STAGE 02

【1】


「いらっしゃい」


 閉店後に西武新宿線の終電で新宿まで出てその店のドアを開けた。新宿通りを外れた二丁目にある小さなバー。ほかの店で呑んでこの時間からうちに流れてくるお客はあんまりいないんだよという店主の話どおり、深夜1時を回った店内は客が捌けたあとの様子でスツールに座る客は誰もいなかった。店内の冷えた空気が夏の外気に蒸された身体には心地良かった。


「こんな時間に珍しいね、明日休みだっけ? レイジくん」


 カウンターの端でPCと向き合う店主が俺を出迎えた。店主とは俺が店を再開してすぐにうちの店がテレビドラマのロケ場所として撮影で使われたときにたまたま知り合った。ゲームに詳しく業界に精通していて、かつ顔も広い男ということで現場にかり出されたのだという。実際、撮影の際はとにかく頼りになった。


「休みじゃないよ。店開けるの昼からだし、この暑さじゃ寝るに寝られないし、気分転換ふくめてたまにはね」

「なに呑む?」

「ウイスキーのソーダ割りで」

「あいよ」

「あ、あと電源ボックス三つとコインシューター、それと…」

「じゃあ酒の前にこれを。明日にも連絡しようと思ってたところだったんだ」


 俺は差し出された紙袋を覗いて驚いた。テーブル筐体をレストアするのに欲しかったものがひととおり揃っている。


「店主、これは?」

「日中、キャサ夫から連絡もらった。一式揃ってるはずだ」


 さすがやり手営業マンと顔の広い業界通。仕事が早くて本当に助かる。


「よかった。時間がないからありがたいよ」


 俺はカウンターに置かれたばかりのグラスを半分ほど飲み干した。渇いた喉に冷えたソーダ割りがうまかった。こういうときはまた煙草が吸いたくなる。


「テーブル筐体作るんだって?」

「ああ。来週中に三台。ちょっとキツいけど金にはなるから」

「レイジくんのレストア、評判いいよ。前に仲介したお客さんが褒めてたよ」

「ホント? 良かった。ほら、ゲーセンやってると文句言われることはあっても感謝されることってあんまりないからさ、意外にそういうの嬉しいんだよね。それにあんなことがあったりするとなおさらね」

「嫌がらせ、まだ続いてるの?」

「うん、まあね」


 俺はグラスの残りを飲み干した。


 うちの店がテレビドラマの撮影に使われたのがいい宣伝となって、新装開店後に少し落ち着いた客足が伸び始めた。俺にもやる気が芽生え、仕事が楽しくなり始めていた。


 それからしばらくするとコインシューターにチューイングガムが詰められるようになった。昔からゲームセンターで行われてきた古典的な嫌がらせ。俺はシューターを外して、ガムを油で丸め取る作業を何度かやった。


 問題はそれからだった。ようやく犯人を捕まえて説教してるところを誰かがスマートフォンで撮影してそれはその日のうちに「ある店の店長の暴力行為」としてネットでつぶやかれた。それは画像と一緒だと俺が見ても説得力を感じるほどのもので案の定その火は瞬く間に広がった。


 あることないことが至るところに書かれ、俺を知るどこかの誰かが素行の悪い店主が経営してる店だと便乗した。ありがちな炎上過程だった。たった一度の失態や失敗で社会的に追放されてしまうご時世。ニュースを見ながら愚痴っていた出来事がまさか自分の前に現実として現れるとは思ってもいなかった。


「一回終わればすべて終わりで名誉挽回のチャンスもくれない。どうやら、いまの世の中はコンティニューもさせてくれないみたいだな」


 俺は空のグラスを差し出して水割りを頼んだ。


 聞き慣れた電子音が店内に流れている。俺にとって子守歌のようなこの音を少し前までは聞くことすらできなかった。それほどまでに俺はゲームを嫌っていた。そんな俺がまた腰に筐体の汎用キーをぶら下げて店番をやっているんだからおかしなものだ。


「そう言えば、俺が店を継ぐときに親父が出した条件がこの『ファンタジーゾーン』をクリアすることだったんだよね」


 パステルカラーで描かれた横スクロールのシューティングゲームのボスは主人公の洗脳された父親で、俺がその父親を倒したときに大粒の涙を流すグラフィックを見て、俺は親父の気持ちを少し知った気がした。


