神の寵愛

「あれ、ゴブリンだよなぁ」


 木陰からじっと戦いの様子を見つめながら、俺は静かにそうひとりごちた。


「アア。あれはゴブリンの弱小種、ロウゴブリンの個体だろうヨ」


 ひとりごちたんだけどなぁ。腕にくっついているっていうのは落としたりする心配が無くていいのだが、プライバシーというか個人の時間が無くなるのが問題だと思う。

 現状についてのどうしようのない不満を心の中で反芻しながら、俺は構えていたリベリオンを下げた。


「おや、助けナイノカ」

「人間ならともかく、あれは自然界の摂理だ。弱肉強食っていうんだが、まあファット・バニーだって食わなきゃ生きていけないわけだし、邪魔するのは悪い」


 そんなの、飢えた蜘蛛が蝶を食おうとしているところを無理やり蝶を奪い取って逃がすようなものだ。自己満足でしかないし、蜘蛛を飢えさせてしまうだけ。全くの無意味だ。人間なら、同族のよしみで助けてやらんこともなかったのだが。

 そういう訳で、まだ体も痛むしとっとと帰ることにする。下手に標的にされても困るし、それに今日俺にラックとダハーカが食う分の肉は必要以上に確保している。一体分だが、四日は持ちそうなくらいなのでもう肉もいらないし。

 くるっと背を向けたところで、「まあ、」とブックマンが呟いた。


「お前が居なかったらあのロウゴブリンも襲われたりしなくて済んだんダガナ」

「へ?」


 中々の爆弾発言に思わず変な声が出てしまった。ええと、今何て言ったのかな。


「お前が居なかったらあのロウゴブリンも襲われたりしなくて済んだんダガナ」

「一字一句違わぬ回答どうもありがとうございます」


 ってそうじゃねえよ。問題はそこじゃねえんだよ。


「どうして俺が関係してくるんだよ」


 そう訊ねると、ブックマンは「まだわからないんですか?」と疲れたようにばやいた。


「お前は確か、アジ・ダハーカの封印をビー玉に変えたヨナ」


 それがどうかしたのか、とは聞けなかった。まさか、


「お前がビー玉に変えた封印は、この地を流れるマナの流れを調整する役割も担っていたわけダ。そして、ファット・バニーは自分が生まれた場所と同じ濃度のマナの環境を好むから、ずれたマナの流れを追うために大移動を――」

「うおおおおおお覚悟しろこのウサギ野郎おおおおおおおおお!」


 なんかもう最後まで聞きたくなかったので俺は叫び声をあげて木陰から飛び出した。



  ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦



「ハァ……ハァ……やっとくたばりやがったか兎野郎……」


 十分後、俺は辺りに血まみれの岩と兎の殴殺死体の転がる中、肩で息をしながら立ち尽くしていた。ブックマンが演算して『楽勝』という判断に至ったのは、あくまで俺が木陰からの不意打ちからのヒットアンドランを繰り返して間合いに入れさせずに岩で押しつぶすという作戦にのっとったもので、俺はなんか凄い勢いと共に叫び声を上げながら突っ込んでいってしまったため、戦況は混乱を極めたのである。死ぬかと思った。

 このウサギども、ファットとかいう割に動きがやたらめったら素早いのである。遅く見えたのは、加速する前にラックが瞬殺してたからだ。強すぎますぜラックの姉御。

 なお、このファット・バニー、状況理解で判明したランクは驚きのB-。強いよ。ねえ、強いよ流石にさ。俺のランクは大体Bくらいかな―とかダハーカが言っていたが、こいつらのランクB-っていうのは俺にとってある程度の準備と作戦を立てたうえで一対一でまあ普通に勝てる、って事だ。準備は出来ていても作戦丸つぶれである程度体あったまってるB-の魔物三体の中に突っ込んでいったらそりゃあもう絶望的なわけでしてね?

