STAGE 04

【1】


 営業車で立ち去るキャサ夫を見送ると俺はひとり駄菓子屋筐体のセッティングに精を出した。コントロール・パネル下の扉を開けてハーネス——電源の供給や電気信号を往来させる電線の束を引きずり出す。かつては規格のバラバラだったこのハーネスも1986年に規格が統一、いわゆる「JAMMA規格」になって以降、随分と取扱いが楽になった。


 筐体側のハーネスに基板を取りつけ、背面の電源スイッチをONにして火を入れてやる。ガキの頃から何万回と繰り返してきた行為だが、すでに一部の筐体や基板は老朽化が始まっているために昨日まで元気だったものが急に不調になることも多くなっていた。だからブラウン管に映像が正常に映し出されるまでは気が気じゃなく、そして映像が映し出されるといつだって安堵した。けれどまた明日も同じように稼働してくれる保障はもはやもうどこにもない。


 俺は三台の筐体が強い日差しの下で順当に稼働したのを見てようやく一息ついた。色味や同期信号といった微調整はしなくちゃならないものの、稼働に支障ないのがわかっただけでホッとした。とはいえ俺だって警察がうろつくゲーセンに本気で客が来てくれると思うほどバカじゃない。それでも以前みたいに潰れて行く自分の店を他人事のように眺める真似だけはしたくなかった。キャサ夫がなにも言わずこんな常識外れの行為につき合ってくれたのは、きっとそんな荒れ果てた頃の俺を知ってのことだろう。


 すべての店を潰して借金まみれになった俺は生まれ育ったこの街を飛び出して西へと逃げた。そして酩酊した俺は通天閣のスマートボール屋「ニュースター」でキャサ夫に出会った。というよりも店先でボロ雑巾のようにのされた、というのが正しかった。


 あの出会いがなければいまの俺はいない——店先に並んだ筐体を見ながらそんなことを考えていた。


 駐車されたパトカー。出入りする警官たち。そしてその店先に置かれた色とりどりの駄菓子屋筐体。しかしそのキュートな容姿も実況見分と黄色いバリケードテープの物々しさには勝ることはできず、帰宅途中の小学生たちは好奇な目線を寄せてはくれるが筐体にまで近づいてくれることはなかった。


「おい元バイト。ちょっと警察の連中に行ってこいよ。あんたらが怖い顔してるからお客さんが近づいてこないって。もう少し愛想良くしてくれって」


 俺はいまでこそ所沢警察署でそこそこの立場になっているらしい元バイトのケツを叩いてみせた。バイトは帽子を脱いで頭を掻くと呆れ顔で諭すように言った


「大体、昨日の今日の状況で営業するほうがどうにかしてるんですよ。普通この物々しい状況のなかでゲームしたいと思わないでしょう?」

「でも筐体の一台も動かさないでどうやって稼ぐんだよ」

「とはいえ、この有様じゃあ…鑑識の人間たちもうざがってますよ?」


 元バイトは外から店内を軽く覗きこむ。現場慣れしてるせいからかさほど表情は変わらないが、悲惨な状況に哀れみは覚えてくれているようだった。


「今日は早めに閉めてゆっくり休んでくださいよ。そろそろうちらも引き上げますから。また明日も来ますんで」


 元バイトに鑑識は明日も続くので現状のままにするよう指示され、連中は続々と引き上げていった。パトカーに乗り込む瞬間に元バイトが言う。


「レイジさん…この立場でこう言うのもなんですけど…あの、その、あまり気落ちしないでくださいね」


 慣れた敬礼姿に俺は早く行けと手のひらをひと払いした。この惨事に気落ちしないほうがおかしいだろうと俺は思ったが、あれがいまのあいつにできる精一杯の気づかいなのだろう。


 俺は首にぶら下げたタオルで吹き出す額の汗をひと拭いした。あたりは涼しさからはまだ縁遠い蒸し暑さが漂っている。かろうじて被害を免れた古時計が夕方17時だと教えてくれた。


 早い時間だったが元バイトが言うとおりこのまま店を開けててもなんの埒も開かなそうだった。そもそも昨日からロクに寝てもない。店を開けると気張ってみたもののそろそろ限界が近づいていた。俺は筐体を店にしまうとそのまま万年床にへばりつくように倒れこんだ。


 頭も身体も心も気力もすべてが空だった。決して出来のいいとは言えないこの人生ゲームと借金を重ね続けるばかりのコンティニューの日々。


 世界も夕暮れもうなりを上げる扇風機のモーター音もすべてがなにもかも変わらずにただひたすらに暑苦しく俺の身体にまとわりついた。薄れていく意識のなかすすけた天井を眺めながら俺は思った。


 俺の残機はあとどれくらい残ってるのだろう。


 二機? 一機? それとも——。


【2】


「事件の後とはいえ、鍵くらい掛けろっつうの」


 眠った意識の奥底に聞き覚えのある声が呼びかけてくる。最初は夢だと思ったが徐々にその声が鮮明になっていく。


 ゆっくりと瞼を開くと真っ暗な室内が目の前に広がった。鉛のように重たい身体を起こして顔の汗をひと拭いする。俺はいったいどれくらい眠ったのだろう。いまの時間が知りたくてあたりにガラケーがないか探してみたが見当たらなかった。どこかに置きっぱなしにしたままのようだ。


「うわ、ひでえな。筐体も滅茶苦茶じゃねえか」


 一階から聞こえてくる声の調子からそれが誰かは予想がついた。俺はここまで荒らされたんだからいまさら戸締まりもないだろうと鍵もかけずにいた。そこに声の主がやってきた。つまりはそういうことだ。


 俺は壁にもたれるように階段を降りると天井の照明スイッチをひとつ入れた。眩しい光にお互い一瞬目を伏せる。相手は予想どおりの人物だった。


「よう。この一大事になに寝てんだよ」

「うるせえな。それよりいま何時だ?」

 

 俺は店のカウンターのうえに置きっぱなしだったガラケーを見つけて画面を開いた。液晶画面には数件の不在着信と2時23分の文字が浮かんでいる。となると俺は一度も目を覚ますことなく7時間近くは眠っていたことになる。


「何回か電話したんだけど出ねえから心配で見に来てみりゃ鍵は開けっ放しだし、まったく不用心な店だぜ」


 男はポケットからマルボロ・ライト・メンソールを取り出し火を点ける。俺はぼやいてみせた。


「不用心って言われても戸締まりしててもこの有様だ。ほかになにをどう用心すればいいんだよ」

「はははっ。知らねえよ」


 男は子供のように大声で笑って言った。口の悪さはまさに東京は下町生まれの下町育ちだ。


 男といまのように親しくなったのは例のドラマの撮影で一緒になってからで、その存在は以前から知ってはいたものの、あのドラマ以後、定期的に会って酒を呑むようになった。ゲーセン界隈では名の知れた人物でアーケードゲームの知識の豊富さはもちろん、気性の荒いことでもまた有名な男だった。


「にしても——店をここまでぶっ潰した野郎だけは見つけださねえとな」


 あらためて店内を見渡しながら紫煙を吐き出すと男ははじめて感情をあらわにした。男の名は「高田馬場ゲーセン ミカド」の店長——イケダ・ミノロックこと池田稔と言った。


(つづく)

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