「粋な親父さんだね」 


 ステアする店主の顔に笑みが浮かんでいた。


「所沢って元々宿場街だから昔は遊郭なんかがあったんだ。そんなとこで生まれ育ったせいなのか、そういうところは妙に芝居がかってんだよね」


 口にした水割りに、ガキの頃に呑まされた酒の味がふいに重なる。親父も晩酌はいつもウイスキーだった。


 経営を任されてしばらくして立ち行かない状況を打破しようとかき集めた金で苦し紛れに二号店を出したことがあった。それが『プリクラ』ブームの追い風で馬鹿当たりした。俺は調子に乗ってすぐに駅前のプロペ通りに三号店、そして郊外にもう一店舗と事業を拡大した。総勢で二十人近いスタッフを抱える身分となった俺はいっぱしのオーナー気取りで、店に立つことをしなくなった。


 そんな俺を見て、病床の親父はいい顔をしなかった。いつか足下をすくわれるぞと苦言を呈すばかりだった。そう言う親父に俺は反発し、鼻で笑った。だが実際、親父の言うとおり勢いは長く続かなかった。結局、借金だけが残り、最後は一号店も明け渡さなくちゃならなくなった。親父が死んだのはその直後だった。


「競馬に競輪、競艇に麻雀。一攫千金に目がなくてガキの頃は本当にろくでもないと親父だと思ってたけど、いま思うと俺よりはマシだったね」

「一度会って見たかったよ。面白かったもんなあ、親父さんのコラム。下町生まれでもないのになぜかべらんめえ口調の文体でさ。当時あそこまでゲーセンの裏事情を語る人はいなかったから、毎号欠かさず読んでたよ。いまでも全部スクラップに取ってあるぜ」

「好きだねえ、店主も」


 古い知り合いに頼まれた親父が下手の横好きで書いていたコラム。業界誌に掲載されていたその連載をここの店主は小学生時代から愛読していたというのだと言う。ドラマの撮影で初めて会ったとき神妙な顔つきで言ったその一言がいまでも忘れられない。


「いきなり初対面で、お父さんの連載『ゲーセン営業日誌』ずっと読んでました、だもんな。親父が生きてたら涙を流して喜んだよ」 


 あのときはその言葉が嬉しくもあり、そして少し心が痛んだ。晩年の親父にとって俺はなにを差っ引いても決していい息子ではなかった。親父が大事にしてきた店を潰した馬鹿息子でしかなかった。だから葬式のときも、わざわざ足を運んでくれた大勢の古い常連客たちの顔を見ることができなくて俺は葬儀場から逃げ出した。駆け込んだ飲み屋で俺は泣くことすらできなかった。


「ある年代にとって親父さんはちょっとした有名人だからね」

「それに比べて俺はいつまで経ってもダメな二代目だ」


 沸き上がる思いに蓋をしたくて酒を口にする。無性に煙草が吸いたかった。親父の話になるといつも煙草の匂いを思い出す。


「そうだ、忘れてた。フミちゃんがこれをって」


 何杯目かの酒と一緒に店主が渡すそれを受け取った。A4サイズのフライヤー。聞き慣れないロックフェスのチラシだった。俺の知ってる参加ミュージシャンはドラマの撮影で知り合ったメンバーが在籍する在日ファンクだけだった。


「なんか手伝ってるみたいよ、そのイベント」


 狩野かのフミには店の開店のときに会ったキリだった。ガキの頃に恋い焦がれた女。でも夢叶わなかった。それからお互い少し大人になったとき、たった一度だけ関係を持った。


「狩野か。久しく会ってないな。よく来るの、16SHOTSここ

「最近ちょくちょく来てくれる。でもあんまり調子良くないみたいだね。このあいだもあんまり呑まなかった」

「そう」 


 あの白い肌に触れた瞬間、泡立つ気持ちと同時になにかが壊れていくを俺は感じた。きっと狩野も同じだったのだろう。別れ際にもうこういうのやめようね、と言ったあいつの顔をいまでもよく覚えている。黒い髪、細い肩、きつく瞑ったその瞳をいまも思い出す。


 そしてあのとき触れたあいつの乳房。そのひとつはいまはもうない。


 (つづく)

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