第38話 弐之断不要の威力
月明かりに照らされた、王宮に続く道の中で。
「やはり……彼が危惧した通りになってしまったか」
「……」
帝国騎士の頂点と王国騎士の頂点が、互いに眼差しで火花を散らし、対峙していた。その一騎打ちを見守るダイアン姫は、姉であり師でもあったヴィクトリアの姿に、悲しげな表情を浮かべている。
「ヴィクトリア……わたくしの言葉がわかるなら、剣を収めて!」
「……姫様。危険ですので、お下がりください」
だが、勇者の剣に囚われた彼女の心に、その言葉は届かない。既に悪しき力に魅入られている彼女は、冷たく突き放すような声で、主の呼びかけを拒む。
人のものとは思えぬ程の殺気を浴びるバルスレイは、その様子から勇者の剣が持つ呪いの威力を垣間見た。従うべき主君の嘆きさえ、届かなくなる程の激情。
それを引き出す、勇者の剣の呪いの強さを。
「……貴殿の手にある剣のことは、我が帝国の勇者から全て聞いている。御身が、抗えぬ感情に支配されていることも」
「……」
「だから、問うのはこれが最後だ。――その剣を、捨てる気は無いか」
その問いかけに――ヴィクトリアは黒の長髪を靡かせ、剣で答えた。
瞬く間に放たれる、勇者の剣の一閃によって。
「――そうか」
鋭い眼差しでその閃光を見切り、バルスレイは再び剣で受け止める。
「
間髪入れず反撃に出るが――彼が下段から放った刺突は、空を貫いていた。
すでに彼女は間合いを取り、バルスレイの攻撃範囲から逃れていたのだ。その一瞬の判断力と、それを実行できる彼女の力量に、老将は感嘆の声を漏らす。
「……なるほどな。帝国騎士達が、教えを乞いたくなるはずだ」
「……」
天賦の才能。それを殺さぬ努力。全てが合わさり、ようやく辿り着ける境地。それがヴィクトリアという剣士なのだと、バルスレイは改めて実感する。あのアイラックスの、娘なのだということも。
さらに今の彼女には、勇者の剣により戦意を激しく煽られ、本来以上の戦闘力を発揮している。もはや、人間の枠に収まる力ではない。
――本物の勇者にも劣らぬ、超人なのだ。
(だが、だからこそ――この前途ある騎士を野放しにはしておけぬ。それが、己の至らなさであの子を絶望に追いやった、この私にできるせめてもの贖い)
柄を握る手に、力が籠もる。その瞳に宿る闘志は、一寸の狂いもなくヴィクトリアを射抜いていた。
飛剣風の態勢に入るバルスレイの眼光は、味方であるダイアン姫まで威圧している。
(凄まじい殺気……。これが、帝国最強と謳われた武人バルスレイの……!)
その気勢に圧倒されるダイアン姫は、息を飲んで双方を見守る。
王国騎士でありながら、敵に回ったヴィクトリア。帝国騎士でありながら、味方に付いたバルスレイ。どちらを心から応援すべきなのか、迷っているのだ。
「……来い」
一方。ヴィクトリアは、何が来るのかわかっているらしい。勇者の剣で防御の姿勢を取り、静かにバルスレイの出方を伺っていた。
もはや、奇襲など通じない。あるがままに一撃を放ち、打ち勝つ他ないのだ。
「小細工無用か……結構!」
バルスレイの眼光が鋭さを増し、手にした剣が唸りを上げる。
「ヴィクトリア。貴殿を、あの子のところへ行かせはせんぞッ!」
空を裂き、撃ち放たれた飛剣風。その一汛の風が、矢と化した剣と共に、ヴィクトリアに向かい吹き抜けて行った。
――そして。
「なっ……にぃ!?」
「そんな……!?」
眼前の光景に――老将と姫騎士は驚愕し、目を剥いた。歴戦の経験を持ってしても、今の彼女の行動を読むことはできなかったのだ。
「――こんなものなのか。父を殺めた、帝国式投剣術とは」
ヴィクトリアは防御の構えを解くと――籠手で飛剣風を『掴んで』しまったのである。まるで、宙を舞う羽根をさらうかのように。
老いさらばえたとはいえ、帝国式投剣術を極めた剣士の一閃は――全く通用しなかったのだ。
(かわされたことならある。防がれたこともある。だが、掴まれたことなど今まで一度も――ッ!?)
