ロウゴブリン

 目を開けると知らない天井があった。うん。こんないい感じにぼろくて青空がちらほら見えて今にも倒壊しそうな天井を本当に知らないのかどうかについて三十秒ほど思案してみたがやっぱり知らない。知らない天井です、ええ。

 ……うん、どこだここ。


「お目覚めですかのう」


 なんだかしわがれた声が聞こえたので、そちらの方に視線を向けると、よぼよぼの年老いたロウゴブリンがいた。老ロウゴブリンである。……想像以上につまらなかったね。忘れてください。


「あんたは……?」


 そう訊ねたが、思った以上に上手く声が出なかった。恐らく喉がからからに乾いているのだ。


「わしはこの集落の長老を務めるロウゴブリンですじゃ。このたびはうちの若い衆をファット・バニーから助けてもらったという事で、こうして手当させていただいた次第でございますじゃ」


 その長老ゴブリンは杖を支えにやっと立っているという風情だったが、俺の声がおかしいことに気付いて、「これ、水を」と脇に控えていた若い雌のロウゴブリンに頼んでくれた。

 それにしてもあれだ、目が覚めたばかりでよく考えがまとまらないが、ここは俺が助けたロウゴブリンの集落らしい。うん人助けはするもんだね、あいつら人じゃなかったけど。ていうかそもそも助けなかったら倒れることもなかったけど。まあ助けたからかなりの便利スキルを手に入れたわけだし、文句は無い。生きてるからセーフなのだ。

 そういえばブックマンは――っておい。こいつ目を閉じてる上にすぴーすぴーと音がするという事はこいつ寝てやがるな。本のくせに。強いて言うとスキルのくせに。俺はここまでのうっぷんを晴らすべくデコピンを――


「なにをしている」

「何でも無いよマイフレンド」


 HAHAHAと笑って茶を濁す。くそ、本のくせに寝たふりブラフかよ! こいつなんてデンジャラスな野郎なんだ。

 二度とこいつに対し油断したり思い込みによる行動はしない。冷静にねじふせてやる。何か今フラグが立った気がするが気にしない。


「どうぞ」

「ああ、ありがとう」


 さっきの雌ロウゴブリンから粗末なコップらしきものを手渡される。しかしこれ、ふーむ。やけに渡すときに躊躇ってるみたいだったし、多分これあれだな。なんとなくわかったが、どうしてこんなことをするのか気になったので、一息に飲み干す。


 俺の予想通り、頭を強く鈍器で殴られたような衝撃が走る。毒薬だ。


「このような真似をして申し訳ないとは思います」


 本当に申し訳なさそうに、長老ゴブリンは目を伏せた。


「今、ファット・バニーの群れがこの集落に向かって近づいてきているのです。貴方様が助けて下さった三人は、それを調べるために集落の外へと赴いておったのです」

「……」


 じっと、長老ゴブリンの目を見る。


「今晩にも、奴らはこの集落を喰い漁りに来ます。ですから貴方様に共に戦っていただきたいのです。強きお方。この集落はゴブリンの集落から追いやられたゴブリンたちの住処。まともに戦えるものなどいません。いたとしても相手はファット・バニー、一矢報いる間もなく戦う事が出来ない状態にされてしまうでしょう。もし、戦って頂けないのであれば、解毒薬を渡すわけにはいきません。本当に身勝手ですが、貴方様にはここで死んでもらいます」

「……」


 じっと、じっと目を見る。


「……なあじいさん、あんた俺が死ぬ前に道連れだって言ってここの屋根の下にいる奴らを殺そうとするとか、解毒薬だけもらって皆殺しにしようとするとかは、考えたのか」

「覚悟の上です」

「わたしも」


 長老ゴブリンの言葉に、俺に毒の水を飲ませた若いロウゴブリンも続く。ロウゴブリンっていうのは、みんなこんなのばっかりなのかね。

 俺は深くため息をついて、小さくつぶやいた。


「ブックマン、解毒薬とポーション」

「ほらヨ」


 サンキュ、と礼を言い、大口から出てきた二本のそれを左手で同時に掴んで一気に煽る。なんだかキラキラとしたエフェクトみたいなのが俺の身体を包み、体が軽くなって立てるようになった。ポーションって経口でも効果あるんだな。