 なんかさラックが簡単そうに戦うから弱いんだなとか思っちゃったじゃないかダニエル。滅茶苦茶強いじゃないかダニエル。駆け出しが戦う相手じゃないってダニエル。こんなの三体相手に戦えた俺は人里ならもう英雄ですよダニエル。まつりあげられちゃってますよダニエル。ファンクラブとかできてますよダニエル。いやファンクラブは無いや、異世界だしねダニエル。ところでダニエルって誰だよ。アメリカの通販番組とかにいそうだなダニエル。

 まあダニエルは良いとして、俺が今回勝てたのは、ブックマン曰くリベリオンを展開していたことと、『魂の絆』をラックと結んだことで俺のステータスも向上して、いくつかの戦闘系スキルも習得していたからだそうだ。つまり地下に潜る前の俺なら確実に死んでいたということである。そりゃあもうあっさりと死んでいましたとも。

 そこのところを考えると、やはりここは人類の手の出せない人外魔境リーヴス大森林と言ったところなのか。

 俺はもう精根尽きたのでカシャンカシャンとレバーを引いて変身を解く。

 するとまた地面に散らばる兎の血の匂いが鼻を突き抜けるわけである。霊装ってこういうのまで防いでくれていたのか。もうほんと凄い性能である。

 と、ふと思い出して横たわる死体の一つに触れて『硝子細工師マーブルメイカー』。よし、死体はビー玉に出来るみたいだ。これを三つ入れると変身しちゃうから一つだけスロットに入れて。


――Install


「コモンスキル『聴覚強化』『脚力強化』固有スキル『体毛変質』『薬草調合』『脱兎』を習得ダ」


 ビンゴ、やったぜ。思わずガッツポーズをとる俺。このリベリオンは、「スキルを封じたビー玉」とか言っていたが、「スキルを覚えていた生物の死体を封じたビー玉」からでもスキルを習得できるのだ。


「へえ、考えたナ。死体からスキルを奪うとは」

「俺だって色々と考えてるって事だ。ところで他の二体からもスキル奪えそうかな?」

「いや、状況理解で把握していたスキルはすべて習得した。それは食用にしヨウゼ。旨そうダ」


 そっかー、と頷いて他の二体を大口にしまい込む。便利だなーこのスキル。荷物全然持たなくていいし。え、待って聞き流しそうだったんだけどお前本のくせに飯食うのかよ。胃とかどうなってるんだろ。後で飯の時に観察しよう。

 うーん、とギシギシいう身体を背伸びをしてほぐすと、震えているゴブリン三匹と目が合った。あ、素で忘れてた。


「んんっ」


 何か微妙な空気が流れたので、背伸びをやめて背筋を伸ばした俺はわざとらしくせきこんだ。こういうのはあれだ。最初が大事なのだ。最初ならもう散々なことになったろとかいう意見は認めない。俺が最初だと思った時が最初なんだ(横暴)。

 そういうわけなので出来るだけ余裕を持った態度でだな、余裕って何だろ。あれ、分かんないぞ。まあいい。


「あー、君たち? 大丈夫だったかね」


「「「……」」」


 あ、ダメだわこれ完全に俺を恐怖の対象としてみていますわ。もう目がそんな感じだもの。それとなーく状況理解を使ってみると、こいつらはD級、つまりは魔物の中で最弱という事だ。するとおかしいことが出てくるな。


「なんでこいつらはファット・バニー相手にあんなに長く生き残ってたんだ?」

「ファット・バニーは苦しんだ死んだ肉程栄養になるとする考え方を持つから、獲物を痛めつけてから喰らう習性があルンダ」


 ま、まじかよ……。ファット・バニー怖いよマジで。よく生きてるよな俺。


「それと、真ん中の『彼』のおかげダロ」

「ん、あー。成程オーケー理解した」


 恐怖と絶望に顔をゆがめながらも、ロウゴブリンの中の一体だけボロボロのナイフを持ってこちらを見ているのがいた。辺りがファット・バニーの血で赤く染まっていたから気づかなかったが、全身が目も当てられない程に傷つけられている。恐らく、こいつが他の二体を庇って戦っていたのだ。


