第22話 帝国勇者の初陣

 竜正が「勇者の剣」を手にして――さらに一ヶ月が過ぎた頃。


「よいな……タツマサ」

「……ああ」


 争いとは無縁の世界に生きていた少年が、戦士として戦場に立つ日が――ついに訪れたのだった。

 彼の目には今、度重なる戦いにより荒れ果てた大地が広がっている。


「かつては、美しい草原だったこの地も……幾年も続く戦により、見ての通りの有様だ。一日も早く、この戦争に終止符を打たねば、王国も我々もいたずらに犠牲を増やすのみ。――その鍵を握っているのは、お前なのだ。わかるな?」

「……わかってる」

「……なに、臆することはない。お前には私から勝ち取った『勇者の剣』と、その身に纏う『勇者の鎧』があるのだ。お前は迷うことなく、戦えばいい」

「……」


 かつて、先代の勇者が纏ったと言われている「勇者の鎧」を身に付けた彼の姿は――少年の故国に伝わる「武者」の面影を色濃く残している。

 偶然にも、生前の先代勇者と近しい体格を持っていた彼に託された、漆塗りの甲冑は――帝国騎士達の中でも異彩を放つ形状であった。


(……そうだろうな。先代の勇者が戦国時代の鎧武者だったのなら……俺くらい小さく立って不思議じゃない)


 少年が知る、この鎧が存在していた時代は――彼が生まれ育った時代と比べて、男性の平均身長が著しく低いのだ。

 ゆえに、「子供」である竜正が「大人」の鎧を着ることも可能なのである。


(数百年前にここへ召喚された、これの持ち主は――どんな気持ちで戦ってたんだろう。どんな想いで、この剣を取ったんだろう……)


 すると。

 自分の姿を見下ろして、そう逡巡する彼の首に――赤い巻布が掛けられた。

 少年の体躯と比べて、あまりにも長いその巻布は、風に靡いて激しく揺らめいている。この状態で動き回れば、いくら本人が小柄であっても、目立つことは想像に難くない。


「えっ……?」

「――風変わりな格好とはいえ、お前の体格で乱戦状態の戦場へ飛び込めば、こちらはすぐに見失ってしまうだろうからな。士気の要となるお前が見えなくなっては、兵達も不安になろう」

「バルスレイさん……」

「我々は、お前を戦乱の世へと引き摺り込んでしまった。……だが、私はお前を決して独りにはさせん。この赤色が、その誓いの証だ」

「……」


 独りにはさせない。その言葉は、この世界に居るただ一人の異世界人である竜正の胸に、深く染み込んでいた。

 父を失い、母と離れ離れになり、たった一人でこの世界に迷い込んだ彼にとって――その一言は、何よりも必要な言葉だったのである。


 竜正は首に巻かれたマフラーを握り、唇を噛み締める。――そして、礼を言おうと顔を上げた瞬間。


「敵襲! 我が軍の前方に、王国軍の先遣隊を確認ッ!」


 双角の兜で頭部を固めた帝国軍の斥候が、息を切らしてバルスレイの前に駆けつけてきた。片膝を着き、必死の形相で戦況を伝える彼の眼差しを見遣り、銀髪の老将は一瞬のうちに目の色を変える。


「小手調べ、というところか……。本来ならば、切り札である勇者は本隊との決戦まで温存しておくべきだろうが……」


 そして、力無い少年とは違う……一人の戦士としてここにいる、竜正の瞳を一瞥し。


「ここで彼らの出鼻を挫けば、戦局を変えることもできよう。――現代に蘇りし勇者の初陣だ! 皆の者、勇者タツマサと共に……王国軍を討つぞッ!」


 腰にした剣を天へ掲げ、竜正の出撃を宣言するのだった。彼の宣言を受け、兵達はけたたましい雄叫びを上げ、それに応えて行く。

 竜正は、そんな彼らの気勢にたじろぐ様子もなく――むしろ焚き付けられたかのように、剣呑な眼差しで戦場を射抜いていた。


(……それにしても。初陣でありながら、ここまで落ち着き払っているとは……。やはり勇者とは、人の常識からは逸脱した存在なのであろうな)


 一方。

 バルスレイは新兵が抱えるような、過度な緊張感を全く見せず、あくまで落ち着いた物腰で戦場を見つめる少年の姿に、内心で驚嘆していた。

 いくら勇者とはいえ竜正という少年は、ただの人間であるはず。母に会いたいという想いゆえに、焦りを募らせるような――情に溢れた人間のはず。


 だが、今の彼にはそんな「人間らしさ」がまるでない。戦うためだけの人形のような――ある種の不気味ささえ、その瞳に滲ませていた。


 本来ならば、そこで気付くべきだったのだろう。――彼はすでに、「勇者の剣」と銘打たれた妖刀に魅入られているのだと。


 しかし。竜正が「勇者」という特別な存在であることが、バルスレイの無理解を招いていたのだ。

 真の勇者は初陣であろうと、恐れることはないのだと……戦いの世界に慣れ過ぎた老将を、納得させてしまったのである。

 そして、その納得は――竜正への誤解となるのだ。


 ――やがて先遣隊を狙う、帝国軍の弓による迎撃を皮切りに……戦が始まった。

 轟く怒号。響き渡る、剣と剣が交わる音。散る命と、飛び散る血潮。


 命を削り合う、男達の叫びが――絶え間無く荒野にこだまする。


「……ッ!」


 そのさなかで。

 唇を噛み締め、恐怖を振り払うように突き進む少年は、敵軍の群れに飛び込むと。


「――ぉおぉおおッ!」


 腰にした一振りの刀を抜き放ち――幾人もの命を、その刀身の錆へと変えていくのだった。白い刃に、赤い血糊が纏わり付き……少年の視界を肉片が染め上げて行く。


「な、なんだッ!?」

「あの少年兵は……!?」


 乱戦の只中に突如現れた、得体の知れない怪物。その存在に、王国軍の陣形が僅かに乱れると――


「今だッ! 勇者の導きに従い、この戦場の血路を開けぇッ!」


 ――バルスレイの怒号に突き動かされた兵達が、雪崩の如き勢いで王国軍へ接敵して行くのだった。

 予想だにしなかった敵軍の「新兵器」を前に、王国軍は為す術もなく数で勝る帝国軍に押し潰され――敗走していく。

 それは、アイラックスという男によって一度は覆された戦況が、本来の形へと揺り戻される瞬間であった。


(俺は……俺は必ず、母さんのところへ帰るんだ。そのためなら――)


 ――そう。

 この戦いで初陣を飾った若き勇者は。


(――なんだって、やってやる。誰だって、殺してやる!)


 命を奪うことを恐れることもなく、数多の兵士をその手にかけたのだ。

 人の胸中に微かに潜む「殺意」を膨らませ、理性を押し潰す「勇者の剣」の力によって。


 ――意識を乗っ取るわけではない。あくまで、己自身の胸に在る悪意。剣はそれを、強く引き出しているに過ぎないのだ。

 だからこそ、後に少年は――ありのままの自分が犯した罪を、知ることになる。


『タリナイ……チ、チガ……タリナイ』


 手にした剣の囁きに従い、戦い抜いた先の――絶望を。

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