さらに彼女は無言のまま、返してやると言わんばかりに剣を投げ返してきた。――バルスレイの飛剣風を、上回る速さで。
「――うぐわぁああッ!」
「バルスレイ様っ!」
老将と姫騎士の悲鳴は、同時だった。バルスレイの肩口に突き刺さった剣は血飛沫を上げながら、持ち主の身体を紙切れのように吹き飛ばして行く。
「まだだ。我が王国が……父上が受けた痛みは、この程度では到底贖えぬ」
すでに老将の状態は、戦闘不能に等しい。だがヴィクトリアに攻撃の手を緩める気配はない。ゆらりと歩み寄る彼女の眼は、憎悪と敵意に染まり、敵の血を求めている。
「そこまでですヴィクトリア! 剣を捨てなさい! それは、あなたが持つべきではありません!」
その光景を見せ付けられ――見たことのないヴィクトリアの表情を目の当たりにして。ようやく姫騎士は決意を固め、彼女の前に立ちはだかった。
姉のように慕ってきた相手とはいえ、話が通じる望みは薄い。万が一に備え、左手に装備した盾を突き出していた。
「……もう一度申し上げます。お下がりください、姫様。今、奴の息の根を止めますゆえ」
「……そんな眼をしたあなたなど、見たことありませんし、見たくもありません。これ以上その剣を振るうおつもりならば、わたくしもこの剣を抜かざるを得ませんよ」
「この眼を見たことがない……。当然でしょう。見せないよう、今日まで抑え続けてきたのですから。此の身を焦がす、憎しみの炎を」
「……!」
そこでダイアン姫は、ダタッツの話を思い出した。
勇者の剣はあくまで、本人の中にある負の感情を強く引き出しているに過ぎず、決して意識を乗っ取って操っているわけではない――。
だからある意味では、ヴィクトリアの言葉は嘘偽りない、彼女自身の本心なのだ。
「……それでも、わたくしは……」
彼女の想いは、痛いほどわかる。大切な人を失った悲しみ。祖国を蹂躙されてきた苦しみ。帝国への怒り。
その全てを、彼女と二人で背負ってきたのだから。
「あなたを……このまま進ませるわけには、行かないのです」
――だが。それをわかっていてなお、ダイアン姫は立ち塞がる。なぜそうしてしまうのか――なぜ、帝国を、ダタッツを庇おうとしているのか。
その答えが、わからないまま。
「これほどまでに姫様を誑かすとは……やはり帝国人共、万死に値するな」
そんな主君の眼を見遣り、一瞬だけ悲しげな表情を浮かべたヴィクトリアは――再び険しい面持ちになると、手にした刀を上段に構える。
王国式闘剣術、弍之断不要の体勢だ。
「……!」
その技が誇る破壊力を知る姫騎士は、間近で見る彼女の威圧感に触れ、息を飲む。今の状態で父譲りの弍之断不要を放てば、一体どれほどの――。
そんな考えが過った瞬間、ダイアン姫の体は僅かに強張ってしまった。それを見遣るヴィクトリアは戦意が崩れたことを悟り、彼女のそばを通り過ぎていく。
――刹那。
「姫様、将軍! ここは我々が!」
「散開! 包囲を固めろ!」
赤いマントを翻し、バルスレイ直属の精鋭騎士達が集まってくる。
「帝国騎士団!?」
「いかん、下がれお前達! お前達でどうにかなる相手では――うぐっ!」
街でパトロールしていた数少ない駐屯兵である彼らは、王宮内で待機している王国騎士達より早く、異変を察知して駆けつけてきたのだ。
さらに、その内の一人はすでに王宮へ向かい、状況報告のために走り出していた。
「……私が仕掛けてから、五分も経っていない。にもかかわらず素早く状況を判断し、救援要請も欠かさず包囲網を構築する――か。さすがに精強だな」
「そこまでだヴィクトリア殿! 剣を捨て、投降されよ! 我々は、無益に争うべきではない!」
「それに引き換え……我が王国騎士団の、なんと惰弱なことか。私が帰ってきたからには、徹底的に叩き直さねば――いや」
「……っ!?」
――だが、この超人にとっては包囲網を打ち破ることなど、造作もない。彼女の手に握られた勇者の剣から迸る殺気は、帝国騎士達の気勢さえ容易く飲み込んで行く。