「聞こえてきてた金属音はファット・バニーの角がこいつにぶつかる音か……なあ、ブックマン」

「先程手に入れたスキルで回復薬を調合できないか、ダナ。お前に考え付いて俺様に考え付かないわけないダロ」


 うーん酷い。遠慮が無い。まあそれはどうでもいいのだ。こいつの俺に対するこの挑戦的態度が最早修正不可能な域に達していることは俺もよく理解している。


「で。出来るの出来ないの?」

「出来ます。が、そのために必要なスキルを習得するついでに新たに入手したスキルを統合整理するが構わナイヨナ?」

「なんだそれ」


 そんな説明はダハーカに聞いて無いが。


「簡単に言えばそのスキルを含むことのできるスキルにスキルを統合することダ。統合と言ってもイメージ的にはフォルダにまとめる様なもんだから普通に使用したり進化させたりをすることができる」

「じゃあ頼む」


 そうお願いして、ブックマンを開き、左手をかざしてスキルツリーを呼び出した。


「んじゃ経過報告を交えつつ実行するゼ。コモンスキル『聴覚強化』『脚力強化』『強靭な心』『威圧』『見切り』を固有スキル『騎士道』に統合。『騎士道』進化条件を達成、『騎士道』を『武士道』に創造進化。固有スキル『体毛変質』進化条件を達成。『表皮変質』に乖離進化。固有スキル『表皮変質』の進化条件を達成、『体質変換』へ乖離進化。スキル習得条件を達成、ユニークスキル『人外異端ヒトならざる者』を習得。固有スキル『体質変換』をユニークスキル『人外異端ヒトならざる者』へ統合。固有スキル『薬草調合』進化条件を達成、『魔法薬調合』へ進化。固有スキル『魔法薬調合』進化条件を達成、『調合台』へ創造進化。固有スキル『調合台』を『硝子細工師マーブルメイカーⅡ‐2』に統合。固有スキル『状況理解』『魔法解析』をユニークスキル『硝子細工師マーブルメイカーⅡ‐2』に統合。ユニークスキル『硝子細工師マーブルメイカーⅡ‐2』の進化条件を達成、『硝子細工師マーブルメイカーⅡ‐4』へ進化――全てのプロセスが終了っと、こんなところカ」

「…………」


 え、えっと。ツッコミどころしかないんだけど。え、なに、今ユニークスキルを習得って言わなかった? 習得できるの? え?


「何やらいまいち理解できてネエみたいだから補足しておくが、ユニークスキルが一つだけと言うのは迷信ダ。単に習得するのが困難な上、スキルと言う大事な自分の手札を晒すような阿呆が少なかったというだけで不可能じゃナイ。よってテメエの新たなスキル『人外異端ヒトならざる者』も立派なユニークスキルダゼ」

「あ、はい」


 よくわかんないがそういう事らしい。ええ、まあそりゃ普通そんな強いスキルを手に入れるほど鍛錬を積んだ人なら自分の切り札としてそれをひた隠しにしますよね。それで、そんなことも考えずに自慢するバカは何の苦労もなく手に入れた異世界人達でしょうね。だからユニークスキルは異世界人しか使えないみたいなデマが流れたわけか。

 するとダハーカが俺がユニークスキルを二つ持ってることに驚いたのは、「一つしか覚えられないはず」だから驚いたんじゃなくて、「既に二つも覚えていた」から驚いたと。う、うーん。そうするとこの世界の人間だって油断してかかったりしたらユニークスキル使われて瞬殺! とかありそうだから用心しておこう。


「まあそこらは良いとして、どうやって薬を作るんだ?」

「『硝子細工師マーブルメイカーⅡ‐4』は指定範囲を立方体の様に切り取ってビー玉に出来ル」

「ほうほう」


 左手を脇の茂みに向けて『硝子細工師マーブルメイカー』、きれいに四メートル四方の空間が出来上がり、左の掌にずしんとした重みを感じる。見ると、ビー玉にしてはでかいんじゃないかと思う硬式野球ボールくらいの大きさのビー玉がある。


「次に『大口』の中に『調合台』と言うスキルを展開しているからそのビー玉を大口に入れル」

「へいへい」


 ぐいん、と空中に穴が現れるのでその中に放り込む。


「固有スキル『調合台』は、ビー玉を加工することのでいるスキルです。ミジンコ野郎に分かりやすく説明すると、『空気』から『窒素』や『酸素』に『水分』、『森』から『材木』や『薬草』に『砂』を抽出し、それを用いてさらに加工し――このように『薬草』と『水分』、それに瓶を作る『砂』を使って『最上級治癒薬グレートポーション』を製造でル」

「ふむふ――え?」


 大口が開いてぽんと俺の掌に透き通った透明な液体の入った瓶が転がり出てきた。うわ滅茶苦茶便利っていま最上級って言った?