「「……な⁉」」


 俺がどこからともなく解毒薬を取り出して服用したことに驚愕し、そして顔が青ざめていく二体。


「ど、どうか!」


 俺が口を開くよりも前に、そのよぼよぼの身体で信じられない速さで長老は土下座していた。嫌な音が聞こえたし、確実に骨の何本かはぽっきりといってしまったろう。


「毒を盛らせたのは長老のわしの独断ですじゃ! どうか、どうか集落のみなには!」

「そんな、渡したのはわたしです! 殺すならわたしを!」


 俺が何か言おうとしたのに、二体、いやそろってそう懇願してきた。……調子狂うなー、なんでこう魔物の方が良い奴だったりするわけ? 俺を召喚した連中はあんなにクズだったのに。


「この集落。ロウゴブリンは何人いる?」

「で、ですから殺すのは――」

「そう言う意味で聞いてんじゃねえよ! 戦いの作戦を立てるのに味方の人数把握は重要だろうが!」

「「え……⁉」」


 俺の言葉が予想外だったのか、二人とも信じられないという風に口をつぐんでしまった。まあ、協力してくれないだろうと思って毒を盛ったわけだし、そこのところはわからんでもないが。

 いいか、と俺は口を開いた。


「俺は毒の脅しとかそういうのを無しで、お前らに協力してやるって言ってるんだ。なぜなら俺は強くて優しくて知性的で人情に篤いからだ!」

「その自信はどこから来るんですかミジンコ野郎」

「ごめん今ちょっと黙ってて!」


 今ね、凄い真剣な話してるんだから、とぼやいて、俺は大口に手を突っ込んであるものを掴んだ。


「ま、詳しい話とかは飯食った後にしようぜ、そのガリガリな感じを見ると最近ろくに食ってないだろ?」


 そう笑いかけて大口からファット・バニーの肉を取り出した。恐らく久しぶりに見たであろう新鮮な食料に、呆然としていた二人は目を輝かせていく。



  ♦♦♦ ♦♦♦ ♦♦♦



「あんな失礼なことをした我々に対して、ここまで……ここまで手厚く……! 何と申し上げたらよいのか……!」

「いや、そんなに泣かれても困るんだけど」


 俺があの後行った行動に対して、長老はボロボロと涙をこぼして感謝と謝罪を繰り返していた。念話で。念話と言うのは魔物と一部の人間が使える連絡手段で、所謂テレパシーみたいなものらしい。正直頭の中に延々こういうセリフを聞かされるとめんどくさいでござる。ニンニン。忍者っぽい事言っても耐え忍べないという悲しみの中で、俺はまた作業に戻った。


 さて、俺が行ったことと言うのは、さほど大したことではない。この集落には二十三名のロウゴブリンがいたが、その八割方が戦えない状態、怪我や毒や流行り病にやられたりで床に伏していたのだ。が、俺には今世界最高峰ともいうべき素晴らしいポーションがあるし、大体の毒は状況理解で種類が分かるので、硝子細工師を使って抽出した成分から解毒成分を作りだしたり、同じ要領で病気の特効薬を即席で作ったりして投与、全員元気になったところで二体分のファット・バニーの肉を、飢えた腹にいきなり肉は刺激が強いので、水をかなり多めにしてひたすら煮込み、消化に良さそうな感じにして与えたのだ。

