第3話

『戦闘チュートリアルを受けますか? YES or NO』


 目の前にいる狼を何らかの方法で八つ裂きにしようと構えた矢先、耳を通さず、まるで頭の中に聴覚が出来たような感覚があった。

 女性の声を元にした電子音、さながらゲームのナレーションであろうそれはそのまま、それらしいことを玲に語りかけた。


『受ける場合、ナマクラブレードを受け取れます。受けない場合、このまま戦闘が開始されます』


 玲は辺りを見回してみるが、視界に映るのは終わりなき草原と快晴な空。

 そして目の前の敵に怯え、自分の影に隠れる妹の姿である。

 この機械的な声の正体は見当たらない。

 まあ目視できるとはあまり思わなかったのだが。


「にい……さん?」


 まあ……やることは変わらないよね。

 オリアナには聞こえていない、つまるところこの不可思議な声は玲に向けられているという事になる。

 ゲーム脳的思考回路で言葉通りに受け取るなら、目の前の危機に対して何らかのサポートをしてくれるという事なのだろう。

 いや、目の前の危機そのものがまやかしのデモンストレーションなのかもしれないとか、ナマクラブレードとかいうおもっくそ切れ味の悪そうな名前の剣云々は兎も角として。

 まあ犬畜生如き武器なんてなくともどうにかなりそうではあるけれど、オリアナの恐怖を払拭するのに明確な戦う術は有った方が良いだろう。

 ……という訳で。


「――――YES」


『戦闘チュートリアルを開始します。ナマクラブレードを装備してください』


 玲の言葉に応じる声。

 それと共に現れるのは何の変哲もない無骨な剣。

 刃が有って、柄がある。それだけの物が、青い光りのエフェクトと共に目の前の地面に突き刺さる形で出現した。


「ふむ?」


 玲はそれを無造作に引き抜くと高らかに持ち上げて刃渡りを確認する。


「ふむ、ふむ? うーん? ほー?」


「兄さんそれは……? ていうか一体どこから……?」


「――――うん、ナマクラだコレ」


 剣、或いは棍棒。そのどちらとも呼べるのではないかと思う程度には。

 握るのはもっぱらゲームのコントローラばかりで苦労を何一つしていないやわらかな指先でその刃に触れて見ても切れる気が微塵もしない、多分コレ、斬るというよりぶったたくに近いかもしれない。

 素人目にも分かる、これはナマクラだ。ナマクラブレード、その名に偽りなし。


 困惑するオリアナを他所に玲は剣への感想を口にすると此方を見上げる妹に向けてニヘラと軽率な笑みを向けて言う。


「ちょっと離れてて、もーまんたいだから」


「兄さん? ねえ兄さん? わたくし状況が……」


「もーまんたい、もーまんたい。すべておーるーっけーです」


「何が? ねえ、何が!?」


 おーいいね、調子が戻ってきたじゃん。

 とはいっても、顔色は全然よくないし震えは止まっていないのだが。

 玲はオリアナの手をそっと放すと前に歩き始める。

 その眼には一欠片の気負いも無く、冷や汗の一つも掻いてない。何時もリビングのソファでダラける兄のものと何一つ変わらなくて、オリアナは言われるがままに手に込めていた力は抜けてしまった。

 玲は歩きながら振った具合を確かめるように剣を振り回しながら狼に近づく。


『チュートリアル一:『通常攻撃』 対象『ロンリーウルフ』を攻撃してください』


「ほいほい」


 へー、あの狼ロンリーウルフって言うんだ。ボッチとか俺の同類かな?

 玲が思ったのはそれだけだった。

 躊躇を何処かに置き忘れ、恐怖は明後日の方を向き、動揺は初めからありはしない。通常攻撃とか如何にもゲームのチュートリアルだなとか考えながら、どうという事も無く剣を振り下ろしていた。

 ズカン、碌に切れもしない剣により繰り出された攻撃は大よそ刃物にふさわしくない音を立てながら狼の顔面にヒットする。


「やった……!?」


 オリアナのそんな声が後ろから聞こえてくるが、多分やってないだろうなと桐生は思う。

 狼、ロンリーウルフは無抵抗だった、呼吸はしているようだし眼球は動いているし、唸り声だって上げていた。しかしながら遭遇した時とは打って変わり、チュートリアルを受けると宣言してからはまるで置物、サンドバックが如くその場から動こうとはしなかった。

 まるで、神の見えざる手に押さえつけられているが如く。

 そんな身動き一つとれない無抵抗なロンリーウルフに対して攻撃を加える事へ躊躇する様子や刃物を生き物に向ける事への抵抗、殺生への葛藤なんて全く見受けられない桐郎にとっての全力の一撃。

 それに伴って腕に掛かった負荷が思いの他大きかった事に顔を顰めながら玲はロンリーウルフからの反撃を警戒して後ろへ下がる。

 まあ最も、その心配は杞憂に終わるのだが。

 ロンリーウルフ攻撃を受けても尚唸り声を上げ続けるだけ。

 桐生の攻撃が全く効いていないかのようにそのままだ。

 いや、実際効いていないのだろう、ゲームでもあるじゃないか、チュートリアル中にはモンスターをどんなに攻撃しても死ななくなるような仕様が。これもそういう力が働いているのだとしても別に驚く事じゃない。

 どんなにリアルでも所詮は寝たらこれちゃった夢の国なのだから。


『チュートリアル二:『特殊攻撃スキル』 対象に『ソードアロー』を発動して下さい』


「流石にそれは詳細説明なしじゃぁ無理じゃぁないですかねぇ!」


 ゲームじゃあるまいし、幾ら夢でも流石に「さあやれ」と言われて「ようしやるぞ」とかそんなお気軽に放出系っぽい技を繰り出せたりしない。いつも通りのもっとフワフワした夢であるならそれも定かじゃないが。

 剣を投げ槍の要領でぶん投げろというなら別だが(投げ遣り)


『技名を叫びながら突きを繰り出して下さい』


「それ技が出なかった時の精神的ダメージがかなり深刻じゃなかろうか!」


 主に周囲の目から受けるダメージが!