「……一度皆殺しにして。新たに再編すべきなのだろう。この私が率いる新しい王国騎士団を、な」
そして、弐之断不要の構えを取る彼女の気迫が、最高潮に達した瞬間。
「か、かかれ! なんとしても取り押さえ――!」
「いかん! 下がれ、前に出るなァッ!」
恐怖に屈しまいと気を張る余り、冷静さを欠いた帝国騎士団が一斉に飛びかかって行く。上官の命令を無視してしまうほど、焦燥を露わにして。
――次の瞬間。
「弐之断不要――破散弾ッ!」
ヴィクトリアの叫びと共に、勇者の剣の刀身が唸りを上げ、地面に振り下ろされた。
その一撃により、石畳は粉々に破壊され――この場にいる人間全てに、破片となって襲いかかる。
「ぐぁあああぁあッ!」
「ぎゃあぁあぁあぁッ!」
帝国騎士団とバルスレイを、容赦無く撃ち抜いて行く石の嵐。それを防ぐ手立てなどない彼らは為す術もなく、悲鳴を上げて倒れ伏して行く。
「なんて力……あうっ!」
さらに、その圧倒的な破壊力の余波はダイアン姫にまで及んでいた。目の前に飛んできた流れ弾を察知した彼女は、咄嗟に盾で防いだのだが――勢いを殺しきれず、尻餅をついたのである。
彼女が立っていたのは、ヴィクトリアのほぼ真横。弾が飛んで来やすい場所ではないが、危険なことには変わりないし、本来ならば使い手であるヴィクトリア本人がそれに気づかないはずがない。
つまり彼女はダイアン姫が安全でないにもかかわらず、破散弾を放ったのだ。
(わたくしがいるにもかかわらず、躊躇なしに弐之断不要を……! しかも、拳ほどの大きさもない小石をぶつけられただけなのに、これほどの威力があるだなんて……!)
しかし、ダタッツから今の彼女の危険性を聞かされていたダイアン姫は、その事実よりも――盾を持つ手に伝わる衝撃から感じる、破散弾の威力に驚愕していた。
彼女が盾で凌いだ小石と比べて、バルスレイ達が生身のまま受けた破片は余りにも大きい。受けたダメージは……計り知れない。
事実、帝国騎士団はあっけなく壊滅しており……唯一意識を保っているバルスレイさえも、剣を杖代わりになんとか立っている状態だ。
「……随分と、やって……くれたものだ」
「さすがに、歴戦の猛将と謳われるだけのことはあるな。長い戦いの人生にも疲れただろう。今、楽にしてやる」
「まだだ……まだ私が生きている限り、勝負は……」
「――黙れ下郎がァァアアァッ!」
そんな彼が、なおも戦おうとしている姿に、業を煮やしたか。怒号と共に、ヴィクトリアは彼の首を掴むと――激情のまま、彼を砲丸のように投げ飛ばしてしまった。
紙切れのように吹き飛ばされた老将は、その勢いのまま城門を突き破り――王宮内に墜落する。その緊急事態に、王宮は騒然となっていた。
「敵襲、敵襲ーッ!」
「城門前を固めろ、門が破壊されている!」
「バルスレイ将軍がやられている!? まだ……五分も経ってないんだぞ!?」
王国騎士達は狼狽しながらも、ただならぬ事態を察して城門前に集結していく。そして、城門を包む土埃の先に、視線を集中させるのだった。
「さて……残る帝国人は報告に向かった騎士と――奴だけか」
「待ちなさいヴィクトリア――うっ!」
一方、帝国騎士団を壊滅させたヴィクトリアは、淡々とした声色で小さく呟くと、次の獲物を狙って歩み出して行く。自身が抹殺の対象とした、王国騎士団がいる方向へと。
ダイアン姫はそれを阻止しようと走り出すが……もう一つの小石が足を掠めていたことにようやく気づき、痛みのあまり立ち止まってしまった。
そうしている間にも、ヴィクトリアは徐々に王宮へと進んで行き――
「あ、あれは……!」
「まま、まさか、あのお方は……!」
――ついに。
「帰ってきたぞ。惰弱な貴様らを生贄に、新たな騎士団を創るためにな」
勇者の剣に囚われし、聖なる血統の末裔は。混沌とした王宮の中へと、足を踏み込んで行くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます