨拶とか食べ物、食べ物を作ってくれた人への感謝を込めて手を合わせている感じね」

「やっぱり神様じゃないんだ不思議ね」

「うーん、神様かもしれないけれど基本的にはこれを作ってくれた人への感謝だと思う」

「結構曖昧なのね、でもシンプルでいいなって思うわ。イタダキマス」

「でもそういうのって前に居た人たちからは聞けなかったの?」

「結構シャイな人達が多かったわね、悪い人たちじゃなさそうだったけど」

「あ、なんだろうわかる気がする!」

 そんな流れから、お互いの国柄などを話しの種に食事を進めようとしていたのですが、途端に私はそれどころではなくなってしまいました。

 まず、レトルトパックの封を切って中身を出そうとするけど中々全部出尽くさないのです。温めてあるんだからもっと柔らかくすんなり出てくるものと思っていたのに、練り物をひねり出すような感じで袋の端から抑えながら徐々に絞り出していく感じで一苦労させられます。

 そうして中から出てきた物を観察すると、見た目はミートソースの様な色合いのペーストの中に短いパスタが混じっているスパゲッティのような食べ物なのですが、ペーストの方が多くこれをスパゲッティと断言していいのかあやしいところです。フォークでパスタを絡めるように回してみたのですが、短いので当然絡みつくことなく刃の間をすり抜けていきます。やむなくスプーンのようにすくって口に運ぶと………


 え、これ食べ物なの?


 口に含んだ最初の感想がそれでした。ひと噛みすると、パスタの部分に全く弾力がなく、まるで粘土を齧ったような感触が口の中に広がり。もう一度噛むとペーストの部分が、できの悪いキャラメルのような粘り気を出して歯にまとわりつき、さらに舌から感じ取った味は、塩気が圧倒的に足りないケチャップみたいな何かでした。

 歯ごたえなく歯に絡みつくので口の中がべたつき、噛めば噛むほどこのよくわからない味に付き合うことになってしまうので、水で押し流すように飲み込みました。

「何これ?」

「噛んだら負けよ」

 ジャイリーンはパンや野菜と一緒にこれをお腹に押し込むように食べている。なるほど、パンで歯にこびりつく分を掃除しているのか、そしてサラダの水分で口を洗うと。

 いやいや、食事ってこんな工夫をしながら食べるものだったかしら?

 ともあれジャイリーンはそのすらりとした外見に似合わず健啖で私が苦戦しながら1/3くらい食べている頃にもう半分以上消化しています。というか半分も食べれば私の胃ははち切れてしまいそうな量なのですが。

「すごいわね、どうやったらそんなに食べれるの?」

「訓練ね、お腹が空けばなんだって美味しいわよ」

 私はトレーに目を落としどんな訓練をすればこのよく分からないものが美味しいと言えるようになるのかと頭を抱えるほかありません。

 もっとも、このレーション、当の連合軍の間でも不評で常々改善の声が上がっているそうですが、何故か一向に変わる気配はないということ。連合軍最大の謎とも呼ばれているそうです。

 当然というか、完食することは出来ませんでした。デザートにこれまた高カロリーなチョコレートバーが有ったのですが、胃もたれが酷くこれはジャイリーンに渡すことに。ジャイリーンはありがとうと言って受け取ってくれたのできっと食べてくれるに違いないでしょう。

 ちょうど私たちと入れ違いでエイムズが食堂に入ってきたのですが、相変わらずジャイリーンに見とれて、浮ついた感じだったので会話もそこそこに切り上げ部屋に戻りました。

 半分くらい残したにもかかわらずそれでも食べ過ぎだったみたいで、お腹が重たくて横になりたい気分。

 とはいえ、お仕事は始まったばかり、明日からの日程に備えて色々準備をしなくちゃ。ベッドに倒れこみたい気持ちを抑えて持ち込んだ荷物を解く私の口からは、けぷりとはしたない音が漏れたのでした。

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