「最上級?」

「現在この世界には三種のポーションが存在シテナ。擦り傷切り傷をふさぐ庶民にも普及している抹茶色の『下級治癒薬ロウポーション』。大体B級くらいまでのそこそこの冒険者が愛用しているある程度の大けがを治すことができる緑色の『中級治癒薬ポーション』。そして信じられない高値で取引される千切れた腕位なら一ヶ月投与して元に戻せる淡い緑色の『上級治癒薬ハイポーション』。そしてミジンコ野郎が今間抜け面して持っているそれは、例え首から下が無かろうが生命活動を停止していない限り一瞬で元に戻してしまうキチガイ性能の無色透明『最上級治癒薬グレートポーション』」

「おま、なんちゅうもんを」


 生きている限り例え首だけでも即復活とか薬の域超えてない? っていうか薬? 魔法ではなく?


「なあおいこれ」

「治るナ」

「まだ聞いて無いんだけど」


 反応速いよ。てか治るのかよ俺の今まで精神を集中させてマナを使って治療してたのは何だったんだ。


「という訳で早速――」

「ああ、そうだな」


 俺は瓶を掌に収まる小さな瓶を持って、ゴブリン三人に近づく。体をこわばらせるゴブリンたちに「テキジャナイヨー」と適当に笑いながらしゃがみ込んで顔を近づけて瓶を見せた。


「俺の言葉、分かるよな」

「……ア、アア」


 ゆっくりと頷く真ん中のゴブリン。傷だらけなのに他の二体をあくまでかばおうと手でうしろの二体を制しながらのご返事。ゴブリンだからと舐めていたが、ファット・バニーより余程人情味があって理性的だ。気に入った。


「おいハゲ、何を」

「これはポーションだ。とびきりよく効く」

「エ……?」


 ばしゃあ。ゴブリンが状況を理解するより先に、俺は瓶のふたを開けて中身を真ん中のゴブリンにぶっかけた。こんなに興奮しないぶっかけがあるのかとか思ったがそこは無視。気にせずトライである。

 まあ一言でいえば効果は劇的。千切れかけていた腕とか潰れていた足とかもみるみる治っていった。凄い。グレートポーション、凄い。

 まだ半分くらい残ってたので、脇の二人にもかけてあげる。ゴブリンズ完全復活である。やったね。


「……コレハ、」

「エット、」

「ナニガ……」

 いまだに呆然とするゴブリンズ。仕方ないのでダメ押しに笑顔で言ってやった。


「回復薬って言ったろ?」

「「「……!」」」


 俺の言葉にようやく状況を理解したのか、ゴブリンズは感極まったように何か言いたそうだが嬉しすぎて声が出ないらしく身振り手振りで感謝を伝えようとしてきた。うんうん。こうしてみるとゴブリンも結構かわいいもんである。

 しかし俺も血を流しすぎたしまなを使い過ぎたしもう色々と限界である。いい加減肩に刺さってるファット・バニーの角をどうにかしたい。そういう訳でブックマンさんお願いしま――


「無理」

「え゛」


 今ちょっとひどいこと言わなかった? 嘘だろ、嘘なんだろ?


「嘘じゃネエ。手詰まりダ。調合に使うマナも無ければマナ回復に耐えうる体力もネエ。お終いダ」


 最後にやれやれといった声で、「まず自分に使えと言おうとしたのにヨ……」とか言われた。

 そういうのは最初に言えよおおおおおおおおおおおおおおお! そう心の中で叫びながら、俺の意識は急速に掠れて消えていった。

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