 周囲といっても、いるのはオリアナだけであるのだが、妹だけであるからこそ余りそういう目で見られたくないというのが兄としての玲の思いである。


「兄さん、さっきから誰と話してるの!?」


「既に十分痛い奴だった!」


 オリアナにはこの声が聞こえていないのだから当然の反応だ、むしろ今迄そっとしておかれた分余計にダメージがデカいような気もする。

 まあしかし、逆にもう手遅れならばとも思う。

 玲は切り替えるように剣を二度振った後に手を心の像の位置に置き、顔を刀身が隠すように構え、目を瞑って深呼吸の後に突きを繰り出し、そして叫んだ。


「『ソードアロー』」


 言葉につられるようにして、刀身が赤く鈍く発光し切っ先より射出された。

 矢の名に恥じぬ速度で真っ直ぐに飛んだ光は実体を持ち、ロンリーウルフの眉間に深々と突き刺さった。

 光は速度を失うとともに搔き消えて。出来上がった風穴からは少なくない血が溢れ、ロンリーウルフは崩れ落ちた。

 そしてそのまま起き上がることはなく、『ソードアロー』を放った姿勢のままで固まった玲の耳に電子音が響き渡る。


「……あ、『やったか!?』」

「何で今そのセリフ言ったの!?」


『以上で戦闘チュートリアルを終了します。その他疑問などはヘルプをご覧ください。ヘルプへはメニュー画面から行けます。メニュー画面は『メニュー』と唱えると表示されます』


 元気よく言わなかったせいか、生存フラグは回収される事無く折れた。いや、脳天貫かれて生存フラグを回収する存在がいるとすればそれは最早生者ではないのだろうが。余りにゲームチックなので玲はついついそんな阿呆な事を考えてしまっていた。

 随分短いチュートリアル、何せ攻撃しかしていない。

 普通ならこのほかに回避やらガードやらもあるだろうに、その辺は自分で何とかして下さいということだろうか、はたまたあのロンリーウルフにガブガブさせようものならチュートリアルで逝っちまうということなのか。

 『メニュー』とやらについては落ち着ける場所を見つけて可及的速やかに調べる必要がありそうではあるが、ひとまずは保留。


『それではモン災に気を付けて『スリィピア』の世界をお楽しみ下さい』


「何だモン災って」


 もしかして人災とか天災とかそういう意味合いで言っているのか。

 玲は機械的な物言いの中へ急に奇妙なユーモアを混ぜてきた事に微妙な顔をすることしかできなかったが、兎にも角にもこれで漸く終わりらしいと溜息を吐く。

 いや、チュートリアルはたったの二までしかなかったのだから漸くという程ではないか、剣を振った回数もむしろ素振りの方が多い。

 まあ引き篭もりにゃ素振りも打撃足りうるという教訓だろう。

 この出来損ないゲームのチュートリアルモドキは恐らく世界観を理解させることと、それに伴った必須科目たる殺生という事柄を通過儀礼的に体験させる意味合いがあったのだろう。

 玲は自分の頬を抓る。

 やはり、痛い。

 さて、これをただの夢と断じるのは流石に難しくなって来たころ合いだ。

 取り敢えず完全に夢ではないと思うにはベットから出てオリアナと見たモノの食い違いの有無を確認してからでないと無理だが、ここで安易に死ぬという選択肢を選ぶのも得策じゃないとは思える程度には。


「に、兄さん、今のって……?」


 ロンリーウルフを駆逐し終えたことで、オリアナが近寄って来る。

 その顔には安堵の他に最近ではすっかりご無沙汰となった尊敬の念が見られる。

 玲は思う、男の子かお前は、と。

 何故ならオリアナのそのキラキラと光らせた目が興味を示しているのは恐らくつい今しがた玲の放った『ソードアロー』とやらなのだから。


「剣ビームだ」


「す、すごい! そんなの出せるなんて流石わたくしの兄さん!」


 いやいや普通は出せないから。


「アナも出来る様になるんじゃない?」


 多分だけどね、この世界での役割とやらが『勇者』なら、剣の初期スキルっぽい『ソードアロー』は出来てしかるべきだと思うけれど。


「ほ、ホントに!」


「うん」


「やったー! 兄さんやり方教えてね!」


 先程までの怯えた様子は何処へやら。空元気である可能性も否定できないが、取りあえずは『元気』を取り繕える位には回復して笑いながらピョンピョン飛び跳ねるオリアナを微笑ましげに見ながら玲は取りあえずの方針を決める。

 じゃあまずは、ヘッドバッドしなくても自発的に元の世界へ戻る手段でも探しますかね。

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SLEEPA-スリィピア- 白米 @Hakumai

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