STAGE 05
【1】
「にしても——店をここまでぶっ潰した野郎だけは見つけださねえとな」
「高田馬場ゲーセン ミカド」の店長——イケダ・ミノロックこと池田稔はそう呟きながら紫煙を吐いた。時刻はすでに2時を回っている。すでに電車が動いている時間じゃなかった。
「車で来たのか? それにうちの店がやられた件は誰から聞いた?」
俺はミノロックにそう問いながら冷蔵庫のドアを開けた。
「キャサ夫が夕方にうちの店に来たんだよ。それで店閉めてから
「ハッちゃんは?」
「車を駐めに行ってる」
ミノロックがそう言うのが遅いか早いかのタイミングであいつの背後に大きな人影がぬっと現れてみせた。頭にタオルを巻いた作務衣姿の巨漢が店に入ってくる。男は俺の顔を見て言った。
「ご無沙汰ですレイジさん」
八丁堀——流しのゲーセン店員。30代で新旧の基板に精通するその腕前で複数のゲームセンターで店員をしてきた人物。筐体や基板のメンテナンスなどで業界関係者から呼び出されることも多いが、最近はミカドに根づいてミノロックの右腕としてその手腕を発揮している。彼との出会いもまた例のドラマの撮影だ。
「ハッちゃんひさしぶり。元気そうだね」
「お陰さまで。でもこのたびはなんと言っていいか…」
「でもまあやられちゃった以上、仕方ないさ。気づかってくれてありがとう。そうか、ハッちゃんの運転で来たならイケるか」
俺はミノロックに運転手がいることを知って安堵した。俺の乾いた喉も張り詰め続けてるこの神経ってやつを開放してやりたかった。
「ハッちゃんの運転なら呑めるんだろう? 付き合えよ、ミノロック」
「ああ。いいよ。ていうか、車のなかでもう呑んできたけどな。ぎゃはははは」
相変わらずのイケダ節に呆れながら、俺は冷蔵庫の奥にしまいこんでるコロナ2本と瓶コーラを取り出した。
「乾杯って気分じゃないし献杯されるのもシャクだ。だからお疲れで」
俺はそう言って3人でお疲れ、と瓶を掲げた。16SHOTSで呑んで以来のアルコールが全身に染み渡る。旨かった。
「しかしまあやられたね」
コロナを1/3ほど呑み干してミノロックが改めて店内を見渡しながらぼやいた。俺はその表情を忘れることはないだろう。あの物悲しく、そしてなによりも辛そうなアイツの顔を。
愛する、なんて軽々しく言っちゃいけない。死滅していくだけの基板や筐体、ブラウン管にその他機材。そのひとつひとつが俺たちの食い扶持であり、資産であり——そしてやっぱり愛情の対象なんだなとミノロックの顔を見ながら思う。その思いは押し黙ったままの八丁堀からも十二分に感じられた。
「まあね。仕方ない。ひとつずつ地道に直していくさ」
キャサ夫から依頼されているテーブル筐体のレストア作業——この夏は効かないエアコンの元、機械仕事に追われることになりそうだ。
「それにしても不法侵入に器物破損。例の炎上いやがらせにしてはちょっとね。うちがドラマの舞台になったってだけでここまでやられなきゃならないか?」
俺はそう言って残りのコロナを一気に呑み干し、もうひと瓶の蓋を空けた。そのとき八丁堀がおもむろにスマートフォンの画面を俺に差し出してきた。画面にはいわゆる会話型のSNSらしいインターフェイスが映しだされていた。
「気になって色々調べてみたんですけど、もしかしてこれじゃないですか?」
無言で画面を繰り返し見返す俺に八丁堀が言った。
「もし仮にこれが本当ならオープンなSNSでこんなやりとりすれば足がつくのは当然ですから、実行犯は別の人物だとは思いますけどね」
八丁堀のその大柄な身体から紡ぎだされた繊細な想像力にはいつも恐れ入る。そして俺はその画面に表示された文章を読んで笑いそうになった。なぜならそれはあまりにも馬鹿げた書き込みだったからだ。
「この店のどこにそんなもんがあるんだよ。あったら売っちまってるつうの」
事実無根な書き込みに俺は飽きれるしかなかった。こんな噂を信じての不法侵入。そして器物破損は望んだモノがなかった腹いせの類か。だとするならばすべてがあまりにも子供じみている。
——じつはあの店、結構なレア基板を抱えてるって噂。
呆れ顔の俺を尻目にミノロックは破壊された筐体を静かに眺めている。
「基板勢だろうな…」
そう小さく呟くとミノロックはウイスキーをぐいと口に運んだ。コロナの瓶はいつの間にか手持ちのジャックダニエルの小瓶に変わっていた。
【2】
アーケードゲーム界隈では、集団や仲間といった集いの類を「
基板勢——ミノロックはそう言った。ガキの時分からゲームセンターで育った俺からすれば当然知らない存在じゃない。基板の
「やつらだとすればレイジくん、目的は金じゃない。所有欲だ」
「ああ。でも残念ながらそんな御大層な基板がこの店にあるわけないだろう」
「だよね」
「くだらねえ。そんな信ぴょう性のない噂で店を壊されたのかよ。ふざけるなよ。たまらねえよ」
揺らぐ。絶対に
「八丁、悪い。これで酒と氷と水買って来てくんねえ。あと適当につまみと」
札を渡された八丁堀が静かに店を出て行く。ミノロックはどんな気分で今日ここに来てくれたのだろう。そしていまどんな気持ちなんだろうか。ふいに俺は思った。その答えは俺の想像を軽く上回るものだったのだけれど。
「犯人が基板勢かもしれないってのはまあ想像の範疇でしかないけど、まあたぶんそうだろうと俺は思うよ。ただね、俺が今日レイジくんの店に来てさ、感じたのはあの日のことなんだよ」
あの日のこと——その言葉はすぐに俺を素面にさせた。それは俺にとって重く冷たく、悲しく悔しい最悪の出来事だった。
俺は強い、濃い酒が呑みたくなった。未曾有の地震。あのとき俺はこの地を離れ、ミノロックは東京にいた。
それからゆっくりと笑いながらミノロックはあの震災のとき、自身の店である「ミカド」になにがあり、そしてそれからの数年をどう生きてきたかを俺に語り始めた。蒸し暑い真夜中、クーラーの効かない老朽化した店舗で。
「俺は前日朝まで仕事だったから自宅で寝てたところに揺れが来て目が覚めた。慌てて店に電話したよ。事務所で作業してる店員の頭上に山程の基板が置かれてるからさ。あれが崩れてたら怪我どころじゃすまない。結果から言えば大丈夫だったんだけどさ、問題はそこから。電車は動いてないからタクシーで店に向かってさ。そこからだよ、そこから本当の地獄が始まるんだよね」
(つづく)
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