 そのことについて感謝しているのだろうが、今俺がやっていることを見てもまだ集落全員が感謝感激雨霰というのだから驚きである。


 俺は集落の建物すべてを破壊し、対ファット・バニー群の防衛陣を敷こうとしていたのである。いや、住んでた家とか全部潰されてるんだから文句の一つも言おうぜお前ら。


 まあ文句を言わずに作業してくれると楽でいい。ポーションと飯が効いたのか、みなテキパキと作業している。いいなあ、こういうの。あっちにいたときはみんな人のいう事聞いてくれなかったな……。ま、まあ昔の事は良い。ひとまず、この地形についてまとめておこう。


 この集落は、丘の上にある。丘、と言っても高さ的に低いわけではないので、小さな山と言った方が良いかもしれない位だ。森林の中央部に比べて、ここいらの木々はそれほど激しく生い茂っていないので、この近辺に限れば、一番高い場所である。また集団戦闘に限らず戦闘において、高低差と言うのはかなりのハンディキャップになる。上からくるのを阻むのは難しいが、下からくるのを阻むのは容易である。なぜなら、素晴らしきかな、世界には重力と言うものが存在するのである。それに伴う重力加速度も。

 その上、俺達は丸く盛り上がている丘を円を描くように幾重にも土を盛っていた。この階段状に盛り上げた土が、視線の低いあいつ等の視線の障害ブラインドとなるのである。それにこの丘には、下からの視線を遮る障害物はあっても、上からの視線を遮れるような障害物は無い。ここで長く生活してきたため、この丘の木は粗方伐採されており、木が生えていないからだ。こういった地形ならば、ある程度の奇襲は防ぐ事ができる。


「こんなところか」


 俺は丘の斜面での作業を終わらせて、丘の頂上、かつて集落があった場所へと向かった。ここで最後の仕上げをするのだが、その前に長老ゴブリンに言っておく事があったからだ。やはり、ブックマンの言っていた通りなら今回の襲撃のそもそもの発端を作ったのは俺という事になる。それを、謝罪しておきたいと思ったのだ。


「どうなされたのです、センリ様」


 作業の途中で一人だけ呼びだした事を訝しんでいるのか、長老ゴブリンは不思議そうにそう訊ねてくる。が、言いにくい。とても言い出しにくい。なんか変な汗が出てきた。正直此の事はひた隠しにしてしまいたいが、それはダメだ。それだけは。俺はごくりと生唾を飲み込み、決心して口を開いた。


「あの、実はファット・バニーが――」

「封印云々の話は俺の作り話ダヨ」

「攻めてくるのはっててめえ今何て言った」


 今ちょっと聞きのがせないくらいの爆弾発言が飛び出してこなかったか、うん。何か作り話とか聞こえた気がするんだけど俺の気のせいだよな。悪いことやったのを親に白状する子供の数十倍の覚悟を決めて口を開いたわけだし、そんなひどい事があるわけないよな。そんな気持ちを込めた眼差しで見つめる。


「何か適当なこと言って戦わずに逃げようとしているのが気に食わなかった」

「うおおおおてめえこの野郎おおおお!」


 俺はもう条件反射の勢いで左手を振りかぶってブックマンを殴りつけようとした。が、器用にページを開いたこいつは硬い本の表紙の角の痛い所で俺の拳を受け止めた。いった、すっごい痛いんですけどこの野郎。


「あ、あの、センリ様?」


 俺が涙目で左手をフーフーしていると長老ゴブリンがこの状況わからないと言った顔で立ち尽くしていた。まあ俺だっていきなり呼び出した相手が目の前で突然キレて本に殴りかかって、しかも本に反撃を喰らって涙目になってたりしたらそりゃ訳も分からなくなる。というかどういう事をしたらこういう状況になるんだろうね本当。

 まあ俺の所為じゃなかったっていうのは良い事なんだけど、戦わずに逃げさせるのが何か嫌だったからとか、こいつ俺のスキルのくせに色々と俺に対して風当り強い気がする。ああっと、とにかく何とか何とかうまくフォローをいれないと変な人だと思われてしまう。


「あ、ああー、うん。ファット・バニーが攻めてくるのは一体どういう訳なんだ? って聞こうとしたんだ、そう、そういう事なんだよ。理由が分かれば相手の手もそれとなく分かるかもしれないだろ?」

「おお、そういう事でしたか。相手の行動理由を知ったうえで作戦をお立てになるとは、流石でございます」


 ま、まあな? とひきつった笑顔で答える。よっし、よぉっし。ナイスフォローだ俺。うまい事誤魔化すことに成功したぜ。それに、今言ったことは本当の事で、相手が『狩り』をしに来ているのか、『侵略』しに来ているのかで応対はだいぶ変わってくるのだ。うん、いい感じに切り返した。いいぞ、俺。


「ファット・バニーは森に棲む魔物の中では中くらいの力を持つ種族なのですが、上位種の個体をリーダーにしたいくつかの群れが数か月おきに狩場を変え、より新しい種類の肉を喰らおうと森中をねりまわってはいくつもの弱小集落を根こそぎ食い荒らしていくのです」

「想像のはるか上をいく獰猛さにちょっとビビってるんだけど」


 あいつらそんな危険生物なのかよ。流石にヤバすぎるだろ。まあ、おかげでなんとなくあいつらがどうやって攻めてくるのかは予想がついた。今の作戦で十分に太刀打ちできるだろう。

 だったら一応長老からみんなに伝えておいてもらおうか。


「俺は今晩の戦いではお前らと一緒に戦わない」

「そ、それはどういう」


 俺の言葉に、今更見捨てられるのかと長老の顔色が曇る。話は最後まで聞こうぜ長老。


「俺が倒した三体が群れの平均的な強さの個体なら、今作ってる罠とバリケードがあればお前らでも十分に戦える。だが、恐らくリーダー格の上位種には罠もバリケードも、作戦だって無意味だろう。強いっていうのはそういうもんだからな。だから俺が群れのリーダーを相手する」


 一応今晩は念話で集落の連中に指示はするが、俺がリーダーと戦いに言ったらみんなの指揮は任せるぞ。そう頼むと長老は「はいっ!」と元気に返事をした。俺が逃げずに戦ってくれるのが余程うれしいらしい。それにしても、話は変わるが名前が無いっていうのはやりにくいな、念話とかもアレだし。よし。


「お前らは名前が無いんだよな、何だったら俺がつけてやろうか?」

「うふぇい」


 なんか変な声を上げて長老がいきなり腰を抜かしたんですが。大丈夫かこの爺さん。

 俺がかわいそうなものを見る目で長老を見ていると、「ミジンコ野郎」とブックマンが話しかけてきた。


「一般的に魔物にとって名をつけるという行為は、『魂の絆』を結ぶということと同義に扱われるンダ」

「名前だけで?」


 そんなあっさり結ばれるものなのかよ『魂の絆』、そんなので良いのか。という事は何か? こいつはそれに驚いて腰抜かしたのか?


「嫌かね?」

「そそそそんな滅相もありません! ただ、わしらのような弱小種族に名を、『魂の絆』を結ぶ価値など……」


 ふむ、うれしいんだけど少し遠慮しているといった感じか。しかし、この反応とかラックの時反応とかを見るとどうやら魔物にとって、『魂の絆』を結べるというのはかなりうれしい事の様だ。

 ここまでの感じだと、あれだな。


「よし、長老。この戦いが終わったらこの集落の奴全員に名前を付けてやるから頑張って死なないように戦えってみんなに伝えとけよ」

「は、はい! よろこんで!」


 俺の言葉を聞いた長老ゴブリンは、抜かした腰を気合で立たせて走り去っていった。よっぽどうれしかったみたいだ。これでみんなの戦意が高揚してくれればいいんだが。そんなことを思いながら、俺はブックマンに話しかけた。


「『調合台』で作っておいてほしいものがあるんだが――」




 日はすでに傾き始めている。決戦の時は